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第4章:俺の声を聴け!
236:泣き虫なお姫様と、お姫様みたいなメイド
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推してる声って、どこに居ても聞こえてくるモノだ。
「ポルカ。貴方はこの部屋の掃除をお願い。国賓の方が泊まられる部屋だから、しっかりね」
「はい、わかりました」
「じゃあ、私は向こう見てくるから」
そんな二人のメイドの会話の直後、ベテラン風のメイドが此方に向かって歩いて来た。通り過ぎ様、一応軽く頭を下げてみる。ただ、相手からはお辞儀が返される事も、声をかけられる事もなかった。
チラと向けられた視線は、侮蔑の色で染まり切っている。
「……はぁ」
久々に感じる露骨なまでの差別的態度に、思わず溜息が漏れた。
隊の皆と仲良くなれたせいで忘れかけていたが、通常、エルフから人間への扱いなんてこんなモノだ。以前は当たり前だった周囲からの態度が、「当たり前」ではなくなったせいで、地味に傷ついている。
「なんか、俺。弱くなった気がする……そう、仲本聡志は肩を落として溜息を吐いた」
と、少しでも傷付いた自分から距離を取るべくセルフナレーションを口ずさんでいると、一人残された金髪のポニーテールメイドが、ジッと此方を見ていた。可愛い。声に似合う、とても好ましいビジュアルだ。
「ソラナ姫?」
「っ!」
俺が思ったままその名を呼ぶと、その瞬間ソラナ姫の元々大きな目が、更に大きく見開かれた。そして、慌てた様子でキョロキョロと周囲を見渡すと、次の瞬間俺の鼓膜を“推し”の声が激しく揺さぶってきた。
「やめて!今はその名前で呼ばないで!」
「あ、ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないわよ!もう百回嫌い!」
あぁっ、華沢さんの声はどんなに怒っていても可愛い。推せる。そう、やっぱり異性の声だと一気に語彙力が奪われてしまう。もう「可愛い」しか出てこない自分の感想に、俺はそれでも大満足だった。
「もう、何でバレるの!?他の誰にもバレた事ないのに。気持ち悪い気持ち悪い!気持ち悪いっ!」
「……」
けっこう本気で気持ち悪がられてしまった。
いや、でも。そんな事を言われても仕方がない。なにせ“声”が違うのだから。いくらお互いがお互いに寄せていっても、俺が華沢さんと速水さんの声を間違うワケがないだろうが。二人共俺の推しだぞ!
「早く謝って!」
「えっと、気持ち悪くてすみません……」
どんな拷問だ。推しの可愛い女の子を前に、自分の気持ち悪さに対して謝罪するって。可哀想にも程があるだろ、俺。
すると、俺の謝罪に対し、ソラナ姫は「違うわ!」と不機嫌そうな表情を崩す事なく叫んだ。
「いや、それもだけど!そんな事より、外で私の事を“ソラナ姫”って言った事を、たくさん謝って!」
ソラナ姫の言葉に俺はあぁ、とやっと合点がいった。そうか、確かにソラナ姫は今「姫」として此処に居るワケではない。
「気を付けてよね。私はこの姿で見聞を広めているのだから。バレたら大事なの」
「はい、軽率な事をしてすみませんでした」
「分かればいいのよ」
ふん、と絵に描いたようなツンデレ姿で顔を逸らすソラナ姫に、俺は腹の底で静かにトキめいた。ただ、すぐにその感情に蓋をする。なにせ、俺の首元には傍若無人な王様のくれたネックレス……いや、首輪が、しっかりと身に付いているのだから。
「えっと、それなら……」
現状、ソラナ姫はメイドの「ポルカ」と入れ替わっている状況だ。だとすると、このメイド服姿をしているソラナ姫を呼ぶ時は、見た目に沿って名を呼ばねばならないという事だろう。
「……ポルカ?」
そう、俺が少し控えめにソラナ姫を呼ぶと、その瞬間ソラナ姫の顔が強烈に変化した。端的に言えば激キレした。
え、え?何々!?何が起こった!
「嫌い嫌い嫌い嫌い!なんでお前がポルカの名前を呼ぶのよ!もう、百回……いえ、一万回嫌いよ!けがらわしい!謝りなさい!」
「えぇぇぇっ」
「謝ってったら!」
ソラナと呼ぶなと言われたから敢えて「ポルカ」と呼んだのに、どうやらその方がお姫様のお気に召さなかったらしい。イーサとはまた違った種類の癇癪玉の弾け方に、俺は酷く慌てた。男の子の癇癪には慣れてきたが、女の子はどうも分からない。
っていうか何だ、この思考回路は。俺は子育て中のお父さんか何かなのか。
「そこ!まったく、何の騒ぎですか?」
「「っ!」」
余りにもソラナ姫の癇癪が酷かったからだろう。それまで二人の声しか響いていなかった廊下に、いつの間にか厳格そうな声が俺達に向かって厳しく放たれた。
「す、すみませ……ぁ」
「あ」
ソラナの謝罪と共に声のする方を見てみる。すると、そこには先程のベテラン風のメイドと共に階段の踊り場に立つ……ポルカの姿があった。
「ポルカ……」
「!」
思わず口から漏れた名前に、隣に立っていたソラナが俺の腹にエルボーを食らわせてきた。いや、完全にマジのやつ。そのせいで一瞬呼吸が止まりそうになったが、俺は寸での所で床に膝を着くのを耐えた。
「ポルカ、私は貴方に部屋の掃除をお願いした筈だけど?」
「す、すみません!」
「人間とお喋りする時間があるという事は、もちろん部屋の掃除は終わったんでしょうね?」
「……あ、えっと」
「答えなさい、ポルカ」
先輩メイドからの詰問に、ソラナ姫の表情が微かに歪む。その顔が泣きそうな表情である事は、隣に居れば明らかだ。お姫様だ。きっとこういった叱られ方はした事がないのだろう。俺は呼吸の合間に漏れ出る「あの、えっと」という、酷く震えた言葉に小さく息を吐いた。
「すみません、俺が話しかけてしまって仕事の邪魔をしてしまいました」
「っ」
ソラナ姫が小さく息を呑む声が聞こえてくる。微かに感じる視線には、明らかにホッとしたような色が垣間見える。なんだか、ソラナ姫。娘というより“妹”って感じがしてきた。まぁ、実際にイーサの“妹”なのだから、そちらの方がピンときて当然かもしれない。
というか、そもそも俺には娘も息子も存在しない。
「ポルカ、何で黙ってるの?」
「ぁ」
しかし、ここでも俺の存在は完全に無視された。チラリとも此方を見もしないベテランメイドに、俺は肩をすくめるしかなかった。まぁ、予想通りかもしれない。
そんなメイドの態度に、ソラナ姫は今度こそハッキリとその顔を悲しみの色に染めた。あ、泣くかも。
そう、俺が再び声を上げようとした時だった。
「ポルカには私が言い聞かせておくわ」
「姫様」
それまで黙って此方を見ていたソラナ姫……いや、姫に扮したポルカがハッキリと口を開いた。あぁ、やっぱり速水さんの真骨頂は張りのある声質だ。いや、でもどんな声でも好きです。推してます。
「姫様、甘やかしてはいけません。きちんと立場を弁えさせないと」
「ええ。だから私が言い聞かせておくのよ。あとね」
速水さんの静かだが透き通った声が、俺の鼓膜を静かに揺らした。
「他者の声を、無視してはいけないわ」
「え?」
「私達王族はね、民の声を“聴く”事が仕事なの」
「え、ええ」
美しい桃色のドレスに身を包んだポルカが、ベテランのメイドに向き直り言葉を紡ぐ。その声は決して大声を出しているワケではないにも関わらず、何故か迷いなく此方へと届く。そして、余韻が抜けない。まるで剣が刺さるように、心を突く。それが速水さんの声の、最も凄いところだ。
「それはね、皆、お互いが合わせ鏡だからよ。相手の話を聴かなければ、此方の話も聴いてもらえない。どんな立場であれ、それは変わらないの」
「……」
「他者の話を聴き、それに応える。でも、それはするもしないも本人の品性の問題だから、これ以上私が貴方にとやかく言うつもりもない。でもね」
綺麗な声だ。
そして、その綺麗な声から放たれる言葉も、また美しい。俺は隣からゴクリと微かに喉を鳴らすソラナ姫の息遣いを聴いた。
「自分を無視した相手の言う事を、相手は二度と聞いてくれないものよ」
「……はい」
「貴方が立派なメイド長である事を、私は知っている。いつもありがとう。貴方の事、私は尊敬しているの。それに、とても好きよ」
「ソラナ姫……」
「だからお願い。“種族”だけを理由に扉を閉ざさないで。私は、貴方が周囲から扉を閉ざされるところを見たくないの」
最後まで静かに言い切ると、ポルカの視線が俺へと注がれた。あぁ、凄い。本当にお姫様みたいだ。
「……ポルカ。きちんと掃除をしておくのよ」
「はっ、はい!」
メイド長と呼ばれた彼女から、ソラナ姫に対して怒気は無くなったものの、厳しい声がかけられる。どうやら見逃して貰えるらしい。そりゃあそうか。“ソラナ姫”直々に止められたら、これ以上怒れまい。
俺がどこか他人事のような気持ちでそのやり取りを聞いていると、今度はその厳しい声が俺へと向いた。
「貴方も、仕事中のメイドに気安く声を掛けないのよ」
「あ、はい。すみません」
厳しい目線が、俺の目を捉える。その目に、侮蔑の色はどこにもなかった。
「貴方、名前は」
「あ、えっと。サトシ・ナカモトです」
「そう」
まさか、名前まで聞かれるとは思わなかった。俺が少しばかり感動していると、メイド長はハッキリと言った。
「サトシ・ナカモト。この件は、騎士団にもきちんと報告させて貰いますからね」
「え?」
「では、姫様。仕事へ戻ります。お部屋までお一人で?」
「ええ。大丈夫よ」
言うや否や、颯爽と俺達に背を向け去って行くメイド長の姿に俺はガクリと肩を落とした。無視されなくなった途端に、きちんと叱る対象になってしまった。良かったのか悪かったのか。まぁ、仕方がない。
「あの人は、とても厳格な方だから。でも、私はそういう所が好き」
「ポルカ……」
「ソラナと同じで、奴隷だからって私を無視しなかったから」
ドレスに身を包んだ体で、“ソラナ”から“ポルカ”に戻った速水さんの声に、俺は心底納得した。先程、ソラナとして彼女に対して口にしていた言葉は全てポルカの本心なのだろう。だからこそ、あれほどまで声に張りと美しさが宿ったのだ。
「ポルカ……」
「どうしたの?ソラナ」
静かに俯きながら自身の名を呼ぶソラナ姫に、ポルカはすぐにそばに駆け寄った。駆け寄ってその方を優しく撫でる。
「ポルカ、貴方……知らぬ間に立派な振る舞いを覚えたのね」
「そう?」
「ええ、まるで本当の王族みたいだったわよ」
どこか置いて行かれた子供のような心もとない声でボソボソと喋るソラナ姫に、ポルカは微かに笑った。
「当たり前よ。全部ソラナの普段言っている事を真似してるのだから」
「え?」
「私が自分の中で産み出した言葉なんてないわ。私を作ったのはソラナなのだから。私を立派な王族だと思ったのであれば、それはソラナ。貴方が立派なのよ」
「ポルカ……」
合わせ鏡。
そう、先程ポルカが口にした言葉が確かにそのままこの二人には綺麗に当てはまる気がした。人はされたように、自分も相手に返す。この二人は互いに影響を及ぼし合いながら、今の二人に成りえているのだ。
あぁ、いいな。そういうの。やっぱり、この二人は推せる。
「あの、二人共」
俺は完全に互いの姿しか映さなくなった二人の美少女を前に、意を決して声をかけた。キラリと光る、黄金色の瞳がハッキリと俺へと向けられた。綺麗だ。
「なによ。サトシ」
「どうしたの、サトシ」
あぁ、華沢さんと速水さんが俺の名前を呼んでくれている。これはどんなファンサだ。その勢いに押され、俺は出来るだけ気持ち悪くならないように呼吸を整えた。
「『頑張れ、サトシ君』って、言って貰っていいですか?」
バカの一つ覚えのような「お願い」に、俺を見ていた二人は同じような顔で目を見開いた。中里さんにもそうだったが、俺は推しの声に「励まされたい」という願望が常にある。頑張れって、俺はいつだって言って欲しいんだ。
これから、俺は今まで以上に頑張らないといけない筈だから。
「……あの、お願いしま」
「嫌よ」
俺が再び二人に向かって頭を下げようとした時。その言葉は途中できっぱりと遮られていた。しかも、ソラナ姫にではない。ポルカの方に、だ。
「え?」
呆けた俺の声が自分の鼓膜を揺らす。そんな俺に対し、ポルカは楽し気な声で更に続けた。
「いや。そんな事言いたくないわ。絶対に言わない」
「ポルカ、貴方。珍しいわね。貴方が他人にそんなにハッキリ言うなんて」
「そう?」
「ええ、そうよ。なんだか私、スッキリしたわ」
戸惑う俺を前にソラナ姫とポルカが、女の子同士の楽し気な会話をクスクスと笑いながら行う。ソラナ姫なんかは、若干勝ち誇ったような顔で此方を見ているのだから堪らない。畜生、まさかここまでハッキリ断られるとは。
「ダメですか……」
そう、俺が肩を落としているとポルカから再び声がかけられた。まったく予想していなかった言葉が。速水さんの声で。
「だって、サトシはずっと頑張ってるじゃない」
「あ、え?」
「私、頑張ってる人にこれ以上『頑張れ』なんて言う気にはなれないわ」
「……ポルカ」
余りにも思いもよらない台詞に、俺は顔に熱が集まるのを感じた。これはポルカが可愛いからでも、声が推しだからでもない。そう、照れているワケじゃないんだ。嬉しくて……少し、泣きそうなのだ。
「ポルカ、俺は……頑張ってたかな?」
「頑張ってたじゃない。奴隷の私でも、この国は大変だった。でも、きっと人間の貴方はそれ以上に大変だったでしょう」
「……」
「だから、逆に言って欲しいわ。『ポルカ、頑張れ』って。言葉が欲しい。私は少し、ソラナの存在に甘えすぎてた。だから、後から来た貴方に、私は『頑張れ』と言って貰いたい」
速水さんの声が、真っ直ぐと俺に届く。まるで剣に刺されたような強い余韻が、俺の胸を突き刺す。
--------後から来た貴方に、頑張れと言って貰いたい。
それは、まるでずっと憧れてきた“推し”が、明確に俺の歩む先に居る“先輩”になった瞬間でもあった。
「ポルカ……頑張れ」
「ええ」
「ポルカ、これからもずっと応援してます。頑張って、ください」
もう完全にファンの言葉みたいになってしまったが、そんな俺の言葉にポルカは深く頷いた。
「はい、これからも頑張ります」
嬉しい。もしかしたら、頑張れと言われるよりも、ずっと頑張れるかもしれない。そう、もう完全に推しを前にしたファンのような気持ちで泣きそうな俺に、もう一人の推しが、その涙を止めた。
「サトシ!なんでポルカばっかりに言うのよ!私にも言いなさい!」
「……ソラナ姫」
「私は姫よ!貴方達以上に頑張らないといけないの!だから、ポルカばっかりにそんな事言うなんて許さない!言わなきゃ世界一嫌いになるわよ!」
百回嫌い、千回嫌い。そこから世界一嫌いときたか。
俺はソラナ姫からの、一切殺傷能力のない“脅し”の言葉に、込み上げてくるモノが涙から笑顔に変わったのを感じた。
あぁ、華沢さん。貴方の声も、俺はずっと憧れでした。
「ソラナ」
俺は敢えて敬称を付けずに、ソラナの名を呼んだ。相手を応援する時、それは下からでも上からでもなく、同じ場所から伝えた方がきっと声もよく聞こえる筈だ。そう思ったから。
「世界一、頑張れ」
「……当たり前よ。だって私は姫なのだからね。世界一頑張るのが、当たり前なの」
そう、得意気に言ってのける憧れの存在に……俺はハッキリと思った。
俺も本当に頑張ろう、と。
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