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第25話 ヴィオラ その2

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 ヴィオラは新入りとして、いろいろな仕事をこなしている。
 今日は、修道院に併設されている孤児院で、子どもたちの世話をまかされた。

 監督役に指示された仕事を最低限の力でこなしていくが、その中には子どもたちの相手が含まれていた。

 子どもたちは粗末な格好をしていたが、健康状態は良さそうで、ヴィオラの手を引っ張って庭に連れていき、おそろしいほどの体力でヴィオラを振りまわした。

 駆けまわって疲れ果てたヴィオラだったが、掃除や花壇の世話よりは良い仕事だと思った。
 妹も弟もいないヴィオラは子どもに接する機会がなく、はじめて孤児院で会った子どもたちは、若く元気で、希望に満ちた存在に見えた。
 ——やっぱり、若いっていいな。

「ちょっと、あなた。こっちをお願い」

 監督役のシスターに呼ばれて、疲れた身体を引きずってむかうと、そこには赤子がいた。
 ——赤ちゃん、はじめて見た! 小さい……。

 珍しくてじっくり見ていると、シスターが言った。
「この間、孤児院の前に捨てられていた子よ。名前はリリー。この子のおむつを替えてあげて」

「えっ? ヴィオラおむつなんて替えられません!」

 とっさに言うと、シスターはヴィオラを睨んで冷たく言う。

「教えるから、その通りにやりなさい」

 シスターの指示に従って、おそるおそるおむつを替える。
 手際が悪いのか、何度もシスターに怒られた。

 ——何でヴィオラが怒られなきゃいけないの?

 四苦八苦してようやくおむつを替え終わると、赤子を見ているように言われる。
 ——見てなさいって言われたけど、ただ見てればいいだけ? それなら楽ね。

 ぼんやりベッドに肘をついて眺めていると、赤子は何かを求めるように手足を動かしている。
 気になったヴィオラは、人差し指でそっと小さな手に触れてみた。
 すると、赤子はぎゅっとヴィオラの指を握り、ニコニコと笑顔を浮かべた。
 ——あったかい……。

 ヴィオラはつぶやいた。
「こんなにかわいいのに捨てられちゃったの? ヴィオラと一緒だね」

 自分が着ている修道服と似たような、赤子が纏う地味な布が気になった。
 ——もっとかわいい服ないのかな?

 仕事を終えて孤児院を離れるとき、ヴィオラは名残惜しくてしかたがなかった。

 はじめて自分から指導役のシスターに声をかける。
「あの、また孤児院に行けますか?」

 シスターは驚いた顔をした。
「また行きたいの?」

「あの赤ちゃんがちょっと気になって……」

 シスターはすこし考えてから言った。
「それなら明日も子守してもらいましょうか」

 次の日も監督役のシスターと孤児院に行く。
 このシスターはヘレンという名前らしい。名字はわからない。

 ヘレンの指示に従って孤児院の仕事をこなす。他の仕事と違ってヴィオラがしっかり仕事をするためか、いつもより眉間の皺が緩んでいるように見えた。

 リリーはおとなしい赤子で、あまり泣かなかった。
 ヘレンが言うには、栄養が足りていなかったようで、あまり泣く体力がないのだろうということだった。

 ヴィオラは人生で食べ物に困ったことなど一度もなかった。
 かわいそうになって、ミルクを一生懸命あげた。

 しばらく孤児院通いを続けたある日、ヴィオラは思い切ってヘレンに尋ねた。
「リリーの服って他にないんですか?」

「着替えがあと三つあるけど?」

「そうじゃなくて……もっとかわいい服がないのかなって」

「……この服、私が縫ったのだけど」

「……」

 気まずくてヴィオラが何も言えずにいると、ヘレンが言った。

「だったら、あなたが縫えば?」

 ヴィオラは驚いて口走った。
「無理です! ヴィオラに服が作れるわけないじゃないですか!」

 ヘレンは眉間に皺を寄せて言った。
「教えるから、その通り縫いなさい」


 それから、夕食後にヘレンの指導で裁縫をする日々がはじまった。

 針に糸を通すこともできないヴィオラを見て、ヘレンはまずは雑巾やおむつを縫うことを命じた。

 ——雑巾もおむつも全然かわいくないのに……。

 そう思いながらも、自分の作ったかわいい服を着たリリーを想像すると、あまり苦にならなかった。

 縫い目が均一になった頃、ようやく服作りのお許しが出た。

 ヘレンと布を調達するために、よく孤児院に寄附してくれる婦人たちの家をまわる。

 以前の自分のように、何の苦労もしたことのなさそうな、美しい手をした婦人たちに会い、思わず自分の手に目を落とす。

 その手は孤児院の子どもたちの服を洗って、荒れている。それに針仕事に慣れないうちは、何度も針で指を刺して傷つけた。

 手を見ても、不思議なことに、ヴィオラはそれほど惨めな気持ちにならなかった。


 苦労の甲斐あって、色とりどりの布が手に入った。
 ヴィオラは自分の髪の色に似た、ピンクの布で服を作ることにした。

 服を作る工程は思いのほか複雑で、毎日ヘレンに叱られながら少しずつ形にしていく。

 ある日、ヘレンに修道院に来た理由を尋ねた。

「よくあるつまらない話よ。夫が若い女と浮気して、私は追い出されたの」

 ヴィオラは驚いてしまった。
「えっ? よくあるんですか?」

「この修道院にいる女にはよくある事情よ」

 ——そうだった。ヴィオラも……。

 自分は浮気相手の立場だったが、最後には家を追い出された。

 修道院に来てから半年以上が経ち、ずいぶん遠い過去のように思えた。
 当時の自分が何を思ってあんな行動を取ったのか、覚えてはいるが、なぜか共感はできなかった。

 ヘレンがつぶやいた。
「あの男と暮らすより、今の方がずっといい」


 それからしばらくして、ようやくリリーの服が完成した。
 足どりも軽く孤児院に行くと、すぐにリリーを着替えさせる。

 ヘレンは浮かれるヴィオラに何も言わず、様子を見守っていた。

「思った通り! すごくかわいい!」

 ピンクの布地にたくさんのフリルをつけた服を着たリリーは、ますますかわいらしい。
 ヴィオラの服が気に入ったのか、機嫌よくニコニコして、一生懸命手足を動かしている。

 作業の遅さを見かねて、ヘレンに大きめに作るように言われた服は、たいぶ体重の増えたリリーにぴったりだった。

 ヘレンがクスッと笑いをもらす。
「ヴィオラのそのセンスはどうかと思ったけど、リリーには良く似合ってる」

 ヴィオラはヘレンの笑った顔が珍しくて、ついじっと見てしまった。
 その目じりの笑い皺はとても感じの良いものに見えた。

 ヘレンは笑みを浮かべたまま言った。
「リリーはどんどん大きくなるから、また作らないとね」

 ヴィオラはリリーを見つめて、大きくなったリリーを思い浮かべる。

 歩けるようになったリリー、外を走りまわるリリー、少女に、大人になっていくリリーを見守る。
 そんな未来をヴィオラは楽しみに思った。

 リリーに優しく話しかける。
「これからたくさん、リリーに似合う服を作るね」
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