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第五章
89 辺境伯家の宿怨(■)
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『賢者を生け贄にする』などという辺境伯のあまりにも身勝手な発想に、ヒナリは自身の中に制御できないほどの強烈な怒りが込み上げてくるのを感じた。
「何を馬鹿げたことを! 浄化が道半ばで終わってしまえば困るのはあなた方でしょう!? シュネインゼル辺境領では多くの魔獣に日々脅かされているとおっしゃったのはあなたではありませんか! あなたの用意した偽物の聖女では、魔獣を消していけたとしても発生源を消せるわけではないのだから、埒が明かないのは明白です!」
「ええい黙れ偽聖女よ! 私は賢者が憎いのだ! すぐにでも殺めたいほどにな! 力だけが自慢のツェアフェルトもただ土地が恵まれているだけのオークレールも! カスティルなどという平民上がりの小物も魔眼持ちというだけで特別扱いを受けているアウレンティも! 何が、何が四大公爵家だ! 皆、我がシュネインゼル家を下に見おって!」
辺境伯が床を踏み締めながら、耳障りな声を狭い部屋に響かせる。
「世界への貢献度で言えば我が一族が最も上だというのに! 我が一族が、世界で最も讃えられるべき存在だというのに! 我がシュネインゼル家からは過去にたった一人しか賢者を輩出できておらぬ! なぜ我が家門からは賢者を輩出しないのだ! 子を作れば女ばかり! ようやく男が生まれたかと思えば聖紋を持たず!」
その途端、背後に立つ血色の悪い青年が肩を押さえて他所を向いた。恐らく彼が、聖紋を持たずに生まれてきたという辺境伯の息子なのだろう。
「なぜなのだ、なぜ我がシュネインゼル家からは賢者が生まれ出でぬのだ! なぜ四大公爵家のみが賢者を擁する栄誉を賜れるのだ! こんなのは間違っている! そうだ、こんな片寄った世の仕組みは間違っている! なればこそ、どんな手を使ってでも聖女と賢者を失墜させ、王家をも乗っ取り! 我がシュネインゼル家が世界を支配下に置き、賢者なぞ必要としない世界を築くのだ!」
「王家を乗っ取るですって……!? よしんばそれが叶ったとて、誰があなたについて行くと言うのです」
「ついて来させるのだ。抵抗する暇も与えずにな。それには聖女ヒナリ、貴様の命が要る。世界を浄化できるほどの膨大な魔力をその身に内包する貴様の命を使えば、全世界規模の洗脳魔術を発動させることができるのだ!」
「命……? 洗脳魔術……?」
その言葉で、王城で見た光景が腑に落ちる。ヒナリは辺境伯を睨む眼差しに怒りを込めた。
「偽物の聖女を信じ込んでいる人たちは皆、洗脳されているのね」
「そうだ。だが洗脳したのは我が聖女を崇める者だけではない。国王を始めとする王城の者どもも皆、ひとり残らず洗脳してやったのだ。辺境領の村ひとつ使ってな。村人全員、老若男女、赤子に至るまでひとり残らず生け贄にしたが、寂れた村で何の価値もない日々を送るより、我がシュネインゼル家の役に立つ方が余程有意義な人生と言えるだろう!」
「なんてことを……!」
操られている人々の裏で、大勢の人が死んでいたなんて――。犠牲となった村人たちの恐怖と絶望を思えば涙が浮かぶ。
「あなたが人の人生を語らないで!」
聖女である私が救うべき人々が、この男の野心を叶えるという理由で殺されてしまった――。
「許せない……!」
今までに一度として感じたことのない強烈な怒りに全身が震え出す。
ヒナリが抑えがたい憤怒をもって辺境伯を睨み付けても、ただ気色悪い笑みを返されるばかりだった。
「せいぜい怒り狂うがいい、偽聖女よ。役立たずがいくら憤ったところで何も起こせやしまい。さあ、話は仕舞いだ」
その言葉を合図に、ローブ姿の老人が一歩踏み出してきた。擦れた袖口から拳を突き出すと、鋭く息を吸い込み――。
「――ぐはあっ……!」
ナイフで自らの手首を切り付けた。
切り傷から血が垂れ落ちる。
床に広がる鮮血が、石の床に染み込んでいき――。
遠くで響くラッパに似た音と共に、床の中央に魔方陣が浮かび上がる。赤黒い色の紋様は、禍々しい曲線が折り重なって描かれていた。
魔術師が肩を震わせ始める。
「ふは、ふはは、ふはははは……! ついに、ついに我が悲願たる大規模魔術を発動できる! 私の長きに渡る研究が正しかったことが、今まさに証明されるのだ! ふはははは……!」
天を見上げて笑い続ける老人の手からナイフが取り上げられる。辺境伯が、血の付いたナイフをヒナリの足元に投げて寄越した。
ハンカチーフで手を拭きながら、口の端を吊り上げる。
「さあ偽聖女よ、選ぶがよい。自ら命を絶ち禁術の贄となるか、それとも生きたまま禁術そのものに取り込まれることによって終焉を迎えるか。紛い物たる貴様には即断できまいよ。三分待ってや、ろぉ……?」
尊大な口振りだった辺境伯が、突如として声を裏返らせた。
「ひっ」
改めてその顔を見て、ヒナリは思わず悲鳴を洩らしてしまった。辺境伯の顔から血の気が失せ、目は白目を剥いている。口は開きっぱなしで、まるで墓場から這い出てきたゾンビのように力なく首を傾けている。
様子のおかしくなった辺境伯を見て、息子がうろたえだした。
「と、父様? 父様! どうなさったのです!」
青年が、辺境伯の片腕を両手でつかんで何度も揺さぶる。
豹変したシュネインゼル辺境伯は、されるがままにがくがくと首を左右に揺らした。へっへっへっ、とまるで野犬のような浅い呼吸を繰り返している。
異様な光景は、魔術師の笑い声に遮られた。
「ふは、ふはははは……! 娘で予行演習をしておいた甲斐があったというものだ! 偉大なる魔術師である私に手落ちがあるはずもない! 人ひとりの意思を奪うなど容易いものよ!」
その得意げな発言に、青年が目を見開いた。
「娘……? まさかお前がウレリギッテを操って、聖女と賢者を誘拐させたのか!」
「ふはは。私はただ、彼奴の箍を外してやったまでよ。あの娘は元より賢者を害したいという願望を持っていたようだからな。大した贄も必要とせずに済んだ」
「お前! なんてことをしてくれたんだ! そのせいで妹は二度と牢獄から出られなくなったんだぞ! 魔術師め……許せない、僕の妹、うぉ……?」
青年もまた、ぐりんと白目を剥き、辺境伯と同じような顔に変わってしまった。
ふたり揃ってよろよろと、赤黒い魔法陣の中央に向けて一歩一歩、足を踏み出す。
ヒナリは奇妙な光景から視線を外して魔術師を見た。その顔は、口の端を吊り上げた満足げな笑みを浮かべていた。
「あなた、一体何をしたの!?」
「ふは、ふははは……! 名誉欲に支配された人間の、そして意志の弱い人間の何と御しやすいことか! 我が血によって、こやつらは既に私の支配下にある。この者どもの命を使い、聖女よ、貴様を我が魔法陣に完全に取り込むのだ。聖女と賢者の魔力を使って世界中に大規模魔術を展開し、この世に生きる全ての人間ども、魔獣でさえ、我が糧となるのだ……! ああ、ああ! これで私は欠いた肉体を取り戻し、永劫の時を生きることができる!」
辺境伯と息子とが、魔法陣の中央に到着した。光が一段と強くなる。
今まさに、魔術師の思い通りになろうとしている――。ふたりが魔法陣に取り込まれれば、次はヒナリ、そして賢者をも取り込んでいくのだろう。
「そんなこと、させない!」
ヒナリは渾身の力で床を蹴って駆け出すと、辺境伯と息子に体当たりした。足元のおぼつかない様子のふたりはヒナリが全体重を乗せて弾き飛ばそうとしても、びくともしなかった。
辺境伯とその息子、そしてヒナリと。三人で魔法陣の中に入った形となり、ますます光が強くなっていく。
光の壁の向こうから、魔術師の高笑いが聞こえてきた。
「ふは、ふははは……! 無様なものだな聖女よ! 自ら魔法陣に飛び込むとは!」
ヒナリは眩しい光に目を細めながらも、満面の笑みを浮かべる魔術師を睨み付けた。
(こんな奴の好きになんてさせない……! でも、私にできることなんてあるの……?)
――私にできること。
聖女である私ができること。それは――。
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