虹は触れない

とぶまえ

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 同行人とよくセックスをするようになった。最初は同行人が俺に跨るばかりだったけれど、そのうちセックスらしいセックスもするようになった。こいつは元からその手の類のことが好きで、俺も嫌いではなかった。



 同行人の後ろから抱き、腰を打ち付けていた。手に感じる体温は暖かった。それに、中身が鉱物でも外身はやはり柔らかい。人間と何も変わらない。漏れる息だとか、呼吸に合わせて動く背中も、全部人間と同じだ。
 肩甲骨の辺りを舐めた。皮膚と、少しの汗の味がする。塩辛い。人間と同じだ。
 同行人の肌の色は不健康だった。長年洞窟に住んでいたという割に、こいつらが日に弱いという話は聞かない。日に当たっても良いはずなのに同行人は余り外に出ない。最近は特に酷い。完全に部屋に篭りきりで、冗談を抜きにしてもセックスしかしていないんじゃないんだろうか。

 肌が白い。
 ふと、頭に浮かんだのは別の色だ。ほんの少し頭を過ぎっただけ。けれど、その一瞬で、俺はどうしてもその色が見たいという衝動を抑えきれなくなった。

「い゙っ!?」

 気が付けば俺は同行人の首元に噛み付いていた。飛び起きた同行人は俺を蹴飛ばし、息を荒げながら首を押さえている。信じられないようなものを見る目を俺に向けてきている。

「とうとう君まで……」

 危害を加えられたと、心底軽蔑しているように見えた。恐らくこいつを売り飛ばそうとした奴らにも向けてきた目だ。
 寸前の行動を酷く後悔した。俺が見たかったのは血の色だ。以前からある悪癖だ。こいつの皮膚の下の鉱石を見たかった訳では無いのだけれど、こいつは絶対にそう思っている。

「君を襲おうとした訳じゃない」
「首が凄く痛いよ」
「俺は噛み癖がある」
「どうして噛むの」

 興奮するから、いや、興奮したからだろうか。
 どちらも伝えたけれど、同行人は理解出来ないらしく警戒心を丸出しにしている。
 噛む時に感じている高揚感の種類は伝えられても、そう感じる根本的な原因となると言葉にするのは難しかった。

 悩んだ末に、俺は同行人に手を伸ばした。同行人の腕を掴んで引き寄せる。ここまで嫌な顔をした同行人は初めて見た。
 俺は抱きしめるような形で俺の首元に同行人の頭を押し付けた。

「君もやれば分かるかもよ?」

 同行人はしばらく黙った後に荒く俺の肩を掴んだ。直後に、がり、と音がしそうな程強く首を噛まれる。俺は息を引き攣らせながらも、痛みに耐えてじっとしていた。噛み付く力に容赦はなく、言われたからやったと言うより、純粋な仕返しのようだった。

 同行人は俺から身体を離すと、何故か俺の顔をじっと見てきた。不満げな様子ではない。内心ではどんな感情を浮かべているのか俺には分からなかった。  
 同行人の手が伸びてきて噛まれた跡の側を撫でた。あの痛みならくっきりと噛み跡が残っている事だろう。

「ん……」

 じんじんと痛む場所を撫でられるのはむず痒く、少し身体を竦ませた。

「なるほど……」

 手を離しながら同行人が呟く。何がなるほどなんだ。

「いや、でも、やっぱり噛まれたのは解せないよ」
「まず君は今何に納得したんだよ」

 同行人は俺の肩をまた掴んだ。嫌な予感がした直後に同行人は俺の肩に噛み付く。さっきよりも強く、皮膚を食い破られるような酷い痛みだった。俺は呻きながら同行人の肩を強く押し返した。
 思いの外同行人はあっさりと身体を離す。視線は俺の顔に向けられている。

「その顔は素敵だけれど、噛んでいるとそれがよく見えない」

 同行人は新しい扉を開いてしまったようだ。


◇◇◇


 街を渡って行き宿を取り、食事を取り、消耗品なんかも使っていれば、当然のことながら金が尽きる。もはや手元にあるのはビデオカメラを買うための資金だけだった。
 仕方なく俺は日雇いの仕事をすることにした。幸いにも今滞在している街には肉体労働者が多く、その雇先も困らない程度には多かった。

 朝からボロ宿から出発しようと準備していると寝癖を付けた同行人が近付いて来た。

「安全にね。安全が何よりも大事だよ。ヘルメットは持った? 職場に火の気はないか確認した?」
「君じゃないんだから俺は多少火傷したぐらいじゃ死なない」
「君たちだって身体の半分も燃えてしまえば死んでしまうだろう」

 それに反論することは出来ないけれど、だからといって外に出ない訳にはいかないし、必要以上に火を恐れることも出来ない。俺にとっては火は即死装置じゃない。こいつにとってはそうだとしても。

「君こそ気を付けろよ。ここなら、よく燃えるよ」
「怖いことを言わないでくれ。眠れなくなってしまう」

 まだ明け方とは言え昨日も随分早く寝付いた癖にまだ寝るつもりなのか。

 同行人の気遣いなのかただ雑談をしたいだけなのか分からない見送りを受け、俺は外へと出た。まだ辺りは薄暗い。けれど人通りはあった。俺と同じく早朝から職場に向かう人間のようだった。 

 俺は一度宿を振り返った。この街で一番安かった宿であり、建物はボロ屋としか言い表せない有様だ。木造であり、もし火の手があがれば冗談ですらなくよく燃えるだろう。

 治安は良いとは言えない街だ。何かの間違いで放火でもあれば、同行人は逃げることも出来ずにここで死んでしまうだろう。火に囲まれてしまえば、同行人はそこで詰む。火が少しでも肌に触れればそれで終わりだ。人間のように多少の火傷を覚悟して外へ逃げるなんて芸当はどうやっても出来ない。

 嫌な想像だった。同行人が知らぬ間にいなくなるなんて考えたくもない。もし、焼け落ちた宿を見たとしたら、俺は堪えられない。

 早く帰ってこようと決心した。離れている間、安心出来る気がしない。日頃から俺と同行人は別行動が多いけれど今はまた別だ。俺は一日自由に動ける訳では無い。一度考え始めると、どうしようもない程に不安だった。


◇◇◇


 不安は現実になった。

 仕事を終え帰る最中、宿の方向から煙が上がっているのが見えて俺は走って宿まで戻った。宿は二階が激しく燃えているところだった。

 何が起きたのか、外に逃げていた宿の従業員に聞くと放火されたのだと言う。
 どうして最悪の想像が現実になってしまうんだ。燃え盛る建物を見ながら、頭の中には怒りと虚無感とが合わさった強い感情が渦巻いていた。

 思わず建物の中に飛び込みそうだった。同行人は火に少しでも触れればその瞬間に死ぬ。あいつはきっと部屋で寝ていたのだから、助かるなんて絶望的だ。
 建物に近付きかけては周りの人間に止められ、俺は自分でもよく分からないまま辺りを歩き回った。

 感情の整理がつかず、足元に落ちていた小石を荒く蹴り飛ばした。

「わっ」

 その石が転がって行った先から声がした。

「なんだ君か」

 それは同行人だった。民家の影でしゃがみ込んでいる。

「なんで、そこにいるの」

 唖然としながら尋ねた。同行人は勢い良く立ち上がり、俺に近づいてくる。

「聞いてくれよ。散歩に行こうとしてたんだ。君の職場がどんなものだろうって興味があったから。でも、でもだよ、そしたら、急にちんぴらのような奴らが火のついた何かを宿に向かって投げたんだよ!」

 同行人はいつもと変わらなかった。きっと火を恐れてそこに隠れていたんだろう。
 向かって来る同行人を俺は思わず抱き締めた。同行人は戸惑い、少しふらついていた。

「良かった」

 心からの安堵だった。泣いてもいいような気分だった。宿が燃えているのを見た瞬間、俺は全てを失ったような、そんな気にさえなっていた。それが戻ってきたのだから、もう体裁なんてどうでもよかった。

「──そんなに、心配してくれてたの?」

 同行人はそう呟き、静かに抱き返してきた。


◇◇◇


 宿を変え、貰った日当は殆ど消え、また働いて、宿代を払う。微かに残った金を貯めて街を出る準備を進めた。
 同行人はやけに大人しかった。放火があるような街なのだから一刻も早く出たいと騒ぐと予想していたのに、実際には愚痴すら零すことは少なかった。機嫌が悪いどころか鼻歌なんかを歌うほど上機嫌にしていることもあった。

 月単位で時間が過ぎた頃にようやく次の街に行けるほどの額が貯まった。俺は街を出る前にそれまでも何度か足を運んでいた中古品店へ向かった。あそこにはたまにビデオカメラが置いてある。あまり期待はしていないけれど、きっとこの街を訪れることは二度とないから最後に見ておきたかった。

 店内には俺以外の客はいなかった。カウンターで腕を後ろに組んで微動だにしない店主は視線も寄越さずにいらっしゃいと言った。
 俺は狭い店内を見て回った。狭さの割に量が多く物を探すのはかなり手間だ。
 殆どガラクタ同然の使い古しのビデオカメラを眺めていると、この前来た時には無かった新しいビデオカメラを見付けた。目新しいという意味だけじゃなく、新品のようにという意味でも新しいビデオカメラだった。

 俺はそれを手に取った。それなりに重量がある。これまで見たものより随分と上等な物に見えた。

「街に寄った社長さんが使えなくなったとか言って一昨日置いていったんだ」

 カウンターから店主がそう話し掛けてきた。

「壊れてるの?」
「弄ってたら直った」
「どれぐらいの性能?」

 ようやく動いた店主は俺に近付いてきてカメラを俺の手から回収した。何か操作をして、画面を俺に見せてくる。
 そこには空と虹が映っていた。たった今窓から覗いているぐらいに鮮明で、俺は息を飲んだ。

「そんなのが撮れる」

 不親切で酷く雑な説明だった。でもそんなことどうでも良かった。俺は迷いもせずに買うと言った。店主が提示した金額は予算を超えていたけれどそれでも構わなかった。食べ物を買う為の金も宿に泊まる為の金も全て店主に渡して、俺はそのビデオカメラを受け取った。

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