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創作
カエルと月の泉
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『カエルと月の泉』
――創作ギリシャ神話
アルカディアの奥深く、山々の狭間にひっそりと存在する「月の泉」と呼ばれる聖域があった。夜になると泉は白く光り、まるで月そのものが水底に沈んでいるかのように見えた。伝説によれば、この泉はかつて女神セレーネが地上にこぼした涙から生まれたとされ、純粋なる願いだけが水面に映ると伝えられていた。
その泉の傍らに暮らしていたのが、若き吟遊詩人リュコスである。彼は人里離れたこの場所で、詩と音楽に身を捧げ、自然と語り合うような日々を過ごしていた。人々は彼を「月の泉の詩人」と呼び、時折訪れては彼の歌に涙した。
ある満月の夜、リュコスは泉のほとりで一匹の蛙を見つけた。それは緑とも茶色ともつかぬ不思議な色をしており、瞳には人のような憂いが宿っていた。リュコスがそっと近づくと、蛙は人間の言葉で彼に語りかけた。
「詩人よ、願わくば、私に歌を。私の魂を、忘れぬように。」
驚くリュコスに、蛙は自身の過去を語りはじめた。
「私はかつて、美しい娘だった。名前はリュシア。水の神ネレウスに仕える巫女だった。けれど私は、ある神の怒りを買ってしまった。」
神とは、トリトン――海神ポセイドンの息子であり、気まぐれで傲慢な若き神だった。リュシアはトリトンから愛を告げられたが、それを拒み、月の泉へと逃げた。その純粋さと美しさは女神アルテミスの加護を受けるに値したが、怒り狂ったトリトンは、呪いをもって彼女を蛙に変えてしまったのだった。
「私は泉から離れられず、千年の間、この身のままで月を見上げてきた。言葉を持たぬ蛙として、ただ静かに、生きながら忘れられていく。」
リュコスはその話を聞き、胸を締めつけられた。彼は決意した。この呪いを解くために、詩人としての力を捧げようと。
「リュシアよ、私はお前の名を歌にしよう。月と泉と、蛙となった乙女の物語を、神々の耳に届けてみせる。」
彼はその日から、毎夜、泉のほとりで詩を紡ぎはじめた。月が昇るたび、リュシアの面影を音に乗せ、風に託した。リュコスの詩はただの歌ではなかった。それは魂の祈りであり、神々への直訴であった。
やがて、天空の神ゼウスがその声を聞きとどけた。
「詩人リュコスよ、その真なる愛と詩に免じて、乙女に再び人の姿を与えよう。ただし、彼女が月の泉を離れるとき、その魂は再び失われるであろう。」
雷鳴とともに夜空が裂け、月の泉は白銀の光で満ちた。蛙だったリュシアの身体がやわらかな光に包まれ、人の姿へと戻ってゆく。薄い衣をまとう乙女の姿となった彼女は、涙を流しながらリュコスに微笑んだ。
「あなたの詩が、私を人に戻したのね……ありがとう。」
だがその瞬間、リュコスの顔に影が差した。ゼウスの言葉が胸をよぎったのだ。
(泉を離れれば、彼女は再び失われる――)
それでも、リュシアは手を伸ばした。
「共に、ここを出ましょう。世界を見て、季節を歩み、あなたの詩と生きたい。」
リュコスは、その手をしっかりと握りしめた。
「……いいや、私がここに住もう。君が泉を離れずにすむように、私がこの聖域の守人となろう。」
それは、神すら予想しなかった選択だった。詩人が人としての自由を捨て、呪われし者と共に泉を守る――その愛は、神々の心すら揺さぶった。
その日を境に、月の泉は以前にも増して輝きを増し、訪れる者の願いをひとつだけ叶えるようになったという。そして泉の傍には、いつも二人の姿があった。詩人と乙女、愛と赦しの象徴として。
リュコスの詩は今も風に乗って流れ続けている。
「たとえ蛙になろうとも、
たとえ永遠を生きようとも、
君の心を忘れぬならば、
それは呪いではなく、祈りとなる。」
――それが、「カエルと月の泉」と呼ばれる神話のはじまりである。
――創作ギリシャ神話
アルカディアの奥深く、山々の狭間にひっそりと存在する「月の泉」と呼ばれる聖域があった。夜になると泉は白く光り、まるで月そのものが水底に沈んでいるかのように見えた。伝説によれば、この泉はかつて女神セレーネが地上にこぼした涙から生まれたとされ、純粋なる願いだけが水面に映ると伝えられていた。
その泉の傍らに暮らしていたのが、若き吟遊詩人リュコスである。彼は人里離れたこの場所で、詩と音楽に身を捧げ、自然と語り合うような日々を過ごしていた。人々は彼を「月の泉の詩人」と呼び、時折訪れては彼の歌に涙した。
ある満月の夜、リュコスは泉のほとりで一匹の蛙を見つけた。それは緑とも茶色ともつかぬ不思議な色をしており、瞳には人のような憂いが宿っていた。リュコスがそっと近づくと、蛙は人間の言葉で彼に語りかけた。
「詩人よ、願わくば、私に歌を。私の魂を、忘れぬように。」
驚くリュコスに、蛙は自身の過去を語りはじめた。
「私はかつて、美しい娘だった。名前はリュシア。水の神ネレウスに仕える巫女だった。けれど私は、ある神の怒りを買ってしまった。」
神とは、トリトン――海神ポセイドンの息子であり、気まぐれで傲慢な若き神だった。リュシアはトリトンから愛を告げられたが、それを拒み、月の泉へと逃げた。その純粋さと美しさは女神アルテミスの加護を受けるに値したが、怒り狂ったトリトンは、呪いをもって彼女を蛙に変えてしまったのだった。
「私は泉から離れられず、千年の間、この身のままで月を見上げてきた。言葉を持たぬ蛙として、ただ静かに、生きながら忘れられていく。」
リュコスはその話を聞き、胸を締めつけられた。彼は決意した。この呪いを解くために、詩人としての力を捧げようと。
「リュシアよ、私はお前の名を歌にしよう。月と泉と、蛙となった乙女の物語を、神々の耳に届けてみせる。」
彼はその日から、毎夜、泉のほとりで詩を紡ぎはじめた。月が昇るたび、リュシアの面影を音に乗せ、風に託した。リュコスの詩はただの歌ではなかった。それは魂の祈りであり、神々への直訴であった。
やがて、天空の神ゼウスがその声を聞きとどけた。
「詩人リュコスよ、その真なる愛と詩に免じて、乙女に再び人の姿を与えよう。ただし、彼女が月の泉を離れるとき、その魂は再び失われるであろう。」
雷鳴とともに夜空が裂け、月の泉は白銀の光で満ちた。蛙だったリュシアの身体がやわらかな光に包まれ、人の姿へと戻ってゆく。薄い衣をまとう乙女の姿となった彼女は、涙を流しながらリュコスに微笑んだ。
「あなたの詩が、私を人に戻したのね……ありがとう。」
だがその瞬間、リュコスの顔に影が差した。ゼウスの言葉が胸をよぎったのだ。
(泉を離れれば、彼女は再び失われる――)
それでも、リュシアは手を伸ばした。
「共に、ここを出ましょう。世界を見て、季節を歩み、あなたの詩と生きたい。」
リュコスは、その手をしっかりと握りしめた。
「……いいや、私がここに住もう。君が泉を離れずにすむように、私がこの聖域の守人となろう。」
それは、神すら予想しなかった選択だった。詩人が人としての自由を捨て、呪われし者と共に泉を守る――その愛は、神々の心すら揺さぶった。
その日を境に、月の泉は以前にも増して輝きを増し、訪れる者の願いをひとつだけ叶えるようになったという。そして泉の傍には、いつも二人の姿があった。詩人と乙女、愛と赦しの象徴として。
リュコスの詩は今も風に乗って流れ続けている。
「たとえ蛙になろうとも、
たとえ永遠を生きようとも、
君の心を忘れぬならば、
それは呪いではなく、祈りとなる。」
――それが、「カエルと月の泉」と呼ばれる神話のはじまりである。
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