異世界でセカセカしたくない・だが現状が赦してくれません

酒原美波

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第四章 夢に向って

異世界でセカセカしたくない

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1.亡霊の誘導
 花子と大輔は、田舎で神様の御使いや精霊の類は日常的に見ている。しかし幽霊に遭遇したことは、これまで一度もなかった。
 旅籠で男子部屋、女子部屋を取ったので、食後は湯浴みをして真夜中に部屋に戻る。男子部屋には大輔、雅幸、プロキオン。女子部屋は花子と杏樹が使っている。皆はベッドに倒れ込むなり爆睡し始めたが、花子と大輔は寝間着から再び旅装に着替え、こっそりと部屋を出た。そして夕飯パーティーをした井戸の傍で合流した。花子と大輔は、それぞれ風呂に浸かっているときに、脳に直接語りかける者がおり、その指示に従ったのだ。
「誰だったんだろ?」
「他の連中には秘密ってことは、エンシェントドラゴンの関係者だと思うのだが」
 やがて井戸からスーッといかにも死神的なフードを被った鎧姿の骸骨が現れる。花子と大輔は無表情だったが、これでも腰を抜かしかけるほど驚いていた。
「ついて参れ」
 鎧の死神アクセントが、微妙にこの国の住人と違うことに気づく。
 「ついて来いって、井戸に入れということだよな」と、大輔と花子は顔を見合わせる。井戸の水に浸かりたくはないのだが。
「いまは一時的に枯れ井戸にしてある。さあ、早くしろ」
 鎧の死神の圧が増す。
 仕方がないので、大輔から井戸に降りていく。花子もそれに続く。石を積み上げた井戸なので、ごく小さな窪みを使えば降りられないことはない。だがこの技も、大輔と花子だからこそ使えるとも言える。鮎釣りをする場所とは違う穴場の釣り場所は、ゴツゴツした岩場が続き、慣れた人間でなければ急流に転落する。そこでは大きな岩魚が釣れる。
 鎧の死神の言う通り、底に水はなかった。そして薄く暗い道が続いている。先は見えない。鎧の死神は手にしていたランプの蝋燭に火を灯して先導する。火が灯った事で、鎧の死神のフードの背中の紋章が浮かび上がる。2本の木の中央に立つドラゴンの紋章だ。
「貴方は、滅亡したリュウイン王国の方ですか?」
 花子が疑問に思ったのと同時に、大輔が鎧の死神に尋ねる。
「その通り、我はリュウイン王国最後の王リュウモリ十三世だ」
 そう答えると、鎧の死神の姿は見る見る骸骨から1人の中年男性へと変わった。エンドレス王国の王族や住人は西欧系の顔立ちをした、色素も薄い人達だった。だがこの最後の王の姿は、浅黒い肌に黒髪をした、どちらかと言うと東洋系の顔をしていた。
「真正面からの神殿に突撃は、いくらそなた達でも無謀過ぎる。我は過去の償いのためにも、今回のドラゴン様救出の手助けをしたくてな。こうして無様な姿を晒した次第だ」
 リュウイン王国最後の国王は語る。かつて、エンドレス王国に攻め込まれて滅亡した時のことを。
 その時も、運悪く当時の浄化のドラゴンは既にドラゴンアイランドへ戻る力しか残っていなかった。それでも浄化のドラゴンを守り続けたリュウイン王国の為に、攻め入るエンドレス王国軍を潰そうとしたのだ。だがそれをリュウモリ十三世は止めた。「この大陸には後世にも、浄化のドラゴン様が必要です。我が国が滅びても、我々王族の首を差し出せば、住民は助かる見込みがあります。だが貴方様が力を使い果たして消滅しては、エンシェントドラゴン様は二度と浄化のドラゴン様を降臨させてはくれないでしょう。世界の半分を守るために、どうか直ちにドラゴンアイランドへお戻りを。我々の最期を、貴方様に見せたくありません」。
 それでも当時の浄化のドラゴンは、良き友であったリュウイン王国の王と国民のために何とかしたくて、説得を試みた。だがリュウモリ十三世の決意は固く、浄化のドラゴンは泣きながらドラゴンアイランドへ帰っていった。
 浄化のドラゴンが天空のドラゴンアイランドへ帰還したのを見届けると、リュウモリ十三世は王族全員と、国王に従う大半の貴族を率いてエンドレス王国軍の前に立ち、「国民への手出しはしないでほしい」という懇願をする前に、敵の刃に倒されて絶命したのだった。
「ひでぇ。戦争を仕掛けるにしたって、降伏にきた国王一行を有無も言わさず殺すなんて!」
 大輔は、いつもの無表情とは違って顔を怒りで歪ませる。
「ありがとう、我らのために怒ってくれて。だが浄化のドラゴン様の帰還が叶ったことで、我らの役目は終わったのだ」
「質問いいですか?」
 花子は手を挙げる。
「何だ?」
「世界の半分を浄化のドラゴンが清めていたなら、もう半分は別の浄化のドラゴンが派遣されているわけですか?」
 これはドラゴンアイランドから教わらなかったし、グレープル辺境伯の書物にも書かれていなかった。
「我らが住む西の大陸は、ドラゴン様に守られている。海の彼方の東の大陸は5人の妖精王が護っておられるそうだ。海の真ん中に世界を分かつ境界があって、その先にはドラゴン様もしくは妖精王しか往来できないと言われている。我も当時の浄化のドラゴン様から教わっただけだが、浄化のドラゴン様もしくは妖精王の誰かが世代交代する時は、境界の島にて交代の挨拶をするそうだ。そして東の大陸には、魔獣はいないのだという。精霊や妖精は多くいるそうだがな」
「じゃあ東の大陸のが安全で住みやすいということなのでは?」
「どうかな。魔獣はいないが、人間は守護される代わりに、妖精に支配されているのだそうだ。妖精に命じられれば、どんなことでも従わなくてはならないという。気に入られた人間は、妖精の森に攫われて、まあ何と言うか、夜伽相手にされるのだそうだ。妖精王は眩いほど美しいらしいが、妖精の全てが美しくて心根が優しいとは限らないというから、魔獣はいるが西の大陸の方が自由に暮らせて良いと、我は思ったな」
 リュウモリ十三世の言葉に、花子と大輔は「この世界、東も西もろくなもんじゃねぇ」と心の中で思った。
「やっぱり元の世界が一番だ。そのためにも、絶対に帰ってやる。どんなことをしても」
 花子は表情の乏しい顔で、鼻息荒く言う。
「同感。俺も味噌と醤油のない場所で暮らせないと、つくづく思った」
 大輔もいい加減、日本の味、お袋の味が恋しくてたまらなかった。やはり日本は食材の宝庫、離れてみてその良さが身にしみて分かる。

 どのぐらい歩いたのか、暗い道なので時間は読めないが、恐らく半日も経っていないと思う。その間、花子と大輔とリュウモリ十三世の亡霊は互いの世界を語り合った。
「生まれ変わるなら、またこの世界の西の大陸が良いと思っていたが、そちらの世界も楽しそうだ」
 リュウモリ十三世は笑う。最初は数百年間の罪悪感で表情も暗かったが、花子と大輔との語らいに、かつて人間だった頃を思い出し、今世の浄化のドラゴンのドラゴンアイランドへの帰還を見届けたら、転生へ前向きになった。

2.それはそっちの言い分だろ
 まさか神殿の魔法陣の間へそのまま出るとは思わなかった。薄い通路の先に明かりの漏れた扉が見えて、開けたら体育館ほどの広さに巨大魔法陣が描かれた広間に出たのだ。
『さあ、やってくれ』
 エンシェントドラゴンの声と、リュウモリ十三世の声が重なる。
 花子はミスリルのバットを出し、大輔はオリハルコンの巨大ハンマーを顕現する。そして特別調合の血で描かれた硬性水晶の床を砕いていく。
 魔法陣を描いた血が、地竜、フェンリル、キマイラ、ケルベロス等の最強魔獣の血を調合だと知らされた時には、花子も大輔も吐き気がした。なまじ気前よく、外れスキルながらも生活費を与えてくれたことに感謝したあの頃にも腸が煮えくり返る。
 神官達が異変に気づいて駆けつけた。この魔法陣には厳重な鍵がかけられ、普段は何人たりとも立ち入り禁止となっている。
 魔法陣はどころか、鉄でも傷がつけられないと言われる硬性水晶もバラバラに砕けている。
「なにを馬鹿なことをやってるんだ!長年この国を守ってきた、神聖なる魔法陣を壊すなど罰当たりな!」
 神官の応援に王宮から軍も派遣される。だが神官も軍隊も開かずの間には入れない。花子がボールを出して、バットで正確に敵を攻撃し始めたからからだ。その間にも大輔が手慣れた調子で、クワで畑を耕すかのように、硬性水晶ごと魔法陣を壊していく。
「国を守ってきたじゃなく、窮地に陥れたの間違いじゃんか。こちとら、どんだけスタンピートの鎮圧に駆り出されたと思ってる!そもそも私らはアンタらの無謀な魔法のせいで、元の世界から引き離され、楽しい夏休みを潰された哀れな高校生だ!」
 花子は自分でも驚くほど、部活に参加出来なかったストレスが溜まっていたらしい。ちなみに球は致命傷をギリギリ避ける程度だが、上級ポーションを飲んでも直ぐには回復出来ないほどの怪我を負わせて、軍隊を無力化させている。更に脅しのため、たまに人間には当たらないよう壁に白光球で打ち込んで穴を開け、熱で神官の服が焼けている。
 エンドレス王国の魔術師団が到着した。各地でスタンピートが大発生しているのに、こんなに多くの重鎮クラスの魔術師が王都でのうのうとしているのが理解できない。こいつら、脳みそ空っぽなのかと疑いたくなる。
 魔術師は一斉に花子と大輔へ魔法攻撃を仕掛けたが、エンシェントドラゴンの加護を授かっている2人には全く効果なし。
「なるほど、その程度の魔術じゃ各地のスタンピートなんて鎮圧できるはずもない」
 花子は魔術師の眉間に死なない程度の速球を打ち込む。この世界の魔術師の急所は眉間。生まれながらに魔力を生成する為の結晶が眉間の肌の下にあり、それの色や大きさで魔力の大きさが決まる。そして一度砕かれた結晶は元に戻ることはないと、エンシェントドラゴンから念話で聞かされていた。
 魔術師は、魔力の核が壊されてはたまらないと逃げ出すが、花子が壁をぶち抜く球をバットで打ち込み、背中から倒れる。壁ごしなのでさすがに手加減出来ず、不運にも当たった者は致命傷を負った。何発もの豪速球を打ち込まれた開かずの間の壁がそのまま倒れる。見通しが良くなったので、天廊の天井へ球を打ち込み瓦礫の山を作って、神官も軍人も魔術師も逃げられないようにする。
「貴様ら、なぜこんな酷いことをする!」
 大神官が叫んだ。彼もまた、眉間の魔力の核こそ避けたが、肩の骨が砕かれて豪華な白い神官服は血に染まっている。
「そんなの、私らが元の世界へ戻るために決まってるじゃん。それとこの西の大陸のため。スタンピートを起こした原因が、役目を終えた浄化役のドラゴン追放だったことに気づかなかったなんて、あんたら馬鹿過ぎて笑っちゃうよ」
 そう言いながら花子は無表情なので、その場にいる連中は気味悪がる。これでも嘲笑の笑みを花子は浮かべているつもりなのだが。
『同胞が戻る。異世界よ勇者、脇に避けよ』
 エンシェントドラゴンからの念話が入り、花子と大輔は作業を中断して、無い壁ギリギリまで後退する。間もなく、真っ黒なドラゴンがその場に現れた。体中に巻き付けられた魔法の鎖は千切れてなくなってるが、ブラックドラゴンは傷だらけで立ち上がれず、瀕死の状態。これではドラゴンアイランドには戻れない。
『勇者よ、手持ちの水筒の中身を1人はサントベールの体に、もう1人はそれを飲ませてやってくれ』
 大輔と花子はリュックサックから水筒を取り出し、大輔は傷だらけのドラゴンの体に水筒の中身をかけ、花子は牙の隙間から水筒の液体を飲ませる。豊潤な桃の香りが辺り一面に広がる。するとブラックドラゴンの傷は見る間に癒えて、今にも事切れそうだった意識も戻る。
『我が同胞サントベール、戻ってこい。おまえは任務を果たした』
 エンシェントドラゴンの呼びかけに、ブラックドラゴンこと浄化のドラゴン・サントベールは咆哮を上げ、天へ向って飛び立った。
 そして次の瞬間、その場から花子と大輔の姿は消えた。

3.帰還
 異世界で過ごしたのは半年以上、しかし大輔と花子と杏樹と雅幸は、ほんの10分程度時間が過ぎただけのことが、起動したスマホから知る。衣服も、鎮守の森に居た時と同じままだ。ただ違っていたのは、花子はミスリルのバットとドラゴン特製ボールを、大輔はオリハルコンのハンマーを持っていることだった。
「これ、どう返したら良いのかな?」
 花子は無表情だが困りきった顔で呟く。すると同時に鎮守の社が眩く輝いた。
『それは我らからの贈り物だと思ってくれれば良い。だがそのままでは使い勝手が悪かろう。必要な時以外は擬態させておくとするか』
 社から聞こえてきたのはエンシェントドラゴンの声。いや、ここに祀られているのは龍ではなくてお稲荷さんだったが。
 花子のミスリルのバットとボールは、プラチナ製のネックレスに変化した。バットとボールは、ペンダントヘッドとなり、北斗七星型に並んだボールの中央にバットがある。大輔のはハンマーの黄金製キーホルダーが、キーチェーンに付いていた。
「二度と必要になってほしくないけどな」
 大輔がぼそっと言うと、花子も頷く。
 雅幸と杏樹は、自分らには何のご褒美もないのかとブーたれるが、同時にスマホが鳴った。電話の相手はそれぞれの所属事務所からで、大きな仕事が入っから、直ちに戻ってこいとのことだった。雅幸が所属するバンドのアメリカライヴが決まり、杏樹もこれまでも脇役でドラマ出演はあったが、話題のファンタジー漫画の実写映画の主役に抜擢されたのだ。
「神様、ドラゴン様、ありがとう!」
 杏樹と雅幸は鎮守の社にお礼を言うと、急階段もなんのその、森田家へ急いで戻った。
「なー、アンチャン」
「何だ、妹よ?」
「私らのリュックサックにさ、あっちの世界の魔物入ってないよね?」
 2人は急に不安になって、リュックサックの中身を逆さに振る。出てきたのは空の弁当箱と、水筒だけだ。大輔が隠し持っていたワイバーンもない。
「アンチャン、コッチ戻っても魔獣食べたいとか思わない?」
「不思議とない。それより鮎の炊き込みご飯と塩焼きを存分に食べたい。それと豆腐とほうれん草の味噌汁」
「じゃ、一旦家に戻って、釣り竿と狩猟証明書持って行こうか」
「昼飯は途中の商店でバンを買えば良いな」
「おにぎり弁当、売り切れてるかなぁ?」
 大輔と花子も、社に一礼して家に引き返した。家に着くと、タクシーに乗って杏樹と雅幸が空港へ向かうところだった。ここからタクシーで空港へ、幾らかかることやら。金持ちはやっぱり違う。
「花子!あんた、東京の大学へ進学しなさい!そよ野球の才能を埋もれさせるのは勿体ないわよ!」
「また、遊びに来るからな!今度こそ釣りに連れてってくれよ!」
 そして南条の兄妹を乗せたタクシーは、森田家を去ったのだった。
「元気になったのはいいけど、寂しくなっちゃうわねぇ」
 母親がタクシーの後ろ姿を見送って言う。
「いいじゃん。それより、今日こそは鮎の炊き込みご飯ね」
 花子と大輔は鮎釣りに必要なの一式を持って、河原へと向かった。
 その夜の森田家の晩餐は、鮎の炊き込みご飯、鮎の塩焼き、大輔リクエストの豆腐とほうれん草のお味噌汁、花子リクエストの田楽味噌たっぷりのふろふき大根だった。

4.滅亡と復活
 花子と大輔をはじめとする異世界人が帰った後、エンドレス王国にクーデターが勃発した。
 エンシェントドラゴンは、同胞サントベールが危うく命を落としかけたのに激怒して、西の大陸の住人全員に聞こえるよう、念話を送ったのだ。

 かつてエンドレス王国が、浄化のドラゴンの庇護をしていたリュウイン王国を滅亡させたこと。
 浄化のドラゴンの功績を自分達の手柄とし、浄化に病み疲れて故郷のドラゴンアイランドへ帰ろうとした浄化のドラゴンを捕らえて別世界へ捨てたこと。
 浄化のドラゴンの不在でスタンピートが西の大陸で大発生したこと。そしてそれを収め、浄化のドラゴンを救出し、元の世界へ戻った2人の異世界人のこと。
 これら反省がなければ、新たな浄化のドラゴンを送るのをやめるとも宣言した。

 この事実に怒り狂った西の大陸の住人は蜂起。グレープル辺境伯をはじめ、リュウイン王国末裔が蜂起して、エンドレス王国を滅ぼし、新たなリュウイン国を起こした。以前、エンドレス王国が昔のリュウイン王国の王族と主だった貴族を嘆願の間もなく惨殺して野に遺体を捨てたのと違い、エンドレス王国の王族や国の中枢を担っていた高位貴族を殺さず、代わりに財産没収の上で平民に落とした。それでも良からぬ思想の持ち主に利用されかねないため、リュウイン王国の末裔が領主となった土地に分散され、軟禁生活を送ることとなる。エンドレス王国の切り札だった魔術師団は、異世界人の大輔と花子によって再起不能となり、神官も魔術を失い、こちらは議論の末に罪が重いものは幽閉され、罪の軽い者は貧民街に建てられた施療院で働くことになった。
 新たなリュウイン王国は国王を置かず、貴族院と自治院の二つの議会を作って、国の運営に関する採決をとることになった。この思想は、『優美にして聖なる白銀の薔薇』が活動中、リーダーのプロキオンが、異世界人の南条雅幸から彼が暮らしていた日本という国について様々なことを尋ねた際に得た知識だった。国王(天皇)が国の象徴で、国民が選んだ議員が国を動かしていくという発想に驚き、プロキオンは暫定政権のリュウイン王国末裔の辺境伯達に話した。そして紆余曲折の末に、新リュウイン王国の領主(貴族)が持ち回りで務める貴族院と、国民から選出された者達が運営する自治院が出来た。

 グレープル辺境伯をはじめとする東西南北の辺境伯は、旧リュウイン王国の騎士の末裔であり、禁書の旧リュウイン王国の書物を所持していた。そこには、王国の北側にあるヒョリュウ湖を取り囲む深い森が浄化のドラゴンの聖地であったことが書かれており、その周辺から村や街を移動させ、エンドレス王国時代に材木を得るため縮小された森の周囲に、森を形成する樹木の若木をたくさん植樹し、新たな浄化のドラゴンを迎える体制を整えた。
 新たな浄化のドラゴン、スカイスチームが青い鱗を煌めかせて、ヒョリュウ湖の島に降臨したのが、異世界人の森田家と南条家の4人が元の世界へ戻った2年後。その間、魔獣が大発生することもなく、浄化のドラゴンが来るまでは冒険者が魔獣に対処できる程度の被害で収まっていた。
 付け加えると、『優美にして聖なる白銀の薔薇』は今も国一番の冒険者パーティーとして活動している。第3王子サバランは平民に落ち、本来なら家族同様軟禁生活を強いられるところだったが、冒険者としての生活が長く、王家とも殆ど関わりなかったのが評価されて、今もパーティーの一員だ。サバランは、オーク肉パーティーをキッカケに魔獣肉の味に目覚めて、食べられる魔獣を狩っては料理人でもある弓師のトイズに「揚げ物にしてくれ」と命じ、そのたびにトイズはウンザリしている。簡単な野菜スープより、揚げ物の頻度が増えたからだ。プロキオンにも揚げ物は喜ばれているが、フランソワーズは最初こそ喜んで食べていたが、揚げ物太りで自慢の脚線美が崩れだしたのに気づいてからは、どれほどの誘惑かあろうとも野菜スープで我慢している。

5.大迷惑な従兄
 夏の甲子園決勝は、公民館の巨大テレビで、どうしても仕事で来られない者を除く村人のほぼ全員が観戦していた。なにしろ森田一族期待の四番バッター兼キャッチャーの森田剛司が所属する高校が決勝まで残っていたからだ。
 観客席には、イギリスプロサッカーチーム主要メンバーの森田真治がバックネット裏最前列で観戦しているところもバッチリ映っている。イギリスはプレミアリーグが開催中だが、監督や仲間の制止を押し切って、森田真治は親戚の勇姿を見るためはるばる帰国して、甲子園へ来た。バックネット裏の席には他にも森田剛司の両親、そして何故か南条雅幸と高校野球オタクのバンド仲間もカメラに映る特等席に座っていた。
 テレビカメラが有名人の観戦を見逃すはずもなく、サッカー選手の森田真治と芸能人の南条雅幸とその仲間を映している。が、それも序盤のみ。
 主役はプレーする高校生。そして何十年ぶりかのホームラン記録塗り替え記録のかかった森田剛司に皆が注目。そして期待通り、森田剛司は最終回を満塁ホームランで飾り、甲子園ホームラン記録を更新。キャッチャーとしても盗塁を許さず、ワイルドピッチもなく、終わってみれば相手の強豪相手に二桁の差をつけていた。
 インタビュー主役は、ノーヒットノーランを達成したピッチャーと、ホームラン記録更新を果たしたキャッチャーの森田剛司。
 月並みなヒーローインタビューが行われるなか、森田剛司にインタビュアーが「ホームランバッターの秘訣と、ミスのないキャッチャーの鍛錬法を尋ねる。このとき、嫌な予感が花子の胸に駆け巡る。
「僕をキャッチャーに育てのは従妹で、ホームランバッターとして競ったのもその従妹です。本来なら強豪校に入り、バッターとしてもピッチャーとしも、女子ワールドカップ選手も狙えるのに、田舎でミカン農家するんだと譲らなくて。本当にあの才能が、僕は妬ましくてたまらないのに。おい、花子!今からでも遅くないから、地元を出て県外の強豪校へ転校しろ!おまえほどの逸材が、田舎で鮎釣りの片手間に部活の野球してるんじゃねぇ!」
 森田剛司は、インタビュアーのマイクを奪ってカメラに向って怒鳴る。いまはネット社会、すぐさま南条花子の情報が流出する。兄はアメリカ進出を控えた人気バンドのメンバー南条雅幸、姉はタレントとモデルをこなす杏樹。父は世界的にも名を馳せるバイオリニストの南条雅人、母は人気女優の夏木麗華。諸事情で関西の田舎で、実母の妹夫婦に赤ん坊のころから育てられた。
 花子も大輔も、ネットに自らの情報を晒していない。それでも級友などが挙げるインスタグラムから、花子の素性など簡単に日本国中に駆け回った。
 早速、その日の夜にはテレビ局や新聞社から取材申し込みが殺到する。花子の意向によって、それらは全て断ったが、高校が取材を引き受けてしまった。田舎へ越境留学を期待した学校の目論見である。
 森田剛司凱旋と共に、花子は高校のグラウンドで取材を受けることになった。
 たださえ無表情の花子が、今や能面と化して「はあ」とか、「そんな事ありません」と凡人アピールをする。だがシャシャリ出てきた迷惑元凶の親類にして地元の英雄たる森田剛司が「俺がキャッチャーやるから、全速力で投げてみろ」と、集まった報道陣の前で言う。
「剛司ニイヤン、そんな実力ないって。恥をかくだけだから、誇張評価するのやめてくれない?」
 花子はもう土下座して勘弁してほしい気分だった。
「おまえ、異世界戦闘アニメのフィギュア欲しがってたよな」
 森田剛司は、妙に嵩張る鞄を持ってきたと思ったが、取り出したのは青龍を使役する花子一押し侍キャラクターの受注販売フィギュアだった。花子も欲しかったが、昨今のフィギュア高騰でお小遣いが足りずに諦めた。いまではプレミアもついて、定価の5倍の値がついている。花子の能面顔が物欲しげな犬の顔になる。
「俺もコレクションで一番のお気に入りのコレを手放すのは散々迷ったが、森田一族から新たなスターを生むために仕方がない。俺と真っ向勝負したら、花子にこれをやる」
「剛司ニイヤン、二言はないな!」
「ない!俺を誰だと思ってる!」
「ヨシ、勝負だ!」
 剛司と花子のやり取りに、頭を抱える兄の大輔と恋人の裕一郎。さんざん挑発に乗るなと、口を酸っぱくして言い聞かせたのに。だが剛司が、よもやあのお宝を切り札に使うとは想定外だった。

 そしてピッチャーマウンドに花子が立ち、キャッチャーボックスに剛司が座る。まずは肩慣らしのキャッチボールだが、初っ端から豪速球を出す花子に、マスコミは度肝を抜かれる。カメラマンは慌ててテレビカメラを構え、リップサービス発言だと斜に構えていた元プロ野球選手評論家が一応持ってきた簡易計測計を持ってキャッチャーの後ろに立つ。
「肩慣らしはコレぐらいでいいか。花子、思いっきり投げてみろ」
 剛司はミットを構える。花子を振り被り、出せる力の全てでボールを投げた。花子の球を受けた剛司はボールをキャッチャーミットで掴んだが、予想よりも力を増している花子の球に顔を歪め、背中から倒れないよう踏ん張るので精一杯だった。
 女子が放つとは思えないスピードに、マスコミは静まり返る。部活仲間や高校教師も唖然とする。いつもは呑気にキャピキャピ部活を楽しんでいた仲間が、まさかこんな才能を隠していたとは。
「嘘だろ、173キロだと!」
 元プロ野球選手評論家は叫ぶ。それもそのはず、公式世界最速が170キロ。簡易計測計が狂っていると言いたいところだが、この評論家は元は名キャッチャーと名を馳せた人物。球が確実に160キロは軽く超えていると断言できるのは、現役引退して数年経っても、動体視力まではまだ鈍っていないからだ。
「花子、変化球も投げてみろ。それにしても、おー、痛てて。おまえ、どこでそんな豪速球を練習してたんだよ」
 剛司がボールを花子に返す。
(異世界です、とは言えないよな)
 花子も大輔は心の中で呟く。異世界行く前もそこそこのスピードを投げることが出来たが、異世界の魔獣を倒すための実地鍛錬で花子の肩は更に強くなり、スピードを出すコツも習得した。
 花子の投げる様々な変化球も、もはやプロ級。我に返ったマスコミ陣は、一斉に取材メモを書き込んだ。新聞社、雑誌社のカメラ音も激しい。
「おい、今度はバッターの素質を見せてくれ」
 剛司とバッテリーを組んでいる中村が自ら声を掛ける。中村は自ら志願して、日頃から剛司に「ウチの従妹は凄くてな」と聞いていたので、自分の速球が通用するかウズウズしていた。地区予選から甲子園決勝まで投げて肩が疲れているだろうに、それでもあんな豪速球を生で見せつけられたらピッチャーとしての矜持が疼く。
 ピッチャーマウンドを、花子と中村が後退する。花子は金属バットとにするか、木製バットにするか悩んだ末に、木製バットにすることにした。金属バットの方が丈夫だが、飛びすぎて学校の窓を割ったら弁償ものだと思ったからだ。それに剛司との勝負は昔から木製バットを使っている。森の向こうの広場で大輔の友達や剛司の友達を交えての試合で使うのも木製バット。それでもよくボールが飛ぶため、仲間の飼い犬のボーダーコリーとハスキー犬を躾けてボールを拾いに行ってもらっている。
 花子は素振りを数度してバッターボックスに入る。ミスリルのバットとは重さ加減が違うので、妙な癖がついていたら三球三振だなと思っていたが、杞憂に終わった。中村の放った渾身のストレートを、花子は校舎を越える特大ホームランで打ち返したのだ。
「あの子、本物だ」
 報道陣から口々に驚愕の声が聞こえる。しかし花子は、欲しかったフィギュアを剛司から約束通り貰ってホクホクだ。
 当日のテレビで天才女子高校野球選手として流され、翌日の新聞、更に数日後の野球雑誌に花子が取り上げられた。

 新学期が始まる前から、強豪校からの転校オファーがうるさいが、花子は我関せずと相手にしなかった。だが花子の実力を知った女子硬式野球部からは距離を置かれるようになり、花子は残念に思いながららも、退部届を出して野球部を辞めた。未練がないわけではないが、部の調和を乱すのは本意ではなかった。
 ワールドカップ女子野球からもオファーが来たが、野球は大輔らと趣味でやれれば良いと思っていた。
 そんななか、南条の父が訪ねてきた。南条の父は、東京の女子硬式野球部強豪校へ、花子を編入させると森田家に宣言したのだ。どうやら仲間から「田舎に、あれほどの天才を埋もれさせるのは酷くないか?」と、さんざん突かれたらしい。
 しかし森田家は、逆にいい機会だから、もともと短大進学前に花子を森田家の養女にするつもりだったことを切り出した。南条の父は反発したが、南条家が奈緒を養女にしているのに、花子は渡さないというのはおかしい。だが南条の父の言い分としては、「こんな田舎で才能を埋もれさせるほうが、子供のためにならないだろう」と反発した。
「浮気性で、家族を顧みない家の方が、子供のためにならないと思うけど?」
 ボソリと、花子が言う。
 これまで地蔵のように南条の父に対しては「はい」、「いいえ」しか答えてこなかった花子に、南条の父はギョッとする。
「野球選手の選手生命は短い。まあ、野球が好きか嫌いか言われたら、好きなんだけどさ。でも地元を離れてまでやる気は、いまはない。残念ながら高校の女子野球部は退部したけど、代わりに男子野球部から入部を打診されてるんだ。規定で女子は甲子園マウンドに立てないし、そもそも野球部が弱小過ぎるけど、少なくとも女子野球部よりは球を思いっきり投げられる」
 花子はほうじ茶を飲む。最近は冷え込んできたので、冷たい麦茶より温かいほうじ茶のが美味しい。
「ところで南条さん、離婚するんですか?ならその前に、私を森田家の養女手続きしてください。離婚した後だとややこしくなりそうなので」
 淡々と述べる花子に、南条の父はショックを受ける。よもや実の子供から他人呼ばわりされる日が来るとは思わなかったのだ。
「離婚は互いの不利益になるから、しない。俺も妻も、遊びで付き合ってるだけだからな。だから、おまえを養女に出すつもりもー」
「バイオリニストって、手が命なんですよね。一度に何本折れるか、私と握手して試してみませんか?」
 日頃、表情筋の動きの乏しい花子がニタリと笑う。南条の父は後ずさるが、背中はいつの間にか立ちはだかる森田の父の足にぶつかった。
「有名人だか何だか知らんが、お天道さまに顔向けできん奴に、大事な娘を好き勝手にはさせん。奈緒のことだって、アイツが嫌がれば養女に出すつもりは無かった。そしていま、花子は正式なウチの子供になりたちと言っている。腐って親なら、子供の願いの1つぐらい叶えてやったらどうだ」
 寡黙な森田の父にしては饒舌だった。
「そもそも野球の話がなければ、短大前に花子の養子縁組は決まっていましたものね。南条さん、奈緒を貴方の養女にしたとき、私達が花子をコチラの養女にしなかったのは、貴方と姉さんが心を入れ替えて、花子に何の取り柄がなくても、いずれ実子として引き取りたいと願い出るのを待っていたからです。ですが夏の雅幸君と杏樹ちゃんが泊まりに来た時の様子を見て、私たちも決断しました。花子はあなた達には渡しません。さっさと養子縁組手続きを進めてください!」
 クワッと怒りの形相の森田母は怖い。女優の姉より地味めな顔立ちだが、姉とは違う楚々とした美人だ。こういうおとなしめな女性が怒ったときほど怖いものはない。
「わ、分かった!妻と相談して、弁護士に養子縁組いらいをする!」

6.忘れられない冬休み
 冬休みに入る前に、花子は正式に森田花子になった。
「これで一安心」
 デート先の遊園地の観覧車に乗り込むなり、裕一郎は満足げに言った。今日は花子と電車で遠征して、遊園地イルミネーションを見てから、終電で帰るつもりだ。
「なんで安心?」
 花子は首をかしげる。久々のオフ、明日からまた男子野球部で練習三昧だ。女子は高校野球で甲子園に立てないが、男子部員を鍛える役割は果たせている。万年敗北チームが、先月の交流試合で部活始まって以来初の勝ちをものにしたのだ。まあ、このときは公式戦でないため女子選手の参加が認められ、花子の活躍で勝ったようなものだが。
 女子野球部とは仲間との実力差でギクシャクして退部したが、そもそも花子は兄や兄の友人と幼い頃から遊ぶことが多かったので、女子よりも男子のほうが馬が合う。実力差があるのは男子野球部も同様だが、男子は花子の才能を僻むより、むしろその技を盗もうと必死だ。3年生引退により、いまは2年生と1年生が部活を行っている。彼らの夢は、地区予選1回戦突破だ。そこに花子は立てなくても、花子入部で、ピッチャーの投球種類が増えてスピードもアップしている。
「正直さ、おまえと大輔って仲良すぎるじゃん。だから従兄妹なら、いずれ結婚できちゃうんだよなとー」
「げえええっ、アンチャンと結婚なんて寒イボどころか蕁麻疹が出る。物心つく前から兄妹やってるのに、結婚なんて無理無理、絶対に無理!アンチャンに比べたら、まだ南条の実の兄のがマシだよ。それもキモくて嫌だけど」
「アッチは芸能人じゃんか。次元が違いすぎる」
「雅幸さん、中身はヘボだけどね。いまでも他人呼びするから怒り狂った電話やメールが来るけど、戸籍上はもう妹じゃなくなったから、こだわることないと思うんだけどね」
「でも姉さんのことは、ネエヤンと呼んでるんだろ?」
「まあ、成り行きで。別に姉という意味ではなく、親戚の姉ちゃんって意味なんだけど」
「そう言えば使い分けてるな、大輔はアンチャンで、従兄はニイヤン」
「まあ昔話になるけど、以前は従兄にもアンチャンって呼んでたら、アンチャンが泣き出しちゃってさ。俺だけがアンチャンなんだーって。それで使い分けることにした」
「大輔にとっちゃ、花子は特別というわけか」
「特別か。裕一郎はさ、一番古い記憶って何歳まで遡れる?」
 観覧車が頂点に来る。イルミネーションは点灯し始めているが、西の空はまだ夕日が残っていた。
「幼稚園の年少が最初かな。幼稚園に行くのが嫌だって泣いた記憶が。相変わらず話がいきなり飛ぶけど、どういう意味だ?」
「アンチャンの一番古い記憶は、1歳にも満たない頃。母ちゃんが2人目を流産した時だよ」
「え?大輔と奈緒ちゃんの間に、実はもう1人居たのか?」
「もう1人居たというか、その子が生まれていたら、奈緒ちゃんは生まれてなかったかもね。まだ妊娠が判明したばかりで、流産した時は性別も分からなかったほど小さかったと母ちゃんが言ってた。でもさ、アンチャンは亡くなった子は妹だったと言ってた」
 西に日が沈むと、東の空の三日月が光を帯びる。観覧車は下り始めた。
「アンチャン、その子の命が消えていくのを見てたんだって。それが一番古い思い出で、その子が亡くなったと両親が知ったのは次の検診のときだったらしいけど、その数日前からアンチャンが火がついたように泣き止まず、理由が分からなくて困ってたんだってさ。でもアンチャンが話せるようになってから、命が消える妹の話しを聞いて、両親は絶句したそうだよ」
「大輔、昔から勘が鋭いもんなぁ」
「そうだね。だから奈緒ちゃんを母ちゃんが身ごもったとき、東京の実家に戻って出産に臨んだわけ。まさか母ちゃん、姉と同時期に妊娠して、まさか我が子を取られるとは思わなかっただろうね。以来、実家とは絶縁してるらしい。南条の家とも関わりたくなかっただろえけど、私と奈緒ちゃんが居たからね」
「じゃあ、奈緒ちゃんじゃなくて花子が来たとき、大輔はどう思ったんだ?」
「戻ってきた、ってさ。私は流産した胎児の生まれ変わりなんだって。アンチャンによると方向音痴だから、間違えて南条の家に生まれちゃったらしいよ」
 裕一郎と共に、観覧車を降りる。暗くなったことで、遊園地のイルミネーションがより華やかになってきた。
「綺麗だねぇ」
 花子がイルミネーションに見惚れていると、裕一郎が花子の右手をとって、自分のコートのポケットに繋いだ手ごと入れる。裕一郎のポケットの中には小さな箱が入っていた。
 花子は何だろうと思いつつ問わなかったが、裕一郎は気づいて欲しかったらしく、繋いだ手をポケットの箱にわざと何度も当てる。さすがに鈍い花子も、このアピールに「これ、なに?」と尋ねた。
 裕一郎は花子の手を離し、ポケットから掴んだ箱ごと花子の手を出す。
「早いけど、クリスマスプレゼント。さっさと開けろ」
 裕一郎は暗がりの中でもほんのり顔が赤かった。
 花子も既にクリスマスプレゼントは用意してあるが、当日の夜に届けに行けばいいと、今日は持ってきていなかった。クジで当てた裕一郎の好きな戦闘アニメの推しフィギュアだ。クジなのでフィギュアの顔はイマイチだが、このために遠方のコンビニまでわざわざ出向き、何枚もクジを引いたので元手はかかっている。外れだが選択式のキーホルダーやクリアファイルも入っているので、裕一郎が喜ぶのは確信している。
 恋人から貰ったプレゼントよ箱を開ける。今年の誕生日プレゼントは、推しのアニメのアクリルスタンドだった。今回のは箱が小さいので、アニメの紋章ピンバッジだと思っていた。
 入っていたのは、花子の誕生石のペリドットがついた金の指輪だった。黄緑色の可愛い宝石だ。
「つけてやる」
 ぶっきらぼうに、裕一郎は花子の左手薬指に嵌めようとしたが入らない。
「あれ?おかしいな、サイズは合ってるはずなのに」
 前に大輔ペアとのダブルデートで、大輔の恋人の芽依から花子の薬指サイズを調べてもらっていたのだ。
「あー、また指が太くなったかな。最近は左の投球練習も始めたから」
「野球は遊びだと言ってたのに、なんで投球を極めようとする!」
 裕一郎は失望する。今度、購入した店に花子も連れて行って今のサイズに直して貰わねば。
「それ、本物だよね。高かったんじゃ?」
「一応、ホームセンターでバイトしているからな。金貯めて買った。だがサイズが大きくなってたのは想定外。秋に石川(大輔の恋人)から、サイズ調べてもらったから大丈夫だと思ってたのに」
 クリスマスには早いが、イルミネーション輝く遊園地でのプレゼント。シミュレーションを何度もして、花子が驚き喜ぶを想像していたからガッカリだ。そんな裕一郎の唇に、温かいものが触れて離れる。裕一郎は大きく目を見開く。
「もう一度!」
「嫌だよ、恥ずかしい」
 花子は真っ赤になって横を向く。今度は裕一郎から花子を抱きしめてキスをした。
「なんか、青春だね」
「そうだな」
 そういうことに不慣れな2人は、照れながら家路についた。ペリドット指輪は、次の休みの時にサイズ直しすることになった。

 地に足がつかないルンルン気分で帰宅した花子は、普段寡黙な父の罵声に飛び上がる。怒鳴りつけた相手は花子ではなく、大輔だった。
「高校も卒業していない青二才のくせに、よそ様の大事なお嬢さんを妊娠させるとは何事だ!」
 父の言葉に、花子は更に仰天する。母が手招きで花子を別室に呼び寄せる。
「まさか大輔が芽依ちゃんを、ねぇ。明日、揃って謝罪に行ってくるから。悪いけど、部活は休んで留守番してもらえる?」
「そりゃ構わんけど、中絶とかさせないよね?」
「先方がどう考えるか分からないけれど、少なくとも私は産んでほしいと思ってるわ。ちゃんと援助もするし、育てられないというなら、ウチで引き取っても構わない」
 母の決意は、固かった。その夜は深夜まで父が大輔を怒る怒声が響き渡っていたので、隣家まで距離があると行ってもか、既に大輔のやらかしは気づかれていた。

 翌日の部活を休む電話の際には、既に部活顧問にまで知れていたらしく「まあ、肩を休めるいい機会だから、しばらく森田(花子)も休んでろ」
と言われた。
 帰宅した両親と大輔の話によると、高校卒業したら直ぐに結婚式をあげるそうだ。婚姻届は役場に出してきたというから「早っ」と花子は思ったが、父いわく「あちらも中絶は考えていなし、中途半端が一番よくない。今日は大安でもあったから、ちょうどいいと思ってな」とのことだった。高校はどうするのか尋ねると、単位はギリギリ足りているから平気だが、芽依自身が通学すると言っているので、無理のない範囲で高校へは通うそうだ。

「それにしてもアンチャン、大人の階段を一気に登っちゃったね」
 大輔の部屋で、愛犬と共に寛ぎながら花子は言う。大輔は喜びいっぱいかと思ったら、浮かない顔だ。
「今しかなかったんだ。夏の龍神祭で、俺は神託を受けた。年内に妻にしたい相手と子供を作らねば、その後は子供を得られないだろうってさ」
「え?」
 花子は驚く。
「本来、俺と芽依には子供が出来ない運命だったらしい。けれど異世界での功績で、1人だけ子供を持てるよう、龍神様が運命を書き換えてくださったそうだ。芽依は二十歳になったら、命には別状ないが、癌で子宮を摘出しなければならないらしい」
 大輔は頭を抱え込む。こんなことは芽依本人にも言えない。本当は1人前になってから結婚して、子供を得てという未来予防図を描いていた。結婚前に不拉致な真似をするつもりもなかった。だが来年では、龍神の加護は消えるという。選択肢は一つしかなく、大輔は芽依を誘い、芽依もそれに応じた。裕一郎同様、芽依もまた大輔と花子良親密さを疑っていて、そういう関係になりたいと以前から誘われていたそうだ。
「あんぐり。芽依ちゃん、大人しいのに、決めたとなると大胆だね」
「なんで花子に嫉妬するんだか。おまえと俺がなんて、天地がひっくり返ったってあり得ないと言っても信じてくれなくてさ。今回、正式におまえが養女になって戸籍上は俺の正式な妹になったから、やっと安心できると笑ってたんだ」
「あ、それ昨日、裕一郎にも言われた。他から見ると、私らってそんなに兄妹に見えないのかな?」
 しばし大輔と花子は見つめ合った後、互いに吐き出しそうな顔をした。そもそも兄妹じゃなかったら、兄弟だと思われるべきなのだが。

7.夏の日の衝撃
 花子は高校三年生になった。そして大輔と石川芽依は、八重桜が咲く地元で結婚式を挙げた。旧家が多いので着物にするべきという声もあったが、「まずは初孫第一!」という石川母と森田母の意見で、この地域では珍しくウェディングドレスとモーニングでの結婚となった。だが結婚式を挙げるのが龍神神社の神主だから、若干の違和感がある。結婚式と披露宴には、サッカー選手の森田真治と今春近畿の人気プロ野球チームに入ってオープン戦から活躍している森田剛司の他、杏樹と雅幸も駆けつけた。だが本物の妹の奈緒は、ヨーロッパコンクール出場中のため電報だけ送ってきた。
「なんか、年下に先を越されて悔しい」
 振袖を着た杏樹は悔しげに言う。花子の薬指の指輪にさえ、さんざん昨夜、文句を言われた次第だ。ちなみに花子はドレスを来ているが、理由は背が高いので、取り寄せでないとレンタル振袖はツンツルテンになってしまうからだ。それに日焼けしすぎて着物が合わない。ドレスも筋肉のついた二の腕が丸出しだが、振袖よりはマシだと口々に言われて複雑だ。

 相変わらず大学や女子硬式野球のスカウトが耐えない。だが花子は農業科のある短大へ進むと決めていた。
 しかし転機が訪れる。今年の梅雨は豪雨続きで、人災は免れたが、特産のミカン畑が土砂崩れで壊滅的だった。花子の恋人、裕一郎の家もミカン畑を中心に、農作物で生計を立てていた。森田家は大工なので、依頼された家の補修に忙しい。
 裕一郎の家は農業を廃業し、家族全員別の仕事に就くも検討しているという。
 花子の家の、母が趣味でやっているミカン畑は無事だった。
(農業廃業。でも、一度放棄した土地を再生するのは難しい。ここは不便だから土地も売れないだろうし)
 花子は、何もできない自分が歯がゆく思う。もし兄の雅幸のように、姉の杏樹のような華やかさがあったなら、自分も芸能人としてお金を稼げていただろうか。ここがゲームの世界で、ダンジョンとかあったなら、ミスリルバットと豪速球で魔物を倒してお宝を沢山集められるのに。
「以前の世界の金貨でもあればなぁ」
 考え事しながら歩いていた花子は、いつの間にか鎮守の森の前に来ていた。
(こんな時は、雑念を振り払うべく階段ダッシュだ!)
 お参りのためでなく、急階段を駆け上がる。正直、1人でまた異世界へ飛ばされるのは怖い。あの時はアンチャンがいた。だが今は、あの時の呑気なアンチャンじゃなくて、家を独立して新妻と小さなアパートで、最初で最後の赤ちゃんの誕生を待っている。
 あまり頼りにならなかった実兄の雅幸。その後は親戚として交流しているが、アメリカでのライヴが成功し、いま日本とアメリカ2拠点でライヴ活動を行っている。
 杏樹初主演の映画は夏から始まるが、試写会の評判は上々だ。
(では、自分は?)
 女子は高校野球には参加できない。せいぜい交流試合で豪速球を投げるだけだ。ワールドカップ出場選手オファーを受けても、プロ野球選手のような大金を得ることは出来ない。女子野球だってそうだ。皆、野球が好きだから、バイトしながら薄給で女子野球に所属している。
(男だったら、野球で天下取ることも出来るのに!)
 鎮守の森の急階段を一往復しても雑念は取れない。このままジョギングで煩悩を散らそうと平たんな道を走ろうとしたとき、後ろからクラクションを鳴らす者がいた。元プロ野球の剛腕ピッチャーで、前年まで万年Bクラスのプロ野球球団の監督をしていた竹本選手だ。
「いやぁ、探したよ。今日は高校の部活は休み、家に訪ねても、フラリと何処かへ行ってしまったと言われてしまってね。ちょっと話が出来ないか?」
 花子は迷った挙句、頷いた。
『知らない人の車に乗ってはいけません』
 さんざん親から教わってきたが、初対面だが知らない人ではないし、いざとなればミスリルのバットを顕現させて殴って逃げることも出来る。
 竹本選手は県の県庁所在地まで車を走らせ、高級寿司店で車を止める。寿司屋は昼休み中で『準備中』の札がかかっていたが、構わす入る。店主も文句を言わず、個室へ通すとお茶を出し「いつものでいいですかね?」と確認を取ってから、個室を出た。
「森田花子君、で良かったかな。それとも南条花子君?」
「森田です。去年、正式に森田の養女になったものですから」
 急に部屋に入ったので、汗がどっと吹き出す。竹本は店主に「ジュース頼む」と襖を開けて声を掛けると、店主がオレンジジュースの瓶2本とコップ二つを運んできて、襖を締めた。
 勧められるまま、ジュースを一瓶一気飲みする。生き返った気持ちだった。単なる散歩気分だったので、水筒を持ってこないが失敗だった。だが村には飲水用の水道が公園に点在しているので、いざとなればその水を飲めばいい。だが本格的な夏の始まれば塩分も必要になるから、ポーチに常に塩飴を入れて持ち歩こうおこうと、花子は反省した。
「君さ、夏の間だけでいいから、バイトしないか?」
「は?でも私、一応受験生だし」
 一応というのは、県外だが短大のスポーツ推薦打診が既に来ているため、それを受けようかと思っていたからだ。農業系ではないが、いま専門知識を学んでも、これから知識が役立つかも分からない。それに入学金免除のメリットがある。南条家に一応所属していたなら、金は使わせても良かったが、森田家に金銭的普段はかけたくない。「いや、そもそも南条の家から離れたのだから、短大進学せずに就活してもいいんだよな?」と、今更だが花子は気づく。
「君、短大希望なんだってね。四年制大学からも推薦が来ているのに、なんで短大にしたんだい?」
「あー、農業系の短大へ行くつもりだったんですが、その必要が今回の集中豪雨で必要なくなったかもしれないなと、今更気づいたんです。なら、今からでも就職活動しようかなと」
「だったら、なおさらウチでバイトしないか?とりあえず今年の夏中、それで手応え感じたら、ウチで働いてほしい。まあ、就職と言うかバイトの延長みたいになるが、いざとなったらどっかの会社員に口利きするよ。一応、これでも顔が利くから」
 そりゃ、プロ野球史に名を残す名ピッチャーだったから、顔は利くだろうな。しかし、何をさせようってんだ?
 妙なバイトより、高校でマトモな職を探したほうがいいと思うのだが。
「変なバイトだと思ってるだろ。実はさ、セ・リーグのピッチングコーチに急遽、抜擢されたわけだ。中部の球団だから、ここからさほど遠いってわけじゃない。監督とはチームが一緒になったことがなかったが友人で、ピッチングコーチが急病で職を辞すことになったから、暇な俺のところに話が回ってきたわけ。君の高校の男子野球部、これまで勝ったことなかったのに、いまは練習試合常勝に成り上がったらしいじゃないか。まあ、高校野球予選は君が出れないから、初戦突破は当たる相手の運次第だが、俺が見た限りでは君なしでも2回戦までは駒を進められるんじゃないかな?」
「ウチの練習試合、見たことあるんですか?」
「逆に、君を見にこない専門家がいると思い込んでいるのが不思議なんだが。練習試合でスタンドいっぱいになってるの、きづいてなかったの?」
「あー、別に気にしたことはありませんね」
「大物だな、こりゃ」
 竹本選手改め竹本ピッチングコーチが苦笑したタイミングで、大将が声をかけて襖を開ける。極上ネタの寿司と茶碗蒸しと海鮮サラダがついたご馳走だ。花子の喉が鳴る。
「まあ、食べながら話そうや。ここの大将は、俺の級友。ここの魚の鮮度に惚れ込んで、関東からコッチに越して寿司屋やってるんだ。たまに監督とも食べに来る。美味いぞ?」
 竹本ピッチングコーチの勧めで、遠慮なく花子は箸を取る。海鮮サラダ、絶品。寿司、人生最高の味!
「話の続きだが、一軍専用ピッチャーのバイトを頼みたい。君の球を打てるようになれば、後半戦でAクラスに手が届くかもしれないと、監督とも話し合ったんだ。まあ、思惑は別にあるけどね」
 竹本はニヤリと笑う。本当はここの寿司にビールと日本酒を合わせて飲みたいが、花子を送り届けねばならないため、アルコールは厳禁だ。
「君のバッターセンスも素晴らしい。球団でやっていけそうなら、秋のドラフトで君を指名するつもりだ」
 竹本ピッチングコーチの言葉に、花子は生海老の握り寿司を口にしながら思わず立ち上がる。花子は寿司を尻尾ごと飲み込む。
「女子がプロ野球に入れるんですか?」
「え、知らなかった?昔は女子禁制だったけど、いまはドラフト指名されれば入れるよ。まあ、その基準に達する女子選手がこれまで居なかったってだけの話だね。他球団も恐らく似たようなことを考えているはず。ドラフト指名しても、ウチの球団が交渉権獲得できるとは限らないが、初の女子プロ野球剛腕ピッチャーをウチの球団から出したい。どうだい、挑戦する気はある?夏休みを丸々、実家から離れて遠征にくっついていくことになるけど」
「やります、行きます!あ、お土産買うお小遣いは出ますか?」
「そのぐらい出すよ。夏は地方遠征もあるから、色んな名物も食べられるぞ?」
 竹本ピッチングコーチは契約書を出す。期間は高校の夏休み中、つまり夏休み初日から最終日まで。花子は契約書にサインした。判子は、あとで近所に買いに行けばいいとのこと。つくづくありふれた名字でよかったと思うのは、こういうときである。

 帰宅して中部のプロ野球球団のバイトをすることにしたと両親に報告したら、案の定、雷を落とされた。今日は久々に大輔も実家へ泊まりに来ている。愛妻の実家に、東京の親戚が来たから一時帰宅することになったのだという。
「妹よ、アンチャンは鼻が高いぞ。だから北海道限定、幻の限定ポテトチップを買ってきてくれ」
 大輔はスマホで球団の試合予定地を調べだし、お土産リストを作っていく。
「しかし女子がプロ野球選手、そんなものになれるとは知らなかったな」
 父はビール片手に枝豆をつまみながら感心する。
「うん。でもドラフト指名されるかどうかは、夏のバイト次第だってさ。女子の登竜門は針ですら通らないほど厳しいというからね」
「アンチャンは、おまえがドラフト指名されると確信しているがな。哀れなのはキャッチャーだ。おまえの剛速球に、あの球団のキャッチャーは耐えられるのか?」
 大輔は程々にプロ野球をテレビで見ている。従弟の剛司が関西人気球団で新人ながら活躍しているとなれば、なおのこと。村の話題ももっぱら剛司の活躍だ。ただ人気の割に、結束力というか仲間のレベルというか、AクラスとBクラスの間を彷徨っている状態だが。
「もしドラフトで、憎きあの在京球団に指名されても、俺は特別に認めてやる。ファンにだってなってやってもいい」
「親父、あそこは伝統を振りかざしてるから、革新には手を出さないと思う。入団させても飼い殺しされそうだから、むしろ指名されなくていい」
 大輔は鼻息荒く言う。あの球団のアンチは関西に多い。ロールプレイングゲーム好きだが、大輔は片手間でプロ野球ゲームもやっている。サッカーは、実際に試合に参加するのは好きだが、観戦はプロ野球の方が好きだ。点がポンポン入るから。
 こうして、退屈と不満を持て余しそうだった花子の夏休みは充実したものになりそうだった。

8.召喚はやめてくれ
 高校卒業後、正確には高校卒業式以前から、竹本ピッチングコーチが所属する球団の選手となった。
 ドラフト会議での指名は入るか気になったが、中部球団に1位で指名される。驚いたのは、他にもセパ含めて4球団が1位指名したのだ。そのうち2球団は、関西アンチの的の在京球団。もう一つ従兄の剛司も所属する関西熱狂球団だ。ドラフト交渉権は、くじ運最強と言われる監督が花子を引き当てた。
 高校三年生の夏休み、球団でバイトをした。最初は不安だったが、花子の剛速球を見た選手は慄き、キャッチャーは球を受け止めても痺れで落とすことが度々あった。花子のコントロールは素晴らしいのだが、いかんせんキャッチャーの質が悪い。急遽、二軍からキャッチャーを招聘し、何とか花子の剛速球に耐えられる者を確保。その二軍キャッチャーは一軍に昇格し、後半はバッターとしても活躍した。バッターボックスに立った選手も当初は「ひっ!」とか「ギャッ!」と悲鳴を上げていたが、さすがプロ選手。球のスピードに慣れてくるとバットに当ててくる。が、球が重くてヒットが精一杯。しかも変化球も混ぜてくるから、ホームランを出した選手は皆無。
 だがバッターの目は養われた。花子の球に比べれば、他球団投手の球など簡単にスタンドへ放り込むことが出来た。
 ピッチャーもまた、花子の投球を食い入るように観察して、技を盗む。剛速球は無理でも、変化球のキレは格段に上がった。そして気づけばセ・リーグ優勝を果たし、日本シリーズを制覇して数十年ぶりの日本一となった。

 花子は先発ローテーション入りもしているが、バッターとしても1級の腕を持つため、ピンチヒッターとして常にベンチ入りし、出番がくれば確実に成績を残していた。外野を兼ねた二刀流も検討されたが、花子が「キャッチした球を受け止められる内野手いますか?」と尋ねて御蔵入りとなった。ちなみに花子獲得したドラフト2位以下は主に剛速球に耐えられそうなキャッチャーが集められた。
(剛司ニイヤンなら、軽く受け止められるんだけど)
 花子は心の中で思うが、当の剛司は試合でバッターボックスに入り、実際に花子の剛速球を見て「コイツと同じチームじゃなくて良かった。コイツの球を年中受けていたら、俺の手が潰れる」と震え上がっていたことを従妹は知らない。

 初年度の契約金は、ドラフト1位にしては低額だったが、当たるか外れるかの博打みたいなもので入団させたので仕方がない。だが翌年の契約金は一気に億を超えた。
 花子は税理士に相談しつつ、裕一郎の実家の支援金を出した。当初は裕一郎も遠慮していたが、「上杉家(裕一郎の名字)だけでなく、ウチの一族をはじめとする村の皆にも資金援助するつもりだしさ」と花子が言うので、有り難くお金を借りることにした。裕一郎との結婚はピッチャーの性能が落ちてからということになっているが、別に裕一郎が他に幸せを見つけたなら別れても構わないと思っている。

 そして日本シリーズ、日米交流試合を経てオフシーズンに入った花子は実家に戻り、大好きな母の手料理を食べている。大輔一家のもとには、無事に元気な男児が生まれた。若夫婦ははち切れんばりに喜んだが、大輔はもうすぐ愛妻の癌が発覚するんだよなと、思い悩む。それを吐露できるのは、花子だけだ。
 花子が実家に戻って早々に、大輔が訪ねてきた。そして夕飯後、花子と折いって話があるからと、久々の娘の帰宅に歓喜していた両親をガッカリさせた。大輔は悪いと思いつつも、これ以上、独りで耐えるのは無理だった。
「アンチャン、本当に駄目なのかな。なるのが分かってるなら、早期発見で患部摘出だけで済まないか?」
 今日は大輔の愛妻が友人との飲み会参加で、息子は妻の実家に預けられている。両家とも初孫なので、孫取り合戦が激しい。順番に預ければいいのに、娯楽の少ないこの村なので、サイコロで奇数が出たら森田家で、偶数が出たら石川家で預かることになっている。そして森田家は連敗続きだ。
 花子の部屋は、高校卒業以来、ほぼ変わっていない。ただシーズン中に暮らしている部屋は、アニメやゲームの推しグッズで溢れている。
「俺もそれを考えたけど、芽依の家系って早期癌が多いんだよな。アイツと弟はいまのところ平気みたいだけど、従兄妹や伯父伯母も早期癌で亡くなってる人も多いらしいんだ」
「ともかく諦めんな。アンチャンらしくもない。翼(大輔の長男)君のためにも、弟妹の一人か二人、欲しいだろ?」
「まあ、やれることはやってみるさ」
 花子の部屋で愛犬を撫でながら、大輔はため息をつく。来年が怖くてたまらない。
 そのとき、ノック音がした。花子がドアを開けると、裕一郎の他に、何故か杏樹と雅幸が立っていた。
「なんで、ネエヤンと雅幸さん来てるわけ?」
 花子は無表情ながらも白い目を実兄と実姉に向ける。いまこの二人は物凄く多忙なはずだ。
「息抜きに来たに決まってるじゃない。兄さんの仕事がなかなか終わらないから、夕飯には間に合わなかったけど」
「ウチの夕飯狙いで来んな」
 大輔が文句を言う。
「花子、俺のことはお兄様と呼べと言っただろ!譲歩してニイヤンでも構わん!」
「い、や。ウチに、空の彼方の住人の親戚はいません」
 相変わらず、花子は雅幸に冷たい。嫌っているわけではないし、むしろ従兄(本当は実兄)として認めているが、「兄ちゃん」や「ニイヤン」呼びすると負けたようで悔しいから絶対に呼ぶまいと、意地を張っているだけだ。
「裕一郎は、何で来たんだ?」
 大輔が首を傾げると、花子に向って手提げを差し出す。
「東京の親戚が送ってくれた、期間限定イチゴ果汁入りホワイトチョコがけバームクーヘン。うちの親が持っていけって」
「いやあ、それって入手困難な数量限定品で、私も一度しか食べたことなかったの!有難う!」
 何故か花子よりも杏樹が歓喜している。
「花子は東京にもしょっちゅう行ってるだろうから、東京土産ってセンスなくない?」
 雅幸が言うなり、花子の蹴りが雅幸の尻にクリーンヒットした。プロ野球選手として鍛えた足での蹴りは、後で確かめると青痣が出来ていた。
 裕一郎は雅幸の言葉の通りだと反省するが、花子は自分が出来る最高の笑顔でお土産を受け取る。
「有難う。東京行っても、アニメショップは行くけど、デパ地下とか見ないからさ。珍しいお菓子のこともよく知らないし。ネエヤンがヨダレ垂らしてるから、早速食べようか」
「ヨダレなんて垂らしてないわよ、失礼ね!」
 そう言いつつ、「飲み物は紅茶が良いわね、ちょうどいい茶葉を持ってきてるのよ」とノリノリだ。
「じゃ、俺が紅茶を淹れてくるよ」
 大輔が有名紅茶店の缶入り茶葉を受け取った時だった。
『勇者たちよ、仕事だ。今度は別の異世界で、人間への恋にとち狂ったドラゴンを懲らしめてやってくれ』
 村で祀る龍神の声が裕一郎含めて全員に聞こえる。裕一郎だけが訳がわからず混乱しているが、その他4人の森田兄妹、南条兄妹は露骨に顔をしかめる。
「もう異世界トリップはごめんだわ!」
 杏樹が叫ぶ。
「俺も勘弁してほしい。不便な世界は懲り懲りだ」
 雅幸が懇願する。
「行くなら、味噌と醤油と胡椒は沢山必要だね。あ、前のリュックサック、またマジックバッグになります?」
 花子は前向きだ。
 しかし大輔は行かないと決意している。もうすぐ愛妻の癌が発生する。そのための対処を準備せねばならない。
『大食漢、この依頼を成功させたら、おまえの妻の病は起こらないと約束しよう』
 龍神は大輔に、語りかける。その途端、大輔の決意は翻った。
「行きます!でも調味料だけでも持って行く時間をください!」
『5分以内に準備しろ。それぞれの鞄はマジックバッグにしてやる。あと飲み物を入れるものを忘れるな。それと参加拒否は認めん』
 龍神の言葉に、杏樹は旅行鞄をそのまま抱きしめる。同じく雅幸も。
 花子は学生時代に日常使いに愛用していたリュックサックを引っ張り出し、洗って片付けておいた水筒もリュックサックに入れる。裕一郎のお土産ももちろん詰め込む。そしてしばし考えてから、もう一つ部活用の薄汚れたビニール製のリュックサックを引っ張り出して、各部屋に常備している災害用水入り2リットルペットボトル三本をリュックサックに入れて裕一郎に背負わせた。
「いったい、何が始まるんだ」
 パニックから立ち直れない裕一郎は尋ねる。しかし答えている暇はない。制限時間は5分、大輔は自分のリュックサックに家の味噌、醤油、胡椒、塩、砂糖の買い置きを詰めて戻って来る。階下から母親の罵声が聞こえてくるが、気にしている暇はない。
「アンチャン、水筒持った?」
「入れっぱなしだ。欲を言えば金目の物もー」
 大輔が言いかけたとき、5分経過したので龍神の力が作動して、5人は異世界に飛ばされた。
「あー!武器になりそうなクワと斧も持ってくれば良かった!」
 花子は叫ぶが既にとき遅し。5人はジャングルの中へ飛ばされた。
「なんなんだ、これはー!」
 異世界初体験の裕一郎は叫ぶ。その声に魔獣が気づいて襲ってきた。
「かかってこい!」
 ミスリルのバットを顕現させた花子、オリハルコンの巨大ハンマーを出した大輔が臨戦態勢をとる。
「やべ、俺、剣持ってないじゃん!」
 剣聖の雅幸はパニックを起こす。

 …そして裕一郎は、大輔の一面を知る事になる。スキル『大食漢』またの名をを『魔獣悪食』。大輔が夢中で焼けた魔獣を皮ごと食らっているのを見たとき、裕一郎は「俺、コイツの友達やめようかな」と本気で思ったのだった。
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 ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。  ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。  サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める―――― ※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
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ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
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※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! 仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。 カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

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八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

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たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
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アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

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婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

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