FATHER TIME

未田不可眠

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 某県某市郊外。
 優雅で酔狂な都市の営みを背に、暗い影がその土地を覆っている。
 人々は都心から少し離れるだけで、その寂しさと危うさに気づくことができるだろう。
 漁港から見渡せる海は都市から漏れ出す光をわずかに反射して、その深さを隠している。
 光あるところに影ありとは、本当によく言ったものだ。
 港に建てられたいくつもの巨大な倉庫の一つ。
 複雑に発展した某市は闇に生きる人間にとって潜むのに最適な場所だ。
 特に買収した倉庫ほど安全なものはない。
 例に漏れずこの辺りで活動するチャイニーズマフィアもヤクザ相手に巨大倉庫で取引を行っていた。
 大きく広い天井に男たちの静かな声がわずかに反響している。
 商売道具はもちろん合法な訳がなく、とりわけこの組織が扱うブツは業界でも一際危険だと評されていた。
 そのブツは麻薬だ。
 特別製のそれは一般に流通している薬の5倍の効能を持っており、それ故少量でも高い値が付く。
 某市近辺で活動する者は皆、これを欲しがった。
 そしてその事実を許さない者もいる。
 幽田真登美ゆうた まとびはそういった人間の依頼を受けて倉庫を訪れた。
 巨大な金属製の扉を前に耳を澄ませる。
 中から確かに取引をする声が聞こえてきた。
 間違いない。
 ここが目的地だ。
 全身を動きやすい黒い服装で固めているが、得物は何も持っていない。
 隠し持ってすらおらず、あるのは手にした防弾マスクだけだった。
 顔を隠すため、確かにそれも一つの目的として装着するが、彼に至ってはこれが立派な戦闘武装であった。
 フードを外し、マスクのベルトを後頭部に引っ掛けた。
 衣擦れと金具の音を立てながら、硬質な面が真登美の顔を覆う。
 しっかりと、完全に顔が隠れるように調整する。
 やがて手を放した。
 次の瞬間、真登美の身体から青白い炎のような何かが立ち上がった。
 真登美が「霊気」と呼ぶそれは服を貫通せず、首より上が燃えているかのように見える。
 服の隙間、手袋の付け根からもわずかに霊気が立っている。
 真登美は再びフードを被った。
 マスクで隠れた顔の周囲から青がたなびく。
 皮の手袋を嵌めた両手を重いドアに当てた。
 走り出すかのような姿勢をとり、指先に気を集中する。
 息を吐いた。
 そしてまた、吸った。
 気を放つように指先に力を込めた。
 
 突然の来訪者に男たちも唖然としている。
 ただ一人状況を理解している真登美が行動を開始した。
 クラウチングのような姿勢から立ち上がると同時に、左手には鎖で繋がれた水時計が現れた。
 来訪者が敵であるとようやく気付いた男たちが懐から拳銃を取り出そうとする。
 水時計が光った。
 真登美が左手を振るう。
 すると地面から錆付いた鎖が何本も現れた。
 鎖は男たちの腕の節を的確に貫き、動きを封じる。
 次いで真登美が右手を男たちに向けて構えた。
 何かを握るようにする手を右に薙ぐ。
 途端赤黒い鎌の刃が瞬間的に現れ男たちの胸を撫でた。
 男たちは肉を断たれ、傷から血を無尽蔵に垂らす。
 鎖の拘束は解かれたが二度と動くことはなかった。
 血だまりが倉庫の中心を濡らした。
 真登美は麻薬に水時計を当てた。
 水時計の光は麻薬を入れたブリーチケースに移り、ケースもろとも「消滅」させた。
 後には塵芥すら残らない。
 依頼は遂行された。
 肩を回してマスクを脱ぐ。
 突然倉庫の奥で音がした。
 真登美が素早く音のした方向を見る。
 「ヒィっ!!」
 哀れな叫びを上げながら黒づくめの男が腰を抜かしていた。
 
 真登美は男に向かって言った。
 「?」
 男は頭のすぐ後ろからキリキリと金属音が鳴っていることに気づいた。
 冷たい、細い何かが首に触れていることにも。
 恐怖でまた情けない叫び声をあげた。
 不自由な身体で真登美に背を向け逃げ出そうとする。
 その瞬間男の首が断ち切られた。
 血を噴き出しながら死体が膝から崩れ落ちる。
 血煙の中から、赤黒い鎌が現れた。
 真登美の意図して出していないその鎌は、勝手に現れ、勝手に殺した。
 これが彼に与えられた「呪い」だった。

 血だまりの倉庫を後にして、真登美は帰路に就きながら依頼主に電話を掛けた。
 某市近辺、いや、さらに広い範囲を統べるマフィアの幹部だ。
 端的に言うと商売相手を潰してほしいという依頼を、ここ最近同じ相手から何度も受けている。
 リピーターは大歓迎だ。
 もう相当に遅い時間だがさすがは闇の住人と言ったところか、3コールで電話に出た。
 「終わったか。」
 開口一番にこれだ。
 「ええ。あの場にいた人間は全員仕留めました。」
 「素晴らしい。事後処理担当をそちらに向かわせよう。金はいつも通りでいいか。」
 「もちろんです。明日の昼にでも。」
 「構わん。部下を一人向かわせる。」
 「ありがとうございます。」
 「特徴は追って連絡する。ご苦労だった。」
 電話が切れた。
 いつもぶっきらぼうな話し方をしていて少し怖い。
 まあ裏社会に踏み入っておいて今更怖いも何もないが、ちゃんとしていればそうそう殺されることもないだろう。
 電話の為に遅く回していた足を速く動かし始めた。
 今日は急いで帰らないといけない。
 何故って。
 息子の遠足があるからだ。

 だいたい4時頃に家に着いた。
 某市郊外の港から離れた場所にある、2階建ての小さな安いアパートだ。
 壁はそれほど薄くはないが、狭い。
 102号室のドアを開けた。
 こういったタイプのマンションに見かける郵便受けの付いた重たいドアだ。
 音を立てないよう努めてドアを閉じた。
 靴を脱ぎ、マスクを戸棚の奥底へと隠す
 ドアを抜けてまっすぐ4歩でリビング兼寝室。
 左に洗面所兼浴室、それにトイレ。
 左に曲がって手を洗った。
 これから料理をするのだから、しっかり丁寧に。
 そしてリビングに向かった。
 正確にはリビングに併設された台所に向かった。
 ゆっくり、足を音を立てないように心がけると、静かな寝息が聞こえてきた。
 視線を横に向けると、毛布にくるまりながら近く10歳になるナオが寝ている。
 その様子を見て真登美は安心した。
 ナオに背を向ける形で台所に立った。
 早速遠足の為のお弁当を作ろう。
 中身は究極にスタンダードな、卵焼き、から揚げ、etc.
 冷蔵庫から昨日の夜に漬け込んでおいた鶏むね肉を取り出した。
 醤油ベースの、生姜の香りが良く効いているタレの色が肉にしみ込んでいる。
 油を温めている間に盛り付けの隙間に入れておくものを作ることにした。
 と言ってもやることはブロッコリーを電子レンジで蒸し、赤ウィンナーを炒めることくらいだが。
 米は夕飯の時に多めに炊いておいたから準備の必要はない。
 盛り合わせの準備をしているうちに10分経った。
 油に挿した温度計を見ると180度まで上がっている。
 ボウルに出した小麦粉にタレ漬けの鶏肉を付けて高温の海に落とした。
 肉は拍手のような大きな音を立てて油の中を上下している。
 真登美は後ろにいるナオを見た。
 起きてないかと心配したが、まだ寝ている。
 何個か肉を投入し、あふれる泡が少なくなるのを待つ。
 から揚げは中心が生の状態で取り出して、あとは余熱で火を通すとよりジューシーに仕上がると聞く。
 しかしその「中が生の状態」を外部から判断する要素がない。
 (時間があるときに試すか。)
 肉からあふれる泡も減り、きつね色のから揚げが油面に浮いてきた。
 箸でそれらを拾い上げて油を落とすトレイに乗せる。
 試しに一つを切ってみた。
 さらさらと肉汁が零れだし、鶏肉の柔らかさがその白さと光沢で伝わってくる。
 ついでに食べてみたが、醤油のコクや風味の中に生姜の香りがちゃんと存在感を放ってくれている。
 これは成功と言っていい出来だ。
 ただ流石に30代も折り返しとなると、朝は揚げ物1つだけでもつらい。
 それはさておき、残りの肉も全て揚げ終えたので、次は卵焼きだ
 ナオは相当甘い卵が好きなので、これの為にわざわざグラニュー糖を買ってきた。
 卵を2個溶き、そこにグラニュー糖を大匙2杯入れた。
 さすがに甘すぎだろうか。
 溶き卵を油を敷いた四角いフライパンに流し込んだ。
 ある程度固まったら、少しずつひっくり返して形を整えていく。
 これも何度も作ったものだからあっさりできた。
 後は盛り付けて、と言ったところで真登美の後方から幼いうめき声がした。
 ナオが起きた。
 「まだ5時だ。寝てていいよ。」
 「んん・・・? うん。」
 と曖昧な返事が返ってくる。
 だがナオは寝床から這い出て立ち上がり、洗面台へ向かっていった。
 彼はいつもこの時間に起きる。
 その時真登美は大抵起きていて、まだ寝てていいと何度も言うのだが、彼は二度寝もすることなく朝の用意を始める。
 最早注意も含めて二人の朝のルーティンとなっていた。
 弁当の盛り付けが終わった。
 弁当箱の半分を埋める白米に、きれいに詰められたおかずたち。
 後は蓋を開けたまま、湯気が立たない程度に冷ますだけだ。
 冷蔵庫に入れるのは味を保つのにいけない。
 ナオが家を出るギリギリまで弁当は置いておいて、次に朝食の準備を始めた。
 米がまだ残っているので、それに明太子で十分だ。
 洗面台から戻って着替えを始めているナオに「味噌汁いるか。」と聞くと、上だけ着替えた姿で「いらない。」と帰ってきた。
 成長期の食べ盛りのはずだが、ナオは真登美の思った以上に食べることはない。
 真登美がそれを責める理由もないので特に何か言っているわけではないが、心配はしていた。
 小食の理由もだいたい予測がついているから、ということもある。。
 お椀に米を盛って、小皿の明太子と一緒に食卓へもっていった。
 炬燵の毛布を取り除いただけのものだが、毛布は当分帰ってこないだろう。
 今年の夏はまだまだ暑い。
 遠足というのはナオの学校で開かれ行楽遠足のことだ。
 つまるところ課外授業で、次の参観日でその時の思い出を発表するらしい。
 だがナオはそう楽しみでもない様子だった。
 配膳が終わった頃、ナオも着替えを終えていた。
 座って、食前の挨拶を終えてから椀を左手に米を一口食べた。
 いつものことながら小さな一口だ。
 真登美も明太子の小粒な卵を米に絡めて口に入れた。
 狭い部屋に箸と椀がこすれる音が小さく響いている。
 いつものことだ。
 二人とも食べ終え、食器はシンクの中に入れた。
 「歯あ磨けよ。」
 「うん。」
 その間真登美は食器を洗うことにした。
 今日に関しては油の処理もしなければならない。
 朝から大変面倒くさい。
 だが何度も使い回してきたものだから、さすがに今回で替えないと身体に悪い。
 料理の過程でこれほど面倒くさいものがあるだろうかと考えながら、市販に売られている薬品で油を固めていた。
 洗面所からナオが戻ってきた。
 「まとびさん。お弁当は。」
 「まだ冷ましてる。ちょっと待ってて。」
 「わかった。」
 ナオは持ち物の再確認をするようだ。
 昨日の内から用意はしていたが、持ち物の書かれたプリントを照らしながらまた確認している。
 彼は心配性だった。
 おおよそ後片付けも終わって、真登美も歯を磨いた。
 口を濯いでリビングに戻ると、ナオはテレビをつけて朝の情報番組を流していた。
 今日の報道項目は交通事故や芸能スキャンダルと、真登美が関わった事件はない。
 例のマフィア幹部の依頼を受けてから一度もだ。
 それ以前は、薬物売買に関与していた芸能界の大御所を殺した時や、多額の賄賂で経済の一角を滞らせていた政治家を殺した時はさすがに報道された。
 やはりマフィアは素晴らしい処理能力を持っている、と真登美は感心していた。
 だが絶対にそれを声に出すような真似はしなかった。
 そうしているうちに時間は過ぎていった。
 ナオの登校時間だ。
 真登美は弁当箱に蓋をして保冷剤を入れた保冷バックに詰めた。
 小さな手提げバックを、既に靴を履いたナオに渡す。
 「ありがとう、まとびさん。」
 「ああ。行ってらっしゃい。」
 「いっています。」
 パーカーのフードを揺らしながら、ナオは玄関を出ていった。
 その姿を見てしばらくしてから、閉まったマスクを取り出してリビングに戻った。
 廊下を抜けて、ソファに倒れこむ。
 眠気はないが、朝から料理は疲れる。
 ソファの上で仰向けになりながら、マスクを顔に乗せた。
 瞬く間に皮膚から青白い霊気が立つ。
 マスクを外した。
 霊気に覆われた身体が露わになる。
 真登美はマスクを炬燵の上に置いて、ナオののことを思い出していた。
 それはつまり、真登美の友人を思い出すことを意味する。
 
 ナオの父、三又みまたとの最後の記憶は、父子の住む小さな一軒家の書斎にあった。
 三又の妻は出産と引き換えに命を落としており、三又に残されていたのは、妻との夢が詰まった一軒家と小さな息子だけだった。
 しかしその夢に満ちていたはずの部屋の中は乱れ、窓ガラスも割れていたが、荒れた部屋に横たわる寝間着姿の男は静かだった。
 体中から血を流して寝間着を濡らす男の横に、防弾マスクを装着した青白い悪魔が立っている。
 弱弱しく息を吐く男が、悪魔に向かって言った。
 「なぁ。お前、いつから、その仕事をやってんだ。」
 悪魔が答えた。
 「・・・さあ。忘れた。」
 「マスク、取ってくれよ。」
 悪魔は少しの逡巡の後、後頭部の金具を弄った。
 マスクを空いている手で押さえて、緩んだベルトを頭から外す。
 それと同時に沸き立つ霊気は霧散して、真登美の顔が現れた。
 「まさか、お前が、あの、『ファーザータイム』だとは、思わなかったよ。」
 「・・・もう喋るのはよせ。」
 「はっ・・・お前が、言うんじゃねえよ・・・。」
 血は未だに流れ続けている。
 本来ならば即死させるように攻撃を加えるはずだった。
 真登美のミスだった。
 殺害対象が腐れ縁の親友だと気づいた時、真登美の身体の全てが攻撃の手を止めてしまった。
 それが傷の位置をずらしてしまった。
 だから今、真登美の足元には苦しむ友人の寝姿が転がっている。
 この前まで一緒に酒を飲んでいた親友の変わり果てた姿が。
 第一、依頼を受けた時に気づいていたはずだった。
 麻薬密輸に手を貸している警察官を殺せと言われ、顔写真以外のたいていの情報も貰っていた。
 なのに、気づかなかった。
 かつての親友を、殺めてしまった。
 真登美が言った。
 「教えてくれ。警察が先だったのか、それとも、組織が先だったのか。」
 三又は黙った。
 呼吸も忍ばせているかのようだった。
 黙って、静かで弱弱しい咳をして、小規模な血しぶきを吹いてから、ようやく言葉を紡いだ。
 「警察は、昔からの夢だった。」
 「じゃあなんで。」
 「金が、必要、だった。」
 三又がまた咳をした。
 傷からも血が噴く。
 「だから、やった。」
 真登美は口を閉じた。
 そしてこれ以上開けたくなかった。
 だが、まだ聞いておきたいこともあった。
 こんなことをするためだけに彼を苦しませたわけではないのに。
 「子供はどうするんだ。」
 「それは、問題ない。」
 そう言い切ると三又は重たい腕を持ち上げて、曲がらなくなった指で倒れた棚を差した。
 「その、中の、本に、手紙が挟まってる。」
 真登美が棚に近づくと、黄ばんだ茶封筒が目に入った。
 本と本の隙間に挟まれていたそれを拾い上げ、三又に渡した。
 「これは、俺の遺書だ。お前の名前が書いてある。」
 「・・・おい、それってどういうことだ。」
 「俺には、家族の当てが、ねぇからよう。そもそも、家族いねぇし。だから、もしものことがあったら、お前に、全部、任せるつもりで、いたんだ。」
 いつしか、酒の席で同じ言葉を聞いたことがあったと、真登美は思い出していた。
 あの時は珍しく三又が酔っていて、子供の将来が不安だと泣きながら話していた。
 なにかあったらお前に任せる、と。
 その言葉だった。
 まさか本当にそうするとは、真登美も思わなかった。
 「なんで俺なんだ。」
 「お前じゃなきゃ。お前は、お前が思ってるよりもずっと、信頼されてんだ。」
 金属音が三又の首元で鳴った。
 鎌の刃が生成され、三又の首に押し当てられていく。
 「そうか、これが、お前の・・・。」
 「三又・・・・・・。」
 「ナオ、息子のことな、ナオに関する、手続きは、思ってるよりも簡単に、済むと、思う。だから、ナオのこと、頼んだぜ。」
 「・・・無責任な野郎がよ。」
 「昔、からだろ。」
 「・・・クソが。」
 真登美は再びマスクを装着した。
 肉体から霊気が昇る。
 倒れる三又に背を向けた。
 狭い背中に向けて、三又が言葉を投げかけた。
 「じゃあな。あとは、頼んだ。」
 「・・・じゃあな。」
 真登美は書斎を後にした。
 リビングを経由して玄関に向かう。
 途中なにか物音が立ったが、真登美は気にせず家を後にした。

 手続きが済んだあと、遺書は焼いて捨てた。
 そうしろと書いてあったからだ。
 全ての事務的処理が済んでから、当時4歳のナオは真登美の息子となった。
 まだ寝小便もするよう歳のはずなのに、妙に落ち着いた子供だった。
 口数も少なく、一人でいること方が好きなようで、真登美はわずかながら恐怖を覚えたことを記憶している。
 そして、今まで一度も、自分の父親について聞くことはなかった。
 それが真登美には、哀しいことに思えた。
 だからだろうか、その感情が真登美に親として努めようと決心させた。
 今もその思いは変わらない。
 ナオの口数の少なさは変わることはなく、真登美も無口な方なので、そのせいか周りからは仲の良い父子には見えないようだ。
 真登美は、それが不満だった。

 待ち合わせの時間まで一寝入りすることにした。
 真夜中に活動する生活はもうそろそろ十年になり、おかげで疲れとかそういったものを感じにくくなっているが、年を取ったからだがそうもいかないようで、少しは寝ないと体がもたない。
 そうして眠るうちに時間は過ぎて、起きた頃には家を出るのにちょうどいい時間になっていた。
 マスクと財布をバックパックに入れて、携帯を尻ポケットに突っ込んだ。
 戸締りを確認してアパートの重い扉から出ていった。
 だいたいそのタイミングで、電話が鳴った。
 真登美はポケットから振動する携帯を取り出し、画面に表示された緑のボタンを3コール以内に押した。
 「はい。」
 「担当の特徴を伝える。」
 例の依頼主だ。
 「オレンジのウィンドブレーカー、前を開けて着ている。中に白いTシャツを着ている。カーキのズボンに黒いスニーカー。合言葉は『昨日は大変でしたね』だ。後は担当に任せてある。」
 「ありがとうございます。」
 「では今後も頼んだ。」
 ブツリと音がして通話が切れた。
 現代に溶け込むためとはいえ、そんなカジュアルな格好でもいいのかと真登美は疑問に思ったが、まあ自分の気にすることではないか、と歩いて目的地へ向かった。
 向かった先は某市中心街から少し外れたカフェ。
 人通りが少なく、店内の客も少なく、なによりマフィアの息がかかっている。
 噂ではそのカフェのマスターもマフィアの幹部ではないかと言われている。
 つまりマフィア関係者の身を守るのに適しているのだ。
 電車を使えばそう遠くなく、20分程度で到着した。
 ドアに括りつけられたベルを鳴らしながら、真鍮の取っ手を引いて店内に入った。
 狭い店だが、少し暗めの照明がいい雰囲気を出している。
 何気に真登美のお気に入りだ。
 ナオを連れてくることはできないが。
 店内を見回すと、先ほど電話越しに提示された特徴と一致する人物が窓際のボックス席に座っていた。
 それ以外には誰もいない。
 彼の正面に置かれているコーヒーは湯気が立っている。
 真登美が男の正面に座ると、マスターがコーヒーを持ってきてくれた。
 どうも、と会釈だけしたが、このマスターはやはりわかっているようだ。
 それはそうと、真登美は出された熱いコーヒーを一口啜って、男に話しかけた。
 「昨日は大変でしたね。」
 「ええ、あんなにも大勢いるとはおもいもしませんでしたよ。」
 そう返すと男は袋の中から熱い封筒を取り出した。
 向きを整えて、真登美に差し出す。
 「昨日のお礼です。受け取ってください。」
 「ああ、ありがとう。」
 いい重さの封筒を手にして、すぐバックパックに詰めた。
 「それから、ディリセンツァ様から伝言です。」
 ディリセンツァは依頼主の幹部としての呼ばれ方だ。
 なんでも勤勉って意味らしい。
 「『ゴールデンステート・キラー』を知っているか、とのことです。」
 「ゴールデンステート・キラー? それってアメリカのか?」
 「いえ、そう呼称されている殺人鬼のことです。ここ一週間でこちら側の人間が奇妙な死に方をしていると噂になっているんです。あなたのやり方以外で。」
 「なるほど。でそれを俺に殺ってほしいと?」
 「いえ、まだゴールデンステート・キラーが存在しているという確証がないので正式な依頼とはいかないのですが、今後そのような輩と対峙する可能性があるということを覚えていてほしい、とのことで。」
 「わかった。用心しておくよ。」
 「あとそれからもう一つ。」
 「なんだ。」
 「そのゴールデンステート・キラーですが、あなたが昨日殲滅したチャイニーズマフィアに所属している可能性が高い、とのことです。」
 「・・・わかった。情報ありがとう。」
 「いえ、これもすべてディリセンツァ様のお言葉です。」
 「そうか。・・・あんた、名前は。」
 「はい。ウルラと呼ばれています。」
 「ウルラね。覚えておくよ。」
 「ありがとうございます。」
 真登美が席を立った。 
 マスターのいるカウンター席へと向かう。
 「マスター、お会計。」
 「いや、いらんよ。」
 低くしゃがれた声でマスターが唸った。
 「そう? じゃあお言葉に甘えよう。」
 「君は最近私らに協力している子だね。」
 「・・・ええ。」
 「ははは、お仕事お疲れさん。」
 「ああ、・・・どうも。」
 やっぱこのマスター、・・・まあいい。
 真登美はマスターに一瞥した。
 それからベルを鳴らして、店を去っていった。
 ・・・ゴールデンステート・キラー。
 それが呪いを持つ者であれば、真登美との対峙は避けられない。
 呪いを持つ者は呪いを持つ者にしか殺されない。
 しかし呪いによって死ぬことはない。
 それが呪いのルールだ。
 そのことを知る人間は少ないが、少なくとも、ゴールデンステート・キラーは知っているだろう。
 そして、呪いを持つ殺し屋として活動している真登美と接触を試みるだろう。
 真登美は、先ほどウルラに放った言葉以上に警戒していた。

 「首領ドン・ラン。」
 赤い装飾が目立つシックな部屋の中で悪目立ちしている。
 正直言ってセンスの悪い部屋に、巨躯の男とその部下が数名座っていた。
 中央の豪勢な椅子に座る、首領と呼ばれた男に向かって、部下の一人が畏まって報告の文言を唱えていた。
 「ブツの取引は失敗に終わりました。その場にいたものは全員死亡しています。」
 首領は鼻から大きく息を吐いて、苛立ちを示した。
 「襲撃者は誰だ。」
 首領が訊いた。
 「ファーザータイムです。」
 部下の一人が即座に答える。
 「ファーザータイム・・・。サリバン・ファミリーに雇われているそうだな。」
 「その通りで御座います。」
 「ふむ・・・。」
 首領が右手を身体の正面に掲げた。
 首領が神経を集中させると、掌の周りの空間が歪み、震える。
 まるで瞑想に耽っているかのようにめを閉じ、瞼の裏に映し出される映像を読み取っている。
 「ふむ、・・・なるほど・・・ふぅん。・・・フン。」
 やがて右手をひじ掛けに戻すと、さも優しい口調で部下に向かって告げた。
 「奴の処理は私がやろう。君たちはそれの手伝いをしてもらう。わかったな。」
 「かしこまりました。首領。」
 部下が口々に敬礼した。
 首領は続ける。
 「それから、ゴールデンステート・キラーは今どうしている。」
 「例の麻薬組織の幹部暗殺に向かっています。」
 「なるほど。奴にはできる限りファーザータイムに近づけない様にしたまえ。それと野蛮な殺し方も避けるように伝えろ。」
 「かしこまりました。首領。」
 一通り言い終わった首領が椅子の上で伸びをした。
 筋肉と脂肪が190センチメートルの巨体に同時に備わっているせいで、重厚なつくりの椅子が軋んでいる。
 「ああ、それから。」
 首領が姿勢を戻した。
 部下全員に緊張が走る。
 首領が部下の一人に掌を向けた。
 そして口を開く。
 「今日の『呪い』はお前だ。」
 部下の身体が掌に吸い寄せられた。
 肉体が掌に接触する。
 次の瞬間部下の屈強な身体が首領の体内へと引きずり込まれた。
 叫び声を上げる部下の身体が首領の右腕と融合する。
 やがて部下の全てが首領の右腕に取りこまれた。
 その際の腕の膨張は、踏まれたホースの水が足から解放されるように体内へと流れていく。
 首領の肉体は、また正常になった。
 「では、解散。」
 「ありがとうございました!」
 部下が退出していった。
 その様子を、首領は椅子に深く座り込んで眺めていた。
 全員が退出し終わったところで、右腕を天井に掲げ、眺めた。
 (ふん、今見ても不思議なものだ。)
 部下を取り込んでから、身体中を血が高速で巡っているのが判る。
 実に気分が良い。
 さて、どう奴に報復してやろうか。
 今一度、奴の周りを見てやろう。
 首領はまた、右手を正面に掲げた。
 掌の周りの空間が歪み、瞼の裏に町の様子が映る。
 これが彼の呪い。
 首領に与えられた呪いだった。
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異世界転生した最強の金持ち嫡男、 専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活   現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。   しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。   彼は大陸一の富を誇る名門貴族―― ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。   カイルに与えられたのは ・世界一とも言える圧倒的な財力 ・財力に比例して増大する規格外の魔力   そして何より彼を驚かせたのは――   彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。   献身的なエルフのメイド長リリア。 護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。   さらに個性豊かな巨乳メイドたち。   カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。   すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――   「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」   領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、 時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、   最強の御曹司カイルは 世界一幸せなハーレムを築いていく。 最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

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