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第7章 3 黒曜石の瞳(イラスト有り)
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1
結局2限目の天文学の授業にもマリウス、アラン王子、グレイ、ルークは姿を見せる事が無かった。マリウス・・・天文学の講義好きだったはずなのに姿を見せないなんて。もしかするとまだ彼等は生徒会室で揉めているのだろうか?仮にそうだとすると・・こ、怖すぎる・・・。
けれど講義に出ていないマリウスの為にも今日はいつも以上に真面目に授業を聞いて、ノートをまとめて後で貸してあげよう。
なので、今回の授業は普段より真剣に授業を受ける私であった・・。
授業終了のチャイムが鳴った。牛乳瓶のような厚底メガネのジョセフ講師は静かに教室を出て行くので私は慌てて後を追おうとすると、エマに呼び止められた。
「ジェシカさん、これからクロエさん達とランチに行くので一緒に行きませんか?」
うん、一緒にランチをしたい気分はやまやまなのだけど・・・。
「ごめんなさい、今回ナターシャさんの件でジョセフ講師にお世話になったので、お礼を言いにいくつもりなの。ランチはまた別の機会に誘ってもらえる?」
「ええ、そういう事情なら分かりました。あ、ごめんなさい。私が引き留めてしまったせいで先生を見失ってしまいましたね。」
エマが申し訳なさそうにしている。
「そんな事全然気にしないで大丈夫。先生の部屋へ行けばいいだけだもの・・。でもジョセフ講師の部屋ってあるの・・・かしら・・?」
確か生徒会長が話していたっけ。ジョセフ教授は臨時教員だと。そうなると専用の部屋なんて・・・。
「あ、ありますよ。ジェシカさん。私達の学院には臨時教員が大勢いるので専用の部屋があるんです。え~と、確か場所は・・・。」
「ここが臨時教員専用の部屋か・・・。」
何だかこうして先生の部屋を訪れるのって学生時代を思い出させる。まさか自分の書いた小説の世界で再び自分が学生に戻っているなんて今でも信じられない程だ。
すう~っと息を吸うと、私は部屋のドアをノックした。
コンコン。
暫く待つと、おじいちゃん先生が部屋のドアをガチャリと開け、私を見ると言った。
「うん?何だい。学生さんか。ここにいる誰かに用事でもあるのかい?」
ずり落ちそうな眼鏡を上に上げながら尋ねて来たお爺ちゃん・・・もとい先生。
「あの、こちらに天文学専門のジョセフ・ハワード先生はいらっしゃいますか?」
「ハワード君?う~ん・・・そう言えば彼は、昼の休憩時間は殆どこの部屋にいた事が無いねえ。」
顎をさすりながら言う老教授。すると奥からこれまた高齢の女性が現れた。え?この人も教授なの?どうやらこのセント・レイズ学院では日本と違い、高齢者にも働く場を提供しているのだなあと妙な所で納得。
「ハワード先生ならお昼休みは大抵、この学院の『見晴らしの丘』で昼食を食べてお昼寝をしているようですよ。」
にこやかに話す女性教授。お昼を食べた後にお、お昼寝・・・?何だかまるで小さな子供の様な先生なんだなあ・・・。でも『見晴らしの丘』か。
「分かりました、ではそちらへ行って見ようかと思います。どうもありがとうございました。」
お礼を言うと足早にその場を後にした。
『見晴らしの丘』・・・まさか、この世界でその言葉を聞く事になるなんて。
実はこの『見晴らしの丘』は私の小説の中でも重要なシーンとして何度も描かれている。それはソフィーとアラン王子との出会いだ。2人が初めて出会うのがここ、見晴らしの丘である。自分の故郷の場所に似た見晴らしの丘を気に入ったソフィーは学院で辛いことがあると、ここで過ごす事にしていた。
お気に入りの場所で昼寝をするのがソフィーにとって至極の時間。
そんなある時、偶然ここに立ち寄った人物がいた。彼こそがこの小説のヒーローのアラン王子。2人の初めての出会いの場所が見晴らしの丘だったのだ。
見晴らしの丘で昼寝をしているソフィーを見て驚いたアラン王子は思わずソフィーを揺り起こしてしまう。それが2人の初めての出会い。
初対面なのに何故か気が合う2人は時々、この場所で会うようになる。ただし、アラン王子の提案で互いの名前は伏せておくことを条件で・・。
物語が進むにつれ、次第に悪女ジェシカに時には命にかかわるような嫌がらせを受ける様になったソフィー。(でも実際にソフィーに嫌がらせをしていたのは全くの別人だったのだけど)
そんな彼女を心配し、アラン王子に報告するのが、生徒会長、ノア、ダニエルだったのである。
彼等は権力のあるアラン王子にソフィーを守って貰うために2人を引き合わせ、初めてソフィーとアラン王子は互いの名前を知るようになる。
やがて互いに惹かれ合うようになった2人はいつしか愛し合うようになり、門が開かれ、危険に満ちてしまった世界を互いの力を合わせ、世界を平和に導いた。
その後、稀代の悪女ジェシカを島流しにすると2人は永遠の愛を誓う・・・。その誓いを立てたのも『見晴らしの丘』だったのだ。
見晴らしの丘はセント・レイズ学院の門を出て南へ進んだ先にある丘の草原と小説の中で表現していた。さて・・・一体どんな場所なのか・・。私は流行る気持ちを抑えつつ学院の門を出ようとして、お腹の虫が鳴るのを聞いた。
「すみません、注文お願いします。テイクアウトでローストビーフサンドイッチセットを1つ。あ、デザートにプディングを付けて下さい。」
今、私はサンドイッチショップに来ている。結局、腹の虫の誘惑には勝てなかった。
紙袋に入ったテイクアウトのランチを持って、私は見晴らしの丘へと向かった。
季節はもうすぐ10月に変わる頃で秋の風が涼しさを運んでくる。青い空を見上げると羊雲が浮かんでいた。
この世界は日本とは違い、空気は澄み渡り、空は何処までも広くて青かった。
こんなに自然あふれる世界は日本ではまず体験できない事だろう。子供の頃から田舎というものが無かった私はずっと都会っ子で育ってきた。その為、自然と言う物に強烈な憧れがあったのだ。だから自分でも驚くくらい、この景色に感動している自分がいた。
見晴らしの丘へと歩みを進めるうちに私はある事に気が付いた。
あれ・・?何だかこの景色以前にも見たような・・・?私は足を止めて周囲をぐるりと見渡し、気が付いた。
そうだ!この景色は・・・私が初めてこの世界で目を覚ましたあの場所と同じなのだ。と言う事は、私が倒れていた場所は見晴らしの丘だったのだろうか・・?
そこへ偶然通りかかったアラン王子・・・。本来ならあの場所に居るべき人物は私ではなく、ソフィーでなければいけなかったのかもしれない。なのにアラン王子と出会ってしまったのが私だったから、この世界の本来の物語が狂ってしまったのだろうか・・・?
「ハ、ハハ・・まさか・・・ね。」
私は恐ろしい考えを打ち消すかのように頭をブンブン振った。でも何故アラン王子はあの時、見晴らしの丘へ来ていたのだろうか?しかも入学式という大事な日だ言うのに・・?今度機会があれば聞いてみようかな・・・。
と、その時私は前ばかり見ていたので足元に注意を払っていなかった。
「え?」
突然何かに足を引っかけてしまい、前へつんのめる私。
「キャアッ!!」
ドスッ・・・・。
「え・・・?」
気が付いてみると私は紙袋はしっかり守ったまま、人の上に倒れ込んでいた。
「い・・・いって・・・。」
はっ!誰かを下敷きにしてしまっている!
私は慌てて飛び退き、頭を下げた。
「すみません!突然身体の上に倒れ込んでしまって!あの、怪我されませんでしたか?!」
そして倒れ込んだ相手を確認する為に私は見下ろした。
え・・?誰・・・?
2
私が倒れ込んでしまった相手は見た事が無い若い男性だった。
無造作に伸ばした髪の毛は日に透けるとオレンジ色に光り、長い前髪から覗かせる大きな瞳はこの世界では珍しい黒曜石のような黒。まるで私が住んでいた日本を思わせる懐かしい色・・・。私は思わずその瞳に見惚れていた。
「あの・・・そろそろ降りて欲しいんだけど・・。」
私の下敷きに、なっていた男性が遠慮がちに声をかけてきた。
「え?」
ふと気が付けば、私は男性に覆い被さるような格好をしているでは無いか。
「キャアッ!ご、ごめんなさいっ!」
慌てて飛び退く私。ああっ、なんて事していたんだ。
「いや、こんな所で寝ていた自分が悪いんだ。」
男性は身体を起こすと言った。良く見ると彼は制服ではなく、白衣を着用していた。え?すごく若く見えるけど、もしかしたらこの男性は・・・?
「あ、あの・・ひょっとしたらジョセフ・ハワード先生ですか・・?」
私は恐る恐る尋ねてみた。
「ああ、そうだよ。え・・と、君は誰かな?ごめん。眼鏡をしていないからよく見えなくてね。」
言いながらジョセフ先生は、え~と眼鏡、眼鏡・・・と手探りで辺りを探し始める。
「あ、あの。私も探すの手伝いますね。」
「ありがとう。すまないね。」
「いえ、1人より2人で探す方がずっと早いですし。気になさらないで下さい。」
穏やかな話し方でほほ笑むジョセフ先生。うん、流石は大人の余裕だ。やはり人はこうでなくては。どうも私の周囲にいる男性陣は落ち着つかなくて困ってしまう。
しかし、その時・・・
パリンッ
私の足元で何かが割れる音がした。恐る恐る足を上げてみると・・・・ジョセフ先生の眼鏡のレンズがものの見事に割れていたのである。
「先生、本当に申し訳ございません!」
私はもう何度目か分からない位、頭を下げて謝罪を繰り返している。
「いやあ・・・君はそんなに気にしなくていいよ。大体、草むらの上に眼鏡を置いておいた僕が悪いんだから・・。あれじゃ、誰だって踏んづけていたよ。」
ジョセフ先生はかえって申し訳ないという感じで顎をポリポリかいているが、相変わらず笑みを浮かべていた。恐らく私に気を遣わせない為なのだろう。
「ハワード先生、予備の眼鏡はお持ちなのですか?」
ああ、どうかジョセフ先生が予備の眼鏡を持っていますように・・・!
「うん。あるにはあるんだけど、自宅に置いてあるんだ。」
ジョセフ先生は割れた眼鏡をハンカチで包み、白衣のポケットにしまうと言った。
「え?自宅に・・・ですか?」
ここセント・レイズ学院は学生はおろか、教授も寮に入り共同生活をしている。ただし、臨時で来る准教授や講師等は外部から来るので、当然寮に入っていないのだ。
「あ、あの・・・ハワード先生のご自宅というのは・・・どちらでしょうか?」
どうか、どうかジョセフ先生の家が近くでありますように!けれどこの学院の半径10km圏内には町はおろか、村も無い。私達が週末だけ門を利用して行き来をしている町、その名も「セント・レイズシティ」すら移動魔法を使えない者達にとっては馬車か車を使うしかなく、移動に半日はかかてしまうのだ。
「うん、僕が住んでいる自宅はセント・レイズシティにあるんだ。ここの学院での僕たちの立場のような人間は、学院側があの町で住む場所を提供してくれているんだよ。」
ふ~ん、そうなのか・・・って!感心している場合ではない!
「ハワード先生。セント・レイズシティから学院までの移動手段はどうされているのですか?」
「もしかして君は僕がセント・レイズシティまで長い時間をかけて通勤していると思って心配してるのかな?それなら大丈夫だよ。ほら、この指輪を見てごらん?」
ジョセフ先生は私に右手の中指にはめた指輪を私に見せてくれた。指輪に埋め込まれた青い光を放つ石、見るからに魔力が宿っているのは明らかだ。
「この指輪をね、君たちが利用している門へかざすとセント・レイズシティへの入り口に繋がるんだよ。だから来るのも、戻るのも一瞬だから大丈夫だよ。」
私を安心させる為か、始終笑顔で話すジョセフ先生。
と、その時・・・ぐう~・・・・。お腹の虫が鳴った。ジョセフ先生の・・。
「あ、はは・・。恥ずかしいな。お腹が鳴る音聞こえちゃって。」
恥ずかしそうに頭に手を当てている。
「先生、もしかしてお昼ご飯をまだ召し上がっていなかったのですか?」
え?まさかお昼も食べずに、見晴らしの丘で昼寝をしていたのだろうか・・・。
「うん、実は昨夜遅くまで今日の授業の準備をしていたから、どうにも眠くなってしまってね。食い気よりも眠気が勝っちゃって・・・。何も食べずに眠っていたんだ。」
それを聞いた私はジョセフ先生に言った。
「あの・・・お詫びと言っては何ですが、私サンドイッチを持ってきたんです。2人で分けて食べませんか?」
「え?でもそれだと君の分が・・・?」
ジョセフ先生に困惑の色が浮かぶ。
「大丈夫ですよ、デザートに買ったプディングは2個あるのでこちらも一緒に食べませんか?」
「そっか、それじゃお言葉に甘えようかな?」
こうして見晴らしの丘でのランチ会が始まった・・・。
「ところで、君・・名前を教えて貰えないかな?僕の生徒なのに名前を知らないのは失礼にあたってしまうからね。」
「はい、私の名前はジェシカ・リッジウェイと申します。
サンドイッチを食べながらジョセフ先生は質問して来た。そこで私は何故ここへ来たのか本来の目的を思い出したのだ。
「あ、そうでした!実は私の知り合いのマリウス・グラントと言う学生の描いた天体スケッチを高く評価して頂いたそうですね。」
「ああ、あのスケッチかい?あれは本当にすごかったよ。リッジウェイさんの知り合いが描いたものだったんだね。でも何故生徒会の人達は僕にあのスケッチブックを持ってきたんだろうね。」
不思議そうに言うジョセフ先生。そうか、臨時講師だからこの学院での起こった騒ぎを知らされていないのか。だったら余計な話しはしない方が良いのかもしれない。
私はこの先生の事をもう少し知りたくなったので質問してみる事にした。
「ハワード先生は何故天文学を専攻されたのですか?」
「実はね、僕は見ての通り視力が悪いだろう?元々産まれた時から弱視だったんだ。」
ジョセフ先生から出た言葉は以外なものだった。
「それこそ、両親は色々と医者を探してくれたり、有名な魔法薬を作り出せる薬師を探してくれたけど、結局僕の視力はどうにもならないって言われたらしいんだよ。」
淡々と語るジョセフ先生は、その時何を感じたのだろうか。
「僕の瞳はこの世界では珍しい色をしているらしいんだ。恐らく視力が弱いのはそのせいだろうって言われたよ。やっぱり黒い瞳は怖がられるのかもね。」
少しだけ寂しげに笑う先生。でも私は、その黒い瞳をよく知っている。だって私がいた日本ではその瞳の色は特別な事ではないのだから。
「ハワード先生、私は先生の瞳の色を怖いだなんてちっとも思いませんよ。先生の瞳はまるで黒曜石のようで、とても綺麗だと思います。」
私の話を聞いて少しだけ驚いた顔をした先生は、やがて笑いだした。
「そんな風に言ってくれたのは君が初めてだよ。でも少しは自分の瞳に自身を持ってもいいのかな?今迄はあまり人目につかないようにわざと前髪で隠していたけれどね。」
「はい、ハワード先生はもっと自身を持ってもいいと思います。」
私も笑顔で返した。
3
「それで、何故僕が天文学を専攻したのかって話だったよね?」
「はい。」
「理由は単純だよ。僕の両親は少しでも視力が良くなるようにって毎晩夜空を眺めさせていたんだ。それでいつの間にか自分自身も天体に興味を持って天文学を専攻したんだよ。でも結局は視力向上には至らなかったけどね。」
何処か懐かしそうに目を細めて話すジョセフ先生。そうか、先生が天文学を専攻したのはそのような事情があったのか。
その時、遠くで午後の授業の始まる20分前の予令が聞こえてきた。
「あ、先生。すみません、そろそろ午後の授業が始まるので私戻らないと。」
立ち上がる私に、何か先生が言いかけた
「あ・・・。」
「先生、どうかしましたか?」
「あの・・・こんな事頼むのは悪いと分かっているんだけど、眼鏡が無いから、今ほとんど周りの景色がぼやけて見えなくて・・・それで申し訳ないのだけど、学院迄僕も一緒に連れて行って貰えないかな?」
そうだった。私の不注意で先生の眼鏡を壊してしまったのだ。
「す、すみません!先生の今の状況、すっかり失念しておりました!では先生、失礼します。」
私はジョセフ先生の左手をギュッと繋いだ。
「い、いや、あの。別に手を繋がなくても・・・。」
慌てたように言う先生だが、眼鏡を壊してしまった私には学院迄先生を無事送り届ける義務がある。
「先生、何を仰っているのですか。足元が危ないですからこれ位当然です。」
構わず先生の手を引いて歩きながら、ふと思った。
「先生・・・。前が何も見えないと言う事は、もしかして・・?」
私の言葉を最後まで聞かずとも先生は分かったらしく、恥ずかしそうに頷いた。
そうだ。今の状態では先生は1人で家に帰れないのだ・・・。
あの後、私はジョセフ先生の手を引いて学院の敷地内へ戻ると、すれ違う学生たちが好機の目でジロジロと視線が痛いほど見つめて来るのが分かった。
ああ・・これがきっかけでまた何かトラブルが起こらなければ良いのだが・・。
私は心の中で溜息を付いた。でももし、ジョセフ先生が責められる立場に追いやられた場合は全力で自分が先生の前に立って矢面に晒されないようにしなければと心に誓った。
臨時教員用職員室へとジョセフ先生を送り届けた後、自分の教室に戻り中を覗いて見ると、なんと驚いた事にまだマリウス、アラン王子、グレイ、ルークは教室に戻っていなかった。よしよし、彼等がいないのなら尚更都合が良い。恐らくはまだ生徒会室で揉めている最中なのかもしれない。だとしたら私がジョセフ先生の手を引いて学院に戻って来た事実を・・・多分?知られる事は無いだろう。
教室を覗き込んでいた私に気が付いたエマがやってきた。
「どうしたの?ジェシカさん。教室の中へ入らないの?」
不思議そうに尋ねて来たので、私は事の顛末を全てをエマに話した。
「すみません、エマさん。そういう訳なので午後の授業も欠席させて頂く事になるの。」
「いいえ、でもジェシカさんて親切な方ですね。大丈夫、どうかハワード先生に付いて行ってあげて下さい。私が次の講義の教授に事情をお話ししておきますので。」
私はエマにお礼を言うと、ジョセフ先生の元へと向かった―。
「リッジウェイさん、本当に講義を休んで良かったのかい?」
私達は今門の前に立っている。今からジョセフ先生の持っている指輪で門の扉を開けて、セント・レイズシティへと向かうのだ。
「ええ、先生に不自由な思いをさせているのは元はと言えば全て私の責任なので。」
「何もそれ程気にする事は無いと思うんだけどね・・・。」
ジョセフ先生は門を見ながらポツリと言う。あ、ではそれなら・・・。
私はある事を閃いた。
「ハワード先生、セント・レイズ総合病院の場所をご存知ですか?」
「うん、勿論知ってるけど?もしかしてリッジウェイさん。病院に用があるのかい?」
「はい、実は先生はご存知かどうか知りませんが、セント・レイズ学院の生徒会役員のライアンという男性が学院内で大怪我をして総合病院に運び込まれたらしいんです。私、どうしても彼の事が気がかりで・・可能であれば面会出来ないかと思っていたんです。」
「そうなのかい?学院内でそんな事件が起こっていたなんて僕はちっとも知らなかったよ。やっぱり臨時職員だからかな?」
首を傾げながら言うジョセフ先生。まあ言われてみればそうなのかもしれないが、でも学院内で起こった事件は学院中の人間が周知しておくべき事なのではないだろうか?実は今回の件で私はいささか学院のやり方に失望していた。
「彼の怪我の具合が心配でたまらなくて・・。でも何も情報が入って来ないので、病院に行って彼の病状や、願わくば面会出来ればと思ってるんです。」
実際、私はライアンの様子が心配でたまらなかった。もし意識が戻らない程の大怪我だったら?死んでしまうかもしれないような状態だったら?等と思うと居ても立ってもいられない。
「分かったよ。それじゃ僕の家に行って眼鏡を取って来れたら一緒に病院の方へ行って見よう。僕も付き添うから。」
おお、それは願ったり叶ったりだ。実は学生1人が面会を希望しても病院側も受け入れてくれないのではと思っていた。けれども学院の教授が一緒なら・・面会も可能なのではないだろうか?
「はい、是非!お願いします!」
すると先生はにっこりと笑い、言った。
「それじゃ、セント・レイズシティへ行こうか?」
そして指輪を門へかざし、扉を開いた・・・・。
町へ着いた私達はジョセフ先生の住所を頼りに先生の手を引いて歩き、やがて先生の住んでいる自宅付近へと辿り着いた。
先生の住んでいる家は町の中心部から少し外れた場所、辺りはポツリポツリと小さな民家が立ち並ぶ殺風景な場所だった。その中の1軒が先生の自宅だと言う。
「僕の家はね、青い屋根にレンガの煙突が付いているんだよ。分かるかい?」
「あ、ありました!あの家ですね。ではハワード先生、行きましょう。」
私は先生の手を引いて青い屋根の家を目指した。
鍵を開け、中へ入るとジョセフ教授の部屋は私の住んでいる部屋のおよそ半分くらいの広さしかなく、驚くぐらい殺風景な部屋だった。
小さな食卓用テーブルに小さな食器棚、そして2人がけのソファが板張りの床に置いてある。
そのテーブルの上に先生の予備の眼鏡が置いてあったので、私は早速それを手に取り、ジョセフ先生に手渡した。
「ありがとう、リッジウェイさん。」
眼鏡をした先生にお礼を言われた私は更に家の様子を観察した。
奥には台所があり、その隣には2階に続く階段がある。
私の視線に気が付いたのか、ジョセフ先生が説明してくれた。
「僕の家の2階は屋根裏部屋で、窓が屋根に沿って斜め上についているんだよ。そこから見える夜空は最高に美しいんだ。」
ジョセフ先生は嬉しそうに言うが、私は別の事を考えていた。
もしかするとジョセフ先生は臨時教授だから、学院に来る回数も少なくされ、更には薄給の給料しか貰えていないので、このような貧しそうな?暮らしを強いられているのではないだろうか?
・・・もしこれが事実なら許すまじ、セント・レイズ学院。貴族しか入る事の出来ない学院なので寄付金はがっぽり貰っているはずなのに臨時教授達には微々たる給料しか与えず、学院側が不当に搾取しているのではないだろうか?そう、あの生徒会のように・・・。
「よし、それじゃ病院に行ってみようか?リッジウェイさん。」
先生に声をかけられたが、私はどうしても先生に伝えなければならない事が出来た。
「ハワード先生、不当な扱いを受けているのであれば私から学院に直談判しますよ!」
私の言葉にジョセフ先生は不思議そうに首を傾げるのであった。
結局2限目の天文学の授業にもマリウス、アラン王子、グレイ、ルークは姿を見せる事が無かった。マリウス・・・天文学の講義好きだったはずなのに姿を見せないなんて。もしかするとまだ彼等は生徒会室で揉めているのだろうか?仮にそうだとすると・・こ、怖すぎる・・・。
けれど講義に出ていないマリウスの為にも今日はいつも以上に真面目に授業を聞いて、ノートをまとめて後で貸してあげよう。
なので、今回の授業は普段より真剣に授業を受ける私であった・・。
授業終了のチャイムが鳴った。牛乳瓶のような厚底メガネのジョセフ講師は静かに教室を出て行くので私は慌てて後を追おうとすると、エマに呼び止められた。
「ジェシカさん、これからクロエさん達とランチに行くので一緒に行きませんか?」
うん、一緒にランチをしたい気分はやまやまなのだけど・・・。
「ごめんなさい、今回ナターシャさんの件でジョセフ講師にお世話になったので、お礼を言いにいくつもりなの。ランチはまた別の機会に誘ってもらえる?」
「ええ、そういう事情なら分かりました。あ、ごめんなさい。私が引き留めてしまったせいで先生を見失ってしまいましたね。」
エマが申し訳なさそうにしている。
「そんな事全然気にしないで大丈夫。先生の部屋へ行けばいいだけだもの・・。でもジョセフ講師の部屋ってあるの・・・かしら・・?」
確か生徒会長が話していたっけ。ジョセフ教授は臨時教員だと。そうなると専用の部屋なんて・・・。
「あ、ありますよ。ジェシカさん。私達の学院には臨時教員が大勢いるので専用の部屋があるんです。え~と、確か場所は・・・。」
「ここが臨時教員専用の部屋か・・・。」
何だかこうして先生の部屋を訪れるのって学生時代を思い出させる。まさか自分の書いた小説の世界で再び自分が学生に戻っているなんて今でも信じられない程だ。
すう~っと息を吸うと、私は部屋のドアをノックした。
コンコン。
暫く待つと、おじいちゃん先生が部屋のドアをガチャリと開け、私を見ると言った。
「うん?何だい。学生さんか。ここにいる誰かに用事でもあるのかい?」
ずり落ちそうな眼鏡を上に上げながら尋ねて来たお爺ちゃん・・・もとい先生。
「あの、こちらに天文学専門のジョセフ・ハワード先生はいらっしゃいますか?」
「ハワード君?う~ん・・・そう言えば彼は、昼の休憩時間は殆どこの部屋にいた事が無いねえ。」
顎をさすりながら言う老教授。すると奥からこれまた高齢の女性が現れた。え?この人も教授なの?どうやらこのセント・レイズ学院では日本と違い、高齢者にも働く場を提供しているのだなあと妙な所で納得。
「ハワード先生ならお昼休みは大抵、この学院の『見晴らしの丘』で昼食を食べてお昼寝をしているようですよ。」
にこやかに話す女性教授。お昼を食べた後にお、お昼寝・・・?何だかまるで小さな子供の様な先生なんだなあ・・・。でも『見晴らしの丘』か。
「分かりました、ではそちらへ行って見ようかと思います。どうもありがとうございました。」
お礼を言うと足早にその場を後にした。
『見晴らしの丘』・・・まさか、この世界でその言葉を聞く事になるなんて。
実はこの『見晴らしの丘』は私の小説の中でも重要なシーンとして何度も描かれている。それはソフィーとアラン王子との出会いだ。2人が初めて出会うのがここ、見晴らしの丘である。自分の故郷の場所に似た見晴らしの丘を気に入ったソフィーは学院で辛いことがあると、ここで過ごす事にしていた。
お気に入りの場所で昼寝をするのがソフィーにとって至極の時間。
そんなある時、偶然ここに立ち寄った人物がいた。彼こそがこの小説のヒーローのアラン王子。2人の初めての出会いの場所が見晴らしの丘だったのだ。
見晴らしの丘で昼寝をしているソフィーを見て驚いたアラン王子は思わずソフィーを揺り起こしてしまう。それが2人の初めての出会い。
初対面なのに何故か気が合う2人は時々、この場所で会うようになる。ただし、アラン王子の提案で互いの名前は伏せておくことを条件で・・。
物語が進むにつれ、次第に悪女ジェシカに時には命にかかわるような嫌がらせを受ける様になったソフィー。(でも実際にソフィーに嫌がらせをしていたのは全くの別人だったのだけど)
そんな彼女を心配し、アラン王子に報告するのが、生徒会長、ノア、ダニエルだったのである。
彼等は権力のあるアラン王子にソフィーを守って貰うために2人を引き合わせ、初めてソフィーとアラン王子は互いの名前を知るようになる。
やがて互いに惹かれ合うようになった2人はいつしか愛し合うようになり、門が開かれ、危険に満ちてしまった世界を互いの力を合わせ、世界を平和に導いた。
その後、稀代の悪女ジェシカを島流しにすると2人は永遠の愛を誓う・・・。その誓いを立てたのも『見晴らしの丘』だったのだ。
見晴らしの丘はセント・レイズ学院の門を出て南へ進んだ先にある丘の草原と小説の中で表現していた。さて・・・一体どんな場所なのか・・。私は流行る気持ちを抑えつつ学院の門を出ようとして、お腹の虫が鳴るのを聞いた。
「すみません、注文お願いします。テイクアウトでローストビーフサンドイッチセットを1つ。あ、デザートにプディングを付けて下さい。」
今、私はサンドイッチショップに来ている。結局、腹の虫の誘惑には勝てなかった。
紙袋に入ったテイクアウトのランチを持って、私は見晴らしの丘へと向かった。
季節はもうすぐ10月に変わる頃で秋の風が涼しさを運んでくる。青い空を見上げると羊雲が浮かんでいた。
この世界は日本とは違い、空気は澄み渡り、空は何処までも広くて青かった。
こんなに自然あふれる世界は日本ではまず体験できない事だろう。子供の頃から田舎というものが無かった私はずっと都会っ子で育ってきた。その為、自然と言う物に強烈な憧れがあったのだ。だから自分でも驚くくらい、この景色に感動している自分がいた。
見晴らしの丘へと歩みを進めるうちに私はある事に気が付いた。
あれ・・?何だかこの景色以前にも見たような・・・?私は足を止めて周囲をぐるりと見渡し、気が付いた。
そうだ!この景色は・・・私が初めてこの世界で目を覚ましたあの場所と同じなのだ。と言う事は、私が倒れていた場所は見晴らしの丘だったのだろうか・・?
そこへ偶然通りかかったアラン王子・・・。本来ならあの場所に居るべき人物は私ではなく、ソフィーでなければいけなかったのかもしれない。なのにアラン王子と出会ってしまったのが私だったから、この世界の本来の物語が狂ってしまったのだろうか・・・?
「ハ、ハハ・・まさか・・・ね。」
私は恐ろしい考えを打ち消すかのように頭をブンブン振った。でも何故アラン王子はあの時、見晴らしの丘へ来ていたのだろうか?しかも入学式という大事な日だ言うのに・・?今度機会があれば聞いてみようかな・・・。
と、その時私は前ばかり見ていたので足元に注意を払っていなかった。
「え?」
突然何かに足を引っかけてしまい、前へつんのめる私。
「キャアッ!!」
ドスッ・・・・。
「え・・・?」
気が付いてみると私は紙袋はしっかり守ったまま、人の上に倒れ込んでいた。
「い・・・いって・・・。」
はっ!誰かを下敷きにしてしまっている!
私は慌てて飛び退き、頭を下げた。
「すみません!突然身体の上に倒れ込んでしまって!あの、怪我されませんでしたか?!」
そして倒れ込んだ相手を確認する為に私は見下ろした。
え・・?誰・・・?
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私が倒れ込んでしまった相手は見た事が無い若い男性だった。
無造作に伸ばした髪の毛は日に透けるとオレンジ色に光り、長い前髪から覗かせる大きな瞳はこの世界では珍しい黒曜石のような黒。まるで私が住んでいた日本を思わせる懐かしい色・・・。私は思わずその瞳に見惚れていた。
「あの・・・そろそろ降りて欲しいんだけど・・。」
私の下敷きに、なっていた男性が遠慮がちに声をかけてきた。
「え?」
ふと気が付けば、私は男性に覆い被さるような格好をしているでは無いか。
「キャアッ!ご、ごめんなさいっ!」
慌てて飛び退く私。ああっ、なんて事していたんだ。
「いや、こんな所で寝ていた自分が悪いんだ。」
男性は身体を起こすと言った。良く見ると彼は制服ではなく、白衣を着用していた。え?すごく若く見えるけど、もしかしたらこの男性は・・・?
「あ、あの・・ひょっとしたらジョセフ・ハワード先生ですか・・?」
私は恐る恐る尋ねてみた。
「ああ、そうだよ。え・・と、君は誰かな?ごめん。眼鏡をしていないからよく見えなくてね。」
言いながらジョセフ先生は、え~と眼鏡、眼鏡・・・と手探りで辺りを探し始める。
「あ、あの。私も探すの手伝いますね。」
「ありがとう。すまないね。」
「いえ、1人より2人で探す方がずっと早いですし。気になさらないで下さい。」
穏やかな話し方でほほ笑むジョセフ先生。うん、流石は大人の余裕だ。やはり人はこうでなくては。どうも私の周囲にいる男性陣は落ち着つかなくて困ってしまう。
しかし、その時・・・
パリンッ
私の足元で何かが割れる音がした。恐る恐る足を上げてみると・・・・ジョセフ先生の眼鏡のレンズがものの見事に割れていたのである。
「先生、本当に申し訳ございません!」
私はもう何度目か分からない位、頭を下げて謝罪を繰り返している。
「いやあ・・・君はそんなに気にしなくていいよ。大体、草むらの上に眼鏡を置いておいた僕が悪いんだから・・。あれじゃ、誰だって踏んづけていたよ。」
ジョセフ先生はかえって申し訳ないという感じで顎をポリポリかいているが、相変わらず笑みを浮かべていた。恐らく私に気を遣わせない為なのだろう。
「ハワード先生、予備の眼鏡はお持ちなのですか?」
ああ、どうかジョセフ先生が予備の眼鏡を持っていますように・・・!
「うん。あるにはあるんだけど、自宅に置いてあるんだ。」
ジョセフ先生は割れた眼鏡をハンカチで包み、白衣のポケットにしまうと言った。
「え?自宅に・・・ですか?」
ここセント・レイズ学院は学生はおろか、教授も寮に入り共同生活をしている。ただし、臨時で来る准教授や講師等は外部から来るので、当然寮に入っていないのだ。
「あ、あの・・・ハワード先生のご自宅というのは・・・どちらでしょうか?」
どうか、どうかジョセフ先生の家が近くでありますように!けれどこの学院の半径10km圏内には町はおろか、村も無い。私達が週末だけ門を利用して行き来をしている町、その名も「セント・レイズシティ」すら移動魔法を使えない者達にとっては馬車か車を使うしかなく、移動に半日はかかてしまうのだ。
「うん、僕が住んでいる自宅はセント・レイズシティにあるんだ。ここの学院での僕たちの立場のような人間は、学院側があの町で住む場所を提供してくれているんだよ。」
ふ~ん、そうなのか・・・って!感心している場合ではない!
「ハワード先生。セント・レイズシティから学院までの移動手段はどうされているのですか?」
「もしかして君は僕がセント・レイズシティまで長い時間をかけて通勤していると思って心配してるのかな?それなら大丈夫だよ。ほら、この指輪を見てごらん?」
ジョセフ先生は私に右手の中指にはめた指輪を私に見せてくれた。指輪に埋め込まれた青い光を放つ石、見るからに魔力が宿っているのは明らかだ。
「この指輪をね、君たちが利用している門へかざすとセント・レイズシティへの入り口に繋がるんだよ。だから来るのも、戻るのも一瞬だから大丈夫だよ。」
私を安心させる為か、始終笑顔で話すジョセフ先生。
と、その時・・・ぐう~・・・・。お腹の虫が鳴った。ジョセフ先生の・・。
「あ、はは・・。恥ずかしいな。お腹が鳴る音聞こえちゃって。」
恥ずかしそうに頭に手を当てている。
「先生、もしかしてお昼ご飯をまだ召し上がっていなかったのですか?」
え?まさかお昼も食べずに、見晴らしの丘で昼寝をしていたのだろうか・・・。
「うん、実は昨夜遅くまで今日の授業の準備をしていたから、どうにも眠くなってしまってね。食い気よりも眠気が勝っちゃって・・・。何も食べずに眠っていたんだ。」
それを聞いた私はジョセフ先生に言った。
「あの・・・お詫びと言っては何ですが、私サンドイッチを持ってきたんです。2人で分けて食べませんか?」
「え?でもそれだと君の分が・・・?」
ジョセフ先生に困惑の色が浮かぶ。
「大丈夫ですよ、デザートに買ったプディングは2個あるのでこちらも一緒に食べませんか?」
「そっか、それじゃお言葉に甘えようかな?」
こうして見晴らしの丘でのランチ会が始まった・・・。
「ところで、君・・名前を教えて貰えないかな?僕の生徒なのに名前を知らないのは失礼にあたってしまうからね。」
「はい、私の名前はジェシカ・リッジウェイと申します。
サンドイッチを食べながらジョセフ先生は質問して来た。そこで私は何故ここへ来たのか本来の目的を思い出したのだ。
「あ、そうでした!実は私の知り合いのマリウス・グラントと言う学生の描いた天体スケッチを高く評価して頂いたそうですね。」
「ああ、あのスケッチかい?あれは本当にすごかったよ。リッジウェイさんの知り合いが描いたものだったんだね。でも何故生徒会の人達は僕にあのスケッチブックを持ってきたんだろうね。」
不思議そうに言うジョセフ先生。そうか、臨時講師だからこの学院での起こった騒ぎを知らされていないのか。だったら余計な話しはしない方が良いのかもしれない。
私はこの先生の事をもう少し知りたくなったので質問してみる事にした。
「ハワード先生は何故天文学を専攻されたのですか?」
「実はね、僕は見ての通り視力が悪いだろう?元々産まれた時から弱視だったんだ。」
ジョセフ先生から出た言葉は以外なものだった。
「それこそ、両親は色々と医者を探してくれたり、有名な魔法薬を作り出せる薬師を探してくれたけど、結局僕の視力はどうにもならないって言われたらしいんだよ。」
淡々と語るジョセフ先生は、その時何を感じたのだろうか。
「僕の瞳はこの世界では珍しい色をしているらしいんだ。恐らく視力が弱いのはそのせいだろうって言われたよ。やっぱり黒い瞳は怖がられるのかもね。」
少しだけ寂しげに笑う先生。でも私は、その黒い瞳をよく知っている。だって私がいた日本ではその瞳の色は特別な事ではないのだから。
「ハワード先生、私は先生の瞳の色を怖いだなんてちっとも思いませんよ。先生の瞳はまるで黒曜石のようで、とても綺麗だと思います。」
私の話を聞いて少しだけ驚いた顔をした先生は、やがて笑いだした。
「そんな風に言ってくれたのは君が初めてだよ。でも少しは自分の瞳に自身を持ってもいいのかな?今迄はあまり人目につかないようにわざと前髪で隠していたけれどね。」
「はい、ハワード先生はもっと自身を持ってもいいと思います。」
私も笑顔で返した。
3
「それで、何故僕が天文学を専攻したのかって話だったよね?」
「はい。」
「理由は単純だよ。僕の両親は少しでも視力が良くなるようにって毎晩夜空を眺めさせていたんだ。それでいつの間にか自分自身も天体に興味を持って天文学を専攻したんだよ。でも結局は視力向上には至らなかったけどね。」
何処か懐かしそうに目を細めて話すジョセフ先生。そうか、先生が天文学を専攻したのはそのような事情があったのか。
その時、遠くで午後の授業の始まる20分前の予令が聞こえてきた。
「あ、先生。すみません、そろそろ午後の授業が始まるので私戻らないと。」
立ち上がる私に、何か先生が言いかけた
「あ・・・。」
「先生、どうかしましたか?」
「あの・・・こんな事頼むのは悪いと分かっているんだけど、眼鏡が無いから、今ほとんど周りの景色がぼやけて見えなくて・・・それで申し訳ないのだけど、学院迄僕も一緒に連れて行って貰えないかな?」
そうだった。私の不注意で先生の眼鏡を壊してしまったのだ。
「す、すみません!先生の今の状況、すっかり失念しておりました!では先生、失礼します。」
私はジョセフ先生の左手をギュッと繋いだ。
「い、いや、あの。別に手を繋がなくても・・・。」
慌てたように言う先生だが、眼鏡を壊してしまった私には学院迄先生を無事送り届ける義務がある。
「先生、何を仰っているのですか。足元が危ないですからこれ位当然です。」
構わず先生の手を引いて歩きながら、ふと思った。
「先生・・・。前が何も見えないと言う事は、もしかして・・?」
私の言葉を最後まで聞かずとも先生は分かったらしく、恥ずかしそうに頷いた。
そうだ。今の状態では先生は1人で家に帰れないのだ・・・。
あの後、私はジョセフ先生の手を引いて学院の敷地内へ戻ると、すれ違う学生たちが好機の目でジロジロと視線が痛いほど見つめて来るのが分かった。
ああ・・これがきっかけでまた何かトラブルが起こらなければ良いのだが・・。
私は心の中で溜息を付いた。でももし、ジョセフ先生が責められる立場に追いやられた場合は全力で自分が先生の前に立って矢面に晒されないようにしなければと心に誓った。
臨時教員用職員室へとジョセフ先生を送り届けた後、自分の教室に戻り中を覗いて見ると、なんと驚いた事にまだマリウス、アラン王子、グレイ、ルークは教室に戻っていなかった。よしよし、彼等がいないのなら尚更都合が良い。恐らくはまだ生徒会室で揉めている最中なのかもしれない。だとしたら私がジョセフ先生の手を引いて学院に戻って来た事実を・・・多分?知られる事は無いだろう。
教室を覗き込んでいた私に気が付いたエマがやってきた。
「どうしたの?ジェシカさん。教室の中へ入らないの?」
不思議そうに尋ねて来たので、私は事の顛末を全てをエマに話した。
「すみません、エマさん。そういう訳なので午後の授業も欠席させて頂く事になるの。」
「いいえ、でもジェシカさんて親切な方ですね。大丈夫、どうかハワード先生に付いて行ってあげて下さい。私が次の講義の教授に事情をお話ししておきますので。」
私はエマにお礼を言うと、ジョセフ先生の元へと向かった―。
「リッジウェイさん、本当に講義を休んで良かったのかい?」
私達は今門の前に立っている。今からジョセフ先生の持っている指輪で門の扉を開けて、セント・レイズシティへと向かうのだ。
「ええ、先生に不自由な思いをさせているのは元はと言えば全て私の責任なので。」
「何もそれ程気にする事は無いと思うんだけどね・・・。」
ジョセフ先生は門を見ながらポツリと言う。あ、ではそれなら・・・。
私はある事を閃いた。
「ハワード先生、セント・レイズ総合病院の場所をご存知ですか?」
「うん、勿論知ってるけど?もしかしてリッジウェイさん。病院に用があるのかい?」
「はい、実は先生はご存知かどうか知りませんが、セント・レイズ学院の生徒会役員のライアンという男性が学院内で大怪我をして総合病院に運び込まれたらしいんです。私、どうしても彼の事が気がかりで・・可能であれば面会出来ないかと思っていたんです。」
「そうなのかい?学院内でそんな事件が起こっていたなんて僕はちっとも知らなかったよ。やっぱり臨時職員だからかな?」
首を傾げながら言うジョセフ先生。まあ言われてみればそうなのかもしれないが、でも学院内で起こった事件は学院中の人間が周知しておくべき事なのではないだろうか?実は今回の件で私はいささか学院のやり方に失望していた。
「彼の怪我の具合が心配でたまらなくて・・。でも何も情報が入って来ないので、病院に行って彼の病状や、願わくば面会出来ればと思ってるんです。」
実際、私はライアンの様子が心配でたまらなかった。もし意識が戻らない程の大怪我だったら?死んでしまうかもしれないような状態だったら?等と思うと居ても立ってもいられない。
「分かったよ。それじゃ僕の家に行って眼鏡を取って来れたら一緒に病院の方へ行って見よう。僕も付き添うから。」
おお、それは願ったり叶ったりだ。実は学生1人が面会を希望しても病院側も受け入れてくれないのではと思っていた。けれども学院の教授が一緒なら・・面会も可能なのではないだろうか?
「はい、是非!お願いします!」
すると先生はにっこりと笑い、言った。
「それじゃ、セント・レイズシティへ行こうか?」
そして指輪を門へかざし、扉を開いた・・・・。
町へ着いた私達はジョセフ先生の住所を頼りに先生の手を引いて歩き、やがて先生の住んでいる自宅付近へと辿り着いた。
先生の住んでいる家は町の中心部から少し外れた場所、辺りはポツリポツリと小さな民家が立ち並ぶ殺風景な場所だった。その中の1軒が先生の自宅だと言う。
「僕の家はね、青い屋根にレンガの煙突が付いているんだよ。分かるかい?」
「あ、ありました!あの家ですね。ではハワード先生、行きましょう。」
私は先生の手を引いて青い屋根の家を目指した。
鍵を開け、中へ入るとジョセフ教授の部屋は私の住んでいる部屋のおよそ半分くらいの広さしかなく、驚くぐらい殺風景な部屋だった。
小さな食卓用テーブルに小さな食器棚、そして2人がけのソファが板張りの床に置いてある。
そのテーブルの上に先生の予備の眼鏡が置いてあったので、私は早速それを手に取り、ジョセフ先生に手渡した。
「ありがとう、リッジウェイさん。」
眼鏡をした先生にお礼を言われた私は更に家の様子を観察した。
奥には台所があり、その隣には2階に続く階段がある。
私の視線に気が付いたのか、ジョセフ先生が説明してくれた。
「僕の家の2階は屋根裏部屋で、窓が屋根に沿って斜め上についているんだよ。そこから見える夜空は最高に美しいんだ。」
ジョセフ先生は嬉しそうに言うが、私は別の事を考えていた。
もしかするとジョセフ先生は臨時教授だから、学院に来る回数も少なくされ、更には薄給の給料しか貰えていないので、このような貧しそうな?暮らしを強いられているのではないだろうか?
・・・もしこれが事実なら許すまじ、セント・レイズ学院。貴族しか入る事の出来ない学院なので寄付金はがっぽり貰っているはずなのに臨時教授達には微々たる給料しか与えず、学院側が不当に搾取しているのではないだろうか?そう、あの生徒会のように・・・。
「よし、それじゃ病院に行ってみようか?リッジウェイさん。」
先生に声をかけられたが、私はどうしても先生に伝えなければならない事が出来た。
「ハワード先生、不当な扱いを受けているのであれば私から学院に直談判しますよ!」
私の言葉にジョセフ先生は不思議そうに首を傾げるのであった。
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