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引っ越しとすもものジュース
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少しだけ重たいボストンバックを背負いなおすと、ゆっくりと石段を登る。肩にひもが食い込んで痛みを伴う。その痛みが自らの生を実感させ、今の瑠璃にはひどく残酷に思えた。
生きてしまった。ずっとその思いが消えない。数か月前に、睡眠薬を大量に飲み、服毒自殺を図ったのだ。けれども発見が早く、死にきることができなかった。それ故、こうして痛みを抱えたまま生きている。
入院生活をしていたためにひどく衰えた筋肉は満足に階段を登りきることはできず、石段の途中に腰かけた。
海。目の前に広がるのは皮肉なほどに真っ青に広がる海だった。
初夏というにはまだそこまで暑くはなく、過ごしやすい五月初旬の潮風が彼の頬を触ってゆく。本来であれば心地よさを感じるであろうその風も、今の瑠璃にとっては何も感じない。
全てが灰色だ。
「あ、ごめんね瑠璃、いまから迎えに行こうと思ってたんだけど……。」
後ろから声をかけられて振り向くと、従兄である春野湊人がこちらに向かってきた。
「……大丈夫。」
バス停からここまでは歩いて数分もしない。石段を登ってしまえば湊人の住む一軒家はすぐだった。
「荷物それだけ?段ボールで配達にした?」
「これだけ……です。」
死のうと思ったときに、自分の部屋の物をほとんど処分してしまった。と、言っても部屋にもそもそも物はなかった。空っぽ。引っ越しの準備をしていたとき、部屋のその空虚さがまるで自分そのものであるかのように感じた。がらんどうの中身の、外側だけのお人形が、ただ周りに言われた通りに動いているだけなのだ。
「そっかそっか、じゃあそれ、俺が持つよ。」
湊人はそういってひょいとボストンバックを担いだ。180㎝をゆうに超えるらしい高身長の肉体は、程よく筋肉がついていて、自分のがりがりの体がひどくみじめに思えた。
「あ……ありがとう……。」
「大丈夫大丈夫、俺はここ、慣れてるから。瑠璃はこれからゆっくり慣れていくといいよ。」
湊人は穏やかにほほ笑んだ。
「母さんたちも夜に来てくれるって。瑠璃はうるさいのはあんまり好きじゃないだろうけど、ほら、俺の母さんってそういうの好きでしょ……。ごめんだけどちょっと付き合ってやってね。」
その言葉に頷いた。僕が湊人の家に居候することになったのも、この叔母さんがきっかけだった。
「うちに来なさい。」
叔母さんがそう言い放った。
「こんなとこにいたら息が詰まっちゃうわ!」
叔母さんは僕の父の姉に当たる人だった。叔母さんは、その提案に周りがあっけにとられているうちに、話を進める。
「いま旦那の実家、海沿いにあるお家なんだけど、そこが空き家になったからうちの長男の湊人が一人で住んでるのよ。広い家だから空き部屋もいっぱいあるし、どう?湊人もいいね~!って言ってたわよ。一度来てみたら?」
その勢いに思わず頷くと、父が
「何を勝手に決めてるんだ!親の言うことを聞け!」
と怒鳴った。その声に思わずびくっとする。それを見た叔母さんは振り向いて、自分の弟に対して淡々と言った。
「この子はもう22歳よ。親が口を出す年齢じゃないわ。いい加減子離れしなさいよ。みっともない。」
結局、僕は家を離れることとなり、叔母さんと、従兄の湊人くんのもとでお世話になることになったのだ。
石段を登りきると、平屋の一軒家が出迎えた。いわゆる古民家と言われる昔ながらの家は、海を見下ろす斜面に建てられており、すべての部屋から海が見えるのだと以前叔母さんが言っていた。庭はきれいに整えられており、野菜などの菜園もどうやらあるようだ。湊人の丁寧な暮らしぶりが顔をのぞかせ、すこしほほえましく感じた。
「疲れたでしょ、ほら、海が目の前だから、この辺のお家は全部山の斜面に作られてるんだよ。だから階段も多くてね……。あとで家を案内してあげるから、まずは休憩しよう。」
そう言って荷物を置くと、家の目の前に建てられた東屋に案内してくれた。
椅子に座ると、海の青々とした色が目に飛び込んでくる。
「きれいだよね、俺もよくここでのんびり海を見てたりするよ。……瑠璃、疲れた?ちょっと汗かいちゃってるね。」
そう言って瑠璃の額に汗で張り付いた前髪を手で払ってくれた。その仕草に、思わずどきりとした。と同時に、また、暗い気持ちが立ち込めてくる。男が好き。その気持ちに気づいたのは幼い頃であった。それから誰にもそのことを言えずに胸の中に押し込めていた。普通でないといけないから。でないと認めてもらえないから。
「瑠璃、甘いものは大丈夫?すももジュースがあるから飲まない?」
「すもも?飲んでみたいかも。」
そう答えると湊人はいそいそと家の中へと入り、しばらくすると赤い色の、きれいな飲み物を持って出てくる。
「ソーダで割ったのと、お水で割ったの、どっちがいい?」
「じゃあソーダで。」
グラスを受け取る。氷がからんと音を鳴らし、それだけでも涼しい気持ちになった。深紅の色をした飲み物を一口飲む。甘さはしっかりあるが、酸味が強めで、さっぱりとしてる。後味はスースーとしていてすっきりしている。ミントだろうか?
「……すももの香りがして、ミントかな?後味がすっきりとしててすごくおいしい。」
ゴクゴクゴク、と思わず飲み干すと嬉しそうに湊は笑った。
「ほんと?これ俺が作ったんだよ。なかなか美味しくできたと思ったからそう言ってもらえてすごくうれしいな。」
こっちもどうぞ、と水割の方のグラスも渡してくれる。
「すごい、ジュースって自分で作れるんだ……!」
「ふふ、わかる、俺もそれ思った。母さんが結構いろんなの作るのが好きな人だったからね。俺もいっつも『それって自分で作れるんだ!』って言ってたよ。」
基本的に買ったことしかなく、ましてや自分で料理などしたことのなかった瑠璃は心の底から驚いた。と、同時にうらやましく思った。母親とのそういう思い出は、瑠璃にはない。母親は小さい頃、瑠璃を置いて出て行ってしまったきり帰っては来なかったから。
「今度一緒に作ろう。ジュースだけじゃなく、いろいろ一緒に作らない?瑠璃が嫌じゃなかったらだけど、いろいろ一緒にやってくれたらうれしいなって思うんだけど……。」
ダメかな?と聞かれ、瑠璃はぶんぶんと首を横に振って答えた。
「ううん、ダメじゃない。むしろ……やってみたい。」
自分からやってみたいと思うのは久しぶりかもしれない……と自分の口から出た言葉に驚いた。
「ほんとに?嬉しい、絶対楽しいよ。」
この人は結構、素直に感情を言葉に表すタイプなのかもしれないと思うとどこかほっとした気持ちになった。
とげとげしていたり、心をナイフで切られたりするような感覚が、この人には感じない。
目の前に広がる海のように、広々としているその声さえも心地いい。
「俺、ここでのんびり暮らしてるからさ、瑠璃も一緒にのんびり暮らそう。」
すももジュースの甘さがじんわりと沁みて、酸っぱさに少し、泣きそうになった。
☆★☆★
『湊人くんの特製すももジュース』
材料:
□すもも(適量)
□砂糖(すももと同量のグラム、お好みで)
□水(すももの分量の二倍)
□ミント(適量)
作り方:
①すももを皮ごと細かく刻んで煮込む。20分ほど煮込んだら一度実を取り出して、汁のみ濾す。
②残った汁に砂糖を加えて、砂糖が溶ければOK!
③容器に移し、冷やす。冷えたらミントを三枚ほど加える。ミントは熱すると色が悪くなるので後入れで!
④水やソーダなどで割って飲む。湊人くんはカルピスに入れて飲んだりするらしい。
生きてしまった。ずっとその思いが消えない。数か月前に、睡眠薬を大量に飲み、服毒自殺を図ったのだ。けれども発見が早く、死にきることができなかった。それ故、こうして痛みを抱えたまま生きている。
入院生活をしていたためにひどく衰えた筋肉は満足に階段を登りきることはできず、石段の途中に腰かけた。
海。目の前に広がるのは皮肉なほどに真っ青に広がる海だった。
初夏というにはまだそこまで暑くはなく、過ごしやすい五月初旬の潮風が彼の頬を触ってゆく。本来であれば心地よさを感じるであろうその風も、今の瑠璃にとっては何も感じない。
全てが灰色だ。
「あ、ごめんね瑠璃、いまから迎えに行こうと思ってたんだけど……。」
後ろから声をかけられて振り向くと、従兄である春野湊人がこちらに向かってきた。
「……大丈夫。」
バス停からここまでは歩いて数分もしない。石段を登ってしまえば湊人の住む一軒家はすぐだった。
「荷物それだけ?段ボールで配達にした?」
「これだけ……です。」
死のうと思ったときに、自分の部屋の物をほとんど処分してしまった。と、言っても部屋にもそもそも物はなかった。空っぽ。引っ越しの準備をしていたとき、部屋のその空虚さがまるで自分そのものであるかのように感じた。がらんどうの中身の、外側だけのお人形が、ただ周りに言われた通りに動いているだけなのだ。
「そっかそっか、じゃあそれ、俺が持つよ。」
湊人はそういってひょいとボストンバックを担いだ。180㎝をゆうに超えるらしい高身長の肉体は、程よく筋肉がついていて、自分のがりがりの体がひどくみじめに思えた。
「あ……ありがとう……。」
「大丈夫大丈夫、俺はここ、慣れてるから。瑠璃はこれからゆっくり慣れていくといいよ。」
湊人は穏やかにほほ笑んだ。
「母さんたちも夜に来てくれるって。瑠璃はうるさいのはあんまり好きじゃないだろうけど、ほら、俺の母さんってそういうの好きでしょ……。ごめんだけどちょっと付き合ってやってね。」
その言葉に頷いた。僕が湊人の家に居候することになったのも、この叔母さんがきっかけだった。
「うちに来なさい。」
叔母さんがそう言い放った。
「こんなとこにいたら息が詰まっちゃうわ!」
叔母さんは僕の父の姉に当たる人だった。叔母さんは、その提案に周りがあっけにとられているうちに、話を進める。
「いま旦那の実家、海沿いにあるお家なんだけど、そこが空き家になったからうちの長男の湊人が一人で住んでるのよ。広い家だから空き部屋もいっぱいあるし、どう?湊人もいいね~!って言ってたわよ。一度来てみたら?」
その勢いに思わず頷くと、父が
「何を勝手に決めてるんだ!親の言うことを聞け!」
と怒鳴った。その声に思わずびくっとする。それを見た叔母さんは振り向いて、自分の弟に対して淡々と言った。
「この子はもう22歳よ。親が口を出す年齢じゃないわ。いい加減子離れしなさいよ。みっともない。」
結局、僕は家を離れることとなり、叔母さんと、従兄の湊人くんのもとでお世話になることになったのだ。
石段を登りきると、平屋の一軒家が出迎えた。いわゆる古民家と言われる昔ながらの家は、海を見下ろす斜面に建てられており、すべての部屋から海が見えるのだと以前叔母さんが言っていた。庭はきれいに整えられており、野菜などの菜園もどうやらあるようだ。湊人の丁寧な暮らしぶりが顔をのぞかせ、すこしほほえましく感じた。
「疲れたでしょ、ほら、海が目の前だから、この辺のお家は全部山の斜面に作られてるんだよ。だから階段も多くてね……。あとで家を案内してあげるから、まずは休憩しよう。」
そう言って荷物を置くと、家の目の前に建てられた東屋に案内してくれた。
椅子に座ると、海の青々とした色が目に飛び込んでくる。
「きれいだよね、俺もよくここでのんびり海を見てたりするよ。……瑠璃、疲れた?ちょっと汗かいちゃってるね。」
そう言って瑠璃の額に汗で張り付いた前髪を手で払ってくれた。その仕草に、思わずどきりとした。と同時に、また、暗い気持ちが立ち込めてくる。男が好き。その気持ちに気づいたのは幼い頃であった。それから誰にもそのことを言えずに胸の中に押し込めていた。普通でないといけないから。でないと認めてもらえないから。
「瑠璃、甘いものは大丈夫?すももジュースがあるから飲まない?」
「すもも?飲んでみたいかも。」
そう答えると湊人はいそいそと家の中へと入り、しばらくすると赤い色の、きれいな飲み物を持って出てくる。
「ソーダで割ったのと、お水で割ったの、どっちがいい?」
「じゃあソーダで。」
グラスを受け取る。氷がからんと音を鳴らし、それだけでも涼しい気持ちになった。深紅の色をした飲み物を一口飲む。甘さはしっかりあるが、酸味が強めで、さっぱりとしてる。後味はスースーとしていてすっきりしている。ミントだろうか?
「……すももの香りがして、ミントかな?後味がすっきりとしててすごくおいしい。」
ゴクゴクゴク、と思わず飲み干すと嬉しそうに湊は笑った。
「ほんと?これ俺が作ったんだよ。なかなか美味しくできたと思ったからそう言ってもらえてすごくうれしいな。」
こっちもどうぞ、と水割の方のグラスも渡してくれる。
「すごい、ジュースって自分で作れるんだ……!」
「ふふ、わかる、俺もそれ思った。母さんが結構いろんなの作るのが好きな人だったからね。俺もいっつも『それって自分で作れるんだ!』って言ってたよ。」
基本的に買ったことしかなく、ましてや自分で料理などしたことのなかった瑠璃は心の底から驚いた。と、同時にうらやましく思った。母親とのそういう思い出は、瑠璃にはない。母親は小さい頃、瑠璃を置いて出て行ってしまったきり帰っては来なかったから。
「今度一緒に作ろう。ジュースだけじゃなく、いろいろ一緒に作らない?瑠璃が嫌じゃなかったらだけど、いろいろ一緒にやってくれたらうれしいなって思うんだけど……。」
ダメかな?と聞かれ、瑠璃はぶんぶんと首を横に振って答えた。
「ううん、ダメじゃない。むしろ……やってみたい。」
自分からやってみたいと思うのは久しぶりかもしれない……と自分の口から出た言葉に驚いた。
「ほんとに?嬉しい、絶対楽しいよ。」
この人は結構、素直に感情を言葉に表すタイプなのかもしれないと思うとどこかほっとした気持ちになった。
とげとげしていたり、心をナイフで切られたりするような感覚が、この人には感じない。
目の前に広がる海のように、広々としているその声さえも心地いい。
「俺、ここでのんびり暮らしてるからさ、瑠璃も一緒にのんびり暮らそう。」
すももジュースの甘さがじんわりと沁みて、酸っぱさに少し、泣きそうになった。
☆★☆★
『湊人くんの特製すももジュース』
材料:
□すもも(適量)
□砂糖(すももと同量のグラム、お好みで)
□水(すももの分量の二倍)
□ミント(適量)
作り方:
①すももを皮ごと細かく刻んで煮込む。20分ほど煮込んだら一度実を取り出して、汁のみ濾す。
②残った汁に砂糖を加えて、砂糖が溶ければOK!
③容器に移し、冷やす。冷えたらミントを三枚ほど加える。ミントは熱すると色が悪くなるので後入れで!
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