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<前編>
第27話 本日のお仕事17 霧散
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メルさんの後ろからパストゥール家の奥様が入っていらした。
ベッドから起き上がってお礼を言おうとすると、そのままで楽にしていてと言われる。
奥様はマテュー様と似ているところがあまりなかった。淡い金髪に、瞳も薄い水色。小柄で線も細くて華奢だ。まあ、きれいなところは系統的に合っているけれど。
「この度は身に余るお心遣いをいただき、温情に感謝いたします。ありがとうございます」
お言葉に甘えてベッドに身を起こした状態で、感謝を述べて頭を下げる。
「いいえ、ウチのマテューがあなたの家のドアを壊したと聞きました。申し訳ないわ」
「いえ、とんでもありません」
壊されたことは金銭面的にショックだが、すでにもらいすぎな待遇だ。ドア1枚修理するだけの方が医者を呼んで薬を作らせるよりよほど安いことだろう。
こんないい部屋に素性のわからないものを入れ、お医者様に診させて薬まで。その上ほっとけば治るような傷にも薬を塗ってくれたみたい。メイドにメイドをつけて! 好待遇すぎて恐ろしくて深く考えたくない。
奥様は温かな笑みを携えて、わたしをみつめていらした。
「今日、元々あなたはこちらに来ることになっていたでしょう? 私、会わせてもらう予定になっていたのよ」
「奥様とですか?」
「ええ、そう。マテューが殊の外あなたを気に入っているようだから、気になって」
そんな注意をひいてしまったどこの馬の骨ともわからないメイドを、具合が悪いと息子が連れてきて、看病をしてやれば化粧にウィッグ。装うためというより本来の自分を隠したいように感じて怪しさ満載と思ったに違いない。
解雇の糸口がみつかった。
……けれど、二軍やケイトたちとはもう一度会いたかったな。
「そのウィッグはおしゃれで髪色を変えていますの?」
わたしは首を横に振った。腹を括る。
「いいえ、本当の髪色がいい色ではなく独特なので、このウィッグをつけています」
嫌いではないけれど、重たい暗い色だ。それに染めた毛は独特な色合いの赤毛だ。ファニーを知る人は少なくても連想させる色合いの髪でいるのはまずいかなと思ってウィッグをつけていた。
「マテューに抱きかかえられてきた、あなたを見ましたのよ」
カッと顔が熱くなる。マテュー様に運んでもらったんだ、使用人ではなくて。
「熱で顔を赤くされていたけれど、今よりずっと地味で目立たなく見えましたわ」
地味を追求した結果、そうなっていったんだよね。目もぱっちり二重より、まぶたに重ためのグラデーションで色をのせていって一重っぽくして、眉は薄く、眦を下げた感じにするとボケーっとした印象になり、人の気に留まりにくくなるみたいだった。
「……記憶に残らないよう心がけています」
奥様が手を挙げられて、メルさんが出て行く。
「本当の髪を見せて欲しいと言ったら、あなたは困るかしら?」
わたしはウイッグを外し、結われていた髪を解いた。メルさんはきれいに結って入れ込んでくれていた。
「暗い赤毛なのね」
「……はい」
「確かに目をひくわね」
何かを思い出そうとしているように奥様の視線が彷徨った。
「……上の子を身篭った時だから20年は前ね。春の夜会に領地に篭りっきりの令嬢が王都にやってくるとあって、殊更注目される年だったのよ。その髪の色は、その時の令嬢を思い出すわ」
奥様を見ると優しく微笑まれている。
人の記憶は侮れない。
今までバレなかったことの方が運が良かったんだなと、静かに心に落ちてきた。そう受け止められた。お母様の髪は赤毛だった。お母様が夜会に参加されたのと同じ年頃だし、どこか似通っているのだろう。
「一昨日、城に行ったそうね」
「……はい」
「ボウマー伯爵と国王陛下とお会いした?」
「…………はい」
「風水の断罪を知っていて?」
「? よくは知りません。100年前に追放され、70年前に許された冤罪だと聞いています」
奥様は目を瞑る。
「風水の断罪は身分が高い貴族ほど、今も心に留めていることなの」
え? では王子や坊ちゃんたちが特別風水の断罪を知っていたのではなく、身分の高い貴族は気に留まる家柄ってこと?
「知らなかったのね。会えば陛下やレジナルドにはすぐにわかったでしょう。あなたがオッソー家の者ではないと」
あ、奥様はそこまでわかっているんだ。
「怪しいと思われて脅されたりしたのかしら?」
陛下、宰相様。わたしから秘密を暴露することはありませんが、バレてしまった場合はどうすればいいのでしょう?
「言うな、と言われれば、あなたは何も言えないでしょうしね」
びくりと肩が震える。
「あなたがこうして仕事を続けたってことは、そうするよう陛下たちがそうおっしゃったのね」
ああ、もう、全部バレている。
「言わなくていいわ。あなたはこのままリリアン・オッソーであるように言われているのね」
ど、どうしよう。
奥様はわたしの頬に手を当てる。
「可哀想に。お詫びの品だそうよ。あなたを怖がらせた、ね」
わたしは生唾を飲み込んだ。
奥様が何着もぶら下がっている、お嬢様仕様の服に目を走らせる。
「レジナルドは考えが足らないわ。ボウマー家が女性服を買い込んだものだから、タデウスが結婚でもするのではないかと凄い噂になっているわ」
レジナルドはきっと宰相様のお名前だろう。奥様は宰相様をよくご存知みたいだ。
「ああ、私たちは学園でみんな一緒だったのよ。レジナルドの亡くなった夫人ともみんな仲がよかったの」
タデウス様のお母様、亡くなられていたんだ。
「まったく、家でお世話するのだから、家で全て用意するのに、本当に余計なことをしてくれたものだわ」
ん?
「あ、あの、とてもよくしていただいて感謝しております。着替えて、すぐに出て行きますので」
わたしは上掛けをはいで、ベッドから降りようとした。
「何をおっしゃるの? まだ起き上がってはいけないわ。それにドアがない家に帰れないでしょう?」
「オーディーン夫人のところに参ります」
「でしたら、あちらじゃなくても、家で休んでいくのでも同じではなくて?」
いやいやいやいや、全然違うから。
奥様を見ると、本当にそう思っているような顔つきだ。
こんな嘘つきメイドが大事な息子のそばや屋敷にいたら嫌なはずだ。
「いえ、もうこれ以上ご迷惑をお掛けするわけには」
ふと、真面目に尋ねられる。
「なぜ領地を出て働いてますの?」
「……貧乏だからです。禄はいただいていますが、古い屋敷の修繕費にも届きません。生活するにはお金が要ります。だから働きたいのに、規約でわたしは働いてはいけないとされています。でも、働かなければ生きていけません」
奥様はひとつ頷いた。沈黙が降りる。
それから少し考えられて、尋ねられた。
「単刀直入にお尋ねするけれど、あなたマテューをどうお思いになられてるのかしら?」
「マテュー様……ですか? お優しく、立派な騎士になられるべき方だと思います」
奥様は額を押さえた。
「そ、そう。そういえば、タデウスともラモンともテオとも過ごされたのよね? 気に留まった方はいらしたの?」
は?
「……皆さま、良い方たちでした……」
これは、何を聞かれているんだろう?
奥様は拳を握りしめて、にっこり微笑まれた。
「わかったわ。いろいろ尋ねてごめんなさいね。……いくつになっても子供は子供なのよね。あの子の周りで何が起きているのか知っておきたかったの。だから、怖がらないでちょうだい。私は何もしないわ。あなたはあなたのやりたいように思って、行動していいのよ。ただ、ドアが直るまでは屋敷に滞在してちょうだい。あなたはお客様です。仕事に出ている以外はここでお客様ですからね」
奥様が出て行かれた。
わたしは髪をまとめて、ウイッグをつける。
メルさんが入ってくる。
「坊ちゃんが帰られました。お通ししてもいいかしら?」
わたしは頷いた。
起き上がろうとしているところにマテュー様が入っていらした。
まだ横になっていた方がいいと止められる。
「大丈夫ですか? 朝よりは顔色はいいですが、まだ青いですね。足りない物はありませんか? 入り用な物は言ってください。用意します」
いつも迎えにきてくれる時はきちっとした格好をしているのに、今日は訓練着のままだ。
「あの、ありがとうございました。連れてきてくださったのも、お医者様にみせてくださったのも、こうして温情をいただきまして、感謝のあまり言葉もございません。……ご心配して来てくださったのに、あの時わたし、酷いことを言って、申し訳ありませんでした」
住まいのドアを壊されたのはショッキングなことで恨みがましく思ってしまったけれど、マテュー様は本当にわたしを心配してくださったんだよね。そのあとの好待遇、もうこちらがひれ伏すしかできない。
「いえ、怒って当然です。ドアのこと、申し訳ありませんでした」
マテュー様が頭を下げられる。
「いえ、心配してくださったんですから、そんな、頭をあげてください」
そう、マテュー様は心配してくださったんだ。そうなんだけどさ。
ドアが蹴破られた時は本当にびっくりしたんだ。
しんどくて、体が辛くて。そんな時にドアにバキって穴があいて。驚いて怖くて。
手がにゅっと入ってきてロックが外された。恐怖しかなかった。上半分のドアが中途半端に開いて人がぬっと入ってきた。慌てたようなその顔を見て、わたしはなぜか安心した。入ってきたのがマテュー様で安心した。怖い気持ちが一掃されていた。
身を偽ったことの罪も怖かったし、それでお兄様や夫人に迷惑をかけることも怖かった。そんな時に同じメイドから意地悪をされて心がギュッとした。みんなから見放されたような、ひとりきりになったような、そんな気持ちになっていた。心にあった澱のような淀んだものがわたしを支配していた。それがマテュー様の顔をみたら嘘みたいに霧散した。
なのに、焦った顔で入ってきたマテュー様がわたしを見た瞬間に安心した顔になって、それをみたとたん、なんだか腹立たしくて、素直に心の動きを認められなくて、代わりにドアの修繕費をどっから捻出しろって言うんだって思いに囚われてしまった。
今も不思議とあの怖さはなくなっていた。体調が悪くて弱っていただけなのかもしれない。
……それとも。わたしはマテュー様は『強い』となぜか思っている。そんなマテュー様が近くにいるから……。
「……と言ったのですが、提案したものを断られまして、元の物と同じにするというからそれは聞けないと言いましたところ」
ん? わたしが考え事を巡らしている間に、マテュー様は何か説明していたみたいだ。
「すみません、もう一度お願いします」
「あ、体調の悪いときに長話はいけませんね。もう一度、ゆっくり寝てください。次に起きた時はもっと元気になっているはずです。そうしたらしっかり食事をとって、ああ、プレゼントを全部開けないと。その時はご一緒させていただいていいですか? こんなにいっぱい、リリアンは人気者ですね…………」
あ、そうだ。お詫びやお見舞いのお礼をしないとだ。
と思いはしたものの、マテュー様の話すことに耳を傾けながら、いつしかわたしは眠り込んでいた。
ベッドから起き上がってお礼を言おうとすると、そのままで楽にしていてと言われる。
奥様はマテュー様と似ているところがあまりなかった。淡い金髪に、瞳も薄い水色。小柄で線も細くて華奢だ。まあ、きれいなところは系統的に合っているけれど。
「この度は身に余るお心遣いをいただき、温情に感謝いたします。ありがとうございます」
お言葉に甘えてベッドに身を起こした状態で、感謝を述べて頭を下げる。
「いいえ、ウチのマテューがあなたの家のドアを壊したと聞きました。申し訳ないわ」
「いえ、とんでもありません」
壊されたことは金銭面的にショックだが、すでにもらいすぎな待遇だ。ドア1枚修理するだけの方が医者を呼んで薬を作らせるよりよほど安いことだろう。
こんないい部屋に素性のわからないものを入れ、お医者様に診させて薬まで。その上ほっとけば治るような傷にも薬を塗ってくれたみたい。メイドにメイドをつけて! 好待遇すぎて恐ろしくて深く考えたくない。
奥様は温かな笑みを携えて、わたしをみつめていらした。
「今日、元々あなたはこちらに来ることになっていたでしょう? 私、会わせてもらう予定になっていたのよ」
「奥様とですか?」
「ええ、そう。マテューが殊の外あなたを気に入っているようだから、気になって」
そんな注意をひいてしまったどこの馬の骨ともわからないメイドを、具合が悪いと息子が連れてきて、看病をしてやれば化粧にウィッグ。装うためというより本来の自分を隠したいように感じて怪しさ満載と思ったに違いない。
解雇の糸口がみつかった。
……けれど、二軍やケイトたちとはもう一度会いたかったな。
「そのウィッグはおしゃれで髪色を変えていますの?」
わたしは首を横に振った。腹を括る。
「いいえ、本当の髪色がいい色ではなく独特なので、このウィッグをつけています」
嫌いではないけれど、重たい暗い色だ。それに染めた毛は独特な色合いの赤毛だ。ファニーを知る人は少なくても連想させる色合いの髪でいるのはまずいかなと思ってウィッグをつけていた。
「マテューに抱きかかえられてきた、あなたを見ましたのよ」
カッと顔が熱くなる。マテュー様に運んでもらったんだ、使用人ではなくて。
「熱で顔を赤くされていたけれど、今よりずっと地味で目立たなく見えましたわ」
地味を追求した結果、そうなっていったんだよね。目もぱっちり二重より、まぶたに重ためのグラデーションで色をのせていって一重っぽくして、眉は薄く、眦を下げた感じにするとボケーっとした印象になり、人の気に留まりにくくなるみたいだった。
「……記憶に残らないよう心がけています」
奥様が手を挙げられて、メルさんが出て行く。
「本当の髪を見せて欲しいと言ったら、あなたは困るかしら?」
わたしはウイッグを外し、結われていた髪を解いた。メルさんはきれいに結って入れ込んでくれていた。
「暗い赤毛なのね」
「……はい」
「確かに目をひくわね」
何かを思い出そうとしているように奥様の視線が彷徨った。
「……上の子を身篭った時だから20年は前ね。春の夜会に領地に篭りっきりの令嬢が王都にやってくるとあって、殊更注目される年だったのよ。その髪の色は、その時の令嬢を思い出すわ」
奥様を見ると優しく微笑まれている。
人の記憶は侮れない。
今までバレなかったことの方が運が良かったんだなと、静かに心に落ちてきた。そう受け止められた。お母様の髪は赤毛だった。お母様が夜会に参加されたのと同じ年頃だし、どこか似通っているのだろう。
「一昨日、城に行ったそうね」
「……はい」
「ボウマー伯爵と国王陛下とお会いした?」
「…………はい」
「風水の断罪を知っていて?」
「? よくは知りません。100年前に追放され、70年前に許された冤罪だと聞いています」
奥様は目を瞑る。
「風水の断罪は身分が高い貴族ほど、今も心に留めていることなの」
え? では王子や坊ちゃんたちが特別風水の断罪を知っていたのではなく、身分の高い貴族は気に留まる家柄ってこと?
「知らなかったのね。会えば陛下やレジナルドにはすぐにわかったでしょう。あなたがオッソー家の者ではないと」
あ、奥様はそこまでわかっているんだ。
「怪しいと思われて脅されたりしたのかしら?」
陛下、宰相様。わたしから秘密を暴露することはありませんが、バレてしまった場合はどうすればいいのでしょう?
「言うな、と言われれば、あなたは何も言えないでしょうしね」
びくりと肩が震える。
「あなたがこうして仕事を続けたってことは、そうするよう陛下たちがそうおっしゃったのね」
ああ、もう、全部バレている。
「言わなくていいわ。あなたはこのままリリアン・オッソーであるように言われているのね」
ど、どうしよう。
奥様はわたしの頬に手を当てる。
「可哀想に。お詫びの品だそうよ。あなたを怖がらせた、ね」
わたしは生唾を飲み込んだ。
奥様が何着もぶら下がっている、お嬢様仕様の服に目を走らせる。
「レジナルドは考えが足らないわ。ボウマー家が女性服を買い込んだものだから、タデウスが結婚でもするのではないかと凄い噂になっているわ」
レジナルドはきっと宰相様のお名前だろう。奥様は宰相様をよくご存知みたいだ。
「ああ、私たちは学園でみんな一緒だったのよ。レジナルドの亡くなった夫人ともみんな仲がよかったの」
タデウス様のお母様、亡くなられていたんだ。
「まったく、家でお世話するのだから、家で全て用意するのに、本当に余計なことをしてくれたものだわ」
ん?
「あ、あの、とてもよくしていただいて感謝しております。着替えて、すぐに出て行きますので」
わたしは上掛けをはいで、ベッドから降りようとした。
「何をおっしゃるの? まだ起き上がってはいけないわ。それにドアがない家に帰れないでしょう?」
「オーディーン夫人のところに参ります」
「でしたら、あちらじゃなくても、家で休んでいくのでも同じではなくて?」
いやいやいやいや、全然違うから。
奥様を見ると、本当にそう思っているような顔つきだ。
こんな嘘つきメイドが大事な息子のそばや屋敷にいたら嫌なはずだ。
「いえ、もうこれ以上ご迷惑をお掛けするわけには」
ふと、真面目に尋ねられる。
「なぜ領地を出て働いてますの?」
「……貧乏だからです。禄はいただいていますが、古い屋敷の修繕費にも届きません。生活するにはお金が要ります。だから働きたいのに、規約でわたしは働いてはいけないとされています。でも、働かなければ生きていけません」
奥様はひとつ頷いた。沈黙が降りる。
それから少し考えられて、尋ねられた。
「単刀直入にお尋ねするけれど、あなたマテューをどうお思いになられてるのかしら?」
「マテュー様……ですか? お優しく、立派な騎士になられるべき方だと思います」
奥様は額を押さえた。
「そ、そう。そういえば、タデウスともラモンともテオとも過ごされたのよね? 気に留まった方はいらしたの?」
は?
「……皆さま、良い方たちでした……」
これは、何を聞かれているんだろう?
奥様は拳を握りしめて、にっこり微笑まれた。
「わかったわ。いろいろ尋ねてごめんなさいね。……いくつになっても子供は子供なのよね。あの子の周りで何が起きているのか知っておきたかったの。だから、怖がらないでちょうだい。私は何もしないわ。あなたはあなたのやりたいように思って、行動していいのよ。ただ、ドアが直るまでは屋敷に滞在してちょうだい。あなたはお客様です。仕事に出ている以外はここでお客様ですからね」
奥様が出て行かれた。
わたしは髪をまとめて、ウイッグをつける。
メルさんが入ってくる。
「坊ちゃんが帰られました。お通ししてもいいかしら?」
わたしは頷いた。
起き上がろうとしているところにマテュー様が入っていらした。
まだ横になっていた方がいいと止められる。
「大丈夫ですか? 朝よりは顔色はいいですが、まだ青いですね。足りない物はありませんか? 入り用な物は言ってください。用意します」
いつも迎えにきてくれる時はきちっとした格好をしているのに、今日は訓練着のままだ。
「あの、ありがとうございました。連れてきてくださったのも、お医者様にみせてくださったのも、こうして温情をいただきまして、感謝のあまり言葉もございません。……ご心配して来てくださったのに、あの時わたし、酷いことを言って、申し訳ありませんでした」
住まいのドアを壊されたのはショッキングなことで恨みがましく思ってしまったけれど、マテュー様は本当にわたしを心配してくださったんだよね。そのあとの好待遇、もうこちらがひれ伏すしかできない。
「いえ、怒って当然です。ドアのこと、申し訳ありませんでした」
マテュー様が頭を下げられる。
「いえ、心配してくださったんですから、そんな、頭をあげてください」
そう、マテュー様は心配してくださったんだ。そうなんだけどさ。
ドアが蹴破られた時は本当にびっくりしたんだ。
しんどくて、体が辛くて。そんな時にドアにバキって穴があいて。驚いて怖くて。
手がにゅっと入ってきてロックが外された。恐怖しかなかった。上半分のドアが中途半端に開いて人がぬっと入ってきた。慌てたようなその顔を見て、わたしはなぜか安心した。入ってきたのがマテュー様で安心した。怖い気持ちが一掃されていた。
身を偽ったことの罪も怖かったし、それでお兄様や夫人に迷惑をかけることも怖かった。そんな時に同じメイドから意地悪をされて心がギュッとした。みんなから見放されたような、ひとりきりになったような、そんな気持ちになっていた。心にあった澱のような淀んだものがわたしを支配していた。それがマテュー様の顔をみたら嘘みたいに霧散した。
なのに、焦った顔で入ってきたマテュー様がわたしを見た瞬間に安心した顔になって、それをみたとたん、なんだか腹立たしくて、素直に心の動きを認められなくて、代わりにドアの修繕費をどっから捻出しろって言うんだって思いに囚われてしまった。
今も不思議とあの怖さはなくなっていた。体調が悪くて弱っていただけなのかもしれない。
……それとも。わたしはマテュー様は『強い』となぜか思っている。そんなマテュー様が近くにいるから……。
「……と言ったのですが、提案したものを断られまして、元の物と同じにするというからそれは聞けないと言いましたところ」
ん? わたしが考え事を巡らしている間に、マテュー様は何か説明していたみたいだ。
「すみません、もう一度お願いします」
「あ、体調の悪いときに長話はいけませんね。もう一度、ゆっくり寝てください。次に起きた時はもっと元気になっているはずです。そうしたらしっかり食事をとって、ああ、プレゼントを全部開けないと。その時はご一緒させていただいていいですか? こんなにいっぱい、リリアンは人気者ですね…………」
あ、そうだ。お詫びやお見舞いのお礼をしないとだ。
と思いはしたものの、マテュー様の話すことに耳を傾けながら、いつしかわたしは眠り込んでいた。
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