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3 最愛の人や家族との別離
3 妹との別れ
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「一体どういうことなの?」
学園から帰るなり、ヒステリックな母親につかまり、玄関ホールで罵倒される。
「公爵家からアイリーンに関する苦情がくるし、リリアンは学園入学を断られたわ! どうなってるのよ、マルティナ」
「それが、私になにか関係ありますか?」
扇を振り回して、マルティナに詰め寄る母に冷たい視線を投げる。
「あなたの姉と妹の話なのよ! 何を他人事みたいにしているの?」
「お姉様はずっと、勉強のわからない所を私にフォローさせて、苦手な分野の提出物を私に作成させていました。リリアンは何人もの家庭教師が匙をなげ、私がマナーや勉学をみていました」
「その結果がこれなの? 全部、マルティナのせいじゃない!!!」
母の手の中で、綺麗に装飾された扇がぐしゃりと歪む。
「お取込み中のようですが、旦那様がお客様を連れてお帰りです。奥様とマルティナお嬢様も同席されるようにとのことです」
気配もなく現れた家令が母に告げる。
「旦那様が……? マルティナも……? ちょっと、新しい扇を持ってきてちょうだい」
母は一瞬、混乱したが、通りかかった侍女に壊れた扇を叩きつけるように渡すと、家令の後に続く。マルティナも静かにその後に従った。
◇◇
「初めましてになるのかな? バートランド・オルブライトです。こちらは隣国でドレスメーカーを立ち上げていて、我が家とも取引のあるエリック・プレスコット君。最近、この国でも取引をはじめてね、妻も彼の作るドレスがお気に入りなんだ。私が後見人を務めているんだよ。そして、私はスコールズ伯爵の直属の上司でもある。どうぞ、今後もお見知りおきください、ご夫人、お嬢さん」
客間には、壮年の貫禄のある男性とエリックが父と談笑していた。母は、淑女の仮面をかぶり、卒なく挨拶をする。マルティナも内心の動揺を隠して、それに続いて挨拶をした。
オルブライト侯爵とエリックが上座のソファに座り、対面のソファに父と母とマルティナが腰掛ける。
「それで、オルブライト侯爵、折り入ってお話とはなんでしょうか? 我が家の妻や娘のドレスなら間に合っていますが……」
父も事前に何も聞かされていないのか、困惑した表情で切り出す。
「話はこちらのプレスコット君からあるんだ。ドレスの話ではない。リリアン嬢の話だ」
「は? リリアンを見初めたとかそういう話ですか?」
「まぁまぁ、早合点せず、彼の話を聞きたまえ。君達にとっても悪い話ではない」
「隣国でドレスメーカーを立ち上げていますエリック・プレスコットです。スコールズ伯爵家のアイリーン様やマルティナ様と学園のクラスや生徒会でご一緒させていただきました。その縁で、リリアン様とも知り合ったのですが、彼女にはドレスのデザインの天才的な才能がある。ぜひ、我がプレスコット家に養子に入っていただき、うちのドレスメーカーで腕を奮っていただけたらとお願いに参りました」
「は? リリアンがドレスのデザインを? 養子に? 何を言っているんだ?」
「リリアンは、来年から学園に通うのよ! 釣書だって山のように届いているんだから!」
エリックの端的で直接的なお願いに父だけでなく母も動揺している。
「スコールズ伯爵はともかく、ご夫人はもうご存知のはずでしょう? リリアン嬢は学園の入学試験を受けた結果、入学を断られましたよね」
「なぜ、そのことを知っているの?」
「なんだって!!!」
エリックの爆弾発言に、何も知らない父が激高する。
「マーガレット、どういうことだ?」
「リリアンのことは全部、マルティナに任せていたのよ……マルティナがしっかり見ていてくれないから……」
「六歳離れているとはいえ、妹のことを家庭教師ではなく姉に丸投げですか…?」
「いえ、それは、家庭教師が軒並みリリアンを見れないと言うし……それならマルティナが見るって言うから……」
「それでも入学を断られるほどとは! お前の監督責任だろう!!」
「だから、侯爵閣下のおっしゃる通り悪い話じゃないでしょうと言っているんです。この国で学園から入学を断られるなんて貴族として恥ではないですか? 学園を卒業していなくて、貴族に嫁げますか? 病気療養だと偽って領地に引っ込めて、商会の息子にでも嫁がせるのが関の山でしょう。それなら、才能を見出されて隣国へ渡りました、という方が聞こえがよいのではないですか? いつ学園の入学を断られたという話がバレるのか冷や冷やしなくてよいですしね」
夫婦の諍いがはじまった所にエリックが鋭く切り込む。
「うむ……」
父がこんなに表情を動かすところをはじめて見た。父は基本的に面倒くさい事が嫌いなので、上司である侯爵の後押しもあり、エリックの言に心動かされているようだ。
「待ってよ! リリアンを産んだのは母親である私よ! 私の許可なく話を進めないでちょうだい!!」
「母親っていうのは、普段、娘の話を聞きもせず、世話もせず、お人形のように着飾らせて茶会や買い物に連れて行く人のことですか? マナーが身につかない娘を指導するでもなく、外で一言も話さないよう強要したり、マナー違反をしたら、腕をつねる人のことですか?」
エリックの冷ややかな目線と告発を受けて母がたじろぐ。母の動揺した態度にエリックの語るリリアンと母の関係性が正しいのだとわかる。
マルティナすら気づいていなかったリリアンと母との間の出来事をエリックが知っていることに驚いた。母はリリアンを猫かわいがりしているように見えたが、マルティナの見えない所で、罰を与えたりしていたようだ。
「でも、リリアンはまだ十歳です。まだ母親が必要な年頃なんです。リリアンの意見も聞かないと決められないわ!!」
母は普段からエリックの言うようにリリアンのことを自分の装飾品の一部のようにしか思っていなかっただろう。ただ、容姿の優れているリリアンは簡単には手放せないようだ。
そのとき、バンッと扉が開いた。
「わたしにお母さまは必要ありません! エリック様について行って、平民となり立派なドレスのデザイナーになります!!!」
そこにはまだ、幼いが父も母も求めない強い目をした少女がいた。
「あなた何を言っているかわかっているの? 今まで散々可愛がってあげたのに、お母様より、そこの平民を取るというの?」
「お母さまは、私をお茶会やお買い物に連れて行ってくれました。でも、私の欲しいドレスを買ってくれたことはありませんし、お茶会などお客様のいる場で、話してはいけないと言いました。マナー違反をすると、嫌そうな顔をして、腕をつねりました。
……私、嫌だったのに……マルティナお姉さまにも言ったことはないですけど、お茶会などで、色々なおじさまやおばさまに抱っこされたり、べたべた触られたりしました。お母さまに何度も嫌だと言ったのに、お母さまは止めるどころか、『よかったわね、かわいがってもらえて』なんて言って……気持ち悪かったのに、嫌だったのに……
だから、きっとお母さまは、いつかあんな気持ち悪いおじさまと結婚しろと言うのでしょう? だから、嫌です。
お父さま、お願いします! もうこの家には絶対に戻ってきません!」
リリアンの突然の告発に、母へと侯爵や夫から侮蔑の目線が刺さる。エリックに至っては、殺さんばかりの視線で射抜いている。母はその場に崩れ落ちた。
「……確かに、そういった趣味だとささやかれていた人も中にはいたし、純粋にリリアンを愛でている人もいた。でも、仕方ないじゃない、貴族には付き合いというものがあるのよ。たかが、少し触られたくらいで大げさじゃない?
リリアン……、でも、そこの平民だって、リリアンの事、騙そうとしているかもしれないわよ。上手い事言って連れ出して、気持ち悪いおじさんに売られてしまうかもしれないわよ!」
母は自分の事を棚に上げて言い募り、リリアンを見つめる。
「エリック様になら騙されてもいいです。まだ、知り合って時間は経っていないですけど、エリック様はすばらしいドレスのデザイナーです。お仕事に誇りを持っているんです。お母さまと一緒にいるぐらいなら、エリック様に着いて行って騙されたほうがマシです!」
「平たく言ってしまえば、隣国の平民ですし、あちらでは名の通ったドレスメーカーを姉と立ち上げているんですけど……。一応、プレスコット家の家長である父のリリアン様を養子にすることをお願いする手紙です。まぁ、こんな紙切れでは、信ぴょう性はないかもしれませんけどね」
リリアンの身も蓋もない主張を聞いて、エリックから渡された手紙に目を通し、オルブライト侯爵は盛大なため息をついている。
「スコールズ伯爵」
オルブライト侯爵の諭すような呼びかけに、父はエリックが持ってきたリリアンの除籍届と委任状にサインする。書類をオルブライト侯爵と確認したエリックはにっこりとほほ笑んだ。
「では、リリアン様はプレスコット家が責任を持ってお預かりしますね。今日、着ているドレス以外の持ち物は不要ですので、いかようにも処分してください。いいよね、リリアン?」
「この家から出て行けて、エリック様とドレスを作れるなら、なんでもいいわ」
リリアンは、やっと十歳の少女らしい笑顔を見せた。母はマルティナの隣で顔を伏せて、肩を震わせている。その感情が悲しさなのか寂しさなのか悔しさなのかはわからない。でも、その手に握られている扇がギリギリと軋んでいる様子から感情の大きさは感じられた。
「お前は、リリアンの荷物をまとめるのを手伝いなさい。こちらは、もう少し話を詰めるから」
疲れた表情の父に促され、席を立つ。
「お父さま、お母さま、お元気で」
リリアンは今までで、一番綺麗なカーテシーをしてみせると、振り返ることもなく、扉を開いて退出する。マルティナも無言でカーテシーをして、それに続いた。
「マルティナ姉さま、ありがとう。きっと姉さまが動いてくれたんでしょう?」
荷物はいらないとは言われているものの、リリアンと部屋を片付けて、下着などの最低限必要そうなものとリリアンのお気に入りのリボンなど細々した物をトランクにつめる。
「私はただエリックに泣きついただけよ。ほとんどエリックの力だわ。まさかエリックの後見人がお父様の上司にあたる侯爵様で、こんなに早く動いてくれるとは思わなかったけど……」
なんとなくだけど、父の上司がなんの見返りもなく動いてくれるはずはないので、裏でなにか物事が動いているのかもしれない。でも、それはマルティナの知るところではないし、リリアンが無事、この家から出られてエリックの庇護下に入るのなら問題はない。
「リリアン、このクマちゃんも一緒に隣国に連れて行ってくれない?」
マルティナはブラッドリーから誕生日プレゼントにもらった黒いクマのぬいぐるみをリリアンに差し出す。
「えっ? でも、このクマちゃんは姉さまの大事で! ……ブラッドリー様からもらったものでしょう?」
「お願い、リリアン、このクマちゃんを連れて行って欲しいの。私はきっとこの家から出られないから、せめてこの子だけでも、隣国に連れて行って欲しいの。このクマを私だと思って……」
「姉さま……」
「お願い……」
リリアンが戸惑って断ることもできずにいる間に、マルティナは無言でトランクにクマのぬいぐるみも詰めた。
リリアンとリリアンの部屋を見回す。生れつき可愛くて愛嬌があって、みんなに可愛がられていたリリアンは、マルティナと同様、この家で、この部屋で暮らしていて幸せではなかったのかもしれない。
「リリアン、元気で。立派なドレスのデザイナーになってね」
「マルティナ姉さま、姉さまも一緒に行けないの? いつか隣国に来れないの? もう会えないの?」
ぎゅっとリリアンを抱きしめると、最後に月並みなお別れな言葉をかける。その言葉から、何かを感じ取ったのか、リリアンがまくしたてるように質問を浴びせる。マルティナはただ、首を横に振るしかなかった。
「リリアン、この家でのことは忘れて。新しい人生を歩むの。あなたなら大丈夫だから。私はこの家にいても幸せになれるから」
「嫌だ、マルティナ姉さまに会えないなんて!」
「いつか隣国に会いに行くから。さぁ、エリックが待っているから、行くわよ」
リリアンに泣き縋られて、心がぎゅっと絞られる。リリアンの涙をハンカチで拭いて、その小さな手を引いてゆく。
父の上司とエリックと共に涙目で家を後にするリリアンを見送り、一人で自分の部屋に戻ると、マルティナは、本当に独りぼっちになった気がした。
学園から帰るなり、ヒステリックな母親につかまり、玄関ホールで罵倒される。
「公爵家からアイリーンに関する苦情がくるし、リリアンは学園入学を断られたわ! どうなってるのよ、マルティナ」
「それが、私になにか関係ありますか?」
扇を振り回して、マルティナに詰め寄る母に冷たい視線を投げる。
「あなたの姉と妹の話なのよ! 何を他人事みたいにしているの?」
「お姉様はずっと、勉強のわからない所を私にフォローさせて、苦手な分野の提出物を私に作成させていました。リリアンは何人もの家庭教師が匙をなげ、私がマナーや勉学をみていました」
「その結果がこれなの? 全部、マルティナのせいじゃない!!!」
母の手の中で、綺麗に装飾された扇がぐしゃりと歪む。
「お取込み中のようですが、旦那様がお客様を連れてお帰りです。奥様とマルティナお嬢様も同席されるようにとのことです」
気配もなく現れた家令が母に告げる。
「旦那様が……? マルティナも……? ちょっと、新しい扇を持ってきてちょうだい」
母は一瞬、混乱したが、通りかかった侍女に壊れた扇を叩きつけるように渡すと、家令の後に続く。マルティナも静かにその後に従った。
◇◇
「初めましてになるのかな? バートランド・オルブライトです。こちらは隣国でドレスメーカーを立ち上げていて、我が家とも取引のあるエリック・プレスコット君。最近、この国でも取引をはじめてね、妻も彼の作るドレスがお気に入りなんだ。私が後見人を務めているんだよ。そして、私はスコールズ伯爵の直属の上司でもある。どうぞ、今後もお見知りおきください、ご夫人、お嬢さん」
客間には、壮年の貫禄のある男性とエリックが父と談笑していた。母は、淑女の仮面をかぶり、卒なく挨拶をする。マルティナも内心の動揺を隠して、それに続いて挨拶をした。
オルブライト侯爵とエリックが上座のソファに座り、対面のソファに父と母とマルティナが腰掛ける。
「それで、オルブライト侯爵、折り入ってお話とはなんでしょうか? 我が家の妻や娘のドレスなら間に合っていますが……」
父も事前に何も聞かされていないのか、困惑した表情で切り出す。
「話はこちらのプレスコット君からあるんだ。ドレスの話ではない。リリアン嬢の話だ」
「は? リリアンを見初めたとかそういう話ですか?」
「まぁまぁ、早合点せず、彼の話を聞きたまえ。君達にとっても悪い話ではない」
「隣国でドレスメーカーを立ち上げていますエリック・プレスコットです。スコールズ伯爵家のアイリーン様やマルティナ様と学園のクラスや生徒会でご一緒させていただきました。その縁で、リリアン様とも知り合ったのですが、彼女にはドレスのデザインの天才的な才能がある。ぜひ、我がプレスコット家に養子に入っていただき、うちのドレスメーカーで腕を奮っていただけたらとお願いに参りました」
「は? リリアンがドレスのデザインを? 養子に? 何を言っているんだ?」
「リリアンは、来年から学園に通うのよ! 釣書だって山のように届いているんだから!」
エリックの端的で直接的なお願いに父だけでなく母も動揺している。
「スコールズ伯爵はともかく、ご夫人はもうご存知のはずでしょう? リリアン嬢は学園の入学試験を受けた結果、入学を断られましたよね」
「なぜ、そのことを知っているの?」
「なんだって!!!」
エリックの爆弾発言に、何も知らない父が激高する。
「マーガレット、どういうことだ?」
「リリアンのことは全部、マルティナに任せていたのよ……マルティナがしっかり見ていてくれないから……」
「六歳離れているとはいえ、妹のことを家庭教師ではなく姉に丸投げですか…?」
「いえ、それは、家庭教師が軒並みリリアンを見れないと言うし……それならマルティナが見るって言うから……」
「それでも入学を断られるほどとは! お前の監督責任だろう!!」
「だから、侯爵閣下のおっしゃる通り悪い話じゃないでしょうと言っているんです。この国で学園から入学を断られるなんて貴族として恥ではないですか? 学園を卒業していなくて、貴族に嫁げますか? 病気療養だと偽って領地に引っ込めて、商会の息子にでも嫁がせるのが関の山でしょう。それなら、才能を見出されて隣国へ渡りました、という方が聞こえがよいのではないですか? いつ学園の入学を断られたという話がバレるのか冷や冷やしなくてよいですしね」
夫婦の諍いがはじまった所にエリックが鋭く切り込む。
「うむ……」
父がこんなに表情を動かすところをはじめて見た。父は基本的に面倒くさい事が嫌いなので、上司である侯爵の後押しもあり、エリックの言に心動かされているようだ。
「待ってよ! リリアンを産んだのは母親である私よ! 私の許可なく話を進めないでちょうだい!!」
「母親っていうのは、普段、娘の話を聞きもせず、世話もせず、お人形のように着飾らせて茶会や買い物に連れて行く人のことですか? マナーが身につかない娘を指導するでもなく、外で一言も話さないよう強要したり、マナー違反をしたら、腕をつねる人のことですか?」
エリックの冷ややかな目線と告発を受けて母がたじろぐ。母の動揺した態度にエリックの語るリリアンと母の関係性が正しいのだとわかる。
マルティナすら気づいていなかったリリアンと母との間の出来事をエリックが知っていることに驚いた。母はリリアンを猫かわいがりしているように見えたが、マルティナの見えない所で、罰を与えたりしていたようだ。
「でも、リリアンはまだ十歳です。まだ母親が必要な年頃なんです。リリアンの意見も聞かないと決められないわ!!」
母は普段からエリックの言うようにリリアンのことを自分の装飾品の一部のようにしか思っていなかっただろう。ただ、容姿の優れているリリアンは簡単には手放せないようだ。
そのとき、バンッと扉が開いた。
「わたしにお母さまは必要ありません! エリック様について行って、平民となり立派なドレスのデザイナーになります!!!」
そこにはまだ、幼いが父も母も求めない強い目をした少女がいた。
「あなた何を言っているかわかっているの? 今まで散々可愛がってあげたのに、お母様より、そこの平民を取るというの?」
「お母さまは、私をお茶会やお買い物に連れて行ってくれました。でも、私の欲しいドレスを買ってくれたことはありませんし、お茶会などお客様のいる場で、話してはいけないと言いました。マナー違反をすると、嫌そうな顔をして、腕をつねりました。
……私、嫌だったのに……マルティナお姉さまにも言ったことはないですけど、お茶会などで、色々なおじさまやおばさまに抱っこされたり、べたべた触られたりしました。お母さまに何度も嫌だと言ったのに、お母さまは止めるどころか、『よかったわね、かわいがってもらえて』なんて言って……気持ち悪かったのに、嫌だったのに……
だから、きっとお母さまは、いつかあんな気持ち悪いおじさまと結婚しろと言うのでしょう? だから、嫌です。
お父さま、お願いします! もうこの家には絶対に戻ってきません!」
リリアンの突然の告発に、母へと侯爵や夫から侮蔑の目線が刺さる。エリックに至っては、殺さんばかりの視線で射抜いている。母はその場に崩れ落ちた。
「……確かに、そういった趣味だとささやかれていた人も中にはいたし、純粋にリリアンを愛でている人もいた。でも、仕方ないじゃない、貴族には付き合いというものがあるのよ。たかが、少し触られたくらいで大げさじゃない?
リリアン……、でも、そこの平民だって、リリアンの事、騙そうとしているかもしれないわよ。上手い事言って連れ出して、気持ち悪いおじさんに売られてしまうかもしれないわよ!」
母は自分の事を棚に上げて言い募り、リリアンを見つめる。
「エリック様になら騙されてもいいです。まだ、知り合って時間は経っていないですけど、エリック様はすばらしいドレスのデザイナーです。お仕事に誇りを持っているんです。お母さまと一緒にいるぐらいなら、エリック様に着いて行って騙されたほうがマシです!」
「平たく言ってしまえば、隣国の平民ですし、あちらでは名の通ったドレスメーカーを姉と立ち上げているんですけど……。一応、プレスコット家の家長である父のリリアン様を養子にすることをお願いする手紙です。まぁ、こんな紙切れでは、信ぴょう性はないかもしれませんけどね」
リリアンの身も蓋もない主張を聞いて、エリックから渡された手紙に目を通し、オルブライト侯爵は盛大なため息をついている。
「スコールズ伯爵」
オルブライト侯爵の諭すような呼びかけに、父はエリックが持ってきたリリアンの除籍届と委任状にサインする。書類をオルブライト侯爵と確認したエリックはにっこりとほほ笑んだ。
「では、リリアン様はプレスコット家が責任を持ってお預かりしますね。今日、着ているドレス以外の持ち物は不要ですので、いかようにも処分してください。いいよね、リリアン?」
「この家から出て行けて、エリック様とドレスを作れるなら、なんでもいいわ」
リリアンは、やっと十歳の少女らしい笑顔を見せた。母はマルティナの隣で顔を伏せて、肩を震わせている。その感情が悲しさなのか寂しさなのか悔しさなのかはわからない。でも、その手に握られている扇がギリギリと軋んでいる様子から感情の大きさは感じられた。
「お前は、リリアンの荷物をまとめるのを手伝いなさい。こちらは、もう少し話を詰めるから」
疲れた表情の父に促され、席を立つ。
「お父さま、お母さま、お元気で」
リリアンは今までで、一番綺麗なカーテシーをしてみせると、振り返ることもなく、扉を開いて退出する。マルティナも無言でカーテシーをして、それに続いた。
「マルティナ姉さま、ありがとう。きっと姉さまが動いてくれたんでしょう?」
荷物はいらないとは言われているものの、リリアンと部屋を片付けて、下着などの最低限必要そうなものとリリアンのお気に入りのリボンなど細々した物をトランクにつめる。
「私はただエリックに泣きついただけよ。ほとんどエリックの力だわ。まさかエリックの後見人がお父様の上司にあたる侯爵様で、こんなに早く動いてくれるとは思わなかったけど……」
なんとなくだけど、父の上司がなんの見返りもなく動いてくれるはずはないので、裏でなにか物事が動いているのかもしれない。でも、それはマルティナの知るところではないし、リリアンが無事、この家から出られてエリックの庇護下に入るのなら問題はない。
「リリアン、このクマちゃんも一緒に隣国に連れて行ってくれない?」
マルティナはブラッドリーから誕生日プレゼントにもらった黒いクマのぬいぐるみをリリアンに差し出す。
「えっ? でも、このクマちゃんは姉さまの大事で! ……ブラッドリー様からもらったものでしょう?」
「お願い、リリアン、このクマちゃんを連れて行って欲しいの。私はきっとこの家から出られないから、せめてこの子だけでも、隣国に連れて行って欲しいの。このクマを私だと思って……」
「姉さま……」
「お願い……」
リリアンが戸惑って断ることもできずにいる間に、マルティナは無言でトランクにクマのぬいぐるみも詰めた。
リリアンとリリアンの部屋を見回す。生れつき可愛くて愛嬌があって、みんなに可愛がられていたリリアンは、マルティナと同様、この家で、この部屋で暮らしていて幸せではなかったのかもしれない。
「リリアン、元気で。立派なドレスのデザイナーになってね」
「マルティナ姉さま、姉さまも一緒に行けないの? いつか隣国に来れないの? もう会えないの?」
ぎゅっとリリアンを抱きしめると、最後に月並みなお別れな言葉をかける。その言葉から、何かを感じ取ったのか、リリアンがまくしたてるように質問を浴びせる。マルティナはただ、首を横に振るしかなかった。
「リリアン、この家でのことは忘れて。新しい人生を歩むの。あなたなら大丈夫だから。私はこの家にいても幸せになれるから」
「嫌だ、マルティナ姉さまに会えないなんて!」
「いつか隣国に会いに行くから。さぁ、エリックが待っているから、行くわよ」
リリアンに泣き縋られて、心がぎゅっと絞られる。リリアンの涙をハンカチで拭いて、その小さな手を引いてゆく。
父の上司とエリックと共に涙目で家を後にするリリアンを見送り、一人で自分の部屋に戻ると、マルティナは、本当に独りぼっちになった気がした。
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