透明人間vs塩田剛三

梧桐彰

文字の大きさ
29 / 32
第四章 語られぬ約束

欧州回顧録「すべてを終えて」

しおりを挟む
 さて、この回顧録もそろそろ以上としたく思います。

 最後にハンスさんが仕留めた透明人間の持っていた記録には、透明にするための薬品がさる事情により完全に尽きたとありました。
 透明人間の襲撃はついに終わったと確認され、私は無事解任となりました。

 ハンスさんとトラウデルさんは、深いお礼を言って私たちと別れ、わずかな再会の時間を過ごしに行きました。

 私は山ほどたばこを渡してきた武官さんと潜水艦にたどり着き、10月5日の夕方にブレスト港を出発しました。
 
 そこから先は、公にも知られていることばかりです。

 東南アジアに戻り終戦を迎えてからも、いろいろなことが起きました。
 それは決して平坦なものではなく、透明人間のことなど、期間で考えれば些細なものとなりました。
 戦後の日本を生き抜くことのほうがはるかに大変で、ドイツに思いを巡らせる時間もなかなか作れませんでした。

 ですが、あの狼の巣ですごしたことは、頭の片隅にずっと控え続けておりました。

 結局、ナチス第三帝国も大日本帝国も戦争に敗れ、ヒトラー総統も親衛隊の方々も亡くなりました。
 トラウデルさんだけはご存命だそうですが、どうされているかは存じ上げません。
 あの逆万字をいただいた同盟国は、残虐で非人道的な行為を繰り返したことが露見し、二度と世界に認められることはありませんでした。
 あとから各地の収容所で起きた事実を聞いてみると、それは私の感覚としても当然のことではありました。

 ただ、それでも一期一会というのでしょうか、お会いした方々を、人でなしの一言で片づけるのは難しいところがあります。
 独裁者ヒトラーも含めて、彼らはすべて一人ひとり、人間でした。
 誰にでも通じる、人間らしい部分も持ち合わせてもいました。
 特にハンスさんとトラウデルさんの間には、時代も国境も問わない、深い愛情があることが伝わってきました。

 人間には残酷な面もあり、親切な面もあります。
 あの状況においては残念ながら、その負な面が強く出てしまった。
 そういうことなのだと、私の中には留められています。

 そしてそれ以上に色あせないのは、やはり透明人間たちの記憶でした。

 軍部から、たとえ戦争が終ろうとも断じて口外しないことというので、この記録はこういう形でだけ私の部屋に残し、家人にも話さないことにしてあります。
 時が移り変わり、世の中が変化しても、彼らのことはもう表に出ることはないでしょう。

 それでも彼らとの対決は、今でも鮮明に脳裏へ焼き付いています。
 
 特に鉄道の中で対峙した巨大な透明人間のことは忘れられません。
 戦時中、命のやり取りは何度もありましたが、私と立ち会うことを心の底から楽しみ、全力で腕比べに興じたという機会は、あの時ただ一度でした。

 あの若き巨人が名のあるレスラーだったのか、無名の兵卒だったのか。
 それは結局謎のままでした。
 ただ一つわかるのは、彼が一流の戦士だったことだけです。

 谷底に落ち、その生死は見届けられませんでしたが、しかしなぜか、彼はまだ生きているような気がするのです。
 ひょっこりと、明日にでも私の開いている道場を訪れるかもしれない。
 そんな気がしてならないのです。

 さて、それでは本当に終わりにいたしましょう。
 この回顧録は将来にわたり、だれも目を通すことはないでしょう。
 私のひそかな楽しみとして、書庫の奥にでもしまっておきたく思います。

 一九六一年 五月十九日

 塩田剛三
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

鋼鉄海峡突破戦       ーホルムズ海峡ヲ突破セヨー

みにみ
SF
2036年4月9日第六次中東戦争が開戦 中露の支援を受けたイランは中東諸国へと攻勢を強める 無論ホルムズ海峡は封鎖 多くの民間船がペルシャ湾に閉じ込められ世界の原油価格は急高騰 そんな中ペルシャ湾から4月28日 ある5隻のタンカー群がホルムズ海峡を強行突破しようと試みる 自衛用兵装を施した日本のある燃料輸送会社のタンカーだった 今彼らによる熱い突破劇が始まろうとしていた

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

王国の女王即位を巡るレイラとカンナの双子王女姉妹バトル

ヒロワークス
ファンタジー
豊かな大国アピル国の国王は、自らの跡継ぎに悩んでいた。長男がおらず、2人の双子姉妹しかいないからだ。 しかも、その双子姉妹レイラとカンナは、2人とも王妃の美貌を引き継ぎ、学問にも武術にも優れている。 甲乙つけがたい実力を持つ2人に、国王は、相談してどちらが女王になるか決めるよう命じる。 2人の相談は決裂し、体を使った激しいバトルで決着を図ろうとするのだった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...