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第1章:俺の声は何!?
62:???は見た!
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◆◇◆◇
その夜、一人の名君が、この世を去った。
「……どうしてだ」
一人年老いた男が、とある部屋の一室で俯いていた。最早、俯くというよりは憔悴しきっていた。
「ヴィタリック……どうして、私を置いて逝った」
ベッドの上で、静かに横たわる相手。
それは、覇王、賢王、聖帝など、名君の名を欲しいままにしていた王とは思えない程、痩せ細り、そして生気のない姿だった。
それはそうだろう。
クリプラント国、第四十七代国王。ヴィタリックは、先程完全に息を引き取った。こうなる事は、遅かれ早かれ分かっていた。
なにせ、新しい年を迎えてからは病が急激に進行し、王は、体を動かす事も、声を出す事もままならなくなっていたのだから。
そんな中でも、彼は最後まで王たる言葉を残し、逝った。
ヴィタリックは確かに名君だった。
自身が不治の病に冒されている事を知った時、彼はその後この国に起こり得るであろう予想しうる全てに、自身が動けるうちに、出来る限りの事をした。
ヴィタリックは、そう、確かに名君“だった”のである。
彼が生きているこの瞬間までは。
「もう、お前の声を聞く事も……二度と、かなわない……」
そう言って、ベッドの脇で涙を流す男……父親に対し、傍に立って居たもう一人の若い男は冷めた目を向けた。薄い透き通るような空色の髪の毛を携え、穏やかな垂れ目の淵には、黒子が一つ。
男は、現在こうして涙を流し悲しみの渦中にある、宰相の息子だった。
「父上、今すべき事は嘆く事ではありません」
「……お前に、なにが……わかる」
言われると思った。
肩を揺らす父の首元には、彼がヴィタリックから賜り、これまで一度だって外す事のなかった“父の誇り”がキラリと揺らいでいた。
仕事一筋。否、ヴィタリック一筋でやってきた父の、これが成れの果てか。
そう、男は酷くバカバカしく思った。父がこうなってしまったのも、果てはこのクリプラントが“こんな風”になってしまったのも、全部――
「この男のせいですね」
「……なん、だと」
「そうでしょう。自身が居なければまともに機能しないような……つまり、貴方のような愚臣と、漫然と従うだけの愚な国民を生んだ。まったく、名君の生んだ病巣は余りにも深い」
「……お前っ!」
悲しみに暮れていた父の目に、激しい怒りが混じる。しかし、それに対しても、男は至って冷静に答えてみせる。
「それが分かっていたからでしょうね。貴方だけでなく、この私も彼の死の淵に呼ばれた」
「な、なん」
「貴方が名臣として機能しない事を、王も分かっておいでだったのでしょう」
「っ!」
「貴方はもう、彼から頼れる家臣……右腕として此処に呼ばれたのではない。そういう事です。これまで、長きに渡り、名君ヴィタリック王の側仕え、お疲れ様でした。父上」
「っマティック!待て!」
言いたい事だけ言って背を向けた男に、男の父が叫んだ。しかし、そんな事など、マティックと呼ばれたその男は気にしなかった。否、気にしてなどいられなかった。
現在、クリプラントの抱える問題の多くは、現在も進行し続けている。それどころか、この国の竜骨でもあった王が他界した今、その問題は加速度的に肥大化し、表面化していくことだろう。
「私は、ヴィタリック王の遺された遺言通り、職務を全う致します。今から動いても遅いくらいなのです。邪魔しないでください。貴方は、ただそこで泣いていればいい」
「……っくそ。くそ」
床に拳を突き立て、とめどなく涙を流す父に、息子は軽く溜息を吐くと、部屋の扉を開く前に、そっと声をかけた。
「父さん。後は私に任せてください。貴方は今までよくやってこられた」
「……マティック」
震える父の声。
その声に、男はふとベッドの上の、これまで長きに渡り名君と呼ばれ続けた男の亡骸を見た。生前の彼は、本当に立派だった。一度として、自身の弱さを、誰にも見せなかった――
父以外には。
「父さん」
「……なんだ」
父の首に光る、あのネックレスがその証だ。
「ヴィタリック王が、貴方を家臣として、此処に呼んだのではないのだとすれば……それは、貴方が王から愛されていたからだ。もう少し、彼と共に、ここに居てあげてください」
「っ!」
男の言葉に、彼の父親は大きく目を見開くと、静かにベッドの脇の椅子へと腰かけた。これから、あの父が、あの亡骸と何をどう語らうのか。
それは。男の知るところではない。
〇
バタン。
戸を締めた。
そして、男はそこからその穏やかな顔を少しだけ歪め、呟いた。
「っはぁ。まったく、父親と愛人のアレコレなど、見たくも、想像したくもない。背筋が冷える。うえ」
幼い頃、彼は目撃してしまったのだ。
父とヴィタリック王が何度も愛を囁き合いながら口付けを交わしているのを。それからというもの、男にはジワリとしたトラウマが植え付けられてしまった。
なにせ、あの自分にも周囲にも厳しく、剛を貫いてきた父が、まさか、である。
「ほんと、勘弁して欲しいものですよ。うえ」
うえ、うえ。と、わざとらしくえずきながら、男は夜の王宮を足早に歩いた。
ヴィタリックの遺言通り、行動を起こさねば。しかし、一度に全ての事は成す事は出来ない。何事も優先順位を付ける事が大切だ。
「まずは、あの引きこもりからでしょうね」
もっとも困難かつ、可及的速やかに行わねばならないこと。それは、空位となった王位の継承である。王が亡くなり、この事実を隠し通せるのは、長くてひと月といったところだろうか。
「さて、どうやってあの王子を部屋の外へと引きずり出すか」
きっと、今も寝所で、あの奇妙なぬいぐるみを抱き締めて眠っているであろう第一王子の姿を思い、マティックは再び「うえ」と、えずいた。
「まったく、きっついですよ。絵面的にも。……はぁ」
そんな事を呟きつつ、王宮の中庭を越え、隅に追いやられた第一王子の寝所へと向かう。歩きながら、これは絶対に部屋の場所も以前の場所へと戻さねば、と溜息を洩らした。
この寝所は、あまりにも玉座から遠すぎる。
と、マティックが中庭から第一王子の寝所のある側宮の戸を開こうとした時だった。扉の向こう側から、先に戸が開かれた。
そして――、
「ったく、イーサのヤツ。俺は明日の早朝に出ていかなきゃなんねーのに。泣き喚き過ぎだろ。つーか、今更追いすがられても困るし」
両手に荷物を持った黒髪の男が、扉の向こうからひょこりと出て来た。そして、ぶつかりはしないまでも、互いにギリギリの所でピタと足を止める。
「あ」
「……」
驚いた目で此方を見上げてくる黒髪の男は、兵の訓練服に身を包んでいる。頭の位置は男の胸のあたり。少し、小柄だ。
そして、よく見れば、黒髪の男の耳は、丸みを帯びている。周囲にマナの揺らぎが極めて少ない。と、言う事は。
「あぁ、人間ですか」
「あ。は……はい」
男からの問いかけに、相手はギクリとした様子で震えるように頷いた。そして、すぐにその場で会釈すると、彼は道の脇に避け男に道を譲った。
「どうぞ」
おずおずと口にしているにも関わらず、その声はとても堂々としたモノだった。凛としており、きっとどこに居ても彼の声は届くのだろう。そう言った印象を受ける声だ。
「……おや」
しかし、次の瞬間。男にはそんな事を気にしている余裕は一切なくなった。
「貴方、それ……」
「え?……うわっ!」
男が指をさしたのは、人間の首元にかかる……彼の父がしていたモノと同じ“王家のネックレス”だった。人間は相手の視線と指先に何があるのかに気付くと、慌てたように肩を跳ねさせた。
跳ねた瞬間、人間の視線が男から外れ、中庭の方を見つめる。どうやら、逃げるつもりらしい。
「さて、そうはいきませんよ?」
「うわっ!」
男は逃げようと算段する人間の前に、その身を滑り込ませると、笑顔で人間の腕を掴んだ。
「これは運命でしょうかね。えぇ、えぇ。良かった良かった……良かったのか?」
「え?え?何?何の話ですか?」
「まさか、人間にコレを渡すとは……まったく。困った王子様だ」
「え、ちょっ、腕。腕を離して……」
「人間ですかぁ。あぁ、そしたら時間が無いじゃないですか」
「え、あの。アンタ……誰?」
そう、どこか当たり前とも言える問いかけをしてくる人間に、男はその垂れ目の織り成す渾身の笑顔を浮かべると、思わぬ展開の早さに腹の底で「うえ」とえずいた。あぁ、展開が早すぎて酔ってしまうではないか。
「私は、この国の次期宰相となる予定の、マティックと申します」
「え?さ、宰相?はぁ?」
人間の素っ頓狂な声が、中庭に響く。
そんな相手に、男は展開の早さと、今後の自身の身の振り方を多いに思考した。そして、ひとまず一言だけ、目の前の人間に伝えるべき事を伝える事とする。
「さぁ、急ぎましょう。貴方が死ぬ前に。とにかくもって時間がない」
「はぁ!?」
人間の、その良く通る驚愕の声が、美しい夜の中庭へと響き渡った。
その夜、一人の名君が、この世を去った。
「……どうしてだ」
一人年老いた男が、とある部屋の一室で俯いていた。最早、俯くというよりは憔悴しきっていた。
「ヴィタリック……どうして、私を置いて逝った」
ベッドの上で、静かに横たわる相手。
それは、覇王、賢王、聖帝など、名君の名を欲しいままにしていた王とは思えない程、痩せ細り、そして生気のない姿だった。
それはそうだろう。
クリプラント国、第四十七代国王。ヴィタリックは、先程完全に息を引き取った。こうなる事は、遅かれ早かれ分かっていた。
なにせ、新しい年を迎えてからは病が急激に進行し、王は、体を動かす事も、声を出す事もままならなくなっていたのだから。
そんな中でも、彼は最後まで王たる言葉を残し、逝った。
ヴィタリックは確かに名君だった。
自身が不治の病に冒されている事を知った時、彼はその後この国に起こり得るであろう予想しうる全てに、自身が動けるうちに、出来る限りの事をした。
ヴィタリックは、そう、確かに名君“だった”のである。
彼が生きているこの瞬間までは。
「もう、お前の声を聞く事も……二度と、かなわない……」
そう言って、ベッドの脇で涙を流す男……父親に対し、傍に立って居たもう一人の若い男は冷めた目を向けた。薄い透き通るような空色の髪の毛を携え、穏やかな垂れ目の淵には、黒子が一つ。
男は、現在こうして涙を流し悲しみの渦中にある、宰相の息子だった。
「父上、今すべき事は嘆く事ではありません」
「……お前に、なにが……わかる」
言われると思った。
肩を揺らす父の首元には、彼がヴィタリックから賜り、これまで一度だって外す事のなかった“父の誇り”がキラリと揺らいでいた。
仕事一筋。否、ヴィタリック一筋でやってきた父の、これが成れの果てか。
そう、男は酷くバカバカしく思った。父がこうなってしまったのも、果てはこのクリプラントが“こんな風”になってしまったのも、全部――
「この男のせいですね」
「……なん、だと」
「そうでしょう。自身が居なければまともに機能しないような……つまり、貴方のような愚臣と、漫然と従うだけの愚な国民を生んだ。まったく、名君の生んだ病巣は余りにも深い」
「……お前っ!」
悲しみに暮れていた父の目に、激しい怒りが混じる。しかし、それに対しても、男は至って冷静に答えてみせる。
「それが分かっていたからでしょうね。貴方だけでなく、この私も彼の死の淵に呼ばれた」
「な、なん」
「貴方が名臣として機能しない事を、王も分かっておいでだったのでしょう」
「っ!」
「貴方はもう、彼から頼れる家臣……右腕として此処に呼ばれたのではない。そういう事です。これまで、長きに渡り、名君ヴィタリック王の側仕え、お疲れ様でした。父上」
「っマティック!待て!」
言いたい事だけ言って背を向けた男に、男の父が叫んだ。しかし、そんな事など、マティックと呼ばれたその男は気にしなかった。否、気にしてなどいられなかった。
現在、クリプラントの抱える問題の多くは、現在も進行し続けている。それどころか、この国の竜骨でもあった王が他界した今、その問題は加速度的に肥大化し、表面化していくことだろう。
「私は、ヴィタリック王の遺された遺言通り、職務を全う致します。今から動いても遅いくらいなのです。邪魔しないでください。貴方は、ただそこで泣いていればいい」
「……っくそ。くそ」
床に拳を突き立て、とめどなく涙を流す父に、息子は軽く溜息を吐くと、部屋の扉を開く前に、そっと声をかけた。
「父さん。後は私に任せてください。貴方は今までよくやってこられた」
「……マティック」
震える父の声。
その声に、男はふとベッドの上の、これまで長きに渡り名君と呼ばれ続けた男の亡骸を見た。生前の彼は、本当に立派だった。一度として、自身の弱さを、誰にも見せなかった――
父以外には。
「父さん」
「……なんだ」
父の首に光る、あのネックレスがその証だ。
「ヴィタリック王が、貴方を家臣として、此処に呼んだのではないのだとすれば……それは、貴方が王から愛されていたからだ。もう少し、彼と共に、ここに居てあげてください」
「っ!」
男の言葉に、彼の父親は大きく目を見開くと、静かにベッドの脇の椅子へと腰かけた。これから、あの父が、あの亡骸と何をどう語らうのか。
それは。男の知るところではない。
〇
バタン。
戸を締めた。
そして、男はそこからその穏やかな顔を少しだけ歪め、呟いた。
「っはぁ。まったく、父親と愛人のアレコレなど、見たくも、想像したくもない。背筋が冷える。うえ」
幼い頃、彼は目撃してしまったのだ。
父とヴィタリック王が何度も愛を囁き合いながら口付けを交わしているのを。それからというもの、男にはジワリとしたトラウマが植え付けられてしまった。
なにせ、あの自分にも周囲にも厳しく、剛を貫いてきた父が、まさか、である。
「ほんと、勘弁して欲しいものですよ。うえ」
うえ、うえ。と、わざとらしくえずきながら、男は夜の王宮を足早に歩いた。
ヴィタリックの遺言通り、行動を起こさねば。しかし、一度に全ての事は成す事は出来ない。何事も優先順位を付ける事が大切だ。
「まずは、あの引きこもりからでしょうね」
もっとも困難かつ、可及的速やかに行わねばならないこと。それは、空位となった王位の継承である。王が亡くなり、この事実を隠し通せるのは、長くてひと月といったところだろうか。
「さて、どうやってあの王子を部屋の外へと引きずり出すか」
きっと、今も寝所で、あの奇妙なぬいぐるみを抱き締めて眠っているであろう第一王子の姿を思い、マティックは再び「うえ」と、えずいた。
「まったく、きっついですよ。絵面的にも。……はぁ」
そんな事を呟きつつ、王宮の中庭を越え、隅に追いやられた第一王子の寝所へと向かう。歩きながら、これは絶対に部屋の場所も以前の場所へと戻さねば、と溜息を洩らした。
この寝所は、あまりにも玉座から遠すぎる。
と、マティックが中庭から第一王子の寝所のある側宮の戸を開こうとした時だった。扉の向こう側から、先に戸が開かれた。
そして――、
「ったく、イーサのヤツ。俺は明日の早朝に出ていかなきゃなんねーのに。泣き喚き過ぎだろ。つーか、今更追いすがられても困るし」
両手に荷物を持った黒髪の男が、扉の向こうからひょこりと出て来た。そして、ぶつかりはしないまでも、互いにギリギリの所でピタと足を止める。
「あ」
「……」
驚いた目で此方を見上げてくる黒髪の男は、兵の訓練服に身を包んでいる。頭の位置は男の胸のあたり。少し、小柄だ。
そして、よく見れば、黒髪の男の耳は、丸みを帯びている。周囲にマナの揺らぎが極めて少ない。と、言う事は。
「あぁ、人間ですか」
「あ。は……はい」
男からの問いかけに、相手はギクリとした様子で震えるように頷いた。そして、すぐにその場で会釈すると、彼は道の脇に避け男に道を譲った。
「どうぞ」
おずおずと口にしているにも関わらず、その声はとても堂々としたモノだった。凛としており、きっとどこに居ても彼の声は届くのだろう。そう言った印象を受ける声だ。
「……おや」
しかし、次の瞬間。男にはそんな事を気にしている余裕は一切なくなった。
「貴方、それ……」
「え?……うわっ!」
男が指をさしたのは、人間の首元にかかる……彼の父がしていたモノと同じ“王家のネックレス”だった。人間は相手の視線と指先に何があるのかに気付くと、慌てたように肩を跳ねさせた。
跳ねた瞬間、人間の視線が男から外れ、中庭の方を見つめる。どうやら、逃げるつもりらしい。
「さて、そうはいきませんよ?」
「うわっ!」
男は逃げようと算段する人間の前に、その身を滑り込ませると、笑顔で人間の腕を掴んだ。
「これは運命でしょうかね。えぇ、えぇ。良かった良かった……良かったのか?」
「え?え?何?何の話ですか?」
「まさか、人間にコレを渡すとは……まったく。困った王子様だ」
「え、ちょっ、腕。腕を離して……」
「人間ですかぁ。あぁ、そしたら時間が無いじゃないですか」
「え、あの。アンタ……誰?」
そう、どこか当たり前とも言える問いかけをしてくる人間に、男はその垂れ目の織り成す渾身の笑顔を浮かべると、思わぬ展開の早さに腹の底で「うえ」とえずいた。あぁ、展開が早すぎて酔ってしまうではないか。
「私は、この国の次期宰相となる予定の、マティックと申します」
「え?さ、宰相?はぁ?」
人間の素っ頓狂な声が、中庭に響く。
そんな相手に、男は展開の早さと、今後の自身の身の振り方を多いに思考した。そして、ひとまず一言だけ、目の前の人間に伝えるべき事を伝える事とする。
「さぁ、急ぎましょう。貴方が死ぬ前に。とにかくもって時間がない」
「はぁ!?」
人間の、その良く通る驚愕の声が、美しい夜の中庭へと響き渡った。
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