月下美人  頑張った母ちゃんの闘病記

酒原美波

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第十四章 母が遺した最後の言葉

月下美人

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1.日常は、明日も続くと思ってた
 最後の時間、母は頑張った。高熱で苦しみながらも、必死に生きようとしてくれた。その努力を目の当たりにして、「頑張れ」とは言えなかった。
 母はときおり、寝たきりの格好のまま、枕元に置いた父や兄や、大好きだった実の祖母の写真に手を伸ばす。皆が迎えに来てくれていたのだろうか。だとしたら、なおさら母は、苦しみより楽になる選択が出来たはずだ。それでも乗り切ろうしたのは、一重に私のためだろう。

 私は、真っ先にこの世を去ると家族皆から思われていた。心身ともに丈夫でない私を遺すのが、よほど母は心配だったと思われる。
 それでも私が遺された理由、役立たずにも関わらず、おめおめと生き残った理由。私は家族を見送るために生まれてきたのだろう。昔はなんで自分が生まれてきたのか、存在理由に思い悩んだ。だが家族を次々と見送って、ラストが母。答えは出たようなものだ。
 こんな私に見送られて家族も不憫だと思う。それでも、父も兄も母も愛犬も、誰が最後に残るべきか考えれば、適任者は私しかいない。

 両親は愛情が深すぎた。全員の家族の死を目の当たりにして耐えきれるほど強くはなかった。
 兄が最後の一人になったら、人生を渡り歩くのに苦労したに違いない。周囲に仲間がいても、兄の性格からすると、どっかからトラブルを拾ってきて、無一文で叩き出されるのがオチだ。
 結局、私しかいなかった。まだ『死』への耐性が、家族の誰よりも勝っていた。後始末を出来る人間は、私しかいなかった。両親の遺した最後の子供として、私は人生が終わる最期の日まで生きねばならない。当家の名字は、たとえ分家筋でも私の死をもって消えることになるが、祖父母の血は、父の妹たちの子から孫へと引き継がれていくだろう。
 私は家族や愛犬たち皆が生きた証、アルバムであり、録画テープでもある。私が消えたら、家族の思い出もこの世から消えるだろう。

 もしも私に使命があるのだとしたら、懸命に生きた家族の足跡を、ほんの少しでもいいから、誰かに知っておいてもらうことだ。
 語り部としては不出来だが、不出来ながらも精一杯、記憶を引き出して言葉を紡いでいく。

2.ラストロード
 2月16日、朝の血糖値95(7:50)。ぶどうジュースを飲ませる。
 レトルトの中華粥は、鼻から汁を出して飲ませられない。代わりにジャム付きのパンをだすと、四分の三食べた。リンゴジュース、トマトジュース、ぶどうジュースを各1杯ずつ飲ませる。
 血糖値197(10:11)
 排便、朝中1回。インスリンは寝る前の長時間用グラルギン16単位のみ。だが昼と夜も食べられない状況で、インスリンを使うのは躊躇われた。

 2月17日、訪問医療。
 インスリンは毎食前だけでなく、夜の長時間用も中止になる。血糖値90(7:10)、砂糖入り紅茶を飲ませる。血糖値155(10:15)。血糖値320(13:05上げすぎた)。血糖値165(18:54)
 排便、朝大1回中1回。
 朝、シュークリーム1個、紅茶。
 夜、カステラ一切れ、カルピス四分の三。

3.ありがとう
①『2月18日』
 この日を一番思い出したくない。私がもっとも悔いを残す日だ。どうして、もっと優しく出来なかったのか、あの日の悪夢にずっと苛まれる。
 血糖値166(6:33)
 この日はデイサービスがあるため、迎えが来る前に食べさせなくてはならない。だが母はモソモソと食べる。私は、母がもう食事を喉に通すのさえ苦痛だと言うことに、気づいていなかった。
 この日は母の好きなチョコレートケーキを、早朝のコンビニで買ってきた。だが母は嫌々ながら口に運ぶ。もうすぐ送迎のバスが来る。
 もう食事はやめて着替えさせようと移動式テーブルを遠ざけた時、それでも母は食事を続けようとしてバランスを崩して床に倒れた。  
 床に倒れた拍子に、脆い足の皮膚がえぐれて肉が見える。血が流れ出す。慌てて消毒液と大判絆創膏と包帯を持ってきて処置する。
 母は立てない。失禁と排便が紙パンツから漏れだす。起き上がらせようにも、全く母に力が入らない。そうこうしているうちに、デイサービス送迎がやってくる。通常は1人。
 しかし介護士1人と私では母をベッドに戻せないため、デイサービス介護士は応援を頼む。もうデイサービスに行くどころの騒ぎではない。母の水下痢が止まらない。介護士が処置してくれるが、そのそばからダラダラと流れ出す。
 もう1人男性介護士が応援に駆けつける。発熱はない。長椅子車椅子で、デイサービスに運んだ方が下半身の洗浄も出来るし、経過が見れると言うことで、紙パンツと尿パッドを取り替え、ズボンを履かせ、長椅子椅子に乗せて、デイサービスへ連れて行く。
 私は床に散乱した朝食後と、母の汚物を片付ける。
 デイサービスから電話があり、医師を呼んだことが告げられる。下半身洗浄もしたという。足の処置もしたという。立ち上がろうとした際に、手の皮もめくれたので、そちらの方も。

 昼頃、医師から電話があり、酸素吸入器の手配を手配したことが告げられる。「このまま病院に運んでも良いのですよ?」、そう告げられながら。
 昼頃、母の帰宅。母のベッドには手すりしかないので、あらかじめ落下防止柵のある父の部屋を整えた。母は仏間に運ばれて、父の使っていたベッドに寝かされる。点滴が開始される。点滴用の棒ががないので、看護師が針金ハンガーを組み合わせて即席の点滴吊を作った。
 同行した医師が「本当に看取りを在宅でやりますか?」と再度確認した。もう助かる見込みはないということだ。
 私は「はい」と答えるので精一杯だった。医師は「看取りは過酷です。もしも辛くなったら、いつでも言ってください。病室は確保してあります」と言われた。
 看護師はその間に、タンの吸引レンタルを当たっていた。1社から機械は借りられるが、痰壺とタンを掻き出すチューブは介護保険外で、実費になるという返答がきたという。私は同意した。
 点滴は栄養剤と抗生物質の2種類。
 夕方、ケアマネが在宅プラン計画表を持って自宅に来る。訪問看護師もやってくる。仏間に人がひしめき合う。点滴は病院から段ボールで持ち込まれ、訪問看護師が装着や取り外しを管理することになった。
 点滴が終わる時刻でもあったので、訪問看護師が点滴を取り外す。病院のような自動点滴器ではないので、点滴量はまちまちになる。点滴が早く進むようなら、量を調整して、それでも早く終わりそうなら、すぐ連絡をくださいと言われる。
「水分を飲めるだけ飲ませてください。それと、急変したらすぐ連絡してください」と言われて、看護師が帰っていった。
 他にテーブル代わりになりそうなものを持ってきて、母の見える場所に家族と犬だちの写真を飾る。それと陶器製の雛人形を飾る。
 もともと雛人形は、邪気を人形に移すために紙で折られたもので、昔は上巳の節句(ひな祭り)が終わると紙の形代の人形を、川に流したものだ。いまでも形だけだけだが、どこかの地方で雛人形を船に乗せて海に流している。もちろん、すくに回収。あとは全部揃ってお焚き上げとなる。
 母は「すまないねぇ、こんなことになっちゃって、すまないねぇ」と何度も謝る。謝らねばいけないのはこっちだ。私がもっと母を丁寧に扱っていたら、ベッドから落ちて皮がめくれる事態は、少なくとも避けられたのだから。
 母の最期の闘いノート、これだけはどうしても処分できなかった。

②2月19日
 訪問看護師、14時。朝に取り付けた抗生物質と栄養剤点滴を外し、次の担当のところへ向かう。
 訪問介護士がオムツを取り替える。その際に陰部洗浄も行う。寝たきりなので、紙パンツは今後使わなくなった。体を拭いてくださる。1日2回、介護士は朝夕に来てくれる。
 ベッドサイド仏間に17:30、酸素吸入器業者が器具を運び込む。てっきり酸素ボンベの大型を持ってくるかとと思ったが、あれは危険なので、いまは機械で空中の酸素を取り込む物があるらしい。ただ停電のこともあるので、ベットの下に2本のボンベを置いていった。

 9:00 発熱38.2度 血糖値218(9:20)
 9:25 発熱38.1度
 10:09 熱36.4度
 11:24 熱36.6度 
 11:30 尿パッドを取り替える。尿は茶色だった。
 12:03 血圧102、45 脈102
 14:00 血圧100、48 脈96
 18:10 熱36.5度  血糖値384

③2月20日
 この日も抗生物質と栄養剤の点滴を行う。看護師の来た記載はない。だが介護士訪問と被らないよう、朝の9時過ぎに訪れて、14時か15時に点滴を外しに来るルーティンができていた。
 それと母がしきりに飲みたがるので、飲料を頻繁に飲ませる。そのデータもここでは書いていない。
 看護師から「コンクール」という、うがい薬を薄めて、時々、口の中を拭ってくださいと言われる。母に口を開けさせると、稀に喉の奥にタンが見え隠れしているので、使い捨てスポンジ歯ブラシでタンを釣り上げる。コンクールを薄めた水は直ぐに濁り、タンと口の中の汚れが浮かぶ。

 6:30 自力でオムツ交換。体格の小さな介護士が軽々と母の姿勢を変えるのを見て、実戦する。オムツの中身は茶色の尿から悪臭がしていた。
 6:52 血糖値244
 12:15 オムツ交換。尿の色が正常に近くなる。
 13:30 医師の往診。血圧98 48 血中酸素95 
 微熱37.5度。医師の指示により、酸素を1から2リットルに増やすよう指示。
 18:00 熱36.2度。
 19:19 血中酸素77~83 酸素を2.5リットルに上げる。
 25:00 熱37.1度

④2月21日
 この日はタンの吸引器が来る。看護師は抗生物質と栄養剤点滴の装着に9時過ぎ、介護士はその前に来てオムツの交換をする。15時前に点滴を取り外しに看護師が来る。夕方に介護士がオムツと陰部洗浄をする。この日の朝は、ベットの上で介護士に髪を洗ってもらい、母は気持ちよさそうにしていた。

 6:43 微熱37.6度 血糖値256(6:45)
 7:00 水をコップ1杯
 8:30 ジュースコップ1杯
 8:37 微熱37.5度
 8:40 タンの粘りが強い。使い捨てスポンジ歯ブラシで、張り付いたものを取る。
 9:29 血中酸素93
 9:30  水コップ1杯
 9:50 熱36.5度
 11:00 高齢者福祉相談員が来るが、いまここで何を相談しろというのだろうか。状況をみれば、それどころじゃないぐらい分かるだろう。母の様子と点滴の減り具合をを見守らねばならないのだ。さっさと帰ってくれ!
 12:15 ジュース
 12:21 微熱37.5度
 14:00 タンの吸引器が備品と共に届く。
 業者からレクチャーを受けるが、聞いただけで、母の鼻や口にチューブを入れてタンを吸引するのは無理だ。下手したら粘膜を傷つける。
 業者帰宅後、水を飲ませる。
 15:00 この日の看護師はいつもと違う人だった。点滴を取り外した後、豪快に口と鼻からタンを吸引する。タンは取れる。しかし血も吸い取られる。母は苦しげだった。その後、口はコンクールを薄めたものでスポンジ歯ブラシで拭う。
 その後はいつもの看護師から、この看護師にバトンタッチしたらしい。
 16:22 微熱37.5度
 21:21 微熱37.4度 抗生物質の効力が悪くなっているように思える。
 21:40 オムツ交換。びしょ濡れだった。
 25:59 熱36.6度

⑤2月22日 
 この日も9時前に介護士が来て、母の体を拭いてくれる。その入れ替わりで、昨日から来たズングリ看護師が抗生物質と栄養剤点滴を装着。そして豪快なタンの吸引。タンは取れるが、血も取れる。後で知ったが、この看護師が一番の吸引プロフェッショナルだった。
 この日は医師の往診もあった。そして再度、入院を勧められる。それでも私は拒否した。母の人生の幕はこの家で引くことを決めていた。
 もう大事な家族を拘束したり、看取りのできない地獄の苦しみを味わうぐらいなら、母の寿命が縮んでも、傍らに最期まで付き添いたかった。
 そもそも、既にこの状態では病院に入れたところでせいぜい数日の延命にしかならないだろう。もう食事が取れないのだから。チューブだらけにされて延命しても、どこが幸せなのか。それは父が身を以て示した。なら動けずとも、大好きなテレビを好きなだけ音量上げて聞けて、拘束のない最後の時間を過ごさせたかった。

 6:53 微熱37.4度 血糖値222
 7:00 水コップ1杯。その際に一センチのタンを吐き出す。
 8:30 アクエリアスコップ1杯
 9:30 血中酸素93 水コップ1杯。タンが少々取れる。
 10:30 血中酸素92 看護師がタンの吸引。
 11:00 訪問医療
 11:35 血中酸素85
 15:00 お茶コップ1杯
 16:00 血中酸素84
 18:00 水を少々。この日はそれ以後、何も飲みたがらなかった。
 18:13 微熱37度
 20:56 血糖値226
 22:40 尿パッドを変える
 22:45 熱36.7度

⑥2月23日
 この日も看護師が点滴の交換と、介護士が2回ずつ朝夕と、来てくれる。

 6:34 血糖値206 水コップ1杯
 6:45 熱36.3度
 7:30 尿パッドの交換。点滴と飲料の割に、尿パッドの濡れ具合が少ない。着替えがてら、上半身の体を拭く。母は気持ちよさそうにしていた。
 8:30 アクエリアスコップ1杯
 9:35 熱36.4度
 10:30 ポカリスエットコップ1杯
 12:45 尿パッド交換。今回は濡れていた。まだ腎臓は機能しているようだ。
 13:00 血中酸素97
 15:00 カルピスコップ1杯
 16:09 熱36.3度。尿パッド交換がてら、介護士が陰部洗浄をしてくれる。
 16:27 血中酸素84~88
 20:20 ポカリスエット80ミリ。タンが出る。
 22:05 カルピスコップ1杯
 22:15 尿パッド大量

⑦2月24日
 この日は抗生物質点滴最終日。栄養剤点滴は引き続き行われる。
 介護看取りは孤独な作業だなと、この日は思い知らされた。私は仕事がないため、付ききっきりで看病出来た。その覚悟もあった。しかし家族を持ち、仕事を持つ人が在宅看護をするのは無理だ。介護する側が倒れるか、精神的に追い詰められる。
 国は医療費削減を目指し、在宅介護で、入院費を削れるだけ削ろうとしているが、それが介護家族を追い詰めているのに気づいるだろうか。

 4:00 水30ミリ。タン少々。
 4:09 熱36.9度
 6:30 水50ミリ。尿パッド交換。
 6:37 熱36.6度
 7:30 ポカリスエット50ミリ
 8:49 血糖値218
 9:18 微熱37.8度
 9:30 熱36.9度
 9:38 37.6度
 11:00 水30ミリ
 13:00 微熱37.4度 水30ミリ。
 15:00 母の大好物のレモンシャーベットを三分の一。水を二口。
 16:15 微熱37.9度。介護士による陰部洗浄と、紙オムツごと交換。
 18:50 37.3度
 20:33 血中酸素が測れない。やっと右指で測れたが75
 21:05 微熱37.8度
 21:10 血糖値309
 21:30 水30ミリ
 21:45 血圧112 87 脈99
 22:00 水二口。  
 差し入れで、病院の看護師から吸い口(未使用)をいただいた。しかし母は吸い口からだと飲み物が飲めず、コップで少しずつ飲ませるしかない。父のベットが電動式で助かった。飲み物を飲ませる時、電動式ベッドを作動させて体を起こすことが出来たからだ。父の時はほぼ使わず終いだったけど。
 22:05 中程度のタンを、コンクール水に浸した使い捨てスポンジブラシで掻き出す。
 23:24 血圧84 46 脈100 
 訪問看護師に連絡する。
 23:28 血圧92 50 脈102
 23:31 血中酸素75~74 
 23:40 ズングリ訪問看護師到着。
 タンの吸引。酸素チューブから、酸素マスクに切り替える。酸素量を最大の5に引き上げる。
 ここで言われた。「夜間にもしもの時があっても、看護師を呼ぶのは心肺停止状態になってからにしてください。それを覚悟で、在宅看取りを覚悟したのでしょう?」。
 真夜中に近い時間に呼び出されて不機嫌もあったのもかもしれない。だがそれが本音だろう。無闇に人を頼ってはいけないのだ。自分が頭脳をフル回転させて、乗り切らねばならないのだ。
 私は殴られたかのような衝撃を受けた。だがこの道を選択したのは私なのだから、仕方がない。
 「申し訳ありませんでした」、私は駆けつけてくれた看護師に詫びをいい、もう夜間に呼び出すのは止めようと思った。

 0:05 血圧80 43
 0:20 血圧98 60 血中酸素92
 0:32 発熱38度
 3:00 発熱38.1度 血中酸素75

⑧2月25日
 母の意識は、まだあった。体はかなり消耗しているだろうに、私の心配をして少し休めという。高熱が認知症を覆したのか。安めと言われても、部屋に戻ったところで嫌な想像しか浮かばない。なら仏間の椅子でうたた寝している方がマシだ。テレビもこの頃、ずっとつけていた。静寂は耐えきれなかった。
 5:24 尿パッド交換
 6:15 発熱38.7度 血中酸素80
 6:42 血糖値253 血中酸素70
 8:14 血圧81 52 脈97
 8:37 血中酸素82
 9:08 血中酸素85
 9:14 発熱38度
 介護士が体を拭いてくれる。本来は髪を洗う日だったが、中止となった。
 その時、いつもの看護師がきて、栄養剤だけでなく抗生物質点滴を装着しようとする。
「それ、昨日で終わりましたよね?」と、私が尋ねると、「ご家族の意向で抗生物質点滴引き続き行ってくださいと連絡が来ましたが」と言われた。「あの、そんなことは一言も言ってませんけど」。すると看護師は病院に連絡をとり、抗生物質点滴は取りやめとなった。
 だってもう、今更だろう。抗生物質が効く時期を逸して点滴しても、もう遅い。恐らく母は敗血症を起こしてると予想していた。それなのに無駄な点滴を増やして痛みを増やすのは、もう嫌だった。痛みを極力取り除いた最期への道を作りたかった。
 精一杯苦しみながら、ここまで頑張ってきたのだ。最期ぐらいは楽になっても構わないだろう。縮むにしても数日の命に過ぎないのなら。

 9:18 血圧108 42
 9:52 血中酸素90 
 酸素吸入器のメモリを看護師が3に戻す。80前後になったら4に引き上げるよう指示される。看護師はタンの吸引を開始した。慎重なので血は出ない。だが取れる痰の量も少ない。どちらが良いのだろうか、タンが取れて出血する前者と、タンは少ないけど出血のない後者。緩和を重視するなら後者かな。
 休んだほうが良いと介護士からも看護師からも言われたが、体が休めないのだから、起きている方が楽だ。そして2人は朝の作業を終え、次の仕事場へ向かった。
 11:34 左手で血中酸素は測れなくなっている。右手で84。
 12:00 紅茶50ミリリットル。
 15:18 37.6度
 15:27 血圧98 42 脈96
 いつもの看護師から、血圧が70切ったら足を3時間高く上げるよう指示される。
 その後、介護士が来て陰部洗浄と紙オムツごと、取り替える。
 1830 水50ミリリットル
 18:55 血中酸素80~83
 22:30 紅茶100ミリリットル
 23:27 尿取りパッド三分の二濡れているので取り替える。
 23:30 血糖値249  発熱38度。血圧100 48 
脈105.

⑨2月26日
 2:50 血中酸素93
 5:50 母が酸素マスクを嫌がるので、酸素チューブに戻す。 
 6:26 微熱37.3度
 6:45 何故か尿取りパッドではなく、下のオムツが濡れている。紙オムツごと取り替えることにしたが、その時母は「痛い!」と叫んだ。
体制を動かしたせいなのか、陰部が痛むのかまでは分からなかった。
 7:30 紅茶100ミリリットル
 8:30 ポカリスエット100ミリリットル。
 9:24 熱36.7度。血中酸素左85、右75
 9:40 看護師が尿取りパッド交換と、陰部洗浄。
 11:00 紅茶150ミリリットル。
 13:10 ポカリスエット150ミリリットル。
 15:20 紅茶100ミリリットル
 16:19 血中酸素右77,左68
 16:30 ポカリスエット80ミリリットル。
 19:08 微熱37.6度
 19:18 紅茶100ミリリットル
 20:14 血中酸素左82右87
 21:50 紅茶100ミリリットル
 22:35 尿取りパッド交換。排尿あり
血糖値315
 この日はYouTubeを参考にして、タンの吸引を試みる。だが慎重すぎたためか取れない。コンクール水に浸したスポンジ歯ブラシのが、よくタンが取れる。

⑩2月27日
 …後に忘れられない日となった。

 2:30 酸素チューブを自ら外してしまう。
 4:55 酸素チューブを再び外す
 7:18 血糖値269 微熱36.5度 血中酸素左83右82
 7:30 ポカリスエット200ミリリットル
 7:41 血圧116 57  足を上げる。

 9:00 紅茶を50ミリリットル飲ませる。

 このとき顔に汗をかいていたのに気づき、ぬるま湯に浸したタオルで顔を拭く。
 母は「ありがとう」と嬉しそうに言った。顔を吹いてくれたお礼なのがしれない。
 だが私には「今まで、ありがとう」と聞こえた。この言葉を最後に、意識はあっても、母は喋れなくなった。

 10:55 血圧96 42 血中酸素97
 介護士さんがやってきて陰部洗浄とオムツも尿取りパッドごと取り替えているうちに寝てしまう。
 11:50 紅茶100ミリリットル
 13:00 血圧106 52 脈90
 13:22 ぶどうジュース60ミリ。ジュースにむせる。
 15:04 血中酸素左77 熱36.7度
 15:30 在宅医往診
 足の包帯は外して良い。お尻に床ずれがわずかにあるため、テープを貼る。母はいつも治療して貰うときはお礼をいうが、このとき「ウーアー」としか言葉が出ないのに気づく。
 17:00 紅茶100ミリリットル
 17:58 酸素マスクに切り替える。血中酸素左85、それより手が異様に冷たい。

 18:02 血圧69 46 脈92
 末っ子叔父にスマホから電話をかける。叔父が大声で母を呼ぶと、「あーあー」と必死で何かを訴えながら涙を流した。

 18:16 血中酸素81。それよりも意識を失った。呼びかけても応じない。 

 18:22 先ほどかけて繋がらなかった、長男叔父から折り返しのお電話がある。意識は戻らないが、叔父よ電話ごしの呼びかけで、血圧が109 48 脈91に戻る。

 18:42 血中酸素80
 19:09 血中酸素74 微熱37.6度
 19:31 血中酸素74 
 19:57 顔が青白くなったため、酸素濃度を4リットルにひきあげる。タンの吸引を、再び自らが行う。取れない。
 20:00 血中酸素86
 20:08 左指では血中酸素が測れない。右手80
 20:33 血中酸素右指77 酸素濃度を最大の5リットルに引き上げる。
 21:00 血中酸素右84
 2149 血中酸素82
 22:49 血圧104 53 脈110 血中酸素右73
微熱37.7度
 23:18 血中酸素右80
 23:37血圧104 52 脈98


4.約束
⑪2月28日
 0:00 血圧108 54 脈96
 1:07 血中酸素右77 血圧104 50 脈97
 2:17 血中酸素89
 3:32 血圧103 48 脈102 血中酸素右79
 3:45 微熱37.4度
 4:37 血圧101 48  脈102
血中酸素右81
 5:18 血圧104 53 脈100
 5:58 血圧110 52 脈98 血中酸素右76
 6:42 血圧105 56 脈99
 6:55 血中酸素右80
 7:19 手指が冷たくなってきた。微熱37.4度
血圧100 50 脈57

 7:40 母が激しく咳き込む。そして意識が戻った。

 8:14 血圧72 55 脈98 血中酸素計測不可
 8:25 血圧101 52 脈97
 9:04 指先が再び温かくなったが、血中酸素は計測できず。
 定時往診するいつもの看護師に「反応がなくなったら、直ぐに連絡するように」と注意された。
 看護師によって、言う事違うじゃん。もう人に頼るつもりもないけどさ。信用して突き落とされて、落ち込む暇はない。母の最期の花道を見守らなくては。
 9:30 排便少々。排尿あり。介護士さんが陰部洗浄して、オムツとパッドを取り替える。
 10:52 血圧100 49 脈100
 11:35 何か飲めるか尋ねると、母が頷く。加糖紅茶を80ミリ飲む。
 14:00 ポカリスエット50ミリ飲む。
 14:10 血圧101 46 脈101
 14:50 ポカリスエット50ミリ飲む。
 15:07 微熱37.5度。血中酸素、左89右81 
 氷枕を使ったほうが良いと、様子をに見に来た  ケアマネに言われて母の枕に氷枕を入れる。「アイスクリームも良いといいますよ」と言われた。
 16:30 血中酸素左93、右81 微熱37.9度

 母が寝ているのを見計らって、近所のコンビニへアイスとジュースを買いに行く。母が好きなのは某高級アイスクリームのバニラ。コンビニで買うと高いが、断腸の思いで購入。しかしこれだと濃すぎないかと、安いラクトアイスも買って帰る。

 18:33 某高級アイスクリームを、母は小さなスプーン6杯分食べた。満面の笑顔。美味しかったんだね、良かったね。

 20:00 血圧92 49 脈101。血中酸素右81。
平熱36.8度。
 23:46 血圧100 48 脈109.血中酸素右80。
発熱38.8度。

⑫3月1日
 0:30 発熱38.6度(氷枕で冷やす)
 1:15 発熱38.6度
 1:37 血圧97 67 脈108
 2:40 発熱38度 血圧99 47 脈110 
 唇を使い捨てスポンジ歯ブラシで濡らすと、水分を求めるようにスポンジを噛む。
 3:52 発熱38.3度。血圧94 47 脈113 
水を少し飲ませる。むせた。
 5:30 発熱39度 血圧104 58 脈118
 6:00 発熱38.5度 
 6:11 血中酸素83 血圧96 44 脈111
 6:55 熱36.7度 血圧88 49 脈159
 7:16 微熱37.5度 血圧87 46 脈116
熱は高いのに、右手が冷えてきた。
 8:04 微熱37.4度 血圧79 51 脈153
 8:34 血圧81 48 脈154 血中酸素左77
 8:45 微熱37.3度
 10:20 発熱37.7度 血中酸素左90 
    血圧79 45 脈155
介護士が陰部洗浄を行う。排尿と排便あり。紙おむつと尿取りパッド取り替える。
 11:45 アクエリアス80ミリ。血中酸素左93
浮腫んだ指が少しマシになる。
 12:24 微熱37.1度 血圧86 45 脈153
血中酸素左89
 13:26 熱36.9度
 14:16 37度 血圧78 40 脈104
看護師のタン吸引後血中酸素左95
 15:55 某高級アイスクリーム二口。水50ミリリットル
 16:04 微熱37.1度
 16:40 血中酸素左88
 19:14 発熱38.2度 血圧91 46 脈109
血中酸素89
 22:00 アクエリアス80ミリリットル
    発熱38.5度 血圧88 41 脈109
 23:49 発熱38.7度 血中酸素95

⑬3月2日
 0:00 カロナールを砕いて水に溶かして飲ませようとしたが、ほとんどこぼす。
 2:12 発熱38.5度 血圧81 47 脈162
血中酸素72
 3:15 微熱37.8度 血圧87 46 脈159
 5:22 微熱37.6度 血圧78 42 脈159
血中酸素93
 6:14 微熱37.4度 血圧77 48 脈159
 7:26 微熱37.3度 血圧90 54 脈158
血中酸素80
 8:12 微熱37.6度 血圧81 53 脈159
 9:00 微熱37.6度 血圧75 43 脈156
 10:00 微熱37.7度
介護士さん、陰部洗浄。排便中と排尿あり。オムツと尿取りパッド取り替える。
 11:49 熱36.5度 血圧79 42 脈101
 13:10 熱36.5度 血圧81 40 脈101
 14:05 熱36.7度 血圧78 36 脈120
排便大、おしりふきでオシリを拭きつつ、尿取りパッドを取り出して替える。
 15:48 在宅医往診
血圧73 41 脈107
「臨終まで近いですが、大丈夫ですか?」と医師に尋ねられる。大丈夫もなにも、耐えるしかない。この家で最期を迎えさせる。それに揺らぎはない。ただ1人でも他の家族が残ってくれたら、母の命の灯火が目の前で消えようとしている辛さを共有できたなら、どれだけ楽だっただろうか。
 いや、きっと私は甘えてしまうな。それに、こんなつらい状況を、先に逝った家族に見せなくて良かった。
 病院の医師や看護師は、本当に凄い。毎日、人の生死を見守っているのだから。仕事の一言で片付くような現場じゃない。

 16:15 介護士が、大量の排便をした母のオムツを取ろうと体を傾けたときだった。
 母の息が止まった。慌てて介護士と私が母の頬を叩きながら呼びかけると、母は息を吹き返した。動かせない。そのままにしておくしかなかった。
 確実に母は皆の元へ逝こうとしている。ここまで頑張っただけでも、偉いよね。
 18:08 血圧94 44 脈108
 19:25 微熱37.3度
 21:46 微熱37.7度
 このときだったかな。「母さん、あちらへ逝くにしても、真夜中の見送りは寂しいから、夜が明けるまで待ってくれないかな?」
 意識のない母にそう言う。父も兄も3代目愛犬も、みんな夜に旅立った。父が愛用していた火鉢式の石油ストーブの上では、鍋にかけたお湯がしゅんしゅん沸いている。

5.また会う日まで
 幼い頃、保育園から帰ると、母は丼で作った巨大なメロンゼリーとプリンをひな祭りの夕飯に出した。私と兄は大喜び。
 でも菱餅って、ちょっと憧れていたんだよね。ひし形に白と緑とピンクのお菓子。母いわく「美味しくないわよ、あんなの」ということで、ひな祭りには巨大ゼリーやら、3色ゼリーを作っていた。当時はド田舎にコンビニもケーキ屋もスーパーさえなかったので、手作りおやつが、ひな祭りを飾っていた。
 居間のテレビの上は、季節のものが飾られる。雛人形、五月人形、クリスマスツリー、お正月の鏡餅。特にクリスマスツリーは、飾り付けするのが毎年楽しみだった。
 平屋の狭い我が家、母が認知症になってからしきりに帰りたがっていた我が家。いまならわかる気がする。狭い分だけ、家族の気配をどこに居ても感じられた。
 でも母さん、もう皆が迎えに来ていたのは分かっていたよね?
 それでも私を置いていくのが心残りだから、頑張ってくれたんだよね。心配ばかりかけたね。たくさん喧嘩もしたね。沢山笑い合ったね。思い出をありがとう。

⑭3月3日
 0:13 血圧80 41 脈114 発熱38.6度
 0:36 血圧83 41 脈114
 1:06 血圧89 47 脈115
 1:33 激しく肩で息をする
    血圧79 42 脈114 
 2:00 顔が冷たくなってきた。呼吸も浅くなる。
    血圧66 41 脈115 
 2:30 血圧65 42 脈106
 3:05 血圧74 48 脈115 
 3:30 血圧計測エラー
 3:50 血圧177 112 脈35
 4:00 血圧計測エラー
 4:13 血圧137 71 脈41
 5:05 血圧計測エラー

 5:20 呼吸停止。1分後、脈停止。

 母はこの世を旅立った。夜明けまでには間があるが、雨戸を開けると東の空は薄明るくなっていた。涙は出た。だが悔いのある涙ではない。
 懸命に生きた母を讃える感動の涙。寂しさの涙。でも延命せずに良かった。この家から旅立たせることができた。拘束もせず、大好きな父の部屋の中で、大好きな人たちの写真に見送られて、旅立った。
 母さん、頑張ったね。ありがとう。

6.旅立った母のその後
   ①
 母が旅立ってすぐ、看護師と医師に電話をかけた。
 いつもの看護師が、6時半頃に来てくれた。母の汚れた下半身を清め、「本当は禁じられてますが、着替えもしちゃいましょう」と、母の服を寝巻きから服に取り替える。
 数十年前に購入して母の日のプレゼントであげた、薄手の生地の白地に青い花が裾に抽象的に描かれたお気に入りの長袖のブラウス。その上から、ローズマリーブルーのよそ行きツーピースを、看護師は着せてくれた。
「靴下もありますか?」
 あ、そうか。新しい靴下を持ってくる。寝台を整えて、母が横たわる。
「満足げな顔ですね。この家から旅立つことができたのを、喜んでいらっしゃるのですよ」
 看護師さん、泣かせる言葉を言ってくれるものだ。
 看護師が帰った後、私は母が宝物を入れていた引き出しから、シトリントパーズの指輪を取り出す。しばし指輪を眺めてから、母の指につけた。結婚当初は痩せていたが、いまは小指にしか婚約指輪は入らない。形見にとっておくことも頭をよぎったが、父が母に贈った宝物だ。天国へ持っていくのが相応しい。

 医師は7時過ぎに来た。8時頃と聞いていたので、驚いた。母の公式の死亡時刻は、3月3日午前7時37分となった。父より年下だったが、享年は父より1歳年上となる。
 デイサービスからも、ケアマネや介護士が午前中の仕事の合間を縫って、弔問に来てくれた。
 近所の人には報せていない。友人には報せたが、幼馴染には「親御さんには言わないでよ」と口止めした。

 翌日には親友から郵送で綺麗な花籠が届いた。母の衣装のような白とブルーでまとめられた、品の良い花籠だった。
 この日の夕方には幼馴染が訪ねてきて、花束をくれた。
「本当に菊じゃなくて良かったの?」
 幼馴染は言った。両親は仏壇は仏花だから仕方ないけど、菊の花は辛気臭くて好きじゃないとよく言っていた。だから菊以外の黄色の花をお願いした。リクエスト通り、幼馴染は黄色系統の花束を持ってきてくれた。
「父さんは私の真似をして、黄色の花が好きになったのよ」と、母は常々言っていた。いや、別に花の色でマウント取ることもないと思うが。
 さらにその翌日には、別の親友が花を持って来てくれた。可愛らしいピンクの花束だった。

「祭壇が華やかですね」
 葬儀屋さんは言った。簡易祭壇にした座卓は、友人達からの花束が沢山飾られていた。

 3月6日、すっかり馴染の葬儀屋さんと、母を納棺する。その方がドライアイスの効きも効率的だからだ。棺に入れたのは、母の実の祖母の生け花師範の看板、古ぼけた祖母の写真と母の姉の写真。そして父の在職中の名前入り作業着。そして3代目亡き後、代わりに買ってきた柴犬の抱き枕。肘掛け代わりにしていたトトロのぬいぐるみ。
 火葬式前日には、葬儀屋さんが母の好物だった茶巾寿司をもってきてくれた。それを冷蔵庫に保管して、出棺食前に入れた。母が大好物だった出汁巻き卵焼きも、奮発して6個の卵を使って早朝に焼いて、茶巾寿司と同じく棺に入れた。花籠以外の花も、出棺前に母の胸元に置いた。春らしい綺麗な花を胸にいだいて、幸せそうだね。

 膝を抱えて泣いている暇はなかった。葬儀の手筈、レンタル用品の回収、やることは沢山あった。私もお墓に母の死の報告へ行きがてら、帰りに花屋で母にオレンジ色の花籠を買ってきた。
 3月7日、母の派遣僧侶が決まった。戒名は『釋尼○光』。○は母の名前の一文字、光はいくつか挙げられた漢字の候補から光に決めた。

 葬儀は火葬式に決まった。予算的にも、参列者も居ないのだし。
 長男叔父は母の葬儀の前日に入院が決まっていた。変な咳が続くので年明けから検査したら肺がんだった。抗がん剤入院するという。母の生前、すぐに電話に出られなかったのも、病院で検査を受けていたためだった。
 末っ子叔父は、俺も体が調子悪いけど、仕方ないから出てやると行った。調子悪いなら、無理して出られても迷惑だし、殺人ウイルス自粛解禁は決まったが、まだこのときは明けてない。そもそも「仕方ない」で来られても、母に失礼だ。それなら一人の方がマシだ。
 その話を親友にしたとき、「なら私が出る!オジサンにはそう言ってやりな!」と言ってくれた。
 お言葉に甘えて、叔父に話すと「強がるなよ。おまえ、友達なんていないだろ?」と、失敬な返答。「私、友達運には恵まれてるので!」と言って電話を切った。

 母の火葬式は、死去の1週間後に行われた。親友が参加してくれて嬉しかった。こんな遠くまで、わざわざ来てくれる友達に恵まれた私は幸せだ。
 精進落としは、駅ビルのレスランで少し豪華なものを2人で食べた。

 母の見送りに、母の知り合いが居ないのも寂しいものがあるなと思っていた。早春なので庭の花が少ないが、ローズマリーと月桂樹、ミントでハーブの束を摘んでいた。そこへ近所の人が「まさか、お母さんが…」と駆け寄ってくる。喪服きていたし、車が頻繁に自宅前に止まってれば、察しも尽くか。今回は時間に余裕がある。せっかくだから、ご挨拶していただこうと思った。
 小母さんは、「ちょっと待ってて、お父さんを連れて来る!」と言って家に駆け込んだ。そしてこのお宅と、ウチが昔から仲良くさせていただいたお宅、そして口止めしていた幼馴染のご両親にも、最後のお別れをして貰うことにした。御香典はお断りした。
 母が葬儀場へ向かう時には、焼香に来てくれたご近所の皆さんが見送ってくれた。結果的にこれでよかった。母さん、一人じゃなくて良かったね。半世紀一緒に過ごした近所の人が見送ってくれているよ。

 葬儀の翌日には、学生時代の部活の先生に呼び出されて、ケーキを奢ってもらった。ホテルでケーキなんて緊張したが、有り難くいただいた。何故か幼馴染もくっついていたが。
   ②
 役所に届ける書類集めも簡単だ。地元の市役所と馴染みの場所を巡ればいい話。父と母は、同じ区の出身だ。今回は楽だなと思ったのが甘かった。
 母、あなたはこの区の出身だと言ってたのに、違うじゃないか!住まいがそこだっただけで、本籍は別の区かよ!
 その別の区だが、何度か遊びに友人と遊びに行っているので、馴染みがないわけでもない。だが区役所の場所なんて用がないから知らないし。
 散々迷って、やっとたどり着いた。まさかこんな苦労する羽目になるとは。この日の私の息抜き計画は崩れた。
 あ、ウチの母は満州生まれだけど、本籍は日本なんです。以前、満州生まれの両親について、いつだったか新聞に本籍を尋ねる質問コーナーがあり、生まれは満州でも本籍は日本にあると読んでて良かった。
 それにしても改正前戸籍の手書き、癖字がひどい。係の人と、これなんて読むのですかねぇと、考え込んだほどだから。ワープロ、パソコン発明した人は偉いわ。

 病院の支払い、訪問看護の振り込み、葬儀会社の支払い、固定電話解約、東電などの名義変更と仕事は山積みだった。
 一段落すると虚無が襲ってくる。無性に死にたくなる。さすがに電車飛び込み選択肢だけは選ばない。従弟が電車関連業務に2人も就いているので。
 自殺シュミレーションは母の生前からしていた。私がパニック障害で通院していた古くからの主治医は、別に死生観を語ったことはないが、私の自殺を危険視していたようだ。
 正直、母の件が全て片付いたら死ぬつもりだった。未来なん何も見えない。未来を夢想するには年を取りすぎていたし、もう、疲れたの一言に尽きる。
 それを必死で留めてくれたのが、友達だった。最悪な絶望感から救い出されて、今こうして過去を振り返りつつ、先が見えない未来を進もうとしているのは、親友や恩師のおかけだ。

7.再出発
   ①
 親友の力を借りながら、問題だらけの自宅を売った。末っ子叔父から「なんで相談しなかった!」と怒鳴られたが、生きることだけでもシンドい私にしては、頑張ったと思う。 
 四十九日に母を納骨出来なかったが、自宅を売った前金で、夏には母を無事に、父や兄の眠るお墓に納骨することが出来た。納骨のお経のあと、位牌板の戒名に、派遣のお坊さんが魂を入れてくれた。
 これで私の役目は終わった。

 私は拒食症とまではいかずとも、食べるのが面倒になっていた。友人が心配して、それぞれが食事に誘ってくれる。そして、心情を吐露する場を作ってくれた。
 母が死んだ瞬間から、自宅は過去の思い出の霊廟となった。もう気に掛ける家族もいないのに、眠れない。ウトウトしても飛び起きて、母の様子を見に行く。空のベッドをみて、そうか、もう、いないだよなと自覚して打ちのめされる。
 自宅売却は借金返済や、生活費のために必要だった。だがなにより、ここに一人でいては気が狂いそうだった。一時は5人家族で犬もいた。それがいまでは、たった一人。家族が亡くなる傷が塞がらないまま、次の家族を見送るの繰り返し。
 疲れた。この家にいたら早晩潰れる。だから時間をかけて家を売る余裕もなかった。

 自宅を正式に売却して、自宅から離れた場所のワンルーム賃貸に引っ越したのは秋のこと。母が亡くなった半年後のことだった。
 慣れない一人暮らしに戸惑うかと思ったが、意外と早く馴染んだ。睡眠が充分に取れるようになるまでは数ヶ月要したが、いつの頃から泥のように眠ることが出来るようになった。夢すらもみない。
   ②
 引っ越しの日取りが決まった頃、長男叔父の番号から電話があった。
 出てみると、叔父ではない知らない女性の声。
「父が危篤なんです。会いに来てくださいませんか?」
 長男叔父の娘さん、つまり従姉からだった。抗がん剤治療を受ける話は聞いていたが、適合しなかったらしい。引っ越しを控えているので、それが済んだらお伺いしますと返事した。
 引っ越しの前日だった。末っ子叔父から、長男叔父が、たったいま亡くなったと電話で知らされた。たまたま末っ子叔父が見舞いにきたとき、在宅での医師の診察中に急変したとのことだった。
「葬儀は決まり次第報せるが、必ず来い!」末っ子叔父から言われた。
 だが私も万全ではない。引っ越しだけでも心身ともにボロボロだった。また心の傷をえぐられる葬儀に参列しなければならないのか。

 私は親友や、主治医に相談する。異口同音、「行くな」だった。特に主治医は、「引っ越しさえ本当は反対だったが、友人の手助けや生活費のこともあるし、それが終わったらしばらく静養すればいいと思っていたのに、葬儀参列?そんなの先方も誰もこなかったのだから、ほうっておけ!」と言われた。
 私は主治医から、トラウマをえぐられる葬儀参列は時期尚早だと言われたこと説明したが、末っ子叔父は納得しない。執拗に電話やメールで催促される。承諾するしかなかった。

 かつて祖父の葬儀のときは賑わっていた街も、すっかり廃れていた。タクシーさえ、捕まらない。葬儀場へバスと徒歩で、たどり着いたのは、葬儀開始時刻10分遅れだった。
 お棺の中の叔父は、昨年見たときとは見る影もないほどやつれ果てていた。まさか母の半年後に世を去るとは。
「姉さんに連れて行かれたか」 
 末っ子叔父に、このときほど腹が立ったことはない。もし母が長男叔父が天国へ来そうになったら、蹴り落としてでも現世に戻していたはずだ。連れて行くなんて馬鹿なことするものか。
 顔を何度か拝見しているものの、話したことのない従姉に、私は引っ越しのとき出てきた祖母の女学園卒業式証書を、棺に入れてくださいとお願いした。そうしたら、私の手で入れてく上げてくださいと言われた。
「〇〇ちゃん(私)が、見舞いに来ると伝えたら、もう話すことができない父が、唸りながら頷いていたのよ」と伝えてくれた。無理してでも葬儀に来てよかったがしれない。
 親族や、友人に囲まれた叔父の葬儀は、家族の寂しい葬儀を思い出すと胸が痛む。

 火葬場は離れており、火葬炉へ入るのを見届けてから、斎場へ戻って精進落とし。
 以前、従姉から、実の祖母の写真を初めて見たのも、かつて私が修復カラー現像したものを叔父に送ったものだったとメールで知った。
 そういうわけで、ウチにある母の持っていた幼少期のアルバム(ボロボロだったので、ページ1枚ずつファイルに入れなおす)を持っていく。従姉姉妹だけでなく、そのお子さんたちもスマホで写真を撮っていた。
「どれがお祖父ちゃん(長男叔父)?」と聞かれても、私には分からないので、末っ子叔父に解説を頼む。その間、私はビールを飲んでいた。久々のお酒は美味しい。苦労して歩いてきた後だから、余計に。それに誰かと喋りたい心境でもなかった。
 その後、火葬場に戻って叔父の骨を拾う。そして、私は従姉の旦那さんのご厚意で、最寄り駅まで車で送ってもらった。

 帰宅後、私は熱を出した。ほとんど知らない人に囲まれて、相当無理をしたようだ。四十九日にも呼ばれたが、今回は従姉に自分の病状を説明して、参加をお断りさせてもらった。私が精神的な病を抱えているのを知らなかったらしい。末っ子叔父め、わざと報せなかったな。
 末っ子叔父には、四十九日不参加についてギャーギャー言われたが、構うものか。
   ③
 母を中心とした家族の闘病を振り返って、いろんな事があったんだなと、思い返す。
 辛かった事しか覚えていなかった。だが振り返ると、辛い中でも楽しかった思い出も隠れていた。
 悲劇の家族でない。皆、それぞれ精一杯、命を燃やした。家族が愛情深かったように、家族が他の誰かに慕われ、愛されていたことを知った。いまはただ、あの世で楽しく過ごしてほしい。
 私も精一杯生きて、土産話を抱えて、いずれはそちらに向かう。

 これからの人生は、決して平坦ではないだろう。だが親友達が支えてくれている。
 これからが第二の人生のスタートとなる。どんな明日が待っているのか、分からない。それでも突き進んでいく。
 私の心の喪中は、これをもって終わりとしよう。たまに思い出の嵐は、吹き荒れるだろうけど。

 蛇足だが、ちょうど母の死のことを書き記しているとき、雹混じりの猛烈な雷雨となった。場面演出が過ぎるぞ、母よ(笑)。
 2024年秋分。完
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