【完結】ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイの密かな悩み

ひなのさくらこ

文字の大きさ
41 / 60
第五章

二人のジョナサン・ハーヴェイ

しおりを挟む
「……失礼いたしました。まさか今夜お会いできるとは夢にも思っていなかったもので」

 緩めたうえに皺になったクラヴァットは今更どうしようもないが、せめて上着だけはとアレクシスは素早くボタンをとめた。無論、ワインやクラリスの涙で作ったしみには気づかれているだろう。アレクシスは生まれてこのかた、父の前で隠し事ができた試しがない。

「元気そうでなによりだ。メルボーン邸の舞踏会ならさぞ賑やかだっただろう。侯爵夫妻に変わりはなかったか」

 何もかも承知していると言いたげな父を、アレクシスは当然のこととして受け止めた。引退して三年が経ったとはいえ、父の影響力はまだ衰えていないのだ。

「はい。お二人ともお元気でした。元帥閣下からは父上のことを尋ねられましたが、船旅の途中だと答えてあります。実際にそう思っていましたので」

 アレクシスは父の手にある台帳がハイトブリッジのものであることを見て取り、しぶしぶながら執務机の椅子に座った。過去の記憶を思い返しても、父の在室中に自分がこの椅子に座ったことはなく、居心地の悪いことといったらない。
 
「それで、気になることとは」

 前置きを省いて切り出した。この手のことはさっさと済ませるに限る。

「ジェムズ・サンのジェイソンから連絡があった。店をたたむことになったと」
「ジェイソンが? どうにかしてくれと父上に泣きついてきたのですか」

 ジェイソンとは、ゲイリーが懇意にしていた老舗テーラー「ジェムズ・サン」の前オーナーだ。僅かに声のトーンを低めたアレクシスに、ゲイリーは鷹揚な態度で応えた。

「型紙を処分するのが忍びないので、ウィンズロウ・ハウスに届けてもいいかという伺いだ。彼も長く職人の世界にいた。職人たちの誇り高さをお前も知っているだろう。代替わりした途端に店を閉めることになったからといって、私に縋るような真似はしないさ」

 アレクシスは慎重な態度を保ったまま、父の言葉をじっと待った。ゲイリーはそんな息子の様子に短く笑う。

「そう警戒するな。お前は当主としてよくやっている。これは試験ではない」

 気安く言われてなお、アレクシスは疑いを拭いきれずにいた。幼い頃から父に課せられてきた課題の数々を思えば、うかつに信用しては痛い目をみる。
 だがゲイリーは息子の視線など知らぬふりで、もったいつけることもなく話を続けた。

「天海の稀布と闇仲買人についてだが、お前の見立てどおりウィンシャム公の指図のようだな。だがうちに対する嫌がらせというよりも、手っ取り早く資金を調達するのが目的だったようだが」

 アレクシスは軽く顎を引いた。

「私の見立てを父上にご説明した記憶はありませんが」
「だが、そう思っていたんだろう?」

 確かにそのとおりだ。父の洞察力に驚くのは何もこれが初めてではない。アレクシスは心の中でため息をついたが、おそらく父はそれにも気づいているだろう。

「ウィンシャム公の母方の祖母が、天海の稀布を産出するサノイ国の出身でした。その伝手もあり安価に手に入ると、仲買人たちはあちこちで触れ回っているようですね。どうも最初は入手ルートを秘すはずだったのを、ウィンシャム公に認知症の症状が出始めたために見切りをつけたのか、今は堂々と公の名を出して偽物を流通させようとしています。父上の仰るとおり、短期間に荒稼ぎするつもりなのでしょう」

 ゲイリーは息子の言葉を聞き、何か考えるように指先で口髭を弄った。アレクシスの趣味ではないが、亡き母はこの口髭を気に入っていたようだ。おかげで口髭は前ハリントン男爵の代名詞のひとつとなっている。

「ふむ。で? 市場に出回った布はどうするのか」
「これ以上の被害をださないために、あるルートで買い占めを指示しました」
「それはもちろん、相当な資金を投じてのことだな」
「ええ、金に糸目はつけません」
「そんなことをして、事業に悪影響を及ぼさないのか?」

 アレクシスは呆れたように片眉を上げた。

「これは驚いた。ハリントンの庭で者を見かけたら完膚なきまでに叩きのめせと教えてくださったのは父上ではありませんか。それに、偽物が市場を荒らせば本物の価値は大きく下がる。それを未然に防ぐことができたなら、サノイからは大いに感謝されるでしょう。それこそ、今後の事業にはプラスの影響しかでないほど」

 ゲイリーは微笑むことで息子の意見に同意し、いきなり話題を変えた。

「ときに、孤児を二人拾ったらしいじゃないか」

 きたぞ。その質問を予想していたアレクシスは、できる限り何気ない素振りで応えた。

「はい。ドミニクの面倒を見ている時に少々縁がありまして。ジュリアナがどうしてもと言い張るもので仕方なく」
「しかも、一人はお前の従者にしたと」
「ええ。なかなか見どころのある子で。慣れない仕事だろうに、何かと助けてもらっています」

 事実を述べただけなのだが、ゲイリーは椅子の背にもたれながらにやりと笑った。

「ほう。シエルハーンの王族を従者にか。しかも、口の利けない王女を。ああ、騒ぐんじゃない。俺の言った言葉が間違っている時だけ反論してみろ」

 面白そうに揶揄う口調が腹立たしい。アレクシスは部屋の隅に立つダンカンを睨んだ。家令がゲイリーに心酔しているのは周知の事実だが、現当主の秘密を漏らしていい理由にはならない。
 だが、ゲイリーはぴんと立てた人差し指を左右に振ってそれを否定した。

「おいおい、濡れ衣を着せるな。バリーは何も言わなかったぞ。終始何か言いたげではあったがな」
「では、なぜ」
「ジュリアナが可愛がっているというヴィクターと夕食を共にしたんだ。彼のアクセントはこの国のものではないし、食事のマナーもしかりだ。アクセントにしてもマナーにしても、一番近いのはエーベルのものだな。それに加えてあの特徴的なプラチナブロンドの髪と紫の瞳……姉のほうは彼をそっくりそのまま大きくしたような姿なのだろう? 年の頃は政変が起きて生死不明となっている、シエルハーン王家の王女と末の王子にぴったりだと、そう推測した」

 自分が気づいたことを父が見逃すはずはない。だがアレクシスは釈然としなかった。クラリスとヴィクター二人が並んだ姿を見て、アレクシスはその素性に確信を持った。しかし、父はまだクラリスを見てもいないのだ。それなのに、引き取った少年二人をシエルハーンの王女と王子だと、こうまで自信たっぷりに断言できるものだろうか。
 息子からまたしても疑いの目で見られたゲイリーは、思わず声を上げて笑った。

「白状するよ。実はジュリアナから聞いたんだ」
「ジュリアナが? まさか!」

 アレクシスは驚きの余り、表情を取り繕うことも忘れて叫んだ。妹がクラリスたちの素性を知っていて、それを兄の前で完璧に隠していたというのなら、それに気づかなかったアレクシスの目は節穴だ。
 だが、ゲイリーはまたあっさりと種明かしをした。

「ジュリアナが知っていたのは、フレディと名乗る少年がじつは女性だということだけだ。二人がシエルハーンの王族であることには気づいていないだろう」

 ほっとしたアレクシスは背から力を抜いた。事はクラリスたちの安全に関わる。秘密を知る者は一人でも少ないほうがいい。
 それにしても、ジュリアナはクラリスを男だと紹介されながら、先入観にとらわれることなく本当の性別を見抜いたことになる。昔から妙に敏いところのある妹だが、相変わらず勘が鋭いものだ。アレクシスが感心していると、真顔になったゲイリーがさらりと言った。

「クーデターを起こした王弟が行方不明らしい」

 シエルハーンの件だ。アレクシスは鋭い視線で父を見つめ、黙ったまま続きを促す。無意識のうちに取った当主としての仕草に微笑ましさを感じ、ゲイリーはそれを咳払いで誤魔化した。

「……元々無理のあるクーデターだった。シエルハーン王家は国民の支持を得ていたと聞く。善く国を治め民から慕われていた王を、実弟が弑逆した挙句に玉座へ就く――。平和な小国の民には理解しがたい暴挙だろう。懸命なプロパガンダで国土拡大のためにやむなく蜂起したのだと主張していたが、結局は受け入れられなかったようだな」
「ええ。抱き込んだはずの軍部から、反旗を翻す者が続出しているとか」
「らしいな。結果的に、身の危険を感じた王弟は国を捨てた。本人にとっていくら正当な理由があるとはいえ、こんな相手を受け入れてくれる国はそうないだろう」

 アレクシスは、家令から聞いていた報告と齟齬のない父の話に深く頷いた。

「もしあるとしたら縁のあるエーベルでしょうが、王弟はエーベル王家が重視する王族としての見た目――神の恩寵の現れという紫の瞳を有しておらず、エーベルで丁重な扱いを受けるとは考え難いですね」
「そうだ。シエルハーンが政治的混乱の最中にあり、誰が国の舵取りをするか明確になっていないことで、幸か不幸か犯罪者として国際手配されるには至っていないようだが……王弟の立場で見れば、選択肢は少ないぞ」

 アレクシスは押し黙り、しばらく考えた後で口を開いた。

「正当な王位継承者を探し、自身を王位に就けると宣旨させるのでしょうか」

 ゲイリーは椅子の背にもたれながら、組み合わせた両手を腹の上に乗せた。

「ああ。傀儡にしようにも、もはや王弟がシエルハーンで宰相のような地位に就くことはできないだろう。となれば、後は正式な手続きで玉座を狙うしかない」
「そんなことが可能でしょうか」
「出来るかできないかではなく、もうやるしかないところまで追い込まれているんだ。いいか、二人には今まで以上に注意を払え。王弟側が王女たちの行方をどこまで掴んでいるかは分からないが、接触してくる前提で考えておいたほうがいい。成り行きとはいえ縁あって引き取ったんだろう? 最後まで面倒を見てやることだ」

しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!

ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。 前世では犬の獣人だった私。 私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。 そんな時、とある出来事で命を落とした私。 彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

ご褒美人生~転生した私の溺愛な?日常~

紅子
恋愛
魂の修行を終えた私は、ご褒美に神様から丈夫な身体をもらい最後の転生しました。公爵令嬢に生まれ落ち、素敵な仮婚約者もできました。家族や仮婚約者から溺愛されて、幸せです。ですけど、神様。私、お願いしましたよね?寿命をベッドの上で迎えるような普通の目立たない人生を送りたいと。やりすぎですよ💢神様。 毎週火・金曜日00:00に更新します。→完結済みです。毎日更新に変更します。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

処理中です...