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創作
エウダロスの忘却
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『エウダロスの忘却』
むかしむかし、神々がまだ人間を愛していた頃――
創造の霧のなかに、一柱の神がいた。
名をエウダロス。
彼は“想像”と“かたち”の神だった。
ゼウスが雷を、アポロンが詩を与えるよりも前。
エウダロスは、世界に夢の輪郭を描き、
星の形を削り、風の音に意味を持たせていた。
彼の筆が動けば、大地に海が生まれ、
彼の指が動けば、言葉なき者に声が宿った。
けれど、ある日。
エウダロスは何も描けなくなった。
最初は、ほんの一筆だった。
鳥の翼を描こうとすれば、手が止まり、
精霊の歌を紡ごうとすれば、音が消えた。
神である彼に、「できない」などあるはずがなかった。
「なぜだ……なぜ、描けない」
声は風に吸われ、返事はなかった。
彼はオリュンポスの山を降り、森をさまよい、
かつて自分が作ったものたち――
蛍の光や、小川のせせらぎに話しかけたが、
誰も、答えてはくれなかった。
「私は……失ったのか? “創ること”を?」
やがて人々の間に、「創失神(そうしつしん)」という噂が広がった。
昔はあらゆる美の根源だった神が、
今では壊れた筆を握ったまま、
ただ虚空を見つめるだけの存在となった。
それでもなお、人間は彼を祀った。
「いつか、また美しいものを生んでくださるように」と。
エウダロスは、その祈りすら届かぬふりをして、
地上のある村に身を隠した。
そこでは誰も、彼を神だと思っていなかった。
ただの無口な男が、廃寺に住み、
ときどき空を見上げては筆を折る奇妙な老人として
子どもたちにからかわれていた。
ある夜。
村の子ども――エリアという少女が、廃寺を訪れた。
「おじさん、絵が描けないの?」
「……そうだ」
「わたし、描いてみたいものがあるの。教えてくれる?」
エウダロスは答えず、窓辺から月を見ていた。
「描けなくなった神様って、さみしくない?」
少女の言葉に、彼は初めて、顔を上げた。
「神ではない。ただ、忘れてしまった者だ」
「忘れたのなら、思い出せばいいよ。一緒に描いてみようよ」
そう言って、彼女は自分の描いた稚拙な絵――
真っ赤な太陽と、にこにこ笑う人間たち――を差し出した。
「下手だけど、これ、わたしが作った世界だよ」
エウダロスの胸が、ちくりと痛んだ。
(かつて私も、こうして生んでいたのだ)
その日から、エリアは毎日通った。
「雲ってどうやって描くの?」
「風に音ってあるの?」
「涙って、何色なの?」
問いかけられるたび、エウダロスは、少しずつ答えた。
「雲は、思い出の影に似ている」
「風の音は、言葉にならぬ感情の声」
「涙の色は、その人の記憶で変わる」
エリアは感動したようにノートに書き込んだ。
そしてある日、こう言った。
「おじさんの中には、まだ“創る力”が残ってるよ」
その夜。
エウダロスは、何年かぶりに筆を握った。
なにも描けないまま乾いた筆先に、
ふと、少女の赤い太陽を思い出した。
――あれは、かつて私が創った“希望”に似ていた。
手が、動いた。
太陽。月。風。
それらは粗くて、震えていて、
かつてのような神々しさはなかった。
だが、その線には“生きようとする力”が宿っていた。
創失の神は、ゆっくりと、世界を再び“描き”始めた。
エリアは、のちに画家となった。
彼女の絵には、どこか古代の神話を思わせる神秘があった。
あるとき記者に、「その源は何か」と聞かれ、
彼女は静かに答えた。
「忘れられた神様に、絵の描き方を教わったんです」
その記事は、誰の目にも止まらなかったが、
オリュンポスの隅にある朽ちかけた神殿の前に、
ひとりの老人が静かに、微笑んでいた。
それから長い時が流れ、
神々はまた、静かに神話の奥へと姿を消していった。
けれど、どこかの誰かが“創りたい”と願うたび――
その心の底で、
創失の神・エウダロスが筆を取っていることを
誰も知ることはない。
なぜなら、創造とは、
いつでも
「忘れたふりをして 待ち続けていた神」が
そっと寄り添ってくれているものだから。
むかしむかし、神々がまだ人間を愛していた頃――
創造の霧のなかに、一柱の神がいた。
名をエウダロス。
彼は“想像”と“かたち”の神だった。
ゼウスが雷を、アポロンが詩を与えるよりも前。
エウダロスは、世界に夢の輪郭を描き、
星の形を削り、風の音に意味を持たせていた。
彼の筆が動けば、大地に海が生まれ、
彼の指が動けば、言葉なき者に声が宿った。
けれど、ある日。
エウダロスは何も描けなくなった。
最初は、ほんの一筆だった。
鳥の翼を描こうとすれば、手が止まり、
精霊の歌を紡ごうとすれば、音が消えた。
神である彼に、「できない」などあるはずがなかった。
「なぜだ……なぜ、描けない」
声は風に吸われ、返事はなかった。
彼はオリュンポスの山を降り、森をさまよい、
かつて自分が作ったものたち――
蛍の光や、小川のせせらぎに話しかけたが、
誰も、答えてはくれなかった。
「私は……失ったのか? “創ること”を?」
やがて人々の間に、「創失神(そうしつしん)」という噂が広がった。
昔はあらゆる美の根源だった神が、
今では壊れた筆を握ったまま、
ただ虚空を見つめるだけの存在となった。
それでもなお、人間は彼を祀った。
「いつか、また美しいものを生んでくださるように」と。
エウダロスは、その祈りすら届かぬふりをして、
地上のある村に身を隠した。
そこでは誰も、彼を神だと思っていなかった。
ただの無口な男が、廃寺に住み、
ときどき空を見上げては筆を折る奇妙な老人として
子どもたちにからかわれていた。
ある夜。
村の子ども――エリアという少女が、廃寺を訪れた。
「おじさん、絵が描けないの?」
「……そうだ」
「わたし、描いてみたいものがあるの。教えてくれる?」
エウダロスは答えず、窓辺から月を見ていた。
「描けなくなった神様って、さみしくない?」
少女の言葉に、彼は初めて、顔を上げた。
「神ではない。ただ、忘れてしまった者だ」
「忘れたのなら、思い出せばいいよ。一緒に描いてみようよ」
そう言って、彼女は自分の描いた稚拙な絵――
真っ赤な太陽と、にこにこ笑う人間たち――を差し出した。
「下手だけど、これ、わたしが作った世界だよ」
エウダロスの胸が、ちくりと痛んだ。
(かつて私も、こうして生んでいたのだ)
その日から、エリアは毎日通った。
「雲ってどうやって描くの?」
「風に音ってあるの?」
「涙って、何色なの?」
問いかけられるたび、エウダロスは、少しずつ答えた。
「雲は、思い出の影に似ている」
「風の音は、言葉にならぬ感情の声」
「涙の色は、その人の記憶で変わる」
エリアは感動したようにノートに書き込んだ。
そしてある日、こう言った。
「おじさんの中には、まだ“創る力”が残ってるよ」
その夜。
エウダロスは、何年かぶりに筆を握った。
なにも描けないまま乾いた筆先に、
ふと、少女の赤い太陽を思い出した。
――あれは、かつて私が創った“希望”に似ていた。
手が、動いた。
太陽。月。風。
それらは粗くて、震えていて、
かつてのような神々しさはなかった。
だが、その線には“生きようとする力”が宿っていた。
創失の神は、ゆっくりと、世界を再び“描き”始めた。
エリアは、のちに画家となった。
彼女の絵には、どこか古代の神話を思わせる神秘があった。
あるとき記者に、「その源は何か」と聞かれ、
彼女は静かに答えた。
「忘れられた神様に、絵の描き方を教わったんです」
その記事は、誰の目にも止まらなかったが、
オリュンポスの隅にある朽ちかけた神殿の前に、
ひとりの老人が静かに、微笑んでいた。
それから長い時が流れ、
神々はまた、静かに神話の奥へと姿を消していった。
けれど、どこかの誰かが“創りたい”と願うたび――
その心の底で、
創失の神・エウダロスが筆を取っていることを
誰も知ることはない。
なぜなら、創造とは、
いつでも
「忘れたふりをして 待ち続けていた神」が
そっと寄り添ってくれているものだから。
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