16 / 60
第二章
ジュリアナの悪癖
しおりを挟む彼らを取り囲む大人のうち一人は荒事も辞さない警察官で、もう一人は高慢な物言いがなぜか女性に人気の大富豪だ。非の打ち所がない容姿だが態度は傲岸不遜で口調も強い。普通の子供なら怯えてもおかしくはないだろう。
弟は、兄とよく似た菫色の瞳で大人たちを見上げた。
こんなに汚れ切った姿でさえ立ち姿にどこか品がある。ダンカンはそう認め、片眼鏡を外すと潤む目元をハンカチで丁寧に拭いた。
「ええ、いいですよ。使用人としてあなたたち二人を雇いましょう」
「バリー、なぜお前が許可を出すんだ」
「おや。邸の使用人に関する権限を私にお与えになったのは若ではありませんか」
平然と答えるダンカンにアレクシスは舌打ちをした。確かに使用人の雇用に関する権限を与えてはいるが、当主自らの判断を無視していいはずはない。しかし、二代に亘り当主に仕える家令はため息をつきながら再び目を拭い、ついでに音を立てて鼻をかんでから抗議した。
「若は健気なこの兄弟を見捨てろと、そう仰るのですか」
主と家令の間に流れる不穏な空気に、その元凶を持ち込んだ警視監は俄かに焦り始めた。
「ミスター・ダンカン。お口添えいただけるのは有難いのですが、どうか穏便に」
「これが穏やかに話せる内容だとでもお思いですか。余りにも酷い。自分の仕える主がこれほど冷酷なお方だと知った以上、わたくしは職を辞するつもりです」
「ミスター・ダンカン! ハリントン卿、黙っていないで何とか仰ってください!!」
切れ者で知られるハリントン男爵家の家令が辞職するとなれば大ごとだ。ロナルドが主従の諍いを鎮めようと慌てる隣で、アレクシスはフンと鼻を鳴らした。
「バリーの言うことを真に受けるな。こいつは先日見た舞台の登場人物を気取っているだけだ」
「舞台?」
「ああ。『家令ルーニーと小公子の事件簿』という舞台を見たことがあるか」
「……大変な人気で、チケットの入手が難しいという話なら耳にしました。ルーニー役の役者がちょっとくたびれた壮年男性で、若い俳優でなければ集客できないという定説を覆したと」
「主人公ルーニーに、みすぼらしい少年が下働きとして働かせてくれと頼むんだ。主に逆らって少年を雇ったルーニーと、実は名のある貴族の跡取りだった少年が協力して次々と事件を解決していくという物語だ」
「まさかミスター・ダンカンは……」
「ルーニーになったつもりで受け答えしていただけだろう」
どんな荒くれ者を前にしても動揺することのない王都の警視監は、口をあんぐりと開けた。
「し、しかし、あのように涙を」
「あれは季節性のものだ。この時期になると鼻水が出て目が痒くなるらしい」
「はい。この体質だけはいけませんね。この程度で済んでいるのも、若がいいお医者様をつけてくださったおかげでございます。ありがたいことで」
唖然とするストロングを横目に澄ました顔で片眼鏡をクイと持ち上げたダンカンは、もう一度鼻をかんでからハンカチをポケットにしまった。
「冗談はさておき、庇護を求めてやってきた子供を追い返すような真似はせずともよろしいかと存じますが」
口の達者な家令に顔をしかめながら、アレクシスはクーパー商会で初めて会った時と同じように兄弟の前に片膝をついて顔を近づけた。
印象的な青い瞳で見据えられ、兄弟は同時にこくりと唾を飲む。
「名前と年を」
「ヴィク、六歳です」
「兄のほうは」
「フレディ、十……ろく、さいです」
口ごもるヴィクを見て、アレクシスはスッと目を眇めた。
「ほう……。六歳に、十六歳か」
沈黙の中でじっと見つめられ、ヴィクはもじもじしながら目を逸らした。しばらくその様子を見ていたアレクシスは、やがて噛んで含めるように言った。
「ではヴィク。あんな処で出会ったのも何かの縁だ。金が必要なら用意してやろう。落ち着くまでは俺が所有するアパルトマンに住めばいい。使用人もつけてやるし、いつまでと期限を気にすることなく――」
ハッ、と息を飲んだのは兄のフレディだった。口をはくはくと動かしながら何度も何度もかぶりを振る。そして後ろから弟を強く抱きしめ、堪えようもなく潤む瞳からほろりと一つぶ涙を流した。透明な水滴に洗われ、汚れた頬に白い筋ができる。アレクシスは言葉を失った。
みすぼらしい孤児が泣いただけだ。美しく着飾った貴婦人の涙でもあるまいに、アレクシスだけではなくその場にいる全員が、とんでもない非道を行ったような罪悪感に苛まれた。
「……若。あなたさまがこれ程冷たいお方だとは、私は今の今まで存じ上げませんでした」
じとり、と片眼鏡越しにダンカンがアレクシスを睨む。そのうえいつも礼儀正しいロナルドまでが、富豪の男爵家当主に非難の目を向けた。
「ハリントン卿。私も多くの犯罪者を見てきましたが、この二人が悪事を企むとは到底思えません。身元を保証する者が必要だと仰るなら、私がその役を引き受けましょう。どうか彼らの希望を叶えてやってくださいませんか」
「素敵!」
男たちは一斉に振り返った。そこには目をハートにし、両手を胸元で握り合わせたジュリアナが立っていた。
「レディ・ジュリアナ。朝早くから申し訳ありません」
ロナルドはサッと姿勢を正すと、男爵家の女主人に一礼した。二人はジュリアナの熱烈なアタックがありながら未だ交際に至っていない。三十二歳と二十歳という年の差以上に、ハリントンの名は重かった。
一線を引く礼儀正しさがじれったくもあるが、そんな生真面目さも好ましい。ジュリアナは頬を赤らめながら挨拶をした。
「ごきげんよう、ロナルド様。制服姿がとってもお似合いですわ。それに惚れ惚れするような仰りよう。さすがは市民を護る警察の鏡でいらっしゃる。何て素敵なんでしょう」
「はしたないぞ、ジュリアナ。部屋で待つように言っただろう」
アレクシスは眉間を指先で揉みながら窘めた。この口うるさい妹の存在をすっかり失念していた。おまけにこいつは昔から捨て猫や捨て犬を見れば必ず拾う悪癖がある。余計な口出しをされる前に追い払わなければ。
そんな兄の思惑を無視したジュリアナは、衣擦れの音をさせながら孤児の兄弟に近づいた。凝った花の刺繍が施された緑色のドレスが汚れるのを気にすることもなく兄弟の前にしゃがみ込む。
「この子たちは?」
「……昨夜の、闇取引の現場にいた子供たちです」
受け入れを拒む当主の前で詳細を語るのを憚り、実直な警視監は事実のみを述べた。ジュリアナは唇を少し尖らせながら、今度は目の前の子供に直接話しかける。
「ねえあなた、名前は?」
「ヴィクです。あの、ぼくたち……」
「どうしたの?」
迷いは一瞬だった。ヴィクは両手を握り、意を決して切り出した。
「ぼくたちをここで、働かせてください!」
ぱち、と瞬いたジュリアナは、苦虫をかみつぶしたような顔の兄と申し訳なさそうにしている警視監、そしていつもどおり澄ました家令を見渡して、最後に弟の後ろで涙を堪えようとするフレディに目を遣った。
「……いいわ。雇ってあげる」
「えっ」
「おい、ジュリアナ」
「お兄様は黙っていらして。ねえ、先にお風呂に入りましょうか。お腹もすいているわよね。バリー、お風呂と食事と、それから二人に合う洋服を準備してちょうだい。急いでね」
「はい、直ちに」
「あ、あの、ぼくは兄といっしょにいたいんです。でも、今フレディは口がきけなくて、それに……」
本当にいいのだろうか。クラリスとヴィクターは心細さのあまり、縋るようにジュリアナを見つめた。
泣くまいと懸命に自分を奮い立たせる四つの瞳を安心させるように、当主の妹であり、兄から本気で命じられても逆らうことのできる唯一の人物――前当主である父親のゲイリーは別だ、国内にいないのだから――はにっこりと笑った。
「安心して。あなたたち二人を引き離したりしないって、約束するわ」
そして今更ながらに兄を振り返り、面白そうに目を輝かせた。
「ねえお兄様、構わないでしょう?」
その場にいる全員の視線がアレクシスに集まる。
形のよい眉を顰めたハリントン男爵家当主は、やがて口角をグッと下げた。
「…………好きにするがいい」
0
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!
ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。
前世では犬の獣人だった私。
私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。
そんな時、とある出来事で命を落とした私。
彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ご褒美人生~転生した私の溺愛な?日常~
紅子
恋愛
魂の修行を終えた私は、ご褒美に神様から丈夫な身体をもらい最後の転生しました。公爵令嬢に生まれ落ち、素敵な仮婚約者もできました。家族や仮婚約者から溺愛されて、幸せです。ですけど、神様。私、お願いしましたよね?寿命をベッドの上で迎えるような普通の目立たない人生を送りたいと。やりすぎですよ💢神様。
毎週火・金曜日00:00に更新します。→完結済みです。毎日更新に変更します。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる