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幕間 勇者ドーハート 1
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昔から、オレは運に見放されている。
五歳のころ、魔族との小競り合いに巻き込まれて両親が死んだ。故郷の村には親類もなく、他の誰も自分のことで手一杯でオレを引き取りたがらなかったので神殿の孤児院に行くことになったが、そこはすでにオレのような親を喪った子どもたちでてんこ盛りで、日々の食料にも事欠くありさまだった。
食事の時間、黙って座っていたらいつまでもオレの番なんてこない。待ってるだけでは誰もオレの皿に暖かいスープをよそってなんてくれない。
すぐそのことに気づいたオレの関心は必然、どうすれば腹を空かせないですむか、ということに寄せられていった。
だが、オレの勇者としての才能、つまり暴力がすべてを解決した。
むかつく奴は殴り倒す。歯向かってきた奴も殴り倒す。そうやってオレは、孤児院に入って三か月もしないうちに子どもたちのボスの座に収まった。
粗末なメシも、時々気まぐれのように与えられるおもちゃも、拳ひとつ振りかざせば子どもたちは全員全部オレに差し出すようになった。殴ればだれでもおとなしく言うことを聞く環境は居心地がよく、オレはしばらくの間全能感を大いに満喫することができた。
だが、ひとつ気に喰わないことがある。
神官たちの態度だ。
オレに目をつけられることを恐れて、いたずらをする子どもも、隠れてイジメをする子どももいなくなった。子どもたちのオレへの恐怖は、神官の手が届かない隅々にまで「ドーハートに逆らってはならない」という秩序をもたらしたのだ。
神官たちはそれを利用するだけ利用して子どもたちを効率よく管理しているくせに、オレに見返りを与えない。それどころか、オレだけを悪者にすることで子どもたちの支持を獲得し、オレと神官の対立構造を作り上げていったのだ。
こうなると面白くない。子どもたちはオレを遠巻きに見てヒソヒソ話を繰り返し、オレが近づくとすぐに神官を呼んでくる。神官は面倒くさいという顔を隠しもせず「弱い者をいじめてはいけない」というだけのご高説を聖典を引用することで何時間も長引かせ、オレがそれに足止めを喰らっているうちに他の子どもたちがオレのものだったはずの食料を根こそぎ奪っていく。
そんなことが繰り返されるうちに、オレは悟った。
いくら子どもたちのボスになってお山の頂点を気取っても、なんだかんだ言って孤児院での暮らしを支配するのは結局は神官たちだ。居心地がよかった孤児院では、だんだん尻の座りが悪い場所になっていった。
神官の連中がオレの有用性に気づき、能力を評価していればこんなことにはならなかったのに。バカばかりでうんざりだ。そんな奴しかいなかったのだから、まったくオレも運がない。
そういうわけだから神殿暮らしに辟易していたころ、突然聖女が孤児院を訪ねてきた。
白っぽい髪と熟れたザクロみたいな赤い瞳。二重のぱっちりした瞳も、りんごみたいに赤い唇も、かわいいと思って近づいたのが運のつきだ。非難しない、ものおじしない、卑屈にご機嫌を窺おうとすることもない目でオレを見るそいつに少しだけ興味を持って、オレは自分から話しかけた。
「おい、おまえ。名前はなんていうんだ?」
孤児院にいる小さな子どもたちからすぐに懐かれて、埋もれるように子どもに囲まれたそいつの肩を乱暴に引っ張って、目を合わせた。するとそいつはびっくりした顔をして振り向いて、
そしていきなり、オレの顔を覗き込んで手を握り締めてきた。
「あなたは、もしかして……!」
燃えるような熱がこもった、宝石みたいな赤い瞳に見つめられてどきどきしたなんて認めたくなかったオレは、「なんだよ、離せよ!」と言って抵抗した。
「す、すみません、失礼でしたね。わたしはリディ・エイジー・カラヤドネ・ジャミス。あなたの名前を教えてくださいますか?」
オレとそう年が変わらなく見えるのに、言葉の端々には教養があり、仕草は洗練されている。まるで神殿の大人みたいな分別を持って、リディはオレに向き合った。
こいつと話していると、嫌でも自分との格の違いみたいなものを感じざるを得ない。
だけどそれは、運がないからだ。教育を受けていないからだ。孤児院なんかで、暮らしているからだ。
なぜかオレに関心を示してついてくるリディにそうやって孤児院のグチを語って聞かせると、「わたしなら、あなたをここから連れ出せるかもしれません」と言い出した。
「は? どういうこと?」
「わたしは、生涯でただ一人だけ伴侶を選ぶことができるんです。あなたに、勇者としての運命を背負う覚悟があるならば、わたしはあなたを伴侶に選んで、ここから連れ出してあげることができます。
ただし、一つだけ。聖女が選んだ伴侶は主神によって加護を与えられ、勇者になります。勇者になれば、同時に魔族と戦う定めを受け容れなくてはなりません。……それでも、わたしの伴侶になってくれますか?」
オレは昔から運がなかった。だけど運が向いてきたのかもしれない、と思った。
だって、いきなり現れた美少女がオレに向かって「勇者になってください」なんて言うんだ。そんじょそこらに溢れている子供だましの物語みたいに都合がいい。
「聖女の祈りは、勇者さまへの愛で力を増していくんです。勇者となり、わたしと絆を育み、一緒に魔族と戦ってくださいますか?」
孤児院から出られるなら、あとはもうどうだってよかった。
だからオレは、一も二もなく同意した。
それを見たリディは、オレの手を引いて御付きの神官たちに「勇者さまを見つけました!」と宣言したのだ。
聖女の言葉を聞いた神官たちが、目の色を変えたのがわかった。
リディは神官たちの目の前で、オレに跪いて見せた。
「聖女として神託を受けてから、ずっとお探ししていました、勇者さま。けれどまさか、ここで出会えるだなんて思いもしていませんでした!」
そう言って感極まったように瞳を潤ませながら、にっこり笑った顔を今でも覚えている。
勇者の伝説は、神官から何回も聞かされていた。聖女が勇者を選び、勇者は聖女の祈りで力を得て魔王を倒すために戦う。神話の時代からずっと受け継がれてきた、この世界の理だ。
勇者は魔王を倒し、魔族を滅ぼすための人類の希望。オレがその勇者だと言われて、気分が悪くなるわけがない。
それからはあれよあれよという間に話が進み、オレが正式に勇者として叙任されたのが今から大体十年前だろうか。
まったく、自分の浅はかさを今となっては呪いたいね。
まさか勇者が、こんなに面倒だとは思わなかった。
「勇者様、この世界をお救いください!」と神官たちが手のひらを返したようにオレを崇め奉るのは見ていて気分がよかったが、その後のクソくだらない修業とやらからは何度逃げ出そうとしたかしれない。オレはただ、孤児院を出たかっただけだ。なりたくもない勇者になって、やりたくもない修業をするだなんて馬鹿げている。
それなのに何度逃げ出しても、その度リディに捕まった。「勇者さまの居場所は、聖女であるわたしにはわかります。どこにいても、魂の繋がりがありますから」とか意味が分からない。四六時中監視が付いているようなものじゃないか。だとしたらオレのクソした時間まで、リディには全部筒抜けなんだ。そんなの知ってどうするんだ、変態かよ。
かわいいと思って近づいた聖女は、とんだメンヘラだったというわけだ。
いやいややっていた勇者の修業を経て実戦に駆り出されたオレは、しかし瞬く間に強くなった。竜種で編成された軍隊に一騎で立ち向かえと言われたときは「正気か?」と思ったが、やってみればあっさりと勝ち残った。あっけないほど、たやすくドラゴンは死んでいった。
これはオレの力。これが勇者の才能だ。
ドラゴンの返り血を浴びながら、オレはその時ようやく、自分がどれほど強いかを実感したのだ。
無傷で帰ってきたオレを、王や将軍たちは喜んで迎えた。口々に、こんなに強い勇者は前例がない、という。神殿のお偉方も驚くほど強くなったらしい。オレがいれば、神殿に優位に立てる。そう言って続々と、競うようにオレに褒美を与えていった。
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食事の時間、黙って座っていたらいつまでもオレの番なんてこない。待ってるだけでは誰もオレの皿に暖かいスープをよそってなんてくれない。
すぐそのことに気づいたオレの関心は必然、どうすれば腹を空かせないですむか、ということに寄せられていった。
だが、オレの勇者としての才能、つまり暴力がすべてを解決した。
むかつく奴は殴り倒す。歯向かってきた奴も殴り倒す。そうやってオレは、孤児院に入って三か月もしないうちに子どもたちのボスの座に収まった。
粗末なメシも、時々気まぐれのように与えられるおもちゃも、拳ひとつ振りかざせば子どもたちは全員全部オレに差し出すようになった。殴ればだれでもおとなしく言うことを聞く環境は居心地がよく、オレはしばらくの間全能感を大いに満喫することができた。
だが、ひとつ気に喰わないことがある。
神官たちの態度だ。
オレに目をつけられることを恐れて、いたずらをする子どもも、隠れてイジメをする子どももいなくなった。子どもたちのオレへの恐怖は、神官の手が届かない隅々にまで「ドーハートに逆らってはならない」という秩序をもたらしたのだ。
神官たちはそれを利用するだけ利用して子どもたちを効率よく管理しているくせに、オレに見返りを与えない。それどころか、オレだけを悪者にすることで子どもたちの支持を獲得し、オレと神官の対立構造を作り上げていったのだ。
こうなると面白くない。子どもたちはオレを遠巻きに見てヒソヒソ話を繰り返し、オレが近づくとすぐに神官を呼んでくる。神官は面倒くさいという顔を隠しもせず「弱い者をいじめてはいけない」というだけのご高説を聖典を引用することで何時間も長引かせ、オレがそれに足止めを喰らっているうちに他の子どもたちがオレのものだったはずの食料を根こそぎ奪っていく。
そんなことが繰り返されるうちに、オレは悟った。
いくら子どもたちのボスになってお山の頂点を気取っても、なんだかんだ言って孤児院での暮らしを支配するのは結局は神官たちだ。居心地がよかった孤児院では、だんだん尻の座りが悪い場所になっていった。
神官の連中がオレの有用性に気づき、能力を評価していればこんなことにはならなかったのに。バカばかりでうんざりだ。そんな奴しかいなかったのだから、まったくオレも運がない。
そういうわけだから神殿暮らしに辟易していたころ、突然聖女が孤児院を訪ねてきた。
白っぽい髪と熟れたザクロみたいな赤い瞳。二重のぱっちりした瞳も、りんごみたいに赤い唇も、かわいいと思って近づいたのが運のつきだ。非難しない、ものおじしない、卑屈にご機嫌を窺おうとすることもない目でオレを見るそいつに少しだけ興味を持って、オレは自分から話しかけた。
「おい、おまえ。名前はなんていうんだ?」
孤児院にいる小さな子どもたちからすぐに懐かれて、埋もれるように子どもに囲まれたそいつの肩を乱暴に引っ張って、目を合わせた。するとそいつはびっくりした顔をして振り向いて、
そしていきなり、オレの顔を覗き込んで手を握り締めてきた。
「あなたは、もしかして……!」
燃えるような熱がこもった、宝石みたいな赤い瞳に見つめられてどきどきしたなんて認めたくなかったオレは、「なんだよ、離せよ!」と言って抵抗した。
「す、すみません、失礼でしたね。わたしはリディ・エイジー・カラヤドネ・ジャミス。あなたの名前を教えてくださいますか?」
オレとそう年が変わらなく見えるのに、言葉の端々には教養があり、仕草は洗練されている。まるで神殿の大人みたいな分別を持って、リディはオレに向き合った。
こいつと話していると、嫌でも自分との格の違いみたいなものを感じざるを得ない。
だけどそれは、運がないからだ。教育を受けていないからだ。孤児院なんかで、暮らしているからだ。
なぜかオレに関心を示してついてくるリディにそうやって孤児院のグチを語って聞かせると、「わたしなら、あなたをここから連れ出せるかもしれません」と言い出した。
「は? どういうこと?」
「わたしは、生涯でただ一人だけ伴侶を選ぶことができるんです。あなたに、勇者としての運命を背負う覚悟があるならば、わたしはあなたを伴侶に選んで、ここから連れ出してあげることができます。
ただし、一つだけ。聖女が選んだ伴侶は主神によって加護を与えられ、勇者になります。勇者になれば、同時に魔族と戦う定めを受け容れなくてはなりません。……それでも、わたしの伴侶になってくれますか?」
オレは昔から運がなかった。だけど運が向いてきたのかもしれない、と思った。
だって、いきなり現れた美少女がオレに向かって「勇者になってください」なんて言うんだ。そんじょそこらに溢れている子供だましの物語みたいに都合がいい。
「聖女の祈りは、勇者さまへの愛で力を増していくんです。勇者となり、わたしと絆を育み、一緒に魔族と戦ってくださいますか?」
孤児院から出られるなら、あとはもうどうだってよかった。
だからオレは、一も二もなく同意した。
それを見たリディは、オレの手を引いて御付きの神官たちに「勇者さまを見つけました!」と宣言したのだ。
聖女の言葉を聞いた神官たちが、目の色を変えたのがわかった。
リディは神官たちの目の前で、オレに跪いて見せた。
「聖女として神託を受けてから、ずっとお探ししていました、勇者さま。けれどまさか、ここで出会えるだなんて思いもしていませんでした!」
そう言って感極まったように瞳を潤ませながら、にっこり笑った顔を今でも覚えている。
勇者の伝説は、神官から何回も聞かされていた。聖女が勇者を選び、勇者は聖女の祈りで力を得て魔王を倒すために戦う。神話の時代からずっと受け継がれてきた、この世界の理だ。
勇者は魔王を倒し、魔族を滅ぼすための人類の希望。オレがその勇者だと言われて、気分が悪くなるわけがない。
それからはあれよあれよという間に話が進み、オレが正式に勇者として叙任されたのが今から大体十年前だろうか。
まったく、自分の浅はかさを今となっては呪いたいね。
まさか勇者が、こんなに面倒だとは思わなかった。
「勇者様、この世界をお救いください!」と神官たちが手のひらを返したようにオレを崇め奉るのは見ていて気分がよかったが、その後のクソくだらない修業とやらからは何度逃げ出そうとしたかしれない。オレはただ、孤児院を出たかっただけだ。なりたくもない勇者になって、やりたくもない修業をするだなんて馬鹿げている。
それなのに何度逃げ出しても、その度リディに捕まった。「勇者さまの居場所は、聖女であるわたしにはわかります。どこにいても、魂の繋がりがありますから」とか意味が分からない。四六時中監視が付いているようなものじゃないか。だとしたらオレのクソした時間まで、リディには全部筒抜けなんだ。そんなの知ってどうするんだ、変態かよ。
かわいいと思って近づいた聖女は、とんだメンヘラだったというわけだ。
いやいややっていた勇者の修業を経て実戦に駆り出されたオレは、しかし瞬く間に強くなった。竜種で編成された軍隊に一騎で立ち向かえと言われたときは「正気か?」と思ったが、やってみればあっさりと勝ち残った。あっけないほど、たやすくドラゴンは死んでいった。
これはオレの力。これが勇者の才能だ。
ドラゴンの返り血を浴びながら、オレはその時ようやく、自分がどれほど強いかを実感したのだ。
無傷で帰ってきたオレを、王や将軍たちは喜んで迎えた。口々に、こんなに強い勇者は前例がない、という。神殿のお偉方も驚くほど強くなったらしい。オレがいれば、神殿に優位に立てる。そう言って続々と、競うようにオレに褒美を与えていった。
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