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第10章 2 別れの日 (イラスト有り)
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1
その日の夜の事。
シャワーを浴びて髪を乾かしていると、ノックの音が聞こえてきた。
「ハルカ・・・。ボクだよ、アンジュ。今、少しだけいい?」
「アンジュ?」
ドアを開けると、そこには防寒着を着てリュックを背負ったアンジュが立っていた。
その姿はまるで今にも旅に出るような出で立ちにも見えた。
「アンジュ・・・一体どうしたの?その格好は?」
するとアンジュは私の手を取り、言った。
「ハルカ、今迄ありがとう。ボク、今夜ここを出る事にしたんだ。」
「え?それは一体どういう事なの?」
アンジュの手を握り締めると尋ねた。
「ボクね、やらないといけない事が出来たんだ。それはボクにしか出来ないとても大事な事なんだよ。今迄その役目から逃げてきたし、決める事が出来なかったけど・・・ハルカに出会って決心したよ。やっぱりボクは自分の役目を果たさないとって。」
アンジュの話は抽象的で私には理解出来なかった。
「ねえ、アンジュ。何を言ってるの?私には貴女の言ってる意味が全く分からないわ。」
「大丈夫、いずれ時が来ればボクの言ってる意味が分かるよ。」
「え?それはどういう・・・。」
そこまで言いかけた時、突然アンジュが私の首に腕を回してキスをしてきた。
!!
私はあまりにも突然の出来事に固まってしまった。
やがてアンジュはゆっくり唇を離すと言った。
「元気でね・・・。ハルカ。」
「ね、ねえ・・・アンジュ。もう私達・・会えないの・・・?」
震える声で尋ねるとアンジュは私を抱き締めた。
「大丈夫、また必ず会えるよ。今とは少しだけ違う形になるだろうけど・・・ね?」
またアンジュは謎めいた言葉を言う。そして私から身体を離すと言った。
「また会う日まで、元気でね・・・。」
そして私の目の前でアンジュは転移魔法で姿を消してしまった。
「ア、アンジュ・・・。」
後には一人取り残された私だけ。
気が付くと私は泣いていた。唯一、誰にも話せなかった秘密を明かす事が出来た、たった1人の相手を失ってしまったのだ。
だけど・・・。泣いてばかりではいられない。私は涙を拭った。
これからやるべき事が山積みなのだ。早急に狭間の世界の鍵と魔界へ行ける鍵を手に入れてまずは狭間の世界に行き、魔界へ行く手助けをお願いする。そしてノア先輩を助け出さなくてはならない。
その後私は・・・裁かれて罪人としていずれ流刑島へと流される。そこで囚人となり一生奴隷のように働かされ続けるのだ。
これから辛い未来が待っている。これしきの事で泣いてなどいられない。
私は机に向うとノートとペンを取り出し、これからするべき事を夜遅くまで書き続けた―。
アンジュがリッジウェイ家を去って早1週間が経過した。
この日も私は王都へ自分の不要な私物を売りに行く為に衣類やアクセサリーを詰めこんだトランクケースを自転車に乗せていた時、背後から声をかけられた。
「ジェシカ・・・。」
振り向くとそこに立っていたのは公爵だった。
「ドミニク様・・・?」
1週間ぶりに会った公爵は青ざめた顔色で随分やつれているようにも見えた。
「ど、どうされたのですか?」
慌てて駆け寄ると公爵は曖昧に笑った。
「あれから1週間しか経っていないのに、随分長間ジェシカに会っていない気がするな・・・。」
「ドミニク様・・・?」
「ジェシカ・・・。今日・・もし急ぎの用事が無ければだが・・俺に付き合って貰えないか?話したい事があるのだ。」
その様子はかなり切迫しているようにもみえた。公爵はよほど大事な話しがあるのだろうか?でも・・・。
「ドミニク様、かなり体調が悪いようにみえますが、お話はまた今度にして今日は御自宅で休まれた方がよろしいのでは無いですか?」
すると私の一言で公爵の態度が一変した。いきなり両腕を握りしめると、強い眼差しで私を見つめた。
「た、頼む・・・!お願いだ・・・どうか・・・。俺の話を・・・。」
公爵は俯いている。その声は今にも消え入りそうだった。
「わ、分かりました・・。では私の家では家族の目もありますので、ドミニク様のお屋敷でも良いですか?」
「ああ、それで良い。ありがとう、ジェシカ・・・。」
そして公爵は私の自転車ごと転移魔法を唱えた—。
「すまなかったな・・・。何処かへ出掛ける用事があったのだろう?」
公爵は館に着くと、申し訳なさそうに言った。
「いえ、いいんですよ。どのみち王都に用事があったのです。ドミニク様のお陰で王都迄自転車でくる手間が省けました。ありがとうございました。」
「そうか・・・それで話というのは他でもない。俺の両親と・・・彼女についての話なんだが・・。」
公爵はここまで連れて来ておきながら、私に両親の話や彼女の話をするのを躊躇しているように見えた。
それなら私の方からうながしてあげよう。
「ドミニク様・・・・。ご両親は・・何と仰っていたのですか?」
「あ、ああ・・・。やはり・・・彼女を屋敷から追い払ったのは、俺の両親の差し金で間違いは無かったんだ。でも両親は何故彼女を突然解雇したのか理由を話してくれたよ。俺の屋敷には財産を管理してくれる執事が居るんだが・・・。」
ポツリポツリと公爵は話始めた・・・・。
公爵には代々使える優秀な執事の一族がいる。そして彼等の主な仕事は財産の管理なのだが、ただ財産の管理という物は一個人で行えるものでは無い。
そこで執事の元には大勢彼等の下で働く経理課の人間達がいる。彼等の仕事は財産の支出の流れを把握する仕事なのだが・・・・数年前から管理している財産の一部が巧妙な手口で用途不明金としてかなりの額が毎年消えている事に気が付いたそうだ。
さらに領地からの収入も減少傾向にあり、これらの報告を受けた執事が怪しいと調べた所、公爵が思いをよせていたメイドの女性が浮上してきたらしい。
執事が密かに証拠を集め、それらをメイドの女性に突きつけた所、あっさりと罪を認めた。
その横領額は驚く事に日本円に換算してみると、わずか5年の間に約1億円にまで上っていたという。
彼女の証言によると、わざと公爵と仲良くなり巧妙な手口で横領を続けていた・・。
そして執事は公爵の両親にその事を全て報告し、公爵の両親の言いつけで、メイドの女性にクビを言い渡したそうだ。
「執事は・・・俺が彼女の事を好きだったのを知っていて、その事も拭くめて俺の両親に報告したんだ。すると、両親がジェシカとの見合い話が丁度来ていたので、受けたらしい・・・・。」
「ドミニク様・・・。」
「俺はそんな話、信用出来なかった。だから執事から無理やり彼女の引っ越し先を聞きだして、転移魔法で彼女に会いに行って来たんだ。・・・そこで色々驚く事があったよ。」
公爵はフッと悲しそうに笑うと言った。
「彼女の家は・・・驚く程に大きな館で・・とてもメイドの給料で建てられるような屋敷では無かったよ。彼女は俺を見ると顔が真っ青になって、必死に謝って来た。長い間騙していてごめんなさいと・・・。屋敷を立てたお金は今迄横領したお金を退職金代わりとして貰えたらしい。心を入れ替えたので、どうかもう二度とここには来ないでくれと懇願されたよ・・・。」
「ドミニク様・・・。」
どうしよう、私のせいだ。私が余計な事を言ってしまったばかりに、かえって公爵は残酷な真実を知る事になり、深く傷つけてしまったのだ・・・。
「ごめんなさい!ドミニク様・・・・!わ、私がいけなかったんです・・。余計な事を話してしまったせいで、知ってはいけなかった事実を・・・。」
必死で謝ると、公爵は今にも泣きそうな顔を上げて私を見つめ、次の瞬間強く抱きしめて来た—。
2
「ド、ドミニク様・・・?」
戸惑いながら名前を呼ぶと、ますますきつく抱きしめてきた。
「ジェシカ・・・。やはり、俺のような人間は・・・誰にも愛されないのだろうか・・?この忌まわしい瞳が、人目を引く黒髪が・・・人々を怯えさせてしまうのか?」
震える声で言う公爵。
「そ・・・そんな事はありませんっ!ドミニク様のご両親が彼女を貴方から引き離したのは・・ドミニク様を思っての事です!貴方の事が心配だから・・愛しているから、ドミニク様を傷つける存在の彼女を追い払ったのです!私は・・・そう信じています。」
「本当に・・・そうなのだろうか・・?」
公爵は私から身体を離すと、縋るような目で私を見つめた。
「はい、少なくとも・・・私はそう思います。第一私は一度もドミニク様を怖いと思った事は無いと言いましたよね?その黒髪も、オッドアイの瞳も・・・とても神秘的で・・・素敵ですよ。」
私の言葉に公爵はピクリと反応して、じっと見つめて来た。
続けて私は語った。
「それに、ドミニク様に仕えているお屋敷の人達もドミニク様を心配しておりました。だから・・・大丈夫ですよ。」
私は微笑んだ。
「お前も・・・。」
「え?」
「お前も俺の事をそう、思ってくれているのだろうか・・?」
「ドミニク様・・・?」
「い、いや。何でもない。引き留めて悪かったな。王都に用事があったのだろう?」
公爵は私から視線をそらすと言った。
「いいえ、大丈夫です。それよりもドミニク様・・・。ひどくお疲れの様ですので、今日はもうお部屋でお休みになられた方が良いですよ。」
本当に真っ青な顔色をしている。今にも倒れてしまうのではないかと心配になってきてしまう程だ。
「あ、ああ・・。ありがとう。それじゃお前の言う通り、休むことにする。何所へ行くかは知らんが、気を付けて行けよ。」
公爵は少しだけ笑うと言った。
「はい、ありがとうございます。」
私は挨拶をすると、公爵に見送られて屋敷を後にした。
自転車を押しながらいつものリサイクルショップの帰り道・・・。
何気なく通ったカフェの前で私はチャールズとエリーゼがテーブルに向かい合わせに座り、何事か話をしている姿を目にした。
うん、うん。きっと2人は仲直りしたのだろう。良かった良かった・・・と思い、少しだけ遠目から様子を伺っていた。
すると突然エリーゼが立ち上がり目の前の水の入ったコップに手をかけると、バシャアッと向かい側に座っているチャールズに水をかけたではないか!
エリーゼは何やらヒステリックに喚いているようだし、チャールズはそれを必死になだめようとしている。
あ~あ・・・。相変わらずだなあ、あの2人は・・・。店の中の客の視線を一気に集めているじゃないの・・。
あ!エリーゼが店から出ようとしている。見つかったらまずい!
私は急いで自転車にまたがると、必死でこいで逃げるようにその場を後にした・・。
「ただいま戻りました。」
王都から戻ると父と母の話声が応接室から聞こえてきたので、私は挨拶の為に部屋を訪れた。
「まあ!ジェシカ・・・貴女ったら貴族令嬢のくせに、又そんな地味な洋服を着て・・・本当に一体どうしてしまったのかしら?」
母は溜息をつきながら私を見た。
「・・・そんなにおかしいでしょうか?」
私は自分の着ている服を見ながら言った。今着ている洋服は襟首がぴっちりしまったケープのついた薄紫色のワンピースである。私的にはすごく気に入ってるんだけどな・・・。
しかし、母は違ったようだ。
「いいですか?ジェシカ。貴女は公爵令嬢なのですよ?本来は王族の次に爵位が高い存在なのです。それなのにそんな庶民的な服ばかり着て・・・。」
母は溜息をつきながら言った。
「まあ、服の話は今はどうでもいい。それより大変だぞ、ジェシカ。いいか、落ち着いて良く聞くのだぞ?」
落ち着けと言いながら一番落ち着きが無さそうな父が言った。
「はい、私は落ち着いておりますので、どうぞお話を続けてください。
「あ、ああ。実はお前と以前見合いをして一度は婚約までして破棄したチャールズが何ともう一度婚約を申し込んできたのだ。しかも今すぐにでも結婚をしたいと訴えに来たのだぞ?!」
「え?えええっ?!ちょっと待って下さい!その話は本当ですか?」
「ああ、つい先ほど親子でこちらへやって来たのだ。さて・・・どうする・ジェシカよ。」
どうもこうも・・・まさかチャールズが直接我が家へ結婚の申し込みをしにやって来るとは考えてもいなかった。
私が断ったから今度は父と母に訴えに来たと言う訳か—。全く余計な真似を・・・。
こんな事をして私がこの話を受けるとでも思っているのだろうか?
ああ・・・それで先程カフェでエリーゼと喧嘩していたのだな?挙句に水までかけられて・・・。
「お父様・・・その話はお断りして下さい。」
「うむ・・やはり・・・そう言うと思っておった。」
「え?お父様?」
「考えても見ろ。一度は婚約までしたのに理由も言わずに一方的に婚約を破棄して別の女性と婚約したくせに、今度はその令嬢との婚約を破棄して、もう一度お前と婚約したいと言う男など・・・そんな不誠実な男に大切な娘を嫁に出すことなどする訳がなかろう?」
「お父様・・・。」
「二度とこの土地に足を踏み入れるなと言っておいたわっ!」
そして豪快に笑った。
「そうよね。ジェシカにあんな男は似合わないわ。何せ私に似てこんなに美人だし、ましてや2人の王子から求婚までされたんですから・・・。あんな男性はジェシカには不釣り合いです。」
母もピシャリと言う。
「あ・・はは・・。そうですね。」
「ところで、ジェシカ。話は変わるのだが・・・どうもアリオスとマリウスの領地の滞在がもう暫く長引くそうなのだ。それで新学期なのだが・・・本来はマリウスと2人でセント・レイズ学院に戻って貰おうかと思っていたのだが、どうやらそれが難しそうになって来た。すまないがジェシカ・・・1人で学院へ戻って貰えるか?荷物は先に全てこちらから向こうの学院へ送るように手配はしておくので。」
父の話に私は多少なりとも驚いていた。
未だに領地から戻って来れないなんて・・・何か2人の身に良く無い事でも起こったのだろうか?
「あの・・・・お父様。アリオスさんやマリウスは大丈夫なのでしょうか?向こうで何かあったのでは・・・?」
「いや?そういった話では無いようだ。ただビックニュースがあるそうだぞ?それが何かは私も聞いてはいないが・・・今から楽しみだ。」
父は嬉しそうに言う。
「そうね・・・。私も今から楽しみだわ。アリオスはいつも私達を突然驚かすのが得意な人だから。」
ホホホ・・・と母は笑いながら言うが、私はそれを聞いて乾いた笑いしか出なかった。
ねえ・・アリオスさん。仮にも主を突然驚かすなんて失礼な事をして大丈夫なのでしょうか?
流石はマリウスの父・・・中々恐ろしい一面を持っているなあ・・・。
それにしてもビッグニュースって何の事だろう?まあいい、しかしセント・レイズ学院へ1人で戻る事になるとは思いもしなかった。
ここへ戻ってきた時はいきなりのマリウスの転移魔法で彼は大変な目に遭ってしまったけど・・・今回はゆっくり1人で飛行船に乗って向かう事になるのか。
でも色々頭の中で整理したい事があったから、丁度良かったかもしれない。
いよいよ・・・後1週間で学院が始まる―。
3
明日はいよいよ学院へ戻る日・・・この家で過ごす最後の日になるかもしれない日。
私は庭仕事をしているピーターと話をしていた。
「ジェシカお嬢様、明日とうとう学院へ戻られるのですね。」
ポツリと何処か寂しげに言った。
「うん、そうだね・・・。この1ヶ月長いようで短かったかな・・・・。」
私はベンチに座りながら空を見上げた。
ピーターはそんな私を黙って見つめていたが・・・やがて何処か思い詰めた顔をすると言った。
「ジェシカお嬢様がここ最近ずっと様子がおかしい事には気付いていました。もし、学院へ戻る事で、何か問題が起こるようでしたら・・・。」
ピーターは私に歩み寄ると言った。
「学院へ戻るのは止められてはいかがですか?」
「え?何を言ってるの?ピーターさん。そんな事できる訳・・・。」
そこまで言いかけて、ドキリとした。
ピーターが思いもかけない程至近距離にいたからだ。
「ジェシカお嬢様・・・。」
ピーターが土で汚れた手で私の手を握り締めてきた。
「ジェシカお嬢様・・・。俺の手は貴族の青年みたいに奇麗な手ではありません・・・。だけど、こんな汚れた手だけど、ジェシカお嬢様を救える事が出来るなら・・・。」
え?ピーターは何を言おうとしているのだろうか?
「ジェシカお嬢様が俺の手を取ってくれれば、俺は世界の果てだってジェシカお嬢様を連れて逃げる事だって出来ますよ・・・?」
ピーターの言葉に以前夢で見た光景が目に浮かんだ。あの時の夢では私は1人きりで逃げていた。けれども結局逃げ切れずに、捕まって・・・。
私は目を閉じた。
だけど、誰かが私の手を取って連れて逃げてくれたら・・・。
「ジェシカお嬢様・・・。」
ピーターが私の握る手を強めて、ハッとなる。駄目だ。彼を巻き込んではいけない。
「私の事なら心配しなくて大丈夫だから。それより、ピーターさんには大事な事をお願いしたよね?もしもの事があれば、預けた書類を役所に出してね・・・って。」
私はそっとピーターを押して身体を離すと立ち上がった。
「それじゃ私、明日の準備があるから・・・。」
ピーターに背を向けて歩き始めた時・・・。
「ジェシカお嬢様!俺は貴女を・・・!」
ピーターが私を呼び止め、突然彼に緊張が走るのを感じた。何事かとピーターを振り向くと、彼の視線は別の方向を向いている。
何故か彼の目には怯えがあった・・・。
「・・・?」
訝しんで視線の先を追うとそこに立っていたのは公爵だった。何故かピーターを睨み付けるような視線を送っている。
「ドミニク様?何故こちらに・・・?」
すると公爵はこちらを振り向き、悲し気な視線で私を見つめる。
「ジェシカ・・・。話しがあるんだ・・。少し時間を貰えるか?」
「は、はい・・・?」
ピーターの方を振り向くと言った。
「ごめんね。ピーターさん。ドミニク様とお話しがあるから・・・。」
「は、はい・・・。」
酷く傷ついた顔を見せるピーター。思わず私は声をかけた。
「あのね、ピーターさん。私・・・!」
そこまで言いかけて、グイッと私は公爵に肩を掴まれ引き寄せられた。
「ドミニク様・・・。」
思わず見上げると、公爵は無表情でピーターを見ている。
「悪いが、ジェシカと2人きりで話しがある。彼女を借りて行くぞ。」
「は、はい・・・。」
ピーターが俯いて返事をすると、公爵は私の肩を抱いたまま、歩き出した。
「ドミニク様、一体どちらへ・・・。」
しかし公爵は返事をせず、思い詰めたような表情で歩き続ける。
仕方が無いので、私も黙ってついて歩くとやがて公爵は足を止めた。
「すまない・・・。」
ポツリと公爵は言った。
「え?」
「すまなかった。お前が他の男と話をしている姿を見ていたら、つい・・・。」
公爵は頭を押えながら苦悩の表情を浮かべて言った。
「ドミニク様・・・。」
「実は今日ジェシカを訪ねたのは他でも無い。明日俺と一緒にセント・レイズ諸島へ行こう。」
「え?ドミニク様とですか・・・?」
「ああ、今はお前の下僕のマリウスがいないのだろう?実はジェシカの両親から頼まれたんだ。一緒に学院へ行って欲しいと。」
そこでようやく公爵は笑みを浮かべた。
「あの・・・私の両親が頼んだのですか?」
「ああ、そうだが?」
公爵は一瞬首を傾げると言った。
え?ちょっと待って。何故あの2人は婚約?を取り消した公爵に私の事を頼んだりしたのだろうか?
私はよほど難しい顔をしていたのだろう。
「もしかすると、俺と一緒に行くのは・・・嫌か?」
公爵が悲しげな顔で私を見つめている。
「い、いえ。そういう訳では・・・。ただ、ドミニク様にご迷惑だと思いまして・・・。」
「俺は!」
突然公爵は私の両肩を掴むと言った。
「俺は1度たりともお前の事を迷惑だと感じた事は無い!むしろ・・・もっと俺の事を頼って欲しいと思っている位なんだ・・・。」
気付くと私は公爵に強く抱き締められていた。
「わ、分かりましたから・・・。ドミニク様・・は、離して頂けますか・・・?」
「す、すまない!俺はまた・・・。」
公爵は慌てたように私から離れた。
「それで・・・明日は俺と一緒にセント・レイズ諸島へ行ってくれるんだよな?」
「は、はい。どうぞ宜しくお願い致します。それで・・・移動手段ですが・・・どうされるのですか?」
「ああ、転移魔法で行こうと思う。あれなら一瞬で移動出来るからな。」
その言葉を聞いて私は青ざめた。
「だ、駄目ですっ!そ、そんな事をしたらドミニク様の身体が・・・!」
「俺の身体がどうしたと言うのだ?」
「い、いえ・・・。マリウスが転移魔法でこちらへ飛んだ時に魔力切れで気絶してしまい、大変な目にあったんです・・・。それで・・・。」
「何。たかだか4500km位の距離ならばどうと言う事は無い。」
「ええ?!それは本当ですか?」
私は驚いて公爵を見上げた。
「ああ、本当だ。」
「ドミニク様は・・・本当に素晴らしい魔力の持ち主なのですね・・・。」
「・・・・っ!」
不意に公爵は、顔を赤らめると視線を逸した。
「ドミニク様?」
「い、いや・・・お前からそのような尊敬の眼差しで見つめられると、何と言うか、照れが・・・。」
私はクスリと笑うと言った。
「私は、いつでもドミニク様を尊敬していますよ。」
「あ、ありがとう・・・ジェシカ。そ、それでは明日の11時に迎えに行くので、お前の家の門の前で待っていてくれ。」
こうして私と公爵は明日の約束をして別れた。
その日の夜は久々に家族全員が揃ってのディナーとなった。
私達は大いに語らい、笑い合った。いつも寡黙なアダムも今夜だけはいつになく饒舌だった。
笑顔の裏で私はジェシカの家族に心の中で謝罪をしていた。
本当にごめんなさい、なるべく迷惑をかけないように致します・・・と。
ディナーの後、部屋に戻った私は家族それぞれに宛てて手紙をしたためた。皆に感謝の意を込めて。
手紙を書き終えると、封をした。この手紙は学院に着いたら日付指定で投函しよう。
そして全ての準備を終えると私はベッドに入った。早いもので、ここに来たのがもう一月が経過したなんて今更ながら、何だか信じられない。でも色々あったなあ・・・。
お見合いをしたり、ダンスパーティーに参加してアラン王子に再会したり、プロポーズされたり・・・。
明日の夜にはもう学院のベッドの上か・・・。
学院に戻ったら私は・・・。
私の平穏な日常生活ともそろそろ終わりを告げようとしていた・・。
4
翌朝、この世界の家族と恐らく最後になるであろう朝食を取った私は、ピーターの元へ向かった。昨日の事がどうしても気になってしまった事と、お願いしたい件があったからだ。
コンコン。
ドアをノックする。少し待っていると、はいと中から返事があり、ピーターが出てきた。
「ジェシカお嬢様!何故こちらに・・・?!」
ピーターは私が尋ねて来るとは思いもしなかったのか、驚きの表情で私を見ると言った。
「とりあえず、中へ入って下さい。」
ピーターの家はきちんと片づけられている。小さなテーブルに椅子が2脚あり、部屋の中にはあちこち花が飾られていた。
「流石庭師さんだね。花が沢山飾られていて、とても綺麗。それに良い香りがするし。」
私はピーターに言うと、彼はコーヒーを淹れて持って来てくれた。
「すみません、ジェシカお嬢様・・・。こんな殺風景な部屋にいれてしまって。どうぞ、かけてください。」
照れ臭そうに言う。
「こんな部屋って?」
私は椅子に座りながら聞いた。
「そ、それは・・・古くて、狭い部屋だからですよ・・・。家具だって立派な物じゃ無いし・・。」
ピーターも向かい側の椅子に座ると言った。
「どうしてそんな事にこだわるの?私はちっとも気にしていないのに。むしろ私には落ち着く部屋だと思うけどなあ。」
うん、元は日本人の私。狭い部屋の方が落ち着くんだよね。
「また、ジェシカお嬢様はそう言って俺が喜ぶような事を・・。」
ピーターは腕で口元を覆いながら小声で呟いた。彼は耳まで真っ赤にしている。
・・・?何故そこで赤くなるのだろう?
「それで、今朝はどうされたのですか?後2時間もすれば・・・ここを離れるんですよね?そんな忙しい時に・・・。」
ピーターは私から視線を逸らすように言った。
「それは・・・昨日あんな形でピーターさんと別れたから、様子が気になって・・後、それとは別件でお願いしたことがあったから。」
「ああ、昨日の事なら・・・俺は全然気にしていないので大丈夫ですよ。それで別件で頼みたい事っていうのは・・・?」
「うん。実は・・・私の自転車を預かっていて欲しいの。」
「え?俺にジェシカお嬢様の自転車をですか?」
「そう、あの自転車すごくお気に入りだから、学院に戻ったら、どうしてもピーターさんに預かって置いて貰いたくて・・・。」
「な、何故俺に・・・預かって貰いたいのですか?それに・・・俺に除籍届を渡していますよね?何故なのですか?どうして・・・リッジウェイ家から籍を抜こうと考えているのですか?」
ピーターはいつになく必死になって食い下がってくる。
もう・・・ここまで来たら言うしかないのだろうか・・・?
「ピーターさん、私・・・。」
思い詰めた表情でピーターを見上げると、突然彼はクシャリと顔を歪めて私の所へやって来ると椅子に座ったままの私を抱きしめて来た。
「ご無礼をお許しください・・。いいです、もう俺は何も聞きません。ですが・・本当に何かあったら俺はジェシカお嬢様から助けて欲しいとお願いされなくても、勝手に助けに行きますからねっ?!それ位の俺の我儘・・・聞いて下さい・・・。」
最期は消えゆくようなかすれ声でピーターは言った。
「うん・・・ありがとう・・・。」
私はピーターの胸に頭を埋めた。
「!」
ピーターは一瞬身体を強張らせたが、小声で言った。恐らくそれは独り言のつもりで言ったのだろうが、私には聞こえてしまった。
「ジェシカお嬢様・・・・好きです・・・。」
と―。
ごめんなさい、私今は誰の気持ちにも応えてあげる事が・・・。
ピーターにお別れを告げた後、私は自宅に戻り次々と使用人の人達にお別れの挨拶をして回った。使用人達は皆別れを惜しんでくれた。
彼等は私が罪を犯して捕まった後、一体どうなってしまうのだろう?
どうか、裁かれるのは私だけであってほしい・・・。
自室に戻り、鍵のかかった引き出しから私は通帳を取り出した。
この通帳には私が今迄リサイクルショップで売ってお金を作って来た全ての財産が入っている。残高額は約20000万円。これをダニエル先輩に預かって貰うのだ。
ショルダーバッグの一番底にしまうと、私は最後に自分の部屋をぐるりと見渡した。恐らくもうここに戻って来ることはないだろう・・。
「さよなら。」
私は自分の部屋に別れを告げると、部屋を出て行った―。
11時―
約束の時間。
門の前には私と家族、そしてドミニク公爵が立っている。
「それではドミニク様。どうぞ娘をよろしくお願い致します。」
父は深々と頭を下げた。
「はい、お任せください。」
公爵も頭を下げる。
「ジェシカ、身体には気を付けてね。また夏季休暇には帰って来るのよ?」
母は私の手を握りしめながら言う。
夏季休暇・・・。一瞬顔が曇りそうになったが私は笑顔で答えた。
「はい、お母様。夏季休暇になればまた帰って来ますね。」
「ジェシカ、勉強頑張れよ。」
アダムが頭を撫でながら言う。
「はい、お兄様もお仕事頑張って下さいね。」
「ああ、勿論だ。」
こうして一通り挨拶を済ませると公爵は言った。
「それでは行こうか?」
「はい。」
そして公爵は口の中で何やら呪文のような物を唱えると、私達の足元で風が巻き起こり、次の瞬間あっという間に景色が変わり、着いた先はセント・レイズ学院の門の前に私達は立っていた。
「す、すごい・・・・。こんな一瞬で・・・。ド、ドミニク様?身体は何とも無いですか?!」
私は隣に立っている公爵を見るが、彼は何ともない涼し気な顔をしている。
「どうしたのだ?ジェシカ。俺は別に何ともないが?」
「ほ・・・本当に・・・?」
私は震える手で公爵の手を握りしめた。・・・大丈夫だ、この間のマリウスのように死人のような冷たさが無い。
「ジェシカ・・・?」
公爵は訝し気に私を見ている。
そんな私達の横を大勢の学生達が門を潜り抜けて通り過ぎていく。
皆帰省して学院に戻ってきているのだ。
「ここがセント・レイズ学院なのか・・・。」
「ドミニク様、もう転入手続きは済んでいるのですか?」
「ああ、書類は全て手紙で送り手続きは既に終わっている。後は理事長室へ挨拶をしてくるだけだ。そう言えば、もうクラスも決まっているんだ。A組だと言われた。」
「A組ですか!やはり私達と同じクラスだったんですね。」
「私達・・・?それは一体誰の事なのだ?」
公爵がピクリと反応する。しまった・・・つい口が滑って・・・。
「え、ええと・・それは私やマリウス、そしてアラン王子の事で・・・。」
「何?彼等も一緒のクラスなのか?」
公爵の顔が少し険しくなる。うん・・確かに仕方が無い話かもしれない。公爵はマリウスやアラン王子に対して決して良い感情を持っているとは言えない。むしろ敵対心を持っているようにすら思える。
でも・・・。
「ドミニク様、同じクラスになるのですから・・・どうか仲良く・・。」
そこまで言いかけた時だ。
「お嬢様っ!」
良く聞きなれた声が背後から聞こえた。げ・・あの声は・・・。
私は公爵と一緒に振り返ると、そこにはマリウスが立っていた。
「お嬢様っ!どういう事ですか?なぜドミニク公爵と一緒にここにいるのですか?!」
マリウスはこれ以上ないほどに興奮しまくっている。
「落ち着け、マリウス。」
私とマリウスの間に入って来たのは公爵だ。
「いいか、俺は今日からこの学院に入学する事になったのだ。お前達とも同じクラスになる。これからよろしくな。」
おおっ!公爵が大人の対応をする。
「な・・・何ですって・・・?!」
マリウスは興奮してブルブル震えていると・・・。
「マリウス様っ!酷いですわ!先に行ってしまわれるなんて!」
見かけた事の無い少女がマリウスを追って走って来ると腕に絡みついて来た。
赤毛で髪がカールしたこの女性は一体・・・?
私が見つめていると、視線を感じたのか彼女が言った。
「あ、貴女がマリウス様の主のジェシカ・リッジウェイ様ですね。初めまして。私の名前はドリス・サリバン。マリウス様の婚約者です。」
そしてポッと頬を赤らめながらマリウスを見つめた。
え、今なんて・・・・?
その日の夜の事。
シャワーを浴びて髪を乾かしていると、ノックの音が聞こえてきた。
「ハルカ・・・。ボクだよ、アンジュ。今、少しだけいい?」
「アンジュ?」
ドアを開けると、そこには防寒着を着てリュックを背負ったアンジュが立っていた。
その姿はまるで今にも旅に出るような出で立ちにも見えた。
「アンジュ・・・一体どうしたの?その格好は?」
するとアンジュは私の手を取り、言った。
「ハルカ、今迄ありがとう。ボク、今夜ここを出る事にしたんだ。」
「え?それは一体どういう事なの?」
アンジュの手を握り締めると尋ねた。
「ボクね、やらないといけない事が出来たんだ。それはボクにしか出来ないとても大事な事なんだよ。今迄その役目から逃げてきたし、決める事が出来なかったけど・・・ハルカに出会って決心したよ。やっぱりボクは自分の役目を果たさないとって。」
アンジュの話は抽象的で私には理解出来なかった。
「ねえ、アンジュ。何を言ってるの?私には貴女の言ってる意味が全く分からないわ。」
「大丈夫、いずれ時が来ればボクの言ってる意味が分かるよ。」
「え?それはどういう・・・。」
そこまで言いかけた時、突然アンジュが私の首に腕を回してキスをしてきた。
!!
私はあまりにも突然の出来事に固まってしまった。
やがてアンジュはゆっくり唇を離すと言った。
「元気でね・・・。ハルカ。」
「ね、ねえ・・・アンジュ。もう私達・・会えないの・・・?」
震える声で尋ねるとアンジュは私を抱き締めた。
「大丈夫、また必ず会えるよ。今とは少しだけ違う形になるだろうけど・・・ね?」
またアンジュは謎めいた言葉を言う。そして私から身体を離すと言った。
「また会う日まで、元気でね・・・。」
そして私の目の前でアンジュは転移魔法で姿を消してしまった。
「ア、アンジュ・・・。」
後には一人取り残された私だけ。
気が付くと私は泣いていた。唯一、誰にも話せなかった秘密を明かす事が出来た、たった1人の相手を失ってしまったのだ。
だけど・・・。泣いてばかりではいられない。私は涙を拭った。
これからやるべき事が山積みなのだ。早急に狭間の世界の鍵と魔界へ行ける鍵を手に入れてまずは狭間の世界に行き、魔界へ行く手助けをお願いする。そしてノア先輩を助け出さなくてはならない。
その後私は・・・裁かれて罪人としていずれ流刑島へと流される。そこで囚人となり一生奴隷のように働かされ続けるのだ。
これから辛い未来が待っている。これしきの事で泣いてなどいられない。
私は机に向うとノートとペンを取り出し、これからするべき事を夜遅くまで書き続けた―。
アンジュがリッジウェイ家を去って早1週間が経過した。
この日も私は王都へ自分の不要な私物を売りに行く為に衣類やアクセサリーを詰めこんだトランクケースを自転車に乗せていた時、背後から声をかけられた。
「ジェシカ・・・。」
振り向くとそこに立っていたのは公爵だった。
「ドミニク様・・・?」
1週間ぶりに会った公爵は青ざめた顔色で随分やつれているようにも見えた。
「ど、どうされたのですか?」
慌てて駆け寄ると公爵は曖昧に笑った。
「あれから1週間しか経っていないのに、随分長間ジェシカに会っていない気がするな・・・。」
「ドミニク様・・・?」
「ジェシカ・・・。今日・・もし急ぎの用事が無ければだが・・俺に付き合って貰えないか?話したい事があるのだ。」
その様子はかなり切迫しているようにもみえた。公爵はよほど大事な話しがあるのだろうか?でも・・・。
「ドミニク様、かなり体調が悪いようにみえますが、お話はまた今度にして今日は御自宅で休まれた方がよろしいのでは無いですか?」
すると私の一言で公爵の態度が一変した。いきなり両腕を握りしめると、強い眼差しで私を見つめた。
「た、頼む・・・!お願いだ・・・どうか・・・。俺の話を・・・。」
公爵は俯いている。その声は今にも消え入りそうだった。
「わ、分かりました・・。では私の家では家族の目もありますので、ドミニク様のお屋敷でも良いですか?」
「ああ、それで良い。ありがとう、ジェシカ・・・。」
そして公爵は私の自転車ごと転移魔法を唱えた—。
「すまなかったな・・・。何処かへ出掛ける用事があったのだろう?」
公爵は館に着くと、申し訳なさそうに言った。
「いえ、いいんですよ。どのみち王都に用事があったのです。ドミニク様のお陰で王都迄自転車でくる手間が省けました。ありがとうございました。」
「そうか・・・それで話というのは他でもない。俺の両親と・・・彼女についての話なんだが・・。」
公爵はここまで連れて来ておきながら、私に両親の話や彼女の話をするのを躊躇しているように見えた。
それなら私の方からうながしてあげよう。
「ドミニク様・・・・。ご両親は・・何と仰っていたのですか?」
「あ、ああ・・・。やはり・・・彼女を屋敷から追い払ったのは、俺の両親の差し金で間違いは無かったんだ。でも両親は何故彼女を突然解雇したのか理由を話してくれたよ。俺の屋敷には財産を管理してくれる執事が居るんだが・・・。」
ポツリポツリと公爵は話始めた・・・・。
公爵には代々使える優秀な執事の一族がいる。そして彼等の主な仕事は財産の管理なのだが、ただ財産の管理という物は一個人で行えるものでは無い。
そこで執事の元には大勢彼等の下で働く経理課の人間達がいる。彼等の仕事は財産の支出の流れを把握する仕事なのだが・・・・数年前から管理している財産の一部が巧妙な手口で用途不明金としてかなりの額が毎年消えている事に気が付いたそうだ。
さらに領地からの収入も減少傾向にあり、これらの報告を受けた執事が怪しいと調べた所、公爵が思いをよせていたメイドの女性が浮上してきたらしい。
執事が密かに証拠を集め、それらをメイドの女性に突きつけた所、あっさりと罪を認めた。
その横領額は驚く事に日本円に換算してみると、わずか5年の間に約1億円にまで上っていたという。
彼女の証言によると、わざと公爵と仲良くなり巧妙な手口で横領を続けていた・・。
そして執事は公爵の両親にその事を全て報告し、公爵の両親の言いつけで、メイドの女性にクビを言い渡したそうだ。
「執事は・・・俺が彼女の事を好きだったのを知っていて、その事も拭くめて俺の両親に報告したんだ。すると、両親がジェシカとの見合い話が丁度来ていたので、受けたらしい・・・・。」
「ドミニク様・・・。」
「俺はそんな話、信用出来なかった。だから執事から無理やり彼女の引っ越し先を聞きだして、転移魔法で彼女に会いに行って来たんだ。・・・そこで色々驚く事があったよ。」
公爵はフッと悲しそうに笑うと言った。
「彼女の家は・・・驚く程に大きな館で・・とてもメイドの給料で建てられるような屋敷では無かったよ。彼女は俺を見ると顔が真っ青になって、必死に謝って来た。長い間騙していてごめんなさいと・・・。屋敷を立てたお金は今迄横領したお金を退職金代わりとして貰えたらしい。心を入れ替えたので、どうかもう二度とここには来ないでくれと懇願されたよ・・・。」
「ドミニク様・・・。」
どうしよう、私のせいだ。私が余計な事を言ってしまったばかりに、かえって公爵は残酷な真実を知る事になり、深く傷つけてしまったのだ・・・。
「ごめんなさい!ドミニク様・・・・!わ、私がいけなかったんです・・。余計な事を話してしまったせいで、知ってはいけなかった事実を・・・。」
必死で謝ると、公爵は今にも泣きそうな顔を上げて私を見つめ、次の瞬間強く抱きしめて来た—。
2
「ド、ドミニク様・・・?」
戸惑いながら名前を呼ぶと、ますますきつく抱きしめてきた。
「ジェシカ・・・。やはり、俺のような人間は・・・誰にも愛されないのだろうか・・?この忌まわしい瞳が、人目を引く黒髪が・・・人々を怯えさせてしまうのか?」
震える声で言う公爵。
「そ・・・そんな事はありませんっ!ドミニク様のご両親が彼女を貴方から引き離したのは・・ドミニク様を思っての事です!貴方の事が心配だから・・愛しているから、ドミニク様を傷つける存在の彼女を追い払ったのです!私は・・・そう信じています。」
「本当に・・・そうなのだろうか・・?」
公爵は私から身体を離すと、縋るような目で私を見つめた。
「はい、少なくとも・・・私はそう思います。第一私は一度もドミニク様を怖いと思った事は無いと言いましたよね?その黒髪も、オッドアイの瞳も・・・とても神秘的で・・・素敵ですよ。」
私の言葉に公爵はピクリと反応して、じっと見つめて来た。
続けて私は語った。
「それに、ドミニク様に仕えているお屋敷の人達もドミニク様を心配しておりました。だから・・・大丈夫ですよ。」
私は微笑んだ。
「お前も・・・。」
「え?」
「お前も俺の事をそう、思ってくれているのだろうか・・?」
「ドミニク様・・・?」
「い、いや。何でもない。引き留めて悪かったな。王都に用事があったのだろう?」
公爵は私から視線をそらすと言った。
「いいえ、大丈夫です。それよりもドミニク様・・・。ひどくお疲れの様ですので、今日はもうお部屋でお休みになられた方が良いですよ。」
本当に真っ青な顔色をしている。今にも倒れてしまうのではないかと心配になってきてしまう程だ。
「あ、ああ・・。ありがとう。それじゃお前の言う通り、休むことにする。何所へ行くかは知らんが、気を付けて行けよ。」
公爵は少しだけ笑うと言った。
「はい、ありがとうございます。」
私は挨拶をすると、公爵に見送られて屋敷を後にした。
自転車を押しながらいつものリサイクルショップの帰り道・・・。
何気なく通ったカフェの前で私はチャールズとエリーゼがテーブルに向かい合わせに座り、何事か話をしている姿を目にした。
うん、うん。きっと2人は仲直りしたのだろう。良かった良かった・・・と思い、少しだけ遠目から様子を伺っていた。
すると突然エリーゼが立ち上がり目の前の水の入ったコップに手をかけると、バシャアッと向かい側に座っているチャールズに水をかけたではないか!
エリーゼは何やらヒステリックに喚いているようだし、チャールズはそれを必死になだめようとしている。
あ~あ・・・。相変わらずだなあ、あの2人は・・・。店の中の客の視線を一気に集めているじゃないの・・。
あ!エリーゼが店から出ようとしている。見つかったらまずい!
私は急いで自転車にまたがると、必死でこいで逃げるようにその場を後にした・・。
「ただいま戻りました。」
王都から戻ると父と母の話声が応接室から聞こえてきたので、私は挨拶の為に部屋を訪れた。
「まあ!ジェシカ・・・貴女ったら貴族令嬢のくせに、又そんな地味な洋服を着て・・・本当に一体どうしてしまったのかしら?」
母は溜息をつきながら私を見た。
「・・・そんなにおかしいでしょうか?」
私は自分の着ている服を見ながら言った。今着ている洋服は襟首がぴっちりしまったケープのついた薄紫色のワンピースである。私的にはすごく気に入ってるんだけどな・・・。
しかし、母は違ったようだ。
「いいですか?ジェシカ。貴女は公爵令嬢なのですよ?本来は王族の次に爵位が高い存在なのです。それなのにそんな庶民的な服ばかり着て・・・。」
母は溜息をつきながら言った。
「まあ、服の話は今はどうでもいい。それより大変だぞ、ジェシカ。いいか、落ち着いて良く聞くのだぞ?」
落ち着けと言いながら一番落ち着きが無さそうな父が言った。
「はい、私は落ち着いておりますので、どうぞお話を続けてください。
「あ、ああ。実はお前と以前見合いをして一度は婚約までして破棄したチャールズが何ともう一度婚約を申し込んできたのだ。しかも今すぐにでも結婚をしたいと訴えに来たのだぞ?!」
「え?えええっ?!ちょっと待って下さい!その話は本当ですか?」
「ああ、つい先ほど親子でこちらへやって来たのだ。さて・・・どうする・ジェシカよ。」
どうもこうも・・・まさかチャールズが直接我が家へ結婚の申し込みをしにやって来るとは考えてもいなかった。
私が断ったから今度は父と母に訴えに来たと言う訳か—。全く余計な真似を・・・。
こんな事をして私がこの話を受けるとでも思っているのだろうか?
ああ・・・それで先程カフェでエリーゼと喧嘩していたのだな?挙句に水までかけられて・・・。
「お父様・・・その話はお断りして下さい。」
「うむ・・やはり・・・そう言うと思っておった。」
「え?お父様?」
「考えても見ろ。一度は婚約までしたのに理由も言わずに一方的に婚約を破棄して別の女性と婚約したくせに、今度はその令嬢との婚約を破棄して、もう一度お前と婚約したいと言う男など・・・そんな不誠実な男に大切な娘を嫁に出すことなどする訳がなかろう?」
「お父様・・・。」
「二度とこの土地に足を踏み入れるなと言っておいたわっ!」
そして豪快に笑った。
「そうよね。ジェシカにあんな男は似合わないわ。何せ私に似てこんなに美人だし、ましてや2人の王子から求婚までされたんですから・・・。あんな男性はジェシカには不釣り合いです。」
母もピシャリと言う。
「あ・・はは・・。そうですね。」
「ところで、ジェシカ。話は変わるのだが・・・どうもアリオスとマリウスの領地の滞在がもう暫く長引くそうなのだ。それで新学期なのだが・・・本来はマリウスと2人でセント・レイズ学院に戻って貰おうかと思っていたのだが、どうやらそれが難しそうになって来た。すまないがジェシカ・・・1人で学院へ戻って貰えるか?荷物は先に全てこちらから向こうの学院へ送るように手配はしておくので。」
父の話に私は多少なりとも驚いていた。
未だに領地から戻って来れないなんて・・・何か2人の身に良く無い事でも起こったのだろうか?
「あの・・・・お父様。アリオスさんやマリウスは大丈夫なのでしょうか?向こうで何かあったのでは・・・?」
「いや?そういった話では無いようだ。ただビックニュースがあるそうだぞ?それが何かは私も聞いてはいないが・・・今から楽しみだ。」
父は嬉しそうに言う。
「そうね・・・。私も今から楽しみだわ。アリオスはいつも私達を突然驚かすのが得意な人だから。」
ホホホ・・・と母は笑いながら言うが、私はそれを聞いて乾いた笑いしか出なかった。
ねえ・・アリオスさん。仮にも主を突然驚かすなんて失礼な事をして大丈夫なのでしょうか?
流石はマリウスの父・・・中々恐ろしい一面を持っているなあ・・・。
それにしてもビッグニュースって何の事だろう?まあいい、しかしセント・レイズ学院へ1人で戻る事になるとは思いもしなかった。
ここへ戻ってきた時はいきなりのマリウスの転移魔法で彼は大変な目に遭ってしまったけど・・・今回はゆっくり1人で飛行船に乗って向かう事になるのか。
でも色々頭の中で整理したい事があったから、丁度良かったかもしれない。
いよいよ・・・後1週間で学院が始まる―。
3
明日はいよいよ学院へ戻る日・・・この家で過ごす最後の日になるかもしれない日。
私は庭仕事をしているピーターと話をしていた。
「ジェシカお嬢様、明日とうとう学院へ戻られるのですね。」
ポツリと何処か寂しげに言った。
「うん、そうだね・・・。この1ヶ月長いようで短かったかな・・・・。」
私はベンチに座りながら空を見上げた。
ピーターはそんな私を黙って見つめていたが・・・やがて何処か思い詰めた顔をすると言った。
「ジェシカお嬢様がここ最近ずっと様子がおかしい事には気付いていました。もし、学院へ戻る事で、何か問題が起こるようでしたら・・・。」
ピーターは私に歩み寄ると言った。
「学院へ戻るのは止められてはいかがですか?」
「え?何を言ってるの?ピーターさん。そんな事できる訳・・・。」
そこまで言いかけて、ドキリとした。
ピーターが思いもかけない程至近距離にいたからだ。
「ジェシカお嬢様・・・。」
ピーターが土で汚れた手で私の手を握り締めてきた。
「ジェシカお嬢様・・・。俺の手は貴族の青年みたいに奇麗な手ではありません・・・。だけど、こんな汚れた手だけど、ジェシカお嬢様を救える事が出来るなら・・・。」
え?ピーターは何を言おうとしているのだろうか?
「ジェシカお嬢様が俺の手を取ってくれれば、俺は世界の果てだってジェシカお嬢様を連れて逃げる事だって出来ますよ・・・?」
ピーターの言葉に以前夢で見た光景が目に浮かんだ。あの時の夢では私は1人きりで逃げていた。けれども結局逃げ切れずに、捕まって・・・。
私は目を閉じた。
だけど、誰かが私の手を取って連れて逃げてくれたら・・・。
「ジェシカお嬢様・・・。」
ピーターが私の握る手を強めて、ハッとなる。駄目だ。彼を巻き込んではいけない。
「私の事なら心配しなくて大丈夫だから。それより、ピーターさんには大事な事をお願いしたよね?もしもの事があれば、預けた書類を役所に出してね・・・って。」
私はそっとピーターを押して身体を離すと立ち上がった。
「それじゃ私、明日の準備があるから・・・。」
ピーターに背を向けて歩き始めた時・・・。
「ジェシカお嬢様!俺は貴女を・・・!」
ピーターが私を呼び止め、突然彼に緊張が走るのを感じた。何事かとピーターを振り向くと、彼の視線は別の方向を向いている。
何故か彼の目には怯えがあった・・・。
「・・・?」
訝しんで視線の先を追うとそこに立っていたのは公爵だった。何故かピーターを睨み付けるような視線を送っている。
「ドミニク様?何故こちらに・・・?」
すると公爵はこちらを振り向き、悲し気な視線で私を見つめる。
「ジェシカ・・・。話しがあるんだ・・。少し時間を貰えるか?」
「は、はい・・・?」
ピーターの方を振り向くと言った。
「ごめんね。ピーターさん。ドミニク様とお話しがあるから・・・。」
「は、はい・・・。」
酷く傷ついた顔を見せるピーター。思わず私は声をかけた。
「あのね、ピーターさん。私・・・!」
そこまで言いかけて、グイッと私は公爵に肩を掴まれ引き寄せられた。
「ドミニク様・・・。」
思わず見上げると、公爵は無表情でピーターを見ている。
「悪いが、ジェシカと2人きりで話しがある。彼女を借りて行くぞ。」
「は、はい・・・。」
ピーターが俯いて返事をすると、公爵は私の肩を抱いたまま、歩き出した。
「ドミニク様、一体どちらへ・・・。」
しかし公爵は返事をせず、思い詰めたような表情で歩き続ける。
仕方が無いので、私も黙ってついて歩くとやがて公爵は足を止めた。
「すまない・・・。」
ポツリと公爵は言った。
「え?」
「すまなかった。お前が他の男と話をしている姿を見ていたら、つい・・・。」
公爵は頭を押えながら苦悩の表情を浮かべて言った。
「ドミニク様・・・。」
「実は今日ジェシカを訪ねたのは他でも無い。明日俺と一緒にセント・レイズ諸島へ行こう。」
「え?ドミニク様とですか・・・?」
「ああ、今はお前の下僕のマリウスがいないのだろう?実はジェシカの両親から頼まれたんだ。一緒に学院へ行って欲しいと。」
そこでようやく公爵は笑みを浮かべた。
「あの・・・私の両親が頼んだのですか?」
「ああ、そうだが?」
公爵は一瞬首を傾げると言った。
え?ちょっと待って。何故あの2人は婚約?を取り消した公爵に私の事を頼んだりしたのだろうか?
私はよほど難しい顔をしていたのだろう。
「もしかすると、俺と一緒に行くのは・・・嫌か?」
公爵が悲しげな顔で私を見つめている。
「い、いえ。そういう訳では・・・。ただ、ドミニク様にご迷惑だと思いまして・・・。」
「俺は!」
突然公爵は私の両肩を掴むと言った。
「俺は1度たりともお前の事を迷惑だと感じた事は無い!むしろ・・・もっと俺の事を頼って欲しいと思っている位なんだ・・・。」
気付くと私は公爵に強く抱き締められていた。
「わ、分かりましたから・・・。ドミニク様・・は、離して頂けますか・・・?」
「す、すまない!俺はまた・・・。」
公爵は慌てたように私から離れた。
「それで・・・明日は俺と一緒にセント・レイズ諸島へ行ってくれるんだよな?」
「は、はい。どうぞ宜しくお願い致します。それで・・・移動手段ですが・・・どうされるのですか?」
「ああ、転移魔法で行こうと思う。あれなら一瞬で移動出来るからな。」
その言葉を聞いて私は青ざめた。
「だ、駄目ですっ!そ、そんな事をしたらドミニク様の身体が・・・!」
「俺の身体がどうしたと言うのだ?」
「い、いえ・・・。マリウスが転移魔法でこちらへ飛んだ時に魔力切れで気絶してしまい、大変な目にあったんです・・・。それで・・・。」
「何。たかだか4500km位の距離ならばどうと言う事は無い。」
「ええ?!それは本当ですか?」
私は驚いて公爵を見上げた。
「ああ、本当だ。」
「ドミニク様は・・・本当に素晴らしい魔力の持ち主なのですね・・・。」
「・・・・っ!」
不意に公爵は、顔を赤らめると視線を逸した。
「ドミニク様?」
「い、いや・・・お前からそのような尊敬の眼差しで見つめられると、何と言うか、照れが・・・。」
私はクスリと笑うと言った。
「私は、いつでもドミニク様を尊敬していますよ。」
「あ、ありがとう・・・ジェシカ。そ、それでは明日の11時に迎えに行くので、お前の家の門の前で待っていてくれ。」
こうして私と公爵は明日の約束をして別れた。
その日の夜は久々に家族全員が揃ってのディナーとなった。
私達は大いに語らい、笑い合った。いつも寡黙なアダムも今夜だけはいつになく饒舌だった。
笑顔の裏で私はジェシカの家族に心の中で謝罪をしていた。
本当にごめんなさい、なるべく迷惑をかけないように致します・・・と。
ディナーの後、部屋に戻った私は家族それぞれに宛てて手紙をしたためた。皆に感謝の意を込めて。
手紙を書き終えると、封をした。この手紙は学院に着いたら日付指定で投函しよう。
そして全ての準備を終えると私はベッドに入った。早いもので、ここに来たのがもう一月が経過したなんて今更ながら、何だか信じられない。でも色々あったなあ・・・。
お見合いをしたり、ダンスパーティーに参加してアラン王子に再会したり、プロポーズされたり・・・。
明日の夜にはもう学院のベッドの上か・・・。
学院に戻ったら私は・・・。
私の平穏な日常生活ともそろそろ終わりを告げようとしていた・・。
4
翌朝、この世界の家族と恐らく最後になるであろう朝食を取った私は、ピーターの元へ向かった。昨日の事がどうしても気になってしまった事と、お願いしたい件があったからだ。
コンコン。
ドアをノックする。少し待っていると、はいと中から返事があり、ピーターが出てきた。
「ジェシカお嬢様!何故こちらに・・・?!」
ピーターは私が尋ねて来るとは思いもしなかったのか、驚きの表情で私を見ると言った。
「とりあえず、中へ入って下さい。」
ピーターの家はきちんと片づけられている。小さなテーブルに椅子が2脚あり、部屋の中にはあちこち花が飾られていた。
「流石庭師さんだね。花が沢山飾られていて、とても綺麗。それに良い香りがするし。」
私はピーターに言うと、彼はコーヒーを淹れて持って来てくれた。
「すみません、ジェシカお嬢様・・・。こんな殺風景な部屋にいれてしまって。どうぞ、かけてください。」
照れ臭そうに言う。
「こんな部屋って?」
私は椅子に座りながら聞いた。
「そ、それは・・・古くて、狭い部屋だからですよ・・・。家具だって立派な物じゃ無いし・・。」
ピーターも向かい側の椅子に座ると言った。
「どうしてそんな事にこだわるの?私はちっとも気にしていないのに。むしろ私には落ち着く部屋だと思うけどなあ。」
うん、元は日本人の私。狭い部屋の方が落ち着くんだよね。
「また、ジェシカお嬢様はそう言って俺が喜ぶような事を・・。」
ピーターは腕で口元を覆いながら小声で呟いた。彼は耳まで真っ赤にしている。
・・・?何故そこで赤くなるのだろう?
「それで、今朝はどうされたのですか?後2時間もすれば・・・ここを離れるんですよね?そんな忙しい時に・・・。」
ピーターは私から視線を逸らすように言った。
「それは・・・昨日あんな形でピーターさんと別れたから、様子が気になって・・後、それとは別件でお願いしたことがあったから。」
「ああ、昨日の事なら・・・俺は全然気にしていないので大丈夫ですよ。それで別件で頼みたい事っていうのは・・・?」
「うん。実は・・・私の自転車を預かっていて欲しいの。」
「え?俺にジェシカお嬢様の自転車をですか?」
「そう、あの自転車すごくお気に入りだから、学院に戻ったら、どうしてもピーターさんに預かって置いて貰いたくて・・・。」
「な、何故俺に・・・預かって貰いたいのですか?それに・・・俺に除籍届を渡していますよね?何故なのですか?どうして・・・リッジウェイ家から籍を抜こうと考えているのですか?」
ピーターはいつになく必死になって食い下がってくる。
もう・・・ここまで来たら言うしかないのだろうか・・・?
「ピーターさん、私・・・。」
思い詰めた表情でピーターを見上げると、突然彼はクシャリと顔を歪めて私の所へやって来ると椅子に座ったままの私を抱きしめて来た。
「ご無礼をお許しください・・。いいです、もう俺は何も聞きません。ですが・・本当に何かあったら俺はジェシカお嬢様から助けて欲しいとお願いされなくても、勝手に助けに行きますからねっ?!それ位の俺の我儘・・・聞いて下さい・・・。」
最期は消えゆくようなかすれ声でピーターは言った。
「うん・・・ありがとう・・・。」
私はピーターの胸に頭を埋めた。
「!」
ピーターは一瞬身体を強張らせたが、小声で言った。恐らくそれは独り言のつもりで言ったのだろうが、私には聞こえてしまった。
「ジェシカお嬢様・・・・好きです・・・。」
と―。
ごめんなさい、私今は誰の気持ちにも応えてあげる事が・・・。
ピーターにお別れを告げた後、私は自宅に戻り次々と使用人の人達にお別れの挨拶をして回った。使用人達は皆別れを惜しんでくれた。
彼等は私が罪を犯して捕まった後、一体どうなってしまうのだろう?
どうか、裁かれるのは私だけであってほしい・・・。
自室に戻り、鍵のかかった引き出しから私は通帳を取り出した。
この通帳には私が今迄リサイクルショップで売ってお金を作って来た全ての財産が入っている。残高額は約20000万円。これをダニエル先輩に預かって貰うのだ。
ショルダーバッグの一番底にしまうと、私は最後に自分の部屋をぐるりと見渡した。恐らくもうここに戻って来ることはないだろう・・。
「さよなら。」
私は自分の部屋に別れを告げると、部屋を出て行った―。
11時―
約束の時間。
門の前には私と家族、そしてドミニク公爵が立っている。
「それではドミニク様。どうぞ娘をよろしくお願い致します。」
父は深々と頭を下げた。
「はい、お任せください。」
公爵も頭を下げる。
「ジェシカ、身体には気を付けてね。また夏季休暇には帰って来るのよ?」
母は私の手を握りしめながら言う。
夏季休暇・・・。一瞬顔が曇りそうになったが私は笑顔で答えた。
「はい、お母様。夏季休暇になればまた帰って来ますね。」
「ジェシカ、勉強頑張れよ。」
アダムが頭を撫でながら言う。
「はい、お兄様もお仕事頑張って下さいね。」
「ああ、勿論だ。」
こうして一通り挨拶を済ませると公爵は言った。
「それでは行こうか?」
「はい。」
そして公爵は口の中で何やら呪文のような物を唱えると、私達の足元で風が巻き起こり、次の瞬間あっという間に景色が変わり、着いた先はセント・レイズ学院の門の前に私達は立っていた。
「す、すごい・・・・。こんな一瞬で・・・。ド、ドミニク様?身体は何とも無いですか?!」
私は隣に立っている公爵を見るが、彼は何ともない涼し気な顔をしている。
「どうしたのだ?ジェシカ。俺は別に何ともないが?」
「ほ・・・本当に・・・?」
私は震える手で公爵の手を握りしめた。・・・大丈夫だ、この間のマリウスのように死人のような冷たさが無い。
「ジェシカ・・・?」
公爵は訝し気に私を見ている。
そんな私達の横を大勢の学生達が門を潜り抜けて通り過ぎていく。
皆帰省して学院に戻ってきているのだ。
「ここがセント・レイズ学院なのか・・・。」
「ドミニク様、もう転入手続きは済んでいるのですか?」
「ああ、書類は全て手紙で送り手続きは既に終わっている。後は理事長室へ挨拶をしてくるだけだ。そう言えば、もうクラスも決まっているんだ。A組だと言われた。」
「A組ですか!やはり私達と同じクラスだったんですね。」
「私達・・・?それは一体誰の事なのだ?」
公爵がピクリと反応する。しまった・・・つい口が滑って・・・。
「え、ええと・・それは私やマリウス、そしてアラン王子の事で・・・。」
「何?彼等も一緒のクラスなのか?」
公爵の顔が少し険しくなる。うん・・確かに仕方が無い話かもしれない。公爵はマリウスやアラン王子に対して決して良い感情を持っているとは言えない。むしろ敵対心を持っているようにすら思える。
でも・・・。
「ドミニク様、同じクラスになるのですから・・・どうか仲良く・・。」
そこまで言いかけた時だ。
「お嬢様っ!」
良く聞きなれた声が背後から聞こえた。げ・・あの声は・・・。
私は公爵と一緒に振り返ると、そこにはマリウスが立っていた。
「お嬢様っ!どういう事ですか?なぜドミニク公爵と一緒にここにいるのですか?!」
マリウスはこれ以上ないほどに興奮しまくっている。
「落ち着け、マリウス。」
私とマリウスの間に入って来たのは公爵だ。
「いいか、俺は今日からこの学院に入学する事になったのだ。お前達とも同じクラスになる。これからよろしくな。」
おおっ!公爵が大人の対応をする。
「な・・・何ですって・・・?!」
マリウスは興奮してブルブル震えていると・・・。
「マリウス様っ!酷いですわ!先に行ってしまわれるなんて!」
見かけた事の無い少女がマリウスを追って走って来ると腕に絡みついて来た。
赤毛で髪がカールしたこの女性は一体・・・?
私が見つめていると、視線を感じたのか彼女が言った。
「あ、貴女がマリウス様の主のジェシカ・リッジウェイ様ですね。初めまして。私の名前はドリス・サリバン。マリウス様の婚約者です。」
そしてポッと頬を赤らめながらマリウスを見つめた。
え、今なんて・・・・?
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追記:2025/09/20
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