ギリシャ神話

春秋花壇

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太陽の涙――ポーチュラカの誕生

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太陽の涙――ポーチュラカの誕生

それは、まだ世界が若く、神々の息吹が地上を満たしていた頃の話。
オリンポスの頂では、光り輝く神々が運命を操り、地上の命はその加護のもとに繁栄していた。

太陽神アポロンの息子、若きパエトーンは、その名の通り光に満ちた少年だった。
だが彼の瞳には、父への憧れと、自らの未熟を埋めるような焦燥が宿っていた。

彼には、密かに想いを寄せる存在があった。
森の泉に棲む妖精、リュキア――
透き通るような肌と、風に揺れる花のような笑顔。パエトーンにとって、彼女は地上に降りた光そのものだった。

ある日、パエトーンは想いを告げた。

「リュキア、いつか僕が父の馬車を駆り、天空を照らすことができたなら……そのとき、君は僕を認めてくれる?」

泉のほとりで花を摘んでいたリュキアは、静かに微笑んだ。

「あなたの輝きは、もう十分よ。私にとっては、世界で一番の光だわ」

その言葉は、彼の胸を熱くさせた。
彼女にふさわしい男になりたい。父に、そして世界に認められたい。
その想いは、やがて取り返しのつかない決意へと変わっていく。

パエトーンは、父アポロンに願い出た。
「どうか一日だけ、太陽の馬車を僕にお任せください」と。

父は戸惑い、危険を説いたが、若きパエトーンの決意に心を動かされ、ついに馬車の手綱を彼に託してしまった。

そして、運命の朝。
少年は黄金の馬車に乗り、天空を駆け出した――

だが、天駆ける炎の馬たちは、若き手綱を侮り、暴走を始める。
太陽は地上に近づきすぎ、大地は焼けただれ、森は燃え、川は干上がった。
世界は、灼熱の地獄と化した。

リュキアは、愛する泉の水が蒸発していくのを見た。
鳥のさえずりが消え、緑は焦げ、風さえも熱を孕む中で、彼女の胸は裂けそうだった。

あの優しい少年が、なぜ世界をこんなにも傷つけるのか――
そして、なぜ自らを滅ぼす道を選んだのか――

やがて、ゼウスの雷霆が空を裂き、暴走するパエトーンを撃ち落とした。
彼の命は、大地へと消え、世界には一時の静寂が戻った。

リュキアは、パエトーンが墜ちた地を訪れた。
焦げた大地。乾いた風。すべてが、かつての彼の輝きの残骸のようだった。

彼女は座り込み、ただ静かに泣いた。

「パエトーン様……なぜ、こんなにも……」

彼を信じたこと。励ましたこと。
それすらが、彼を破滅へ導いたのではと、自らを責めた。

彼女の頬を伝う涙は、やがて干上がった土に落ちていった。
その瞬間――

乾いた大地から、小さな緑の芽が顔を覗かせた。

不思議なことに、リュキアの涙が落ちるたび、芽はすくすくと育ち始めた。
翌朝には、小さな花が咲いていた。

それは、燃えるような赤やオレンジ、黄金色の花弁。
まるで、パエトーンが駆った太陽の馬車の残光が宿っているかのようだった。

そしてその花は、酷暑の太陽のもとでも、決して萎れなかった。
夕暮れになると静かに閉じ、夜の静寂の中で力を蓄え、また朝には希望のように咲き誇る。

リュキアはその花を手に取り、感じた。
これは、失われた愛の痛みと、命の再生の象徴。
自分の涙と、彼の輝きが重なり合って生まれた奇跡――

彼女は、花を天に掲げて祈った。

「どうかこの花が、悲しみの上にも希望が芽吹くことを、人々に伝える存在になりますように」

その祈りは、オリュンポスの主ゼウスに届いた。

ゼウスは言った。

「リュキアよ。お前の涙が生んだその花に、永遠の命と意味を与えよう。
この花は『太陽の涙』――灼熱にも負けぬ希望の象徴となるであろう」

こうして、その花は「ポルテュラカ(Portulaca)」と名づけられた。
それは「通路」や「門」を意味するラテン語に由来する。
すなわち、過ちの記憶と、希望への新たな道――

ポーチュラカの花は、今もなお、真夏の太陽の下で元気に咲いている。
その花言葉は「無邪気」「希望」「感謝」。

それは、若き命の愚かさと、愛の涙が育んだ生命の物語。
悲劇が生んだ希望の証であり、私たち一人ひとりが困難の中で咲かせるべき心の花。

もし、夏の炎天下でポーチュラカを見かけたら――
その花の奥にある物語を、どうか思い出してほしい。

それは、太陽神の息子が引き起こした悲劇の上で、ひとりの妖精が流した涙から生まれた、光と再生の花なのだ。

今日もまた、太陽の下で、ポーチュラカは黙って咲いている。
私たちに、どんな絶望にも、希望は芽吹くことを教えてくれるように。














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