【完結】くつろぎ君はコーヒーがキライじゃない!

はいじ@書籍発売中

文字の大きさ
3 / 56
4月:マスターの苦労

2

しおりを挟む
--------一カ月前。


 あれ?これは一体どういう事だ?


「ますたー!アメリカン2、あとホットサンド、ガトーショコラですー!」
「伝票そこに置いといて!」

 目まぐるしい、目まぐるしい。
 俺はその日も、懸命に自分の店で働いていた。昼どきの店内は、全席が客でごった返している。

 このご時世、本当にありがたい事だ。しかし――。

「ちょっと!私が頼んだのは紅茶じゃないわよ!コーヒー!お茶一杯に一体どれだけ待たせるのよ!」
「っす、すみません!」

 騒がしい店内から、後を引くような耳障りのする甲高い怒声が聞こえてきた。手元に並べられた伝票にチラと目をやる。同時に、俺は眉間に指をかけて小さく息を吐くと、すぐに側に準備していたホットコーヒーを手に店内へと飛び出した。

「お待たせしました。ホットのアメリカンです」

 突然背後から現れた俺に、場の視線が一斉に集まる。

「……」
「どうされました?」
「……私は、アイスってお願いしたはずだけど」
「え?」

 その言葉に、俺はヒクリと眉を顰めた。隣では、どうして良いか分からずオロオロとモタつく女子高生バイトの田尻さん。

「……申し訳ございません。すぐに作り直します」

 頭を下げる俺に、数名で共に店を訪れていた中年の女性達が一斉に何か騒ぎ始めた。この店内のざわめきの半分はこのババァ共によるものだ。そして、最悪な事にこの店の常連でもある。

「ねー?私はアイスってお願いしてたわよねぇ!?」
「してた、してた」
「今日は暑いからアイスにしようかって言ってたわ!」

 あぁっ、やかましい!黙れ、このクソババァ共が!
 俺は絶対に覚えている。確かに注文の時は「ホットコーヒー」と注文していたはずだ。なにせ、「ブレンドですか?アメリカンですか?」と尋ねた時、「どっちでもいいわよ!」と一蹴されたのだから!クソッ!ブレンドとアメリカンは全然違うだろうがっ!

「……」
「ま、ますたぁ」

 隣から田尻さんがポニーテールを揺らしながら首を振る。その目は完全に「この人達、うそつきですよぉ」と訴えかけている。あぁ、分かっているよ。田尻さん。
 大方、ベラベラ喋っている間に喉が渇いて、これ幸いとこちらのミスとして注文を変更する気だろう。そう、分かっているのだが……

「……申し訳ございません。すぐにお持ちしますね」
「早くしてよね!」

 俺は笑顔で頭を下げた。
 お客様を神様だとは一切思っていない。けれど、これ以上この客に時間など使ってはいられない。なにせ、とにもかくにも店は大盛況で忙しいのだ。俺は次のメニューの準備に移らなければならない。

「ますたー」
「大丈夫。ほら、行くよ。田尻さん」
「でも」

 眉間に皺を寄せ、納得いかないといった表情を向けてくるバイトの彼女は、まだ高校三年生だ。二年前の店のオープン時からずっと働いてくれているが、どうも思った事がそのまま顔に出てしまう節がある。接客業としては少し問題だ。

「この後、休憩に行ってきていいから」
「でも、お客さんたくさんだし」
「いいよ。少し休んでおいで」
「……はい」

 まぁ、仕方ないだろう。だって、まだ彼女は十七歳なんだから。俺が高校生の頃は、バイトなんてした事すらなかった。バイトの無断欠勤なんてよく聞く話なのに、この子は一度もバイトを休んだ事はない。むしろ、殆ど毎日入ってくれている。良い子だ。

 そう、俯く彼女に再び「行こうか」とコッソリ声をかけた時だった。

「ねぇ、あの二人。絶対にデキてるわよね」
「そうね。まだ女の方は若いし、お金欲しさに色仕掛けでもしたんでしょ。一体いくら貰ってるのかしら」

 背後から聞こえてきた下卑た会話に、隣に立って居た田尻さんのポニーテールがユラリと揺れた。

「あぁ、ヤダヤダ。職場で女を売るなんて。あのマスターもまだ若いし、コロッと騙されてんのよ。やぁね。いやらしい」

 チラと田尻さんへ視線を向ける。ヤバイ、完全に目がブチ切れてる。早いところ彼女を店の奥に引っ込めねば。田尻さんは普段こそ「ますたー」と、どこか抜けたような話し方をしているが、キレると手が付けられないのだ。

「でも、あのマスターでいいのかしら。顔も全然パッとしないし。趣味が悪いわよねぇ」

 カラカラとした笑い声が、下品極まりない会話の合間に店を揺らす。いや、揺れているのは田尻さんのポニーテールか。それとも俺の視界か。ムカつき過ぎて、眩暈がする。

「金さえ持ってりゃ何だっていいのよ!顔なんて嫌なら見なきゃいいんだから!」
「それもそうねぇ!」

 締め上げるぞ、クソババァ共が!俺に金なんかねぇよ!この店がどれだけ赤字だと思ってんだ!

 その笑い声に、俺は怒りを落ち着けようと深く息を吸った。しかし、沸騰しきった頭は一切冷却されたりはしない。隣に居る田尻さんは、どうしているだろう。だが、気にしてあげられる余裕は一切ない。

 あれ、つーか。なんでこんなに客が居て……この店は赤字なんだ?
 そう俺がザワつく店内を、どこか遠くに感じた時だった。

カラン

 店のベルが鳴った。
 また客が来たようだ。開いた扉を通じて、四月にしては肌寒いくらいの風が外からフワリと入り込んできた。その風に、沸騰しきっていた頭が、少しだけ落ち着く。

「い、いらっしゃいませ」

 とっさに振り返る前に口にしていた。条件反射だ。あのベルの音を聞くと、もう反射でそう口にしてしまう。
 しかし生憎、席は全部埋まってしまっている。もう新しい客を対応するのは無理だ。本来ならこのベルの音は嬉しい音のはずだったのに。今ではウンザリしてしまう。そんな自分が、嫌で堪らない。

「すみません。満席で」そう、口にしようと振り返った時だ。俺は言葉が喉の奥で詰まるのを感じた。驚き過ぎて声が出ない。
 なにせ、そこに立って居た男の子が、とてつもなく――

「あ。もしかして、満席ですか?」
「っぁ」

 優しい色をしていたからだ。
 首元にまで掛かる髪の毛はフワリと空気を含んで柔らかく、まるで紅茶のアールグレイが光に透けたような明るいオレンジ色をしていた。目に沁みる程の鮮やかな色彩が、そこには立って居た。そう、彼はどこからどう見ても〝春〟だった。

「あっ、えっと……」

 思わず口ごもる俺に対し、その彼は小首を傾げる。ふと、細められた瞳は気遣うような色を含み、口元に引かれた唇は程よく色付き、いやらしさのない色気を醸し出していた。一言で言おう。品の良いイケメンが、そこには立って居たのである。

「イケメンやぁ」

 隣から聞こえてきたのは、安穏とした感想を漏らす田尻さんの声。どうやら、イケメンの登場に先程までの怒りはすっかり納まったらしい。助かった。「くたばれ!」と叫びながら客に殴りかかろうとする彼女を後ろから羽交い絞めせずに済んだ。

 同時に店内から一組の客が立ち上がる音がした。どうやら、もう出るらしい。

「あっ、ますたー。私がお会計してきまーす」
「あ、お願い」
「はーい!」

 客の動きにイチ早く気付いた田尻さんが、ひょことその場から駆け出していった。

「お客様、席を片付けますので少々お待ちください」
「はい、ありがとうございます」

 俺が声をかけると、春を背負ったようなそのイケメンは屈託なく細めた目で嬉しそうにこちらに会釈した。なんて良いお客さんなんだ。
 テーブルを片付けなければ。そう、俺が空いたテーブルへと向かおうとした時、会計を終えた二人の客からポソリと声が漏れた。

「落ち着いたお店だと思ったのにね」
「うん、なんか全然落ち着かなかったね」

 台拭きを手にテーブルをゆっくりと拭う。ツキリと痛む胸。きっと、この人達は二度と来てくれないだろう。

「……お客様、こちらへどうぞ」

 けれど、表情には出さない。今、目の前に居るお客さんに集中しなくては。そうでなければ、この場所は守れない。
 この店【喫茶 金平亭】は俺の大事なお城なのだから。


しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

王子に彼女を奪われましたが、俺は異世界で竜人に愛されるみたいです?

キノア9g
BL
高校生カップル、突然の異世界召喚――…でも待っていたのは、まさかの「おまけ」扱い!? 平凡な高校生・日当悠真は、人生初の彼女・美咲とともに、ある日いきなり異世界へと召喚される。 しかし「聖女」として歓迎されたのは美咲だけで、悠真はただの「付属品」扱い。あっさりと王宮を追い出されてしまう。 「君、私のコレクションにならないかい?」 そんな声をかけてきたのは、妙にキザで掴みどころのない男――竜人・セレスティンだった。 勢いに巻き込まれるまま、悠真は彼に連れられ、竜人の国へと旅立つことになる。 「コレクション」。その奇妙な言葉の裏にあったのは、セレスティンの不器用で、けれどまっすぐな想い。 触れるたび、悠真の中で何かが静かに、確かに変わり始めていく。 裏切られ、置き去りにされた少年が、異世界で見つける――本当の居場所と、愛のかたち。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~

蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。 転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。 戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。 マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。 皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた! しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった! ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。 皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。

処理中です...