ギリシャ神話

春秋花壇

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白き尾の誓い

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『白き尾の誓い』

むかし、オリュンポスの麓、風の神ボレアスが吹き下ろす谷間に、ひとりの美しい乙女がいた。名はリュシマキア。銀のように白く輝く長い髪を持ち、森の泉で水を汲み、山の鳥と語らう姿は、まるでニンフのようだった。

だが彼女は神ではなかった。ただの人間の娘――美しさゆえに運命に翻弄される、儚い命。

ある日、戦の神アレウスが、野を越え山を越えた帰り道、偶然、森の泉で踊るリュシマキアを見つけた。
その姿に一瞬で心を奪われた彼は、馬から降りて、そっと泉へ近づいた。

「名を聞かせてくれ、美しき者よ」

リュシマキアは驚きながらも、静かに名乗った。

「私の名はリュシマキア。風と花と共に、ここに生きております」

アレウスは笑い、彼女に手を差し出した。

「私は戦の神、アレウス。そなたの笑顔は剣よりも強い。私の妻となり、オリュンポスに来る気はないか?」

だが、リュシマキアは首を横に振った。

「私には、ここで咲く野の花たちが家族。オリュンポスは、あまりにも遠いのです」

神の求婚を断ること、それは傲慢でも愚かでもない。だが、運命は容赦しなかった。

アレウスは怒らなかった。むしろ、その純粋さにさらに惹かれ、何度も彼女を訪ねては言葉を交わした。
やがて、彼のまなざしにこもる誠意と優しさに、リュシマキアの心も少しずつ揺れ始めた。

だがその恋を快く思わない者がいた。
戦の女神エニオ、アレウスのかつての戦友にして密かに彼を想っていた神だった。

ある夜、嫉妬に狂ったエニオはリュシマキアの家を訪ねた。姿は老女に変えられていたが、声には毒があった。

「お前は、神に恋するとは、身の程知らずだね」

「私は……ただ、彼と話す時間が好きなだけ……」

「では、試してみるといい。もし、彼が真にお前を愛しているなら、どんな姿になっても愛するだろう」

そう言ってエニオはリュシマキアの額に指を触れた。

瞬間、彼女の体は白銀の花へと変わった。長くしなだれる尾のような穂先。葉は風にそよぎ、根は土へと沈んだ。
その姿こそが、「おかとらのお」――後に人々がそう呼ぶようになった植物のはじまりだった。

アレウスは何日も彼女を探し続けた。森を歩き、泉を巡り、風に問い、鳥に呼びかけた。

そして、かつて彼女が踊っていた泉に咲く、白く長い尾の花を見つけた。

「……リュシマキア……?」

風が吹き、花の穂がふるえた。まるで、彼の声に応えるように。

アレウスはその花を手折ろうとしたが、できなかった。彼は膝をつき、静かに語りかけた。

「君を守れなかった。神でありながら、君をこの世界に繋ぎ止めることができなかった。許してくれ……」

その言葉とともに、彼は花の前に剣を捧げた。神の誓い――もう剣を振るうことはない、と。

戦の神は、リュシマキアの名を冠して花を守る神となった。

彼が去ったあと、泉のほとりにそっと咲く「おかとらのお」は、風に揺れながら、まるで誰かを待っているかのように、その白い尾を振った。

時が流れ、神々の記憶も、英雄の物語も風に溶けた。

だが、「おかとらのお」は今でも初夏に咲き、そのしなやかな姿で風と語り合っている。

それは、神に恋し、神に愛されたひとりの乙女の、白き尾の誓い。

永遠に揺れるその花に耳を傾ければ――
もしかしたら、あなたにも、彼女の想いが届くかもしれない。



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