狐の記憶に触れるたび、私はあなたに恋をした

釜瑪 秋摩

文字の大きさ
64 / 74
契りの刻

第64話 理玖の限界と鈴凪の覚悟

しおりを挟む
 迦具土の炎が理玖を襲った。九尾の力で炎の壁を作り、なんとか防御するが、衝撃で理玖の体が壁に叩きつけられる。

「ぐっ……」

 理玖の口から血が溢れた。封印の影響は想像以上に深刻で、本来なら余裕で防げるはずの攻撃すら満足に防げない。

「どうした、理玖よ」

 迦具土は嘲るような笑みを浮かべながら近づいてきた。

「百五十年前の威勢はどこへ行った? まさか人間との交わりで、そこまで力が落ちたのか?」

 理玖は立ち上がろうとしたが、膝が震えて思うように体が動かない。

「理玖様!」

 鈴凪が駆け寄ろうとしたが、慎吾が彼女の腕を掴んで止めた。

「駄目だ! 君まで巻き込まれる!」

「離してください!」

 鈴凪は慎吾の手を振り払った。その瞬間、彼女の体から金色の光が溢れ出し、慎吾は驚いて手を離した。

「鈴凪さん……君のその力は……」

 慎吾と鈴凪の動きを他所に、迦具土は理玖の前に立ち、その姿を見下ろしていた。

「情けないものだな。昔のお前なら、こんな小細工など通用しなかったものを」

 炎の鞭が理玖の頬を打った。深い切り傷ができ、血が流れる。

「百五十年前、おまえは妖の誇りを捨てて人間の女に走った」

 もう一度、炎の鞭が理玖の肩を打つ。

「そして今度は、別の人間の女に魂を売った」

「黙れ……」

 理玖が呟いたが、迦具土の耳には届かない。

「その報いを今、受けるがいい」

 迦具土が両手を広げると、周囲の温度が急激に上昇した。石造りの床が溶け始め、空気が陽炎のように揺らめく。

「妖としての誇りを失った者に、生きる価値などない」

 その時、理玖に向かって、小夜が横から封式断刃を振り下ろした。

「妖は妖、人は人。境界を乱すものは全て排除する」

 理玖は咄嗟に横に転がったが、刀身が肩口を掠め、新たな傷を作った。

「高師小夜……」

「おまえのような半端者が、一番厄介なのだ!」

 小夜の瞳には狂気が宿っていた。

「人間に情けをかけ、妖の仲間を裏切る。どちらの世界でも中途半端な存在など、消えてしまえ」

 理玖は二正面作戦を強いられ、完全に追い詰められた。迦具土の圧倒的な力と小夜の執拗な攻撃に挟まれ、もはや反撃する余力も残されていない。

「くそ……この程度の力では……」

 理玖の視界が霞んできた。このままでは、本当に死んでしまうかもしれない。

 その時――。

「やめてください!」

 鈴凪の声が戦場に響いた。
 慎吾の制止を振り切り、鈴凪が理玖の前に立ちはだかったのだ。

「鈴凪、逃げろ!」

 理玖が叫んだが、鈴凪は動かなかった。首に掛けられた理玖の鈴が、警告を発するようにリン、リンと小さく鳴り響いている。

「理玖様」

 鈴凪は振り返り、理玖を見つめた。その瞳には、もはや恐怖はなかった。あるのは、深い愛情と不屈の意志だけだった。

「私、やっと分かりました」

 迦具土と小夜が一瞬攻撃を止め、鈴凪を見つめた。

「昨夜から胸の奥で感じていたこの力。それが何なのかを……」

 鈴凪の体から、金色の光がより強く輝き始めた。

「これは百合様の記憶から来る力ではありませんでした。私自身の、愛する気持ちから生まれる力なのです」

「鈴凪……」

 理玖の瞳が見開かれた。

「私はもう怖くありません。理玖様を失うこと以上に、怖いことなどありません」

 鈴凪は両手を広げ、理玖を庇うように立った。

「だから、理玖様を傷つける人は、誰であろうと私が許しません」

 金色の光が鈴凪を包み、その光は迦具土の炎すら圧倒する輝きを見せた。

「なんだと……?」

 迦具土が眉をひそめた。

「人間の小娘が、この私の力を……」

「馬鹿な」

 小夜も驚愕していた。

「人間がそんな力を持てるはずが……」

 迦具土が驚愕するも、鈴凪の力は本物だった。金色の光が結界となって理玖を包み込み、迦具土の炎も小夜の封術も跳ね返してしまう。

「鈴凪……君は……」

 理玖は鈴凪の後ろ姿を見つめていた。その背中は小さいのに、今はとてつもなく大きく、頼もしく見えた。

(鈴凪はもう、守られているだけの存在じゃない。今の鈴凪は……)

 一方、少し離れた場所で見ていた慎吾は、複雑な表情を浮かべていた。

「鈴凪さん……」

 慎吾の胸に、諦めと同時に新たな感情が芽生えていた。それは失恋の痛みを超えた、純粋な願いだった。

「君はもう本当に、僕の知っている君じゃないんだな……」

 慎吾は自分の武器を地面に置いた。

「でも、それでも君を護りたい。君が選んだ道を、君が愛した人を護りたい」

 慎吾は理玖たちの方へ歩き始めた。朧月会の制服を着ていながら、その瞳には迷いがなかった。

「慎吾さん……」

 鈴凪が振り返ると、慎吾は苦しそうな、でも穏やかな笑みを浮かべていた。

「君の幸せが、僕の幸せだ。だから……」

 慎吾は理玖の隣に立った。

「一緒に戦わせてくれ」

 理玖は慎吾を見つめ、やがて頷いた。

「ありがとう、真壁」

 三人の絆が、新たな力を生み出そうとしていた。迦具土の圧倒的な力と小夜の狂気に対して、愛と友情で立ち向かう――それは絶望的に見えて、希望に満ちた光景だった。

「面白い」

 迦具土が再び笑みを浮かべた。

「人間と妖が手を組むか。だが、愛だの友情だのという綺麗事で、この私を倒せると思うのか?」

 迦具土の全身から、さらに強烈な炎が噴き出した。要塞の天井が完全に溶け落ち、夜空が見えるほどの破壊力だった。

「今度こそ、お前たちをまとめて灰にしてやる」

 最後の戦いが、始まろうとしていた。
 鈴凪は理玖の手を握った。その手は、もう震えていなかった。

「理玖様。今度は二人で、一緒に戦いましょう」

「ああ」

 理玖も鈴凪の手を握り返した。

「鈴凪と一緒なら、どんな敵でも恐くない」

 慎吾もまた、二人の隣に立った。

「三人で、か。悪くない」

 愛と友情の絆が、絶望的な状況に一筋の光を差し込もうとしていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

『魔導書』に転生した俺と、君との日々。

風城国子智
ファンタジー
 異世界転生ファンタジー。  幼馴染みへの恋心に悩む親友の背中を押した日、不運な事故によって命を落としたトールは、何故か、異世界の『本』に転生してしまっていた。異世界で唯一人、トールの思考を読み取ることができる少年サシャを支えることで、トールも、『魔導書』として異世界で生きる意味を見出していく。  ――一人と一冊の武器は、知識と誠実さ、そして小さな勇気。 ※ 小説家になろう、カクヨム、エブリスタ掲載済。

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい

LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。 相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。 何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。 相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。 契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?

後宮妃よ、紅を引け。~寵愛ではなく商才で成り上がる中華ビジネス録~

希羽
ファンタジー
貧しい地方役人の娘、李雪蘭(リ・セツラン)には秘密があった。それは、現代日本の化粧品メーカーに勤めていた研究員としての前世の記憶。 ​彼女は、皇帝の寵愛を勝ち取るためではなく、その類稀なる知識を武器に、後宮という巨大な市場(マーケット)で商売を興すという野望を抱いて後宮入りする。 ​劣悪な化粧品に悩む妃たちの姿を目の当たりにした雪蘭は、前世の化学知識を駆使して、肌に優しく画期的な化粧品『玉肌香(ぎょくきこう)』を開発。その品質は瞬く間に後宮の美の基準を塗り替え、彼女は忘れられた妃や豪商の娘といった、頼れる仲間たちを得ていく。 ​しかし、その成功は旧来の利権を握る者たちとの激しい対立を生む。知略と心理戦、そして科学の力で次々と危機を乗り越える雪蘭の存在は、やがて若き皇帝・叡明(エイメイ)の目に留まる。齢二十五にして帝国を統べる聡明な彼は、雪蘭の中に単なる妃ではない特別な何かを見出し、その類稀なる才覚を認めていく。

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。

潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。

廃城の泣き虫アデリー

今野綾
ファンタジー
領主の娘だったアデリーはある日家族を殺され育った領地から命からがら逃げ出した。辿り着いた先は廃城。ひとり、ふたりと住人が増える中、問題が次々とおこって… 表紙はフリー素材です

処理中です...