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第2章
32話 不穏な『嬉しいお知らせ』
しおりを挟む「ただいま戻ったわ。結局、魔王城周辺で起こった幻獣の反乱は、何者かが召喚魔法で操っていただけみたい。もしかすると、魔王城内部に人間族側に寝返った裏切り者がいるかも知れないから気をつけるようにって神官長が……。ねぇ、大丈夫……? それとも眠ってしまったのかしら……」
その日の午前5時ごろ……小屋から姿を消していたブーケ姫だったが、日が完全に昇る前にメイドを連れて帰ってきた。彼女達が夜中に外出していた理由は、魔王城周辺で起きた幻獣による騒ぎを沈めるためだったらしい。この辺りは『漆黒の闇が溢れる森』に囲まれているおかげで、滅多なことでは人間達は立ち寄れない。
だから、反乱騒ぎを起こすことが出来るのも、同じ魔族か魔力の強い幻獣などの精霊系種族に限られる。流石のブーケ姫もここまで大きな反乱が起こると、魔王城内部にも敵側との内通者がいることを認識せざるを得ないようだ。
そして、その不穏な影は魔王城内部だけでなくこの見張り小屋でも既に起こっていた。即ち、庭師殺害及び使い魔の小型犬パピリンの連れ去りである。パピリンは現在お腹に子犬を宿しており、もしかすると神の使いである『聖なる獣』が産まれるかも知れぬと、一部の魔族達から注目されていた。
作為的に魔力の高い者達を幻獣騒ぎで外へと連れて行き、その隙にパピリンを強奪することだって想定出来ていたはずだ。けれど、内部の魔族達に絶大な信頼を寄せていたブーケ姫は、そこまで状況を危惧していなかったのだろう。
――庭師の女性が不審な魔術で、殺害された後に『記憶をなくした状態で蘇る』までは。
* * *
リビングの明かりをつけて、内部の様子を1つずつ確認し……。大きく開いた木製の扉の向こう側で、血を頭から流して突っ伏す庭師をメイドのリオが発見する。
「きゃあああっ! ひっ姫様、大変ですっ。庭師が頭から血を流して……しっかりしてくださいっ」
「えっ……これは、大変だわっ。この傷……どんどん魔力で塞がって。これは蘇生魔法? パピリンもいないし一体誰が。ハチは……魔法で眠らさせられているみたいね」
最初は倒れた庭師、いなくなったパピリン達、強制的に眠らさせられているオレに動揺していたが。魔王城周辺で起きた幻獣反乱事件はただ事ではなく、何かしらの異変が起きることは予想出来ていたのだろう。冷静に対処して治療術を施し、一旦庭師をベッドで休ませることに。
そう……先ほどまで確かに死んでいたはずの庭師が、蘇生したのである。
「ごめんなさい。何も覚えていないんです。私が誰なのか、これまで何をしてどう生きていたのかも……すべて」
昼過ぎ……ベッドの上で俯いて申し訳なさそうに謝るのは、侵入者に一度は殺されたと思われていた庭師の女性だった。いや、医師の診断によると『本当に一度は死んでいた』らしいが、蘇生呪文があらかじめかけられていたらしく息を吹き返したのだ。
「仕方がないわよ、なんせ一度は魂が肉体から消えてしまっていたのですもの。生きていただけでも、良かったわ。お仕事のことは身体を治してから考えればいいし、今はゆっくり休んで」
聖なる獣を見に宿した使い魔のパピリンを連れ去った犯人達について訊きたくても、自分自信が誰なのかさえ忘れてしまった庭師では情報源にすらならない。今は、彼女の回復を邪魔しないよう部屋で療養してもらうことに。
「記憶をなくした庭師……という立場の私なんかのために。まさか、お姫様がこんなに親切にしてくださるなんて。この魔王城はきっと良い方向に向かうところだったのですね……ありがとうございますブーケ姫。新たな記憶の最初が、優しいものになって良かった」
深々と頭を下げる彼女は、昨夜までの大人の色香漂っていた女性とは別人のようで。結局のところ、記憶をなくした影響でこれまでの彼女が『死んでしまった』ことには変わりなかった。
リビングに戻り、不穏な殺害と蘇りの魔術がセットで行われたことについて話し合うブーケ姫とリオ。そして、ケージの中でその様子を静かに見守るチワワのオレ。こんな時に人間の言葉が話せたら、多少はブーケ姫の役に立っただろうか……あり得ない考えが脳裏をよぎる。が、慌てて頭を下げてフルルと震わせて、『今のオレはあくまでもチワワなのだ』と自分自身に言い聞かせた。
「ハチ、あなたもよく頑張ったわね。強い魔法で強制的に眠らさせられて、怖かったでしょう? 今はお料理をしてあげられる余裕がないから、この保存食で我慢してね」
「くうーん(ありがとうブーケ)」
もどかしく頭を振るオレを見て昨夜の恐怖と戦っていると思ったのか、ブーケ姫が優しくオレの頭を撫でて保存食と水をくれた。そういえば、お腹も空いているし食べないと……魔法でカリカリとしたドライフードに加工された保存食は、未来のドッグフードのような食感だ。と言っても、未来での食事はほとんどふやかしてから食べさせてもらっていたので、カリカリ系は初めてである。
止まらない震えの正体は、恐怖以外にも血糖値が下がっていたことが原因だったようだ。少しずつではあるが、体力が回復してきて脚元もしっかりとしてきた。
よく考えてみれば、昨夜は徹夜で戦っていたブーケ姫達の方が疲れているだろうに。メイドのリオが話し合いのために、魔法資料に加えて紅茶とクッキーを用意している。空腹がクッキーでどのくらい満たせるかは定かではないが、もしかするとあまり食が進まないのかも……2人とも多少なりとも休んで欲しいものだ。
「ふう……紅茶を飲むと少しだけ気力が回復する気がするわ。ただ、妙な刺客よね。わざわざ蘇生呪文をかけて、危険な魔術をかけて攻撃するなんて。リオはどう思う?」
「はい……何と申しましょうか、迷いなく蘇生呪文をかけたみたいですし、ある程度計画的な犯行かと。パピリン連れ去りはもちろんですが、関係者の記憶を消去するのも想定されていたようで不気味です。せめてもの救いが、命には別状なかったことだと思います」
「記憶の消去か、やっぱり聖なる獣について僅かでも情報を削除しているということよね。パピリンの生存自体は、使い魔用のオーブが無事だから私としては確認出来るけど」
ブーケ姫が、ウエストマークとして装備しているチェーンベルトに付いたオーブを手に取り、哀しそうに呟く。ただのオシャレのためにワンピースにチェーンベルトをつけているのだと勘違いしていたが、実は使い魔の無事を確認出来る魔法のオーブを効率よく持ち歩くためのものだった。
オレンジ色にキラリと光るオーブは生命力の輝きを示しているようで、おそらくパピリンや子犬達が安全であることを現している。人間サイドに連れていかれたことは、ブーケ姫にも予測が立っているようで……だが皮肉なことにそれがパピリンが無事だという確信なのでもあった。
そうだ、例え飼い主とペットは遠くに離れてしまっても、それが一生、いや永遠に離れたとしても。それでもどこかで元気でいてくれれば、飼い主とペットは心の中で繋がって居られる。オレとブルーベルが離れ離れになっても、心の中に彼女が住んでいるように。
しかしながら、突然の別れをそう簡単に受け入れられるはずもなく。ブーケ姫の大きな瞳からは、ポロポロと涙が零れ落ちていた。
「姫様……あぁせめて姫様の涙がパピリンへ想い届けばいいのに。こんな時、メイドとして無力な自分が情けないです……」
身近な人が哀しんでいると、同じように内側にある気持ちが込み上げてくるのか。リオも自分のメイドとしての無力さを嘆いて涙を流し始めた。2人ともひとしきり泣いた後、少しずつだがミーティングを再開する。
「あの子は、結局……人間側に連れていかれてしまったみたいだし。いや……落ち込んではダメよね。遠く離れてしまっても、たとえ一生会えないとしても。パピリンがどこかで元気に暮らしていければそれがあの子の幸せなのよね。パピリン……あなたの幸せを遠くから祈っているわ。神様どうか、あの子と子犬達の無事をお護り下さい」
神に祈るために目を閉じてゆっくりと言葉を紡ぎ、離れてしまった使い魔パピリンの無事を願うブーケ姫。その姿は、まるで神話に出てくる女神様のように清らかだ。
「そうですよね、姫様。そうだ! ひとつだけ『とても嬉しいお知らせ』があるんです。昨夜の幻獣反乱の際に魔導師から聞いたのですが、行方不明だと思われていた姫様の許嫁が所属していた部隊が、遠方の地で救助されたとか。異国に辿り着いて、長く放浪していたそうです。数日中には、貴重な魔道書を携えて魔王城に帰還されるそうですよ」
「えっ……あの人が? 行方不明になったと思っていたけれど。帰ってくる?」
婚約者が帰ってくると聞いて、驚いた表情のブーケ姫とビクンッと身体を震わせるオレ。もしかすると、その婚約者っていうのがパピリンを連れ去った張本人かも知れないのに……まさかブーケ姫と再会する気なのか?
「きゃんっきゃんきゃん(気をつけてブーケ姫、そいつが悪者かも知れないんだよ)」
「あら、ハチ……どうしたの? そうよね、いろいろあった後だし、やっぱり不安なのね」
言い知れぬ不安に取り憑かれたオレは思わずブーケ達へときゃんきゃんと鳴く。
――それは、まるで大きく変わっていく運命に対して警鐘を鳴らすように。
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