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第二章 合気術参上
欧州回顧録「怪異との出会い」
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日本を離れる際、植芝先生は私に『あんたは誰にも負けんのやよ』とおっしゃっいました。
これは終生忘れることのない言葉です。
今になっても、この気持ちは変わることはありません。
しかしながら、お墨付きをもらったところで、ためしてみないことには真偽はまだまだわかりません。
まずは一合。
お互いに触れるときはいつになるのか。
そればかりが頭をめぐっておりました。
合気術にはいくつもの技がありますが、その多くが投げ技で構成されています。
打ち技や突き技も主体ではありますが、そこからさらに投げこむことが合気術の本領といえるでしょう。
相手の肘を抑えて相手を腹這いにさせる一教、手首をつかんで制圧する二教、相手と横並びになって手首をつかむ三教、相手の手首を下に抑え込む四教、あたりが代表です。
加えて相手の側面に入って投げる入身投げ、相手の後頭部をおさえて投げる回転投げ、手首をひねる小手返しなどもあります。
私が得意としていたのは、相手の片腕をつかんで折りたたみ、後頭部から地面にたたきつける四方投げという技です。
しかし、透明人間にこうした技をうまく使えるのか。
私は不安と自信とが重なる複雑な気分で、ヒトラー総統がいらっしゃるという本営へ足を踏み入れました。
指令室に通されたときは夜分になっていましたが、会議はまだ続いているということでした。
毎晩のように透明人間は何かしらの邪魔を仕掛けてくるので、まずはその状況を見たうえで、どこに私を配置するのか考えるということになりました。
これを聞く限り、意外と余裕があるのだろうかな、と思いました。
敵は透明ではありますが、天狗の隠れ蓑を着ているのではないのです。
透明なのは体だけですから、服も抜いでピストルも持たないことで、初めて見えなくなるわけです。
このことが、少し私の心を落ち着かせました。
しかも、いつもは物音を立てたり調度をひっくり返したりするだけとのことです。
ひょっとすると今晩は何もないのかもしれない。
そのくらいに構えておりました。
ですが、それは事実ではありませんでした。
私が会議室のそばについた時には、すでにどすんばたんという物音が聞こえていたのです。
つんのめるように、私の前を歩いていた大柄な兵隊さんが止まりました。
その横から首を出すと、ヒトラー総統と高官の方々がいるであろう会議室の前で、一人が体をひねりながら倒れていました。
頭の後ろに黒々とした不気味な飛沫が走っていて、すぐにそれが人の血であるとわかりました。
聞いていた話とは全く違います。
「これが毎晩あるのですか」と聞きました。
「いや、そんなはずは」と通訳さんが青い顔をして答えます。
透明な姿は複数いるようで、あちこちで兵士たちがもがいています。
ある意味ではとても滑稽な姿で、冷徹、強靭で知られる屈強なナチス・ドイツの武装親衛隊とは思えない狼狽でした。
それでも笑うことはできませんでした。
私を囲む兵士たちは銃を手に手に駆け寄りましたが、その一人がまたも刺し殺されてしまったのです。
私は混乱の空気に流されぬよう自分を保ちました。
見つめているうちに、なんとなく事態が飲み込めてきました。
狭い場所での乱闘なのですから、どうしたってその空間における人間の動きは限られます。
しかも件の透明人間は何か、ガラスか何かで作られた透明な刃物で相手を刺し、その相手の拳銃を奪って撃つという戦い方をしているようです。
通訳さんが私の耳元でささやきました。
「センセイ・シオタ。なにか見えますか」
姿はもちろん見えません。
金色の光も見えません。
修練の日々も植芝先生のお言葉も、目の前の事実に消し飛びそうです。
ですが、光の加減に応じてキラッと反射する透明な刃物だけは、なんとか見えました。
対峙しているのはドイツ人の士官でした。
拳銃を抜こうとしていますが、間に合わないことは明らかです。
私は意を決して答えました。
「見えますとも」
実際に見えるのは微かな光ひとつです。
ですが、その刃物を持ち、構え、刺そうと魂魄を込める。
その動作が怪物の全身を描いていました。
透明人間といえど、思考は透明ではないのです。
私は考えることも感じることも忘れ、息を止めて猫のように駆け寄りました。
刃物のわずか左横に手を伸ばします。
体温。
脈拍。
見えなくとも間違いなし。
私の指先が、これは人間の腕だと語っています。
私は体軸を揃えるや、身をひるがえして四方投げに入りました。
これは終生忘れることのない言葉です。
今になっても、この気持ちは変わることはありません。
しかしながら、お墨付きをもらったところで、ためしてみないことには真偽はまだまだわかりません。
まずは一合。
お互いに触れるときはいつになるのか。
そればかりが頭をめぐっておりました。
合気術にはいくつもの技がありますが、その多くが投げ技で構成されています。
打ち技や突き技も主体ではありますが、そこからさらに投げこむことが合気術の本領といえるでしょう。
相手の肘を抑えて相手を腹這いにさせる一教、手首をつかんで制圧する二教、相手と横並びになって手首をつかむ三教、相手の手首を下に抑え込む四教、あたりが代表です。
加えて相手の側面に入って投げる入身投げ、相手の後頭部をおさえて投げる回転投げ、手首をひねる小手返しなどもあります。
私が得意としていたのは、相手の片腕をつかんで折りたたみ、後頭部から地面にたたきつける四方投げという技です。
しかし、透明人間にこうした技をうまく使えるのか。
私は不安と自信とが重なる複雑な気分で、ヒトラー総統がいらっしゃるという本営へ足を踏み入れました。
指令室に通されたときは夜分になっていましたが、会議はまだ続いているということでした。
毎晩のように透明人間は何かしらの邪魔を仕掛けてくるので、まずはその状況を見たうえで、どこに私を配置するのか考えるということになりました。
これを聞く限り、意外と余裕があるのだろうかな、と思いました。
敵は透明ではありますが、天狗の隠れ蓑を着ているのではないのです。
透明なのは体だけですから、服も抜いでピストルも持たないことで、初めて見えなくなるわけです。
このことが、少し私の心を落ち着かせました。
しかも、いつもは物音を立てたり調度をひっくり返したりするだけとのことです。
ひょっとすると今晩は何もないのかもしれない。
そのくらいに構えておりました。
ですが、それは事実ではありませんでした。
私が会議室のそばについた時には、すでにどすんばたんという物音が聞こえていたのです。
つんのめるように、私の前を歩いていた大柄な兵隊さんが止まりました。
その横から首を出すと、ヒトラー総統と高官の方々がいるであろう会議室の前で、一人が体をひねりながら倒れていました。
頭の後ろに黒々とした不気味な飛沫が走っていて、すぐにそれが人の血であるとわかりました。
聞いていた話とは全く違います。
「これが毎晩あるのですか」と聞きました。
「いや、そんなはずは」と通訳さんが青い顔をして答えます。
透明な姿は複数いるようで、あちこちで兵士たちがもがいています。
ある意味ではとても滑稽な姿で、冷徹、強靭で知られる屈強なナチス・ドイツの武装親衛隊とは思えない狼狽でした。
それでも笑うことはできませんでした。
私を囲む兵士たちは銃を手に手に駆け寄りましたが、その一人がまたも刺し殺されてしまったのです。
私は混乱の空気に流されぬよう自分を保ちました。
見つめているうちに、なんとなく事態が飲み込めてきました。
狭い場所での乱闘なのですから、どうしたってその空間における人間の動きは限られます。
しかも件の透明人間は何か、ガラスか何かで作られた透明な刃物で相手を刺し、その相手の拳銃を奪って撃つという戦い方をしているようです。
通訳さんが私の耳元でささやきました。
「センセイ・シオタ。なにか見えますか」
姿はもちろん見えません。
金色の光も見えません。
修練の日々も植芝先生のお言葉も、目の前の事実に消し飛びそうです。
ですが、光の加減に応じてキラッと反射する透明な刃物だけは、なんとか見えました。
対峙しているのはドイツ人の士官でした。
拳銃を抜こうとしていますが、間に合わないことは明らかです。
私は意を決して答えました。
「見えますとも」
実際に見えるのは微かな光ひとつです。
ですが、その刃物を持ち、構え、刺そうと魂魄を込める。
その動作が怪物の全身を描いていました。
透明人間といえど、思考は透明ではないのです。
私は考えることも感じることも忘れ、息を止めて猫のように駆け寄りました。
刃物のわずか左横に手を伸ばします。
体温。
脈拍。
見えなくとも間違いなし。
私の指先が、これは人間の腕だと語っています。
私は体軸を揃えるや、身をひるがえして四方投げに入りました。
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