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プロローグ

殺し屋の末路

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激しい雨だった。
走らせている車のフロントガラスを叩きつけるように降っていたそれは、一粒一粒がまるで銃弾のようにバチバチと音を絶やさずにいた。
ジェイデン・ウィルソン。
殺しを生業として10年。"協会"と呼ばれる殺し屋の組織に所属している。今まで768人殺した。消えない傷も負った。身体にも。心にも。そして報酬によって財産も、家も、車も何もかもを手に入れた。もう十分だった。この仕事を終わらせたら引退する。

はずだった。

路地の脇に車を止め、静かにビルの谷間へと足を踏み入れた。裏手の方へ行き、重たい鉄の扉を開けると、そこにはアルコールの匂いと微かな硝煙の香りが立ち込めていて、年代物の酒の瓶がカウンター越しに並んでいる見慣れたバーの景色が広がっている。
「よぉ、ジェイデン。仕事か?」
「遺憾ながら。」
ここには仕事の時くらいしか訪れない。もし、それ以外でここを訪ねるとしたら、それは俺が ──
「おい、聞いてるのか?」
ふと顔をあげると、書類を持った、くたびれたような天然のパーマがかかっている金髪が似合うコナーがやれやれと言わんばかりの顔でこちらを見ていた。
「お前、この仕事を期に引退するんだろう。お前の姉さんは気の毒だ。だが指定区域での仕事は厳禁だ。それはお前もわかってるはずだ。」
協会には指定区域と呼ばれる場所がある。そこでは仕事をすることはおろか、血を流すことは許されていない。
「コナー。わかってる。お前が次に何を言おうとしてるかも。だが許しはしない。」
「じゃあお前、どうするんだ?奴は、アンドレアは指定区域にいる。それも協会直属の部隊が警護している場所だぞ。」
「奴はそうだろうな。だが兄は?先代の父親はすでに殺されたが母親はどうだ?」
「お前…まさか…」
大切なものを奪った奴が手の届かない場所にいるなら、そいつの大切なものを奪えばいい。アンドレアが自分の姉を殺したように。
「もう行く。今まで世話になった。」
「あぁ…あ、おい!待て!待ってくれ!」
ふとコナーが呼び止める。
「この書類にサインするの忘れてるぞ…それともアレか?まだ遊び足りないか?」
「いや…もう十分だ。」
そう言うのと同時に指を切り血の印を紙に押し付ける。自分の過去と、忌わしい記憶に別れを告げるように。
「よし…。これでお前はもう協会の一員ではなくなる。それじゃあな。」
「あぁ…。元気で。」
バーを後にして扉を開ける。外はまだ雨が降りしきっていた。急ぎ足で車に戻ろうとした、その時。
雨に紛れた気配に気付きはしたが遅かった。ドン!!!という音と衝撃、続いて甲高い耳鳴りと共に背中を苦痛が襲う。とっさに倒れ込んでしまい立ち上がろうとするが身体に力が入らない。ショットガンを至近距離で食らったのが分かった。防弾のスーツでは防げない。焼けるような痛みは増すばかりだった。筋肉が硬直し首すら満足に上げられない。血溜まりができるのも遅くはなかった。背中が熱い。全身から力が抜けていく。自分はもうすぐ死ぬ事が分かった。視界がぼやけていく。誰かが近くを通り過ぎようして足を止めた。そして聞き覚えのある声が一瞬、自分を正気に戻した。「 ……ぉ、俺を…したく…て……んだろう?」
よく聞こえなかった。だが誰が、何を言おうとしていてたのかは分かっていた。
「ア……ンド…レ…ア……」
意識はそこで消えた。
俺は死んだ。唯一の悔いは、アンドレアにとっての大切なものすら奪う事が出来なかった事だ。だが姉にようやく会える。やっとだ。姉さん。すぐに行く。
そうして俺は死んだ。

死んだはずだった。
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