マッチ売りの少女

春秋花壇

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『マッチ売りの少女:火は、まだ消えていない』

第10話(最終話) 火を渡す人になる

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第10話(最終話) 火を渡す人になる

 18歳の冬の朝。
 カーテンの向こうは薄い銀色の光に包まれていた。
 吐く息が白くなる季節——でも、部屋の空気はほんのり温かい。

 リナは机の上の小さな人形に触れた。
 ミリエル。
 祖母の家から連れてきた唯一の“過去”。

「……もう18歳だよ、ミリエル」

 布の手はすこし擦り切れている。
 でも、まるで微笑んでいるように見えた。

(……今日で最後の……)

 胸の奥に淡い緊張が広がった。

     *

 階段を降りると、キッチンから香ばしい匂いが漂ってきた。
 焼きたてのパン。
 バターの溶ける甘い音。
 花がフライパンを揺らしていた。

「おはよう、リナ。18歳、おめでとう」

 振り返った花は、目尻を少し濡らしていた。

「……おはようございます」

 リナが照れくさく席に座ると、省吾が新聞から顔を上げた。

「おっ、やっと来た! 主役の登場だ!」

「省吾さん、声が大きい」と花が微笑む。

「あはは、ごめんごめん。でもさ、18歳ってすごいことなんだよ。大人の始まりだ」

 省吾は、机の上に置いてあった小さな封筒をリナに差し出した。

 白くて、少し厚みのある封筒。

「リナ。これが“最後の50万円”だよ」

 胸がきゅっと締めつけられた。

「……最後……」

「そう。あなたのために、毎年積み立ててきた贈り物。今年で一区切りだね」

 花はそっと付け加える。

「あなたの未来を守るお金。あなたが大人になって、自分で決められるように」

 リナの手が震えた。

(……私の……未来……)

 かつて失うことしか知らなかった“お金”が、
 こんなにも温かく手渡される日が来るなんて——
 あの日の自分には想像もできなかった。

「……ありがとう……」

 小さく言うと、声が震えてしまった。

 花は、リナの手をそっと包む。

「ねえリナ。あなたの夢、聞かせて?」

 省吾も真剣に頷いた。

「ずっと聞きたかった。お金とか未来を学んできたリナが……何を目指すのか」

     *

 リナは手の中の封筒をぎゅっと抱きしめ、ゆっくり言った。

「……わたし……」

 一度深呼吸する。
 肺いっぱいの空気が温かく広がる。

「……大人になったら……“誰かの寒さを見逃さない人”になりたい」

 花が息を呑んだ。

「寒さ……?」

「はい。あの日みたいな……」

 吹雪の路地。
 死にかけた自分を拾った成島の手。
 施設でくれた温かいスープの味。
 布団の温度。
 花と省吾の笑い声。

 その全部が、リナを生かしてくれた。

「誰かが……冷たい道で倒れてても……
 誰かが……ひとりで震えてても……
 私は、その人のそばに行きたい」

 声は震えていたけれど、迷いはなかった。

「お金が怖かった私に……『怖がらなくていい』って教えてくれた人たちみたいに。
 私も……“火を渡す人”になりたい」

 省吾は目を赤くしながら笑った。

「……いい夢だな、それ。めちゃくちゃ、いい夢だ」

 花がリナの肩にそっと抱き寄せる。

「リナなら、できるわ。あなたは、あの日からずっと——火を絶やさずに歩いてきたもの」

     *

 午後、リナは新しいスニーカーを履き、家を出た。
 冬の空気は冷たい。
 でも胸の奥は、不思議なほど温かかった。

(……行こう、あの場所へ……)

 向かった先は、あの児童養護施設。
 5年前、自分が暖かさを取り戻した場所。

 玄関を入ると、職員の美弥子が驚いた顔で駆け寄ってきた。

「リナ!? 大きくなって……もう18歳なの?」

「……はい。今日から、ここでボランティアをしたいんです」

「まあ……!」

 美弥子の目が潤んだ。

「リナ……あなた、自分の火を誰かに渡せる子になったのね……」

 奥から小さな子どもたちが走り寄ってくる。

「だれー? きれいなおねえさんだ!」
「おねえちゃんあそんで!」

 リナはしゃがみこみ、笑顔で言った。

「うん。いっぱい遊ぼうね。いっぱい話そうね」

 その言葉には、過去の自分への誓いが混ざっていた。

(……見逃さない。
 どんな寒さも、どんな孤独も——
 もう、見逃さない……)

     *

 夕暮れの中、家に帰ると、部屋の机の上でミリエルが微笑んでいた。

 祖母が残してくれた、世界でいちばん小さな“火”。

「……おばあちゃん」

 リナは人形を胸に抱いた。

「わたし、大きくなれたよ。
 あなたが灯してくれた火、ずっと消えなかったよ」

 窓の外の街に灯る明かりが、ゆっくり滲んでいく。

(……これからは……私が渡す番……)

 リナはそっと人形を机に戻し、息を整えた。

 部屋の真ん中に立ち、胸に手を当てる。

 自分の中の“火”を確かめるように。

 そして、静かに微笑んだ。

「あの日、消えそうだった火は——
 今、誰かの手の中でまた灯りはじめる。」



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