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<前編>

第33話 Side ラモン 「箱入り」に「落ちる」

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 王宮から帰る馬車の中、テオドールの一言で沈黙がおりた。
 それは事実で事実以外の何物でもないだろう。
 へーと思っていると他2人が面白い。僕の隣に座るマテューは微かに眉を寄せたが……予想はしていたようだ。正面のタデウスは驚いて慌てている。彼がこんなに自分を見せるのは珍しい。

 今日はアントーン王子を含めた5人で、例の賭けの最終確認をするのに城に集まった。王子の都合で夜になったが、確認だけだったのですんなり終わった。マテューの家の馬車でみんなを送ってくれるという。方向が違うから効率は悪いのだが、話し足りない時よくこうしてひとつの馬車に乗り込んできた。

 チラリと確かめるようにマテューを見る。動揺は見られない。

「それは賭けから降りるということか?」

 タデウスが言葉を紡いだ。
 ああ、そうか。賭けはクリスタラー令嬢に付き合いを申し込み、承諾してもらうことだ。承諾してもらえたら何かが起こらない限り、婚約して結婚することになるだろう。

『オレはリリアンに惹かれている』

 テオドールは、なんの気負いもなく言った。学生の時、いたずらを仕掛けておいて『おい、あいつの顔みたか?』と言ってきた時と同じ気軽さで。

「……いや、賭けに参戦することは変わらない」

「それはどちらの女性に対しても不誠実だ。それにリリアンは僕たちがクリスタラー令嬢に交際を願い出ていることを知っているんだぞ? そんな中途半端な思いに応えはしないと思うぞ」

 テオドールが膝にあった手を握りしめる。

「それと彼女は平民だ。お前の家は平民の伴侶を受け入れられる家なのか? お前も友だから幸せでいてほしいし、リリアンも好ましいメイドだからいい人生を送ってほしい」

 タデウスの公平さで尖った空気が和らいだのを感じた。

「ハハ、初めての恋で舞いあがったようだ。周りが見えてなかったな」

 テオドールは破顔したが、今、コイツ『初めての恋』って言った? 恋愛百戦錬磨みたいな顔して、女性をいつも侍らせながら、何を言う。

「初恋、なのか?」

 タデウスも信じられないような目を向けている。

「ああ、オレに閃きを授けてくれたオレの女神だ」

 ドン引きだ。テオがそんな恥ずかしいことを臆面もなく言い切るやつだったなんて。

「テオ」

 マテューが呼びかけた。

「俺もリリアンが好きだ」

「うん、そうだと思った。ライバルだな」

 テオが笑顔で言う。そういうところが、テオには勝てないと思う。マテューがリリーを好ましく思っているのはダダ漏れだったから、テオは名乗りをあげたんだろう。
 マテューはぎこちなく笑う。

「俺も賭けには……参加する。身分のことは覚悟を決めている」

「なんで賭けに参加するんだ? お前は取り返すものがないだろう? 抜けても問題ない」

 タデウスは苛立ち気味にマテューに返した。

「俺は取り返す物がない。だからこそ出来ることがあるはずだ」

 何があっても貫き通す意志を感じる。ああ、そうだ。マテューはそういうヤツだ。一度決めたら、何があってもやり遂げる男だ。
 タデウスはそうっとため息をついた。そして顔を上げる。

「怒らずに答えてくれ。テオはリリアンに魔力のおかしな流れを感じたことはなかったか? ラモンも神力で何か感じたことはなかったか?」

 僕は無意識に僕の神力を使って温かい風を巻き起こした彼女を思い出した。

「……何、言ってんだ?」

 テオが訝しげにタデウスに尋ねる。

「マテューは、いつ、どこで、どうしてリリアンに気持ちがいったか覚えているか?」

「それは……最初から好ましかった。身分関係なく王子に意見を言えるのがすごいことだと思った」

 タデウスは少し考える。

「タデウス、お前何考えてるんだ?」

 斜め前のテオの声音が低くなる。

「短期間で複数の男がひとりの女を好きになる。例の事件も最初はそんな始まりだったんじゃないか?」

「お前、リリアンがあの令嬢と同じだっていうのか?」

 隣のタデウスの方を向いて声を荒げる。

「それはわからない。だが、一度冷静になるべきだ」

 一瞬だけ、静けさが舞い降りた。

「あのなー」

 テオが非難めいた声をあげた。

「忘れたのか、あの令嬢にトチ狂ったと思われた者がみんな言った台詞だ。彼女は悪くない、自分が愛しただけだと」

「っていうか、マテューとオレが惚れただけだろ」

『惹かれている』は控えめに言ったようだ。もう惚れてんじゃんと僕は心の中で思った。
 ここらで名乗りをあげておくか。卑怯者になりたくないしね。

「あ、僕もリリーは好きだよ」

 みんなが一斉に僕を見る。

「それはどういう好きなんだ?」

 みんななんでそんな驚くかなぁ。

「そりゃあもちろん、男女の好きだよ」

「嘘だろ、お前が人を好きになるなんて」

「お前、面白くするためにのってるんじゃないよな?」

 タデウスに確かめられる。もちろんと僕は頷いた。

「ますますおかしいじゃないか」

 タデウスが真剣な顔だ。少し青ざめている。

「何を言ってんだ。リリアンはオレたちがたまたま巻き込んだメイドだぞ」

 タデウスは一息入れて頷いた。

「そうだ。マテューの家でメイド紹介所から人を頼んだ経緯も怪しいところはないし、オーディーンメイド紹介所も、リリアンにもおかしなところや繋がりはないようだ」

 タデウスは調査していたようだ。テオもマテューもほっとしたような顔をした。
 ただ、タデウスがしなくても殿下の影あたりが調べてるんじゃないかなーと思う。王太子殿下があんなことになっただけに余計、殿下に近づくものは軒並み調べられるはずだ。だからリリーは怪しいところはなかったんじゃないかと思っていた。といっても、あの男爵令嬢だって一応王太子殿下に近づいた時に調べられそして何も出なかったんだとは思うけどね。

 例の男爵令嬢はいやにアグレッシブでおかしいと思えた。けれど、今この馬車に乗る男4人が揃いも揃って平民のメイドに想いを寄せるなんて、僕たちは何をやってるんだとは思えても、リリーがおかしいとか邪悪な者だとは思えなかった。

「ふふ、リリーは悪女なのかな?」

「お前なー」

「だって、男4人をすでに虜にしてるんだよ。すごいじゃないか」

「4人?」

 マテューが首を傾げる。

「で、何? 本当のとこ、タデウスも好きなんだよね? リリーのこと」

 タデウスの顔が赤くなると、テオとマテューはため息をついた。

「ち、違う。好ましいとは思っているが、好きとかそういうのではない」

「そっか。それで冷静にならないとと自分を戒めていたんだね」

「だからそうじゃないと!」

 タデウスもこんな顔するんだな。長く一緒にいるのに初めて見る表情だ。

「これでみんなおかしくなって家宝を捧げますをやりだしたらすごいね」

「あのなー」

「リリーに悪い気はないよ。植物に気に入られているから」

 3人は3人とも違う表情で考え込む。
 不思議だな。弟があの令嬢に教本を捧げたのは意味がわからないと思ったのに、こんなに簡単に人に傾倒してしまうものなんだなと、そこを理解した自分がいる。

「みんなそんな状態で本当にクリスタラー令嬢を口説けるの?」

 なんだかんだいって、みんな真面目だからな。

「それなんだが。もう、クリスタラー令嬢を巻き込んだ方がいいんじゃないか?」

 テオの意見に僕も賛成だ。

「何を言ってる? 賭けの対象でもう巻き込んでいるじゃないか」
 
「いや、こっち側になってもらうんだ。奴らに名指しされたってことは令嬢も目をつけられている。令嬢には事情を話して、何も知らないフリをしてもらいながら、奴らの出方を見るんだ」

 マテューは考えてないみたいだったが、そんな案を出すタデウスは前から考えていたんじゃないかと思う。

「アントーン殿下が納得するかが鍵だがな」

「殿下は考えられることの対策は全部しておきたい派だから、賭け直前に話を変えるのは嫌がられるだろう」

 それでテオもタデウスもクリスタラー令嬢に口裏を合わせてもらう案を言い出せなかったんだろう。

「でも、こんな状態で付き合ってほしいとか嘘くさすぎるし。リリーにも呆れられるよね。嫌われるかも」

「「「うっ」」」

 みんな嫌われたくはないんだね。平民のメイドなのに。

「一過性の熱病みたいなものなのかな?」

「……そう思うのか?」

 マテューに尋ねられて、僕は自分の心に聞いてみる。

「僕たち貴族として生まれたでしょ。概ね不自由なく育てられてきた。そんな僕たちがさ、身分の壁を超えてあのリリーを守っていけるのかな、と思って。容姿が美しい人や可愛い子も学園にもいたし、頭のいい子も優しい子もユーモアのある子もいただろ。なのに、なんで、今リリーに惹かれたんだろうとは思った。もしそれが身分違いの目新しさがあって気にかかっているなら、そんな一過性のものなら、いつかリリーを傷つけるから」

 リリーは傷ついているから。何がとはわからないけれど、何かに傷ついているから。僕が彼女を傷つけるのはイヤだなと思う。誰かに傷つけられるのもイヤだと思う。
 手を伸ばしてきたテオに頭を撫でられる。

「なんだよ?」

「いや、感心したんだ。お前はいつも不思議なことを言っているが、まともなやつなんだよな」

「うん、少し驚いた。ラモンがそんなに深く考えているとは」

 タデウスも、僕をなんだと思っているんだ。

「リリーは何か隠し事をしているから、それが気に掛かっているだけなのかもしれない」

 リリーは何か隠し事をしている。別にそんなのは誰でもあることだからいいんだけど。それを申し訳なく思っているみたいで、ときどき罪悪感にかられて辛そうな顔をする。
 やっぱり、みんな気づいていたんだ。それぞれに口を閉ざす。

 基本的に素直なんだと思う。仕事の時はすました表情を意識して感情は窺いしれないが、突発的、流動的なことに弱いらしく、すぐに対処しようとしているが、垣間見えるのは素直な感情が伝わってくる豊かな表情。それが見たくて、わざと驚かせるような言葉を選んだ。

「今の会話の流れで、なに笑ってるんだよ、気持ち悪いなー」

「酷いな」

 気持ち悪いのは確かかもしれない、れっきとした思い出し笑いだから。

「ちょっと思い出しちゃってさ。膝枕してとねだったら、顔を青くさせたり赤くさせたり大忙しでさ」

「おっまえ、膝枕なんてさせたのか?」

「断らなかったよ」

 タデウスが頭を押さえた。

「ラモン、二度とやるなよ。オーディーンメイド紹介所の禁止事項だ。渡したよな? 禁止事項を書いた紙」

「密着がいけないんでしょ? ちゃんとハンカチをひいたよ」

「そういう問題じゃない。リリアンは紹介所に告げてないんだな。告げられたらアウトだ。殿下の名前で契約してるんだぞ、賠償問題が発生して二度とリリアンを呼べなくなるぞ」

「マジか? オレ読んでない」

「テオふざけんなよ、事前に渡しただろうが」

 タデウスが沸騰寸前だ。

「そっか。あんなに禁止事項があって笑ったけど、あの紹介所のメイドはああやって守られているんだね」

 メイドといえども、自己の尊厳を傷つけられないようしっかりと守られている。

「……だから派遣メイドなのに、あんなに箱入りなのか」

 納得して呟くと、3人が吹き出した。

「言い得て妙だ!」

 タデウスのお墨付きをもらえた。

「確かに禁止事項は多いが、変なところで柔軟だと思ったんだ」

 マテューが繋がったというように、感慨深く呟く。
 炊き出しなんかするメイドは、リリーぐらいだろう。
 箱入りだから。大切に守られてきたから。こなしてきた仕事は真っ当で悪意のないもので。だからこの仕事をやってくれないかと頼まれれば、完璧なメイドを目指して自分にできることならほいほいやろうとするんじゃないかと思う。

「無防備なのは、それが理由か」

「テオ、お前、リリアンに何した?」

 僕が聞く前に低い声が響く。
 お、マテューがマジだ。

「へ、変なことはしてない。手を繋いだり」

「り?」

「髪にくちづけしたぐらいだ」

「初恋でソレ、おかしいだろ」

 タデウスが突っ込む。

「初恋だから髪で留まれたんだ」

 テオがいい笑顔でいう。やはりテオはプレイボーイの素質がある。
 んーー、まだリリーと会って間もないのに、みんな手が早そうだ。
 細工でもするか。小細工に引っかかるくらいの気持ちなら、引っ込んでて欲しいから。そんな軽い思いで、リリーを惑わせて欲しくはないから。

「でも、みんな、一度冷静になろうね」

「ラモンがまともなこと言うと不気味だな」

「不気味でも何でもいいけど、物珍しさでちょっかいだして傷つけちゃ駄目だよ。恋でもなんでもなくて、気の迷いかもしれないんだから」

 僕は愛がなんなのか知りたかった。でもどんなに問いかけても神は答えをくださらなかった。
 毎朝の禊は神を感じるために自身を清める儀式。リリーが温かい風を起こした時に、僕は水が冷たいことを思い出した。慣れきってしまった儀式。誰もが『儀式』としか認識しないもの。そこには僕の感情は数えられないものとして扱われるし、僕だって考えずにいた。温かい風。僕の神力が少しだけ移った植物たちが彼女の願いを叶えた。水に浸かり冷たくなった僕に温かい風をくれた。僕は神が教えてくれない愛をリリーが教えてくれるんじゃないかと思ったんだ。
 僕はテオみたいにライバルだなんて笑ってあげることはできそうもないから、是非みんなは冷静になって迷って欲しいと思う。リリーがあの男爵令嬢みたいに何かを企んでいると思うもよし、今までいなかったタイプだからかと思うもよし、悩んで二の足を踏んでくれ。
 悩んだら、教えてあげるから。悩むぐらいなら恋じゃないって。

 静かだったマテューが顔をあげた気配がした。隣を見ると意外にスッキリした顔をしている。

「俺はリリアンに会って、ひとつわかったことがあるんだ」

 みんなが発言者のマテューに視線を合わせた。

「人を想うって考えたりすることじゃないって。いつの間にか落ちているものなんだなって」
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