愚か者は幸せを捨てた

矢野りと

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8.拒絶

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俺は真剣な表情で前に座るサラを見つめ、返事を待っていた。
きっといい返事をしてもらえる、サラは誰とも結婚せずに俺の子を産んで育てていたのだからやり直せると信じていた。

「私はあなたとはやり直す気はないわ。今日会ったのは、はっきりとそれを伝える為よ」
「なっ…。でもサラ、君は再婚もせずに俺の子を産んで育てているんだろ。俺が正気に戻って前のようになれるのを待っていてくれたんじゃないのか」

予想とは違うサラの拒絶に俺は動揺し、責めるような口調で言い募ってしまった。だがサラは怒ることもなく穏やかな表情で話を続けた。

「やっぱり調べて知っていたのね。私が育てているのは、私の子よ。でもあなたの子供ではないわ」
「サラ、なにを言ってるんだ。俺にそっくりな子供だと報告を受けているし、年齢から言っても俺の子で間違いない」
「マキタ忘れたの?私達はしなかったでしょう。になったのよ。私達の間には婚姻していたという事実さえ残らなかったの、すべて消されてしまったの。
私もあなたも戸籍に婚姻歴さえ残らなかった。だからあの子はあなたの子供とは認められない存在なのよ」

サラはまるで子供を諭すように丁寧に話していたが、俺は話の内容が理解できない、いや理解したくなかった。二年前サラを罠に嵌めて婚姻無効にしたのは俺だが、それによって別れた後に生まれた子が、俺の子として認められないのを考えもしなかった。浮かれていた俺は、そんな単純な事実にさえ気づいてなかったのだ。

【婚姻無効後はお互いに何の権利も義務も生じない】

離縁なら離縁後に生まれた子供は双方に権利と義務が発生する、しかし婚姻無効は結婚していた事実がなくなる為、仮にその後二人の子供が生まれても母親のみに権利と義務が発生するのだ。

そこには存在しない…。

俺は悲痛な表情でサラを見つめるが、彼女はまったく動揺してなかった。


『きっと婚姻無効にしたことをいつか後悔するわ。それでもいいの?』

二年前のサラはこの事を言ってたのか、だがあの時の俺はその問いに酷い言葉を投げつけたんだ。取り返しのつかない過ちを嘆いていると、サラはいきなり違う話をしてきた。


「そういえば、どうしてこのお店を選んだの?」
「ああ、この店は子爵家から近いからいいかと思ったんだ」
「そう、まだこのお店のことは思い出していないのね。ここはあなたが魅了に掛かっていた時に女性と一緒に来ていたお店なのよ。私は偶然その現場に居合わせたことがあるの、あの時は本当に悲しかった…」
「………すまない、そんな場所に君を呼び出して。本当にすまない、まだその記憶は思い出していないんだ」

サラから聞かされた衝撃の事実に、俺は記憶が戻っていないとはいえこの店にサラを呼び出した事を後悔した。
もう遅いのだが…。
俺はサラをまた傷つけてしまった。


「魅了されていたあなたにとって、その間の事はただの悪夢かもしれないけど、私にとっては悪夢ではなくて現実だったわ。その現実は私の心を未だに傷つける事もあるの、一生忘れることはないと思う。
私達はもう元には戻れない、子供もあなたの子になる事は決してないわ。これがあなたの選んだ道なの。
さようなら、マキタ」

サラは最後まで冷静に話をして俺の前から去って行った。
二年前のあの時、愚かな俺はサラが去るのを喜んでいたが、今は胸が張り裂けそうなほど辛い。


『いっそうこのまま心臓が止まってしまえばいいのに。俺にはもう何もない…』


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