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閑話

芒種に恋の種を蒔く

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 これは異世界に転生する以前の物語、ヒストリア王子の記憶の断片。


 * * *


 海外同様日本にも季節の変わり目の日に対する細かい名称があり、何となくその季節の行事や気候が感じられるものになっている。例えば秋分はお彼岸だし、冬至はカボチャを食べて柚子湯に入るといった感じで。

 さて、六月初旬の季節の変わり目は芒種(ぼうしゅ)と呼ばれるものである。梅雨のシーズンに相応しく、雨の降る頃に種を蒔いて、作物を育てようと言うアクティブな日だ。物事の始まりに良いとされていて、新しい趣味を持つのにもってこいの日と言えるだろう。

『ヒストリアさんって、日本の行事に結構詳しいんですね。びっくりしました』

 などと、たいして親しくない人に言われるが、これでも日本育ちなのだから外国人に見えても日本に詳しいのは当然だ。殆ど金髪に近いベージュ色の髪と、見ようによっては碧眼に見える瞳は西洋人である母親譲り。とうの昔に離れてしまった父は、日本人と西洋人のハーフだから余計に、色素が薄いのかも知れない。
 その反面、いわゆる外国人に見えると言う理由で、初対面の人には『エクスキューズミー』『日本語、大丈夫ですか』とか心配される。こちらがまったく違和感のない日本語全開だと、かえってがっかりされることも。

 それはともかくとして、帰宅途中の道のりは、芒種の季節に相応しく雨が降り出しそうで、途中で傘が必要になった。

(はぁ……せっかくの週末なのに雨だけど。明日は晴れるといいな。まぁしばらく仕事が立て込んでいたし、ゆっくり休むか)

 地方都市のマンションは、新幹線停車駅最寄の割に家賃が手頃で、それなりの良い部屋に住むことが出来ている。雨が本格的になる前に、早足でマンションの入り口まで急ぐと、そこに居るはずのない女の子が『ジッ……』とロビーのソファに座っていた。

「ヒストリアさん……私、私……ふぇええええんっ」
「さ、紗奈子ちゃんっ? どうしてここに……。わっちょっと、抱きつかないでっ。落ち着いてっ」
「だってぇええっ。朝田先生が、朝田先生が……他の女の人と……ふぇええええんっ」

 黒髪ロングの可愛らしい女子高生『早乙女紗奈子』ちゃんは、僕の腹違いの弟『朝田有去(あさだゆき)』の下宿先のお嬢さんだ。僕の大学生の弟ユキ君とは家庭教師と生徒という間柄でもあり、恋仲のはずだった。
 一方、僕と紗奈子ちゃんの接点はそれほど濃くなく、数回お会いしてお話しした程度だ。

「とにかく、落ち着いてっ! ユキ君が、どうしたって?」
「ふぇええんっ。もうやだ、聞いてヒストリアさん。朝田先生ね、他に女の人がいたのっ。私、おうちにいたくなくて、それで思わず飛び出して……気がついたら新幹線に乗ってて……」
「えっと、ユキ君に女の影があって、紗奈子ちゃんは家にいられなくなって。遠出するために新幹線に乗り、ここにたどり着いたと……」

 まるでただの勢いで、偶然この家まで来てしまったような言い回しである。
 けれど、僕と接点の薄いはずの紗奈子ちゃんのファッションは、どう見ても今夜はうちに泊まるつもりのスタイルだった。
 気温の調整がしやすそうな薄手のグレーのパーカー、水色のワンピース、夏用のうっすらとした黒いレギンス、白いスニーカー、高校生でも持てる値段のブランドショルダーバッグという軽快な装い。さらに、外泊用の荷物が満載であろうボストンバッグと旅行カートを完備。

 よくいえば旅行者、悪くいえば家出少女。

(まずいよ、これは計画的な家出かも知れない。けど、どうして僕の家がターゲットに? やっぱり亡くなった婚約者と紗奈子ちゃんがそっくりだったこと、言わなきゃ良かったのか? それとも今度遊びに行きたいって言った時に、エントランスの暗証番号を教えたのが良くなかったのか)

 無意識なのか計算づくなのか、紗奈子ちゃんは成長中の胸の膨らみをキュッと押し当てて来て、ぱっちりとした大きな瞳を上目遣いにさせて甘えながら……。

「お願いだから、この週末だけでもヒストリアさんの家で過ごさせて!」 

 と、懇願してきた。洋服越しに伝わるむにゅっとした胸の感触が、意外と着痩せするだけでナイスバディなことをアピールしていた。幼く可愛い顔立ちで、華奢なのに胸が大きいなんて最高……いや、けしからんことだ。
 このまま紗奈子ちゃんの誘惑に負けて、何かの間違いで一夜の過ちを犯したら、一体どうなってしまうやら。

「あのね、紗奈子ちゃん。紗奈子ちゃんはもう立派なレディだ。それが、大人の男の家に外泊したら、世間からどういう風に思われるか認識した方がいい」

 正直言って紗奈子ちゃんは可愛い、僕の好みでないと言えば嘘になる。日に日に女好きになっているらしい弟と破局してくれて、同情どころか内心嬉しいのも事実。けれど大人の男として、体裁とかいろいろあるのだ。

「ヒストリアさん、前に言っていたよね。『紗奈子ちゃんは、亡くなった婚約者にそっくりだ。ユキ君より早く出会っていたら、僕がプロポーズしていたのに。ユキ君と破局したら、僕が紗奈子ちゃんをお嫁さんに貰ってあげるから、安心してねっ』って」
「…………うっ。それはそのつい、いやその……」

 しまった! 紗奈子ちゃんが堂々とうちに居座る気なのは、僕が軽々しくプロポーズ紛いの台詞を与えていたせいだった。

「私……その言葉だけを頼りに、遠路はるばる新幹線に乗ってここまで来たのにっ。もういっそのことヒストリアさんに、お嫁さんに貰ってもらおうと。女の方から、そこまで言わせないでよっ。それとも兄弟揃って、結婚詐欺師なのっ」

 紗奈子ちゃんは興奮しているのか、甲高い声が音響の良いマンションのロビーに響き渡る。修羅場の予感をひしひしと感じたのか、マンションの平和を守るため、ススス……と管理人室の透明な小窓が開いた。

「おや、ヒストリアさん。ははは……可愛らしいお客様ですなぁ。うちの県はご両親に許可を得た真剣交際であれば、未成年が泊まっても条例違反にはなりませんが……」
「はっはぁ……」

 マンションの管理人のおじさんがやんわりと注意しつつも、このままお泊まりしても条例違反になる可能性は少ないことを教えてくれた。多分、他の住民の目に触れる前に、借りている部屋へと撤収して欲しいのだろう。

「……仕方がない。取り敢えずは、うちの中へ……」
「うぅ……ありがとうヒストリアさん」


 * * *


 根負けして、結局家の中へと招いてしまった。部屋の明かりをつけると、そこまで散らかっていないリビングにホッとする。まさか突然、来客が来るとも思わず、携帯食料やレトルトパウチのお粥がいくつかある程度で、家の冷蔵庫は殆どカラっぽだ。

「ごめん、紗奈子ちゃん。突然、人が来るとは思わなかったし、お客様に出せるような食べ物の用意がないんだけど。僕が着替えている間に、宅配ピザのメニュー表でも見て、何を食べたいか考えておいて。それと、電話でご両親に事情を説明してもらって、きちんと外泊許可を貰うからね」
「えっ……はぁい。宅配ピザは、マルゲリータピザと甘いスイーツピザのハーフがいいかなぁ?」

 パタン……。
 動揺した気持ちを極力抑えて、なるべく素っ気ない態度を取りつつ、一旦自室へ引き上げる。
 何故、押しかけられた僕の方が謝らなきゃいけないのか、謎の多い展開だが。自室のデスクの上に飾られた亡き恋人ガーネットと僕のツーショット写真に、深いため息をつく。

(やっぱり、紗奈子ちゃんはガーネットに似てるな。死んだ恋人に似た少女に、突然押しかけられたら断れるはずないじゃないか)

 スーツからラフな部屋着に着替えて、ふと部屋の明かりを消す前に……亡き恋人ガーネットとの思い出の写真をそっとデスクの引き出しにしまった。

「万が一、この写真を紗奈子ちゃんに見られたら、なんだかギクシャクしそうだからな。ごめん、ガーネット」

 心の何処かで、自分自身も紗奈子ちゃんに期待してしまっていることに苦笑いしつつ、今は亡き恋人に謝る。

 結局のところ意気地の無い僕が、お泊まりとは言え若い紗奈子ちゃんに手を出せるはずもなく。無事に外泊許可をご両親からもらい、ホッと一息ついてから宅配ピザを一緒に愉しむ。
 次の日は、観光地に遊びに行ったりショッピングに連れ回されたりと、プラトニックな交流を深めた。

 それは僕自身が長く続いた『亡き恋人ガーネットとの思い出』というトラウマから抜けて、新たな恋の種を蒔くきっかけとなった。
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