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第三章 連戦連勝
欧州回顧録「似ざる似た者」
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透明人間は私と並んで歩きました。
しばらく進んで、森を抜けたところ。
専用駅で荷下ろしをしている蒸気機関車の横で、彼は足を止めました。
一人分の衣服と、散らばった包帯がそこに落ちています。
彼はそれをゆっくり巻き付けました。
透明な姿を捨てて、わざわざ体を見せてきたのです。
ものすごい大男です。
親衛隊員も私からすればかなり大柄でしたが、そこに二回りの厚みを加えた感じでした。
彼は続いて茶色いフェルト帽をかぶり、同じ色のトレンチコートを着てサングラスをかけ、横へ顔を向けました。
私たちの傍らには、転がったレールの切れ端がありました。
敷設の時に出た余材のようです。
彼はつかつかと歩み寄ると、それをぐっとつかみました。
私の脚ほどもありそうな腕が、スイカのような丸い力こぶを作ります。
そして気合一閃。
なんと、巨人はそれを抱え上げるように持ち上げました。
大男はレールを頭上に大きく掲げると、ガーンと私の足元へ投げつけました。
ひょいと跳び下がりましたが、そもそもぶつける気はなかったようです。
自分の膂力を見せたかったのでしょうか。
足元の鉄は重さにして、私二人分以上はあるでしょう。
頑強な骨格と十分に鍛えあげた筋力。
その一方、緩やかな姿勢から、体も心も緊張していないことが伝わってきます。
私はつとめて冷静を保ち、転がったレールをひょいと飛び越えました。
彼が帽子とサングラスを勢いよく横手に投げ捨てました。
それからおもむろにコートを脱ぎましたが、星の光に照らされた白い布は外そうとはしませんでした。
透明なのは来るまでに機関銃で撃たれないためだ。
お前と勝負するためじゃない。
言葉が通じなくとも、その態度が雄弁に語っていました。
最初、これは力自慢から来る驕りなのかと思いました。
しかしながら、慎重で落ち着いた動きから、すぐにその推測は正しくないとわかりました。
『見えたうえで、お前と立ち会いたいのだ』
そう言いたかったのです。
どうも、その大げさな動作や包帯の奥の表情から、彼は結構な若者のようです。
国家の大事とか命を失う恐怖とかとは無縁な時期を生きているようでした。
彼は大股で歩を進め、さあ勝負だとばかりに右拳を左の掌にたたきつけました。
私は呼吸を乱さぬよう心掛けながら、彼の存在を意味する包帯を見つめました。
あとわずかで触れるかという距離になります。
ところが対する巨人は仕掛けようとする私の動作を読み取るや、俊敏に斜め後ろへ下がりました。
いよいよ私も本気になりました。
渡欧して初めて、いや、これまでに出会った中でも最大の強敵かもしれません。
合気術はそもそも、相手が突っ込んでくるとき、その勢いに乗じて反撃を食らわせることで力を発揮するのです。
ですが彼は、単純な殺意で突っ込んでくる素人ではありません。
洗練された格闘を熟知しています。
不意に、私たちの隣にいる蒸気機関車が汽笛を鳴らしました。
貨物列車を引く動輪の音が聞こえます。
彼は大きな足取りでゆったりと近づくや、私の奥襟を取りにきました。
避けて崩そうとしましたが、それを感じてさっと向きを変えたもの、引き下がることなく、角度を変えて突進してきます。
姿勢は低いのですが、胸を立てて体を合わせに来ていました。
見るのは初めてでしたが、これは西洋式のレスリングに違いありません。
私は突きでタックルへ応戦を試みました。
命中。
否。
彼はぴたりと動作を止め、驚いたことに私のわきの下をくぐりにきました。
小柄な私のわずかな隙間へ向けて、その巨体を沈めてすり抜けたのです。
なんたる奇策でしょうか。
背中に組みつかれるや、私は大きく投げ飛ばされました。
眼下に包帯を巻いた男と黒煙を上げる汽車の煙突が見えます。
まるで砲丸投げです。
後にも先にも、これほど派手に投げられたことはありませんでした。
植芝先生だって、わざわざこんなに高く投げたりはしません。
貨車の天井が見えました。
猫のように車両の上に着地しました。
動いているものですから、当然足を取られます。
受け身を取って転がり、天井に起き上がりました。
降りねば。
そう思い右手を見たとき。
なんと、大男は私を乗せた貨車へ猛然と走りこんでいました。
全身を大きくたわませ、大きく背をそらせて躍り上がってきます。
ウォウ、ウォウと大声で叫びながら、走る貨車の窓にしがみつきました。
呆然と見ていると、動物園の猿の如く、彼は私のいる車両の天井へよじ登ってきました。
「なんとも……」
戦いの場にいることも忘れ、息を飲んでその挙動に感服してしまいました。
不気味な怪物というより、サーカス団のパフォーマーのようです。
体を滑る秋風を背に、彼が駆け寄ってきます。
私が拳を打ち込みます。
彼がそれを受けて袖をつかみに来ます。
私はそれを振りほどき、腕をつかみに行きます。
彼はそれを予期して素早く手を引きます。
彼は敏捷に退き肩を回し、もう一度いくぞと両手を広げました。
顔に巻いた包帯がゆがんでいます。
笑顔のようでした。
これには私も嬉しくなってしまいました。
お互いに、場違いな笑みを浮かべました。
足下に鉄輪の音。
頭上に迫る雷雲。
目の前に好敵手。
1943年10月1日。
観客は一人もいませんが、私は人生最大の舞台に立っておりました。
しばらく進んで、森を抜けたところ。
専用駅で荷下ろしをしている蒸気機関車の横で、彼は足を止めました。
一人分の衣服と、散らばった包帯がそこに落ちています。
彼はそれをゆっくり巻き付けました。
透明な姿を捨てて、わざわざ体を見せてきたのです。
ものすごい大男です。
親衛隊員も私からすればかなり大柄でしたが、そこに二回りの厚みを加えた感じでした。
彼は続いて茶色いフェルト帽をかぶり、同じ色のトレンチコートを着てサングラスをかけ、横へ顔を向けました。
私たちの傍らには、転がったレールの切れ端がありました。
敷設の時に出た余材のようです。
彼はつかつかと歩み寄ると、それをぐっとつかみました。
私の脚ほどもありそうな腕が、スイカのような丸い力こぶを作ります。
そして気合一閃。
なんと、巨人はそれを抱え上げるように持ち上げました。
大男はレールを頭上に大きく掲げると、ガーンと私の足元へ投げつけました。
ひょいと跳び下がりましたが、そもそもぶつける気はなかったようです。
自分の膂力を見せたかったのでしょうか。
足元の鉄は重さにして、私二人分以上はあるでしょう。
頑強な骨格と十分に鍛えあげた筋力。
その一方、緩やかな姿勢から、体も心も緊張していないことが伝わってきます。
私はつとめて冷静を保ち、転がったレールをひょいと飛び越えました。
彼が帽子とサングラスを勢いよく横手に投げ捨てました。
それからおもむろにコートを脱ぎましたが、星の光に照らされた白い布は外そうとはしませんでした。
透明なのは来るまでに機関銃で撃たれないためだ。
お前と勝負するためじゃない。
言葉が通じなくとも、その態度が雄弁に語っていました。
最初、これは力自慢から来る驕りなのかと思いました。
しかしながら、慎重で落ち着いた動きから、すぐにその推測は正しくないとわかりました。
『見えたうえで、お前と立ち会いたいのだ』
そう言いたかったのです。
どうも、その大げさな動作や包帯の奥の表情から、彼は結構な若者のようです。
国家の大事とか命を失う恐怖とかとは無縁な時期を生きているようでした。
彼は大股で歩を進め、さあ勝負だとばかりに右拳を左の掌にたたきつけました。
私は呼吸を乱さぬよう心掛けながら、彼の存在を意味する包帯を見つめました。
あとわずかで触れるかという距離になります。
ところが対する巨人は仕掛けようとする私の動作を読み取るや、俊敏に斜め後ろへ下がりました。
いよいよ私も本気になりました。
渡欧して初めて、いや、これまでに出会った中でも最大の強敵かもしれません。
合気術はそもそも、相手が突っ込んでくるとき、その勢いに乗じて反撃を食らわせることで力を発揮するのです。
ですが彼は、単純な殺意で突っ込んでくる素人ではありません。
洗練された格闘を熟知しています。
不意に、私たちの隣にいる蒸気機関車が汽笛を鳴らしました。
貨物列車を引く動輪の音が聞こえます。
彼は大きな足取りでゆったりと近づくや、私の奥襟を取りにきました。
避けて崩そうとしましたが、それを感じてさっと向きを変えたもの、引き下がることなく、角度を変えて突進してきます。
姿勢は低いのですが、胸を立てて体を合わせに来ていました。
見るのは初めてでしたが、これは西洋式のレスリングに違いありません。
私は突きでタックルへ応戦を試みました。
命中。
否。
彼はぴたりと動作を止め、驚いたことに私のわきの下をくぐりにきました。
小柄な私のわずかな隙間へ向けて、その巨体を沈めてすり抜けたのです。
なんたる奇策でしょうか。
背中に組みつかれるや、私は大きく投げ飛ばされました。
眼下に包帯を巻いた男と黒煙を上げる汽車の煙突が見えます。
まるで砲丸投げです。
後にも先にも、これほど派手に投げられたことはありませんでした。
植芝先生だって、わざわざこんなに高く投げたりはしません。
貨車の天井が見えました。
猫のように車両の上に着地しました。
動いているものですから、当然足を取られます。
受け身を取って転がり、天井に起き上がりました。
降りねば。
そう思い右手を見たとき。
なんと、大男は私を乗せた貨車へ猛然と走りこんでいました。
全身を大きくたわませ、大きく背をそらせて躍り上がってきます。
ウォウ、ウォウと大声で叫びながら、走る貨車の窓にしがみつきました。
呆然と見ていると、動物園の猿の如く、彼は私のいる車両の天井へよじ登ってきました。
「なんとも……」
戦いの場にいることも忘れ、息を飲んでその挙動に感服してしまいました。
不気味な怪物というより、サーカス団のパフォーマーのようです。
体を滑る秋風を背に、彼が駆け寄ってきます。
私が拳を打ち込みます。
彼がそれを受けて袖をつかみに来ます。
私はそれを振りほどき、腕をつかみに行きます。
彼はそれを予期して素早く手を引きます。
彼は敏捷に退き肩を回し、もう一度いくぞと両手を広げました。
顔に巻いた包帯がゆがんでいます。
笑顔のようでした。
これには私も嬉しくなってしまいました。
お互いに、場違いな笑みを浮かべました。
足下に鉄輪の音。
頭上に迫る雷雲。
目の前に好敵手。
1943年10月1日。
観客は一人もいませんが、私は人生最大の舞台に立っておりました。
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