【完結】ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイの密かな悩み

ひなのさくらこ

文字の大きさ
12 / 60
第二章

王女クラリス

 クラリス・ウィニフレッド・シエルハーンは途方にくれていた。
 それだけではない。困惑し、恐怖に怯え、疲労の極みにあり、そして空腹で目が回りそうだった。
 国を出てからずっと、弟を護らねばならないという緊張感でぴんと張り巡らせていた神経が、ここにきていよいよ途切れそうになっている。

「名前を教えてくれるかな? 生まれはどこ?」

 クーパー商会から警察に移送された後の、事情聴取という名の取り調べの真っ最中だ。弟と別の部屋に入れられたのは、口裏を合わせないようにということか。クラリスを担当するのはまだ若い、髭も生えそろっていないような若造だったが、年の近い者のほうが心を許すとの配慮かもしれない。

「お父さんとか、お母さん、お兄さんやお姉さんでもいいけど、誰かいる? 呼んだら迎えに来てくれる人が」

 クラリスは黙っていたが、それは別に警察を拒んでいるからでも軽んじているからでもない。黙ったまま俯くクラリスに、若い警官はがりがりと頭を掻いた。

「うーん、僕には話したくないの? でも、他の連中じゃきっと話し辛いと思うんだけど。だってさ、縦も横も僕の倍くらいの身体で顔は熊みたいなおっさんだらけなんだよ? 今のうちに話しておきなよ」

 クラリスはちら、と視線を上げ、そしてまた俯いた。何を言えばいいのか分からないということもあるが、もっと別の切実な理由があるからだ。だが、どんな状況であってもクラリスの優先順位は弟だ。人身売買の現場から逃れることができたとはいえ、未だ二人を取り巻く環境は好転したとは言えない。どうにかして自分の事情を伝え、何よりも弟と二人で生活できる道を探らなければならなかった。
 決意したクラリスが顔を上げた時、困った様子の警官は戸口に立つ仲間に声をかけた。

「とりあえず孤児院に空きがあるか確認しておいてくれないか。この子は年齢的に無理だろうけど、弟のほうだけでも面倒を見てもらわないと」

 そして警官は励ますように微笑みながら、青ざめたクラリスに向き直った。

「心配しなくていいよ。君をいきなり放り出すようなことはしない。でも孤児院は君の場合、少し難しいんだよね、入所できるのが十二歳までだから。だから数日の間教会に身を寄せて、それから仕事を探せばいいよ。保証人は警視監に頼めばいいから。あの人、案外面倒見いいんだ。あ、もちろん身元を引き受けてくれる人がいるなら話は別だけど……その様子じゃあ、誰もいないよね」

 身元を引き受けてくれる人など誰もいない。微動だにしないでいると、警官は小さなため息をついた。

「……うん。じゃあ仕方ないけど、これは決まりだから。君たちはどう見ても人身売買の被害者だし、犯罪に手を染めているようにも見えない。弟とは離れ離れになってしまうけど、仕事が安定したら一緒に暮らせるようになるから。だからもう聴取はお終いにして――」

 ガタッ、と音を立ててクラリスは立ち上がった。こんな異国で、弟一人だけを孤児院に入れるなんて絶対にできない。だって弟は、ヴィクターはシエルハーンの正統な王位継承者なのだから。

 はく、と口を何度も動かしたクラリスは、両手で喉を押さえもう一度口を開いた。だが、ふっくらとした薄紅色の唇から言葉は出てこない。
 そのクラリスを見た若い警官は目を見開き、驚いた様子で尋ねた。

「まさか、君……喋れないの?」

 クラリスは細い指を喉に当てたまま、こくりと頷く。肩につかない長さの髪が揺れ、胸の悪くなるような匂いが鼻腔を衝いた。その匂いはきっと部屋中に広がっているはずなのに、警官たちは慣れた様子で顔をしかめもしない。むしろ今は目の前の聴取対象者が黙りこくっていた理由がようやく分かり、少し慌てているようだった。
 路上生活をしていた孤児だ。文字を読めるとは思っていないのだろう。迷った結果、若い警官は指示を仰ぐために部屋を出ていった。





 
 ルフトグランデ王国の南東、切り立った山稜に埋もれるような場所にシエルハーンはあった。
 元々はエーベルの地方領であったのが、功をたてた者にその地を与えられ、独立を許されたのだ。
 実際のところ功を為したというのは口実で、王位争いに敗れた王家嫡流の者を、陸の孤島であるシエルハーンに流しただけのことのようだ。死刑宣告にも等しいその沙汰を、初代国王は淡々と受け入れたという。
 あまりにも便が悪い地であることと、農業以外さしたる産業がないこと、また主要な交易路から外れていることもあり、シエルハーンは栄えることなく、かといって衰退することもなくほそぼそと存続していた。
 穏やかな王としっかり者の王妃は、国民を第一として善政を敷いていた。そしてそんな両親を尊敬するクラリスは、王太子である兄や年の離れた弟と、贅沢はできないものの幸せに暮らしていた。
 何より楽しかったのは、どうすればシエルハーンをもっと豊かにできるかと兄妹弟三人で話し合うことだった。
 国の成り立ちから言えばエーベルが源流だが、勢いはルフトグランデが圧倒的だ。国を富ませるために重要なのは学びだとして、各種産業の栄えるルフトグランデへ優秀な者を留学させてはどうかと、兄妹弟たちは話し合った。実際に、国費留学の実現へ向けて父や大臣へ相談することもあった。

 しかし、父王の弟である叔父のダントン公の考えは違った。手っ取り早く国を富ませ国土を広げるためには武力行使が不可欠であるとして、軍部と協調して主張したのだ。
 小国シエルハーンが、いったいどうすれば戦で領土を広げられるというのか。王はすぐさまそれを退けたが、叔父たちは過去のザンギルとルフトグランデの戦いに倣うべきだと強硬だった。
 父はその意見には反対したが、決して弟との対話を欠かすことはなかった。小国ではあっても、栄えさせるには人々の知恵が要る。意見を異にする弟ではあるが、協力していきたいと願っていたのだ。
 
 クラリスはそんな父の思いをよく知っていた。だから夢にも思わなかった。叔父が、兄である王を弑して王位を手に入れようとしているなどとは。

 その日。十八歳になったばかりのクラリスは、母からそろそろ嫁ぎ先を決めると言われて沈み込んでいた。まだ自分には早いと思っていたし、何より兄たちと一緒に国を盛り立てていきたかった。
 農業以外さしたる産業のないシエルハーンだが、傷によく効く温泉がある。これを整備して観光地にすることはできないだろうか。
 そう思案するクラリスの思いは、叔父が起こしたクーデターによって霧散した。クラリスの目の前で両親は叔父の凶刃に倒れ、兄は叔父の私兵と剣を斬り結びながら叫んだ。

『逃げろ! ヴィクを護るんだ!!』
『兄さま!』
『ヴィクさえいれば国は再建できる! 正当な王の血脈だ、ヴィクを旗印にして民を集結させろ!』

 ルークの言葉に反応した兵が、真っすぐクラリスに向かってくる。それを必死で食い止めながら、ルークはまた『早く行け!』と叫んでいる。

『姫様、失礼いたします』

 足が竦んで動けないクラリスを、護衛騎士がサッと抱きかかえた。嫌だと口にしたくともできず、必死で振り返り視線だけで兄を追いかける。三人がかりで兄を取り囲んでいた兵の刀が、兄の腕を裂いたところで広間の奧の隠し通路に入り、何も見えなくなった。
感想 14

あなたにおすすめの小説

あっ、追放されちゃった…。

satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。 母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。 ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。 そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。 精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。

触れられないはずの私が、ただ一人の彼にだけ心も体も許してしまいました

由香
恋愛
男性に触れられると体調を崩す令嬢リリア。 そんな彼女にとって唯一“触れられる”存在は――幼なじみの公爵令息レオンだけだった。 手を取られ、抱き寄せられ、当たり前のように触れられる日々。 それがどれほど特別なことなのか、彼女はまだ知らない。 やがて政略結婚の話が持ち上がり、“触れられない相手との結婚”か、“彼に触れられる人生”かを選ぶことに。 「お前に触れていいのは俺だけだ」 逃げ場のない独占と、甘すぎる溺愛。 これは、触れられないはずの少女が、ただ一人にだけすべてを許していく物語。

【完結】モブ令嬢としてひっそり生きたいのに、腹黒公爵に気に入られました

22時完結
恋愛
貴族の家に生まれたものの、特別な才能もなく、家の中でも空気のような存在だったセシリア。 華やかな社交界には興味もないし、政略結婚の道具にされるのも嫌。だからこそ、目立たず、慎ましく生きるのが一番——。 そう思っていたのに、なぜか冷酷無比と名高いディートハルト公爵に目をつけられてしまった!? 「……なぜ私なんですか?」 「君は実に興味深い。そんなふうにおとなしくしていると、余計に手を伸ばしたくなる」 ーーそんなこと言われても困ります! 目立たずモブとして生きたいのに、公爵様はなぜか私を執拗に追いかけてくる。 しかも、いつの間にか甘やかされ、独占欲丸出しで迫られる日々……!? 「君は俺のものだ。他の誰にも渡すつもりはない」 逃げても逃げても追いかけてくる腹黒公爵様から、私は無事にモブ人生を送れるのでしょうか……!?

わたしさえいなければ、完璧な王太子だそうです。

ふらり
恋愛
人並外れた美貌・頭脳・スタイル・武勇を持つウィンダリア王国の25歳の王太子は、完璧な王太子だと言われていた。ただし、「婚約者さえいなければ完璧な王太子なのに」と皆が言う。12歳の婚約者、ヴァイオレット・オルトニーは周囲から憐みの目を向けられていた。 「私との婚約は、契約で仕方なくなのかい? もう私に飽きてしまっている? 私は今でも君にこんなに夢中なのに」 13歳年下の婚約者少女に執着溺愛する美貌も能力も人間離れした王太子様と、振り回される周囲のお話です。小説家になろうにて完結しております。少しずつこちらにもあげていくつもりです。ファンタジー要素はちょっぴりです。

愛されないはずの契約花嫁は、なぜか今宵も溺愛されています!

香取鞠里
恋愛
マリアは子爵家の長女。 ある日、父親から 「すまないが、二人のどちらかにウインド公爵家に嫁いでもらう必要がある」 と告げられる。 伯爵家でありながら家は貧しく、父親が事業に失敗してしまった。 その借金返済をウインド公爵家に伯爵家の借金返済を肩代わりしてもらったことから、 伯爵家の姉妹のうちどちらかを公爵家の一人息子、ライアンの嫁にほしいと要求されたのだそうだ。 親に溺愛されるワガママな妹、デイジーが心底嫌がったことから、姉のマリアは必然的に自分が嫁ぐことに決まってしまう。 ライアンは、冷酷と噂されている。 さらには、借金返済の肩代わりをしてもらったことから決まった契約結婚だ。 決して愛されることはないと思っていたのに、なぜか溺愛されて──!? そして、ライアンのマリアへの待遇が羨ましくなった妹のデイジーがライアンに突如アプローチをはじめて──!?

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

ある日、私は事故で死んだ───はずなのに、目が覚めたら事故の日の朝なんですけど!?

ねーさん
恋愛
   アイリスは十六歳の誕生日の前の日に、姉ヴィクトリアと幼なじみジェイドと共に馬車で王宮に向かう途中、事故に遭い命を落とした───はずだったが、目覚めると何故か事故の日の朝に巻き戻っていた。  何度もその日を繰り返して、その度事故に遭って死んでしまうアイリス。  何度目の「今日」かもわからなくなった頃、目が覚めると、そこにはヴィクトリアの婚約者で第三王子ウォルターがいた。  「明日」が来たんだわ。私、十六歳になれたんだ…

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。