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第二章
外聞と醜聞
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アレクシスの胸中など知らず、四人は実に和やかな雰囲気だ。姉のちょっとした表情の変化や口の動きを読み取ったヴィクターからの補足により、他の二人にも意思の疎通はできているようだ。
ジュリアナへの気遣いを忘れず、時にはダンカンから毒のある言葉をかけられてあたふたするドミニクだったが、控えめな様子で語るヴィクターと大人しいクラリスを見るうちに、あることに気づいて眉を上げた。
「ん? やっぱりこの子たち、平民なんかじゃないね。むしろ、いい暮らしをしていたのかな」
「あら、どうしてそう思うの?」
「ほら、見てごらん」
ドミニクはそう言って、クラリスの手を握り顔の前に引き寄せた。
「……!!」
「おいっ!」
硬直するクラリスと思わず叫んだアレクシスを無視して、ドミニクはジュリアナに説明した。
「ほら。少し荒れてはいるけれど手のひらも指先も皮膚が薄くて柔らかい。きっと最近まで水仕事すらしたことがなかったんじゃないかな。平民なら家の手伝いや仕事をさせられて、手はもっと固いはずなんだ」
ジュリアナは両手を口元で打ち合わせた。
「すごいわドミニク! あなたがこんなに観察力があるなんて知らなかった」
「そんな……これくらい簡単なことだよ」
冷静に考えれば失礼な言葉だが、褒められたドミニクは得意になって推理を続けた。
「二人はよく似ていて姿もいい。それに、人に見られることに慣れている感じだ。金持ちの商家か……いや、これだけ綺麗な顔をした兄弟がいたら噂になっているはずだから、それはないか。でも貴族だったら尚更僕の耳に入らないはずはないし、もしかして国外の……いてっ!」
「いつまで触っているんだ」
アレクシスは目を吊り上げてドミニクの腕を叩き落とした。急いで手を引いたクラリスは少し震えている。
「……アレク、何をそんなに怒っているの?」
「怒ってなどいない」
「いやだ。お兄様、本当に怒っているわ」
「……」
ドミニクにとって、クラリスはジュリアナが連れてきた少年でしかない。もし相手が小国とはいえ王女だと知っていたら、礼法をみっちりと叩き込まれている彼が簡単に手を取ったりはしないはずなのだ。分かっているのに腹が煮える。
「ドミニク。下らん推測はやめておけ」
素行や性格に部分的な問題はあるものの、やはり従弟の地頭は悪くない。放置すれば危険なほど真相に迫ってしまいそうで、アレクシスは強引に話を終わらせた。そして怯えるクラリスに向き直り、言葉に迷いながら声をかける。
「大丈夫か」
クラリスは潤んだ瞳でアレクシスを見返した。その強い目の光にたじろぐ彼を見つめたまま、キュッと唇を引き結ぶ。
「あら」
「おや」
「お、おい」
三人三様に声を上げた。クラリスが弟の手を引いて、アレクシスの後ろへ隠れるように駆け込んできたからだ。驚き振り返ったアレクシスを見上げる四つの瞳。エーベルでは神の恩寵とされる、鮮やかな紫の瞳だった。
ジュリアナは感心したように、一つ所に集まる三人を眺めた。
「随分懐かれたのね。珍しいわ、お兄様は子供にはたいてい怖がられるのに」
「まことに。若の見た目だけではなく、内面の素晴らしさにいち早く気づくことのできる稀有な方々でございます」
「何だか間接的に貶されている気がするなあ……でも、アレクに懐いているのは本当だね。これだけ見目のいい子たちならうちで引き取りたいと思ったんだけど、この慕いかたじゃ難しいかな。可愛らしい物や人が母上は大好きだから、きっと喜ぶと思うんだ」
ドミニクの母レディ・バークリー。筆頭公爵家夫人で、アレクシスとジュリアナの伯母。
一人息子を溺愛する伯母は、美しい物や人に目がない。バークリー公爵邸の使用人は皆見た目がよく、雇用条件に容姿が含まれているともっぱらの噂だ。
深い思慮はできない伯母なのだが、なぜか社交界では腹に一物ある女性だと認識されている。そして、当の本人は自分が陰でそんな風に言われていることに全く気づいていなかった。
息子を見ても分かるとおり、自分にも他人にも甘いタイプだ。意図的に誰かを傷つけることなど考えたこともないだろう。よくあれで宰相の夫を支えられるものだと感心するが、裏のない天然の物言いを周囲が勝手に勘繰り邪推しているだけのようだ。そのため社交界でレディ・バークリーは夫に負けず劣らず狡猾だと思われている。
この二人の預け先として、バークリー公爵家は一考に価するかもしれない。
あれで伯母はなかなか用心深い人間だ。夫の職業柄もあり邸の警護も厳しい。伯父にだけ事情を説明し、伯母に二人の身元は自分が保証すると請け合えば、後は面倒を見てくれるだろう。国家間の火種になりかねない王族を預かるのに、ルフトグランデ筆頭公爵家の地位と宰相の権力は最良といえた。
「そんなの駄目よ。この子たちはうちで面倒見るって決めたんだもの」
「うーん……それはそうだけど」
反論するジュリアナに、ドミニクはアレクシスの後ろから顔を覗かせているクラリスをちらりと見てから小さく咳払いをした。
「いくら女の子みたいな見た目でも、彼は若い男だ。成長すれば身体も大きくなり力もつく。ハリントンの令嬢である君の側に置くのは不適切なんじゃないかな」
部屋がしん、と静まった。
ドミニクの指摘はある意味当然だった。ジュリアナは仮にも貴族家の令嬢なのだ。それがどこの誰とも知れない兄弟にこれほど入れ込んでいる様子を見れば、苦言を呈したくもなるだろう。ましてやドミニクはジュリアナに想いを寄せているし、クラリスが女だとは知らないのだから、この提案は仕方のないことでもある。
これに乗じるべきか。口を開きかけたアレクシスは、つん、と上着を引かれて後ろを振り返った。
上着の裾をほんの少しだけつまんだクラリスは、アレクシスが振り向くと同時に手を離した。華奢な肩を緊張させながら、意外なほど強く訴える視線を向けてくる。アレクシスは口を噤んだ。
ジュリアナへの気遣いを忘れず、時にはダンカンから毒のある言葉をかけられてあたふたするドミニクだったが、控えめな様子で語るヴィクターと大人しいクラリスを見るうちに、あることに気づいて眉を上げた。
「ん? やっぱりこの子たち、平民なんかじゃないね。むしろ、いい暮らしをしていたのかな」
「あら、どうしてそう思うの?」
「ほら、見てごらん」
ドミニクはそう言って、クラリスの手を握り顔の前に引き寄せた。
「……!!」
「おいっ!」
硬直するクラリスと思わず叫んだアレクシスを無視して、ドミニクはジュリアナに説明した。
「ほら。少し荒れてはいるけれど手のひらも指先も皮膚が薄くて柔らかい。きっと最近まで水仕事すらしたことがなかったんじゃないかな。平民なら家の手伝いや仕事をさせられて、手はもっと固いはずなんだ」
ジュリアナは両手を口元で打ち合わせた。
「すごいわドミニク! あなたがこんなに観察力があるなんて知らなかった」
「そんな……これくらい簡単なことだよ」
冷静に考えれば失礼な言葉だが、褒められたドミニクは得意になって推理を続けた。
「二人はよく似ていて姿もいい。それに、人に見られることに慣れている感じだ。金持ちの商家か……いや、これだけ綺麗な顔をした兄弟がいたら噂になっているはずだから、それはないか。でも貴族だったら尚更僕の耳に入らないはずはないし、もしかして国外の……いてっ!」
「いつまで触っているんだ」
アレクシスは目を吊り上げてドミニクの腕を叩き落とした。急いで手を引いたクラリスは少し震えている。
「……アレク、何をそんなに怒っているの?」
「怒ってなどいない」
「いやだ。お兄様、本当に怒っているわ」
「……」
ドミニクにとって、クラリスはジュリアナが連れてきた少年でしかない。もし相手が小国とはいえ王女だと知っていたら、礼法をみっちりと叩き込まれている彼が簡単に手を取ったりはしないはずなのだ。分かっているのに腹が煮える。
「ドミニク。下らん推測はやめておけ」
素行や性格に部分的な問題はあるものの、やはり従弟の地頭は悪くない。放置すれば危険なほど真相に迫ってしまいそうで、アレクシスは強引に話を終わらせた。そして怯えるクラリスに向き直り、言葉に迷いながら声をかける。
「大丈夫か」
クラリスは潤んだ瞳でアレクシスを見返した。その強い目の光にたじろぐ彼を見つめたまま、キュッと唇を引き結ぶ。
「あら」
「おや」
「お、おい」
三人三様に声を上げた。クラリスが弟の手を引いて、アレクシスの後ろへ隠れるように駆け込んできたからだ。驚き振り返ったアレクシスを見上げる四つの瞳。エーベルでは神の恩寵とされる、鮮やかな紫の瞳だった。
ジュリアナは感心したように、一つ所に集まる三人を眺めた。
「随分懐かれたのね。珍しいわ、お兄様は子供にはたいてい怖がられるのに」
「まことに。若の見た目だけではなく、内面の素晴らしさにいち早く気づくことのできる稀有な方々でございます」
「何だか間接的に貶されている気がするなあ……でも、アレクに懐いているのは本当だね。これだけ見目のいい子たちならうちで引き取りたいと思ったんだけど、この慕いかたじゃ難しいかな。可愛らしい物や人が母上は大好きだから、きっと喜ぶと思うんだ」
ドミニクの母レディ・バークリー。筆頭公爵家夫人で、アレクシスとジュリアナの伯母。
一人息子を溺愛する伯母は、美しい物や人に目がない。バークリー公爵邸の使用人は皆見た目がよく、雇用条件に容姿が含まれているともっぱらの噂だ。
深い思慮はできない伯母なのだが、なぜか社交界では腹に一物ある女性だと認識されている。そして、当の本人は自分が陰でそんな風に言われていることに全く気づいていなかった。
息子を見ても分かるとおり、自分にも他人にも甘いタイプだ。意図的に誰かを傷つけることなど考えたこともないだろう。よくあれで宰相の夫を支えられるものだと感心するが、裏のない天然の物言いを周囲が勝手に勘繰り邪推しているだけのようだ。そのため社交界でレディ・バークリーは夫に負けず劣らず狡猾だと思われている。
この二人の預け先として、バークリー公爵家は一考に価するかもしれない。
あれで伯母はなかなか用心深い人間だ。夫の職業柄もあり邸の警護も厳しい。伯父にだけ事情を説明し、伯母に二人の身元は自分が保証すると請け合えば、後は面倒を見てくれるだろう。国家間の火種になりかねない王族を預かるのに、ルフトグランデ筆頭公爵家の地位と宰相の権力は最良といえた。
「そんなの駄目よ。この子たちはうちで面倒見るって決めたんだもの」
「うーん……それはそうだけど」
反論するジュリアナに、ドミニクはアレクシスの後ろから顔を覗かせているクラリスをちらりと見てから小さく咳払いをした。
「いくら女の子みたいな見た目でも、彼は若い男だ。成長すれば身体も大きくなり力もつく。ハリントンの令嬢である君の側に置くのは不適切なんじゃないかな」
部屋がしん、と静まった。
ドミニクの指摘はある意味当然だった。ジュリアナは仮にも貴族家の令嬢なのだ。それがどこの誰とも知れない兄弟にこれほど入れ込んでいる様子を見れば、苦言を呈したくもなるだろう。ましてやドミニクはジュリアナに想いを寄せているし、クラリスが女だとは知らないのだから、この提案は仕方のないことでもある。
これに乗じるべきか。口を開きかけたアレクシスは、つん、と上着を引かれて後ろを振り返った。
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