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六章
報い
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「あ……!」
姿を消した菖蒲に声を漏らす。
椋伍の視界は、未だに薄茶の濃淡ばかりが広がっていた。
菖蒲と、彼女に関わるものだけは本来の彩りをもって椋伍の目に映っているようだ。
――まだ終わってない
そう思いつつ、次の一歩を決めかねていると「じゃあね」とゆみの声が椋伍の耳に柔らかく届いた。
バッと振り返る。そこに少女の姿はない。
僅かに間を置き、
「ありがとう」
椋伍は小さく言い残すと、焼け落ちた建物から駆け出し、幽鬼のようにふわついた足取りで去ってしまった菖蒲の背中を追いかけて同じ鳥居をくぐった。
「うわっ」
一歩だ。鳥居の外の土を踏んだ椋伍を、砂のような排気ガスのようなざらついた突風が顔面を直撃する。
咄嗟に上着の内ポケットにある塩の小瓶へ手を伸ばせば、握った直後に息苦しさは収まった。
それでも椋伍の目は不快げに、何度も開閉する。ゴミが入ったのではない。また視界の様子がおかしいのだ。
鳥居の外に広がっていた木々は時折見知らぬ屋内になり、しおれた草花になり、漆塗りの箱の蓋を押さえつける誰かの目線になる。
――わたしには、椋伍という名前の可愛い弟がいる
――私には、菫という名前の優しい姉がいる
身体を乗っ取られる。
頭をよぎった可能性にぞっとした椋伍は、同じくして重なるように耳に響いた二人分の声に、ゆっくりと意識を引きずり込まれていった。
――同じ歳とは思えない、物静かな人だった
「姉様! 椎の実を拾ってきたから一緒に食べよう!」
姉のために宛てがわれた部屋は、父の書斎よりも飾り気がない。
木簡や巻き物、綴りばかりでさながら書庫のようだった。
そこで日中は近隣の村も含めた歴史を頭に叩き込み、日が落ちると外へ調べ物に行ってしまう。
娯楽に誘っても応じてくれるのはもっぱら、屋内で出来るものだけだった。
「おかえりなさい」
その日は珍しく文机も床も綺麗で、丸窓の前に佇んで私を迎えてくれた。
「ただいま! ね、栗も頂いたの! 時任の奥様から!」
「それはご飯と一緒に炊くと、母様が言っていただろう?」
「そこはまあ、ほら……ね?」
「まったく」
呆れたような口調。けれど優しい顔と頭を撫でる手。それは全て心許した人にしか向けない。
特に姉は私には一等甘く、それが私は嬉しくてたまらなかった。
この日だって、邪魔が入らないことに機嫌が上向いて、姉のための栗はいつもより綺麗に剥けたくらいだ。
「そういえば、今年の嫁巫女様は誰になると思う? 村一番の美人って言ったら、あとはもう鍛冶屋のみっちゃんだけど……なんだか向かない気がするなあ」
「それはどうして?」
剥いた栗をさらに半分に割って、姉様が私の口に放り込んで尋ねる。
鼠を虐め殺した同い年のアレを思い出して、堪らず顔を顰めて私は答えた。
「意地の悪さが顔に出てるもん。それだったら二番目に綺麗な葛籠屋の六ちゃんの方がいい」
「……。六ちゃんとは一昨日、東方山で遊んだのだったな」
「うん! 六ちゃんて凄いんだよ! 川魚を直ぐに十匹捕まえちゃうの。それで、とれなくてぐずってた子にあげちゃうんだ」
「菖蒲が私や皆にしてくれるように?」
「私は家族にしかそんなことしないよ。でも六ちゃんは優しいから、みっちゃんも声が聞こえただけですぐ猫被っちゃうの。面白いよね」
「仲がいいんだろう。六ちゃんがいないと、将来みっちゃんは捻れるぞ」
「んー、でもやっぱりみっちゃんじゃ駄目だよ。仕方がないけど、六ちゃんに成ってもらわないと。嫁巫女様選びをしくじったら、それこそお祭りだって台無しになるし」
気づけばまるっと三粒、栗を放り込まれている事に気がついて、慌てて姉に一粒押し付ける。
姉はすぐに口を開いて咀嚼していたけれど、思っていた表情とは違った。
幼くて白くてまろい顔に嵌った椿色の瞳は、私には到底理解できない小難しい事を考えて曇っている。
「どうしたの?」
「嫁巫女も水呼箱も、辞めた方がいい」
「な、なんで? あれがあるから皆生きてこられたのに」
「これまで通りの嫁巫女を続けると土地も神様も穢れる。神様だってあんなものを望んではいらっしゃらない。水呼箱は災いの元だ」
「土地なんて、いくらでも他所を当たればいいじゃない。水呼箱もその為に使っているし、今更辞めるだなんて皆納得しないよ」
「菖蒲」
静かな声に射抜かれて縮こまる。
おろつく私の無様な姿は、姉の美しい瞳に反射するとなお一層情けなく見えた。
「箱を作るな。本当の名前を知っているだろう」
「……赤ちゃんを使ってるって言うんでしょう?」
「生きたままな」
「う、恨めしく思われたって、それを宥めて頂くために嫁巫女様を選んで、お祀りして成って頂くんじゃない。カミサマに!」
「その歴代のカミサマだって望まぬ者を使っているから、土地の穢れが早まっている。だから、いくら清める者がいようともきりがない。それに加えて、清められるだけの人間だって生まれにくくなっている。私達の爺様が村の長でなければとっくに代わる代わる嫁巫女にされていたよ」
すっかり空気が冷えてしまった。
凪いだ姉の目に見つめられるのが辛くて、そっと他所をむくと、姉は栗をほくりと割って私の口に寄せる。
「双子は殺されにくくなった」
黙って食べる私にそっと微笑んで言う。
「ひいばあ様方が壮絶な最期を遂げたことが大きい。丙午であっても、醜い瞳であっても生かされているのは、きっと御先祖様方のご意志だ」
「……何を言うの」
「お前が居てくれて良かったという話だよ」
違う。そう思った。
姉は何か良からぬことを考えている。
私ばかりが置いてけぼりで、それを他の皆と一緒になって誤魔化している。
いつも読めない姉の思考は、いつも以上に読めず、結局その思惑は夕餉の時間、
「今朝、此度の嫁巫女に私めを選んで頂けるよう、爺様へお願い申し上げて参りました」
そう姉自らが切り出して、知る所となった。
両親はいつになく狼狽えた。
村は姉に冷たかったけれど、今日まで生きてこられたのは、そんな連中の反対を押し切って産み育ててくれた両親と、信用してくれた祖父母がいたからだ。
そのまま何事もなく生き抜いてさえいれば、いつかは皆、姉のことを認めてくれると思っていた。
それなのに、
「姉様!」
夕餉の後に書斎へ行こうとする姉を引き止めて、詰め寄った。
「嫁巫女様がどんな死に方をするか知っているでしょ!? 一番寒い日を選んで拝殿にひとりで閉じ込められて、ご飯だって死ぬまで食べられないんだよ!? 死んでからだってカミサマになれるかどうか」
「村の穢れが濃い」
「……え?」
「お前は村を変えればいいと簡単に言うけれど、それだってこれまで住んでいた元の村人を殺して無理やりに成り立たせている。ここまで重ねて来ているのだから、次は逃れられないよ。それを、父様も母様も村の皆も分かっている。だから嫁巫女がなかなか決まらないんだ」
「そ、その村の人を目眩しに使えば」
「歴代の村の人間がそれをしなかったと思う? 今、その手を使って引き離したはずの者が土地を腐らせて、カミサマだって弱らせている。元々いらした土地神様を最後にお見かけしたのはいつ? 思い出せる?」
「……私でも、良かったはずでしょ?」
涙が喉を腫らしているみたいに苦しかった。
分かっている。姉は私には甘い。だからこそ分かってしまう。
「お前には荷が重い」
短くても、柔らかな声は能弁だ。
涙を拭う手を振り切って立ち去っても、やっぱり姉様は追いかけてきてはくれなかった。
それからは瞬く間に時は過ぎた。
秋が深まり早々に、冬の祭りに向けて皆がひっそりと支度をする。
姉に石を投げていた者も、罵詈雑言を浴びせていた者も、そんな事はしなくなった。
話しかけられれば答える。それだけ。
態度が氷柱よりも冷たいのは相変わらず、乱暴だけはしなくなった。
両親も爺様も日に日に沈んでいくのに、姉を前にするとその気配を必死に隠した。
受け入れようと言うのだ。近い子孫の為にも、村の悪習を断つのだと。
そのために姉に頼むのだと。
「勝手に決めてごめんね」
泣き喚いたり無言を貫いたりして反抗していた私に、何度も姉は穏やかに謝った。
皆が受け入れて、姉も受け入れて。
私ばかりが独りぼっち。
「けれど、菖蒲には人望があるから。村のこれからを、どうか生きて作り直して欲しかったんだ」
築いてきた人望は、姉のためだ。
言い返したくても、栗の日に姉の前で吐露した言葉と村の現状が邪魔をした。
腹を括るしかなかった。
――姉様は幽世で、私は現世で
二人の同じ血を以て、この村を永久に守護する者となる。
齢十三。共に生きるよりも重たい誓いを立てると、姉は嬉しそうに……けれど、やはり申し訳なさそうに微笑んだ。
――お前も難儀だね
雪降る日々が訪れて、ある時血が交わらぬ兄にそう言われた。
――菫がお前に箱を触らせるのも嫌がるから、それを隠して最初から最後までやらなくちゃならない
「黙って」
――菫が知ったらどう思うだろうね
「うるさい」
――可愛い姉様を連れて、こんな村捨ててしまえばいいのに。いつだって手を貸すよ? なんと言っても、可愛い妹達の頼みなのだから
「頼んでない。去ね」
「……。馬鹿な妹」
箱作りは止められなかった。
それどころか、前の月に押し寄せた山賊共のせいで人手が足りず、食物もなく、飢え死にする者が出ようというところまで来ていた。
母は山賊が来た時に、他の女の人達と共に連れ去られた。三日後、崖下で亡くなっているのが見つかった。
祖父は心労が祟って亡くなった。
父は村長を継いで、それをよく思わない連中から嫌がらせを受けている。
箱を作って、売って、作って、売って。
近隣の村はその影響か見る見るうちに土地が枯れて、私達から箱を買わなくなった。
遠出しなければ。
祭には供え物が要る。何より村で木の皮を食べる人が出始めているような状況では、とても祭など出来ない。
姉がカミサマに成れない。
焦りで気が狂いそうだった。
私は姉に「兄様に都へ連れて行って貰うことになった」「伝手を辿って冬を越せるだけの食べ物を譲って貰う」と嘘をついて、都へ箱を売りに行った。
道中、足を痛めて動けずにいる女の人を助けた。
都に住まいがあると言うその人を、皆で代わる代わる背負って山を越えて送り届けた。
――旅のお方、どうか助けていただいたお礼をさせてくださいな
女の人はどこぞの良いお屋敷の奥様だった。
屋敷まで送った私にそう前置きをして、村の名前を聞いてきたから、忽ち恥ずかしさで血の気が引いた。
土地を呪い、人を殺す村の名前など覚えて欲しくない。
――神々隠村ですよ。神々が隠れる村と書きます
兄が勝手に横から口を挟んで、するすると話が進んだ。
これは有難いご縁だ。遠い親戚の友人の従兄弟がその村の知人で、とお屋敷の旦那様が嬉しそうに目尻をたわませて言うのを、どこか遠くで聞いて。
気づけば、飢饉の話までした兄が日持ちする食物を用意してもらえるよう、旦那様に約束を取り付けて、私を連れて「出稼ぎ」に一緒に来ていた村の皆と合流していた。
――冬を越したら、村も越すといい
兄が平坦に囁く。
――箱も他所へ置いたし、今の村にこれまでのモノを封じてしまえば安泰だ。なにもお前達が死ぬことはない。そうだろう?
だってそれは、姉様が駄目だと言っていた。
――土地だけに縛るからいけない。土地に似せた幽世を作って、土地で蓋をして縛ってしまえば簡単には出てこられまいよ
姉様が嫌がる。今だって村のために穢れを清めているのに。
――山賊を迎え入れたらいい。どうしようも無い状況を作って村を出れば、菫だって怪しむことはないよ。あとはお前がそのまま一生猫を被ってさえいたら、何も問題は無い
「……姉様を裏切れない」
「意気地がないなあ」
凍えそうな色を湛えた瞳を睨み返しつつ、勝ったと思った。
誘惑に負けなかった自分が誇らしかった。
お屋敷の奥様からこっそり「お礼に」と頂いた上品な扇子と一緒に、この話を姉に持ち帰りたかった。
「おいオメェら!! 西野山が燃えたって誰か聞いたがか!?」
お屋敷で握り飯を包んでもらっている最中。
他所の村に置き去った水呼箱の様子を見に行っていたはずの組が、血相を変えてお屋敷に飛び込んできて。
話を聞いてやっと、姉から離れたことが間違いであったのだと思い知った。
姿を消した菖蒲に声を漏らす。
椋伍の視界は、未だに薄茶の濃淡ばかりが広がっていた。
菖蒲と、彼女に関わるものだけは本来の彩りをもって椋伍の目に映っているようだ。
――まだ終わってない
そう思いつつ、次の一歩を決めかねていると「じゃあね」とゆみの声が椋伍の耳に柔らかく届いた。
バッと振り返る。そこに少女の姿はない。
僅かに間を置き、
「ありがとう」
椋伍は小さく言い残すと、焼け落ちた建物から駆け出し、幽鬼のようにふわついた足取りで去ってしまった菖蒲の背中を追いかけて同じ鳥居をくぐった。
「うわっ」
一歩だ。鳥居の外の土を踏んだ椋伍を、砂のような排気ガスのようなざらついた突風が顔面を直撃する。
咄嗟に上着の内ポケットにある塩の小瓶へ手を伸ばせば、握った直後に息苦しさは収まった。
それでも椋伍の目は不快げに、何度も開閉する。ゴミが入ったのではない。また視界の様子がおかしいのだ。
鳥居の外に広がっていた木々は時折見知らぬ屋内になり、しおれた草花になり、漆塗りの箱の蓋を押さえつける誰かの目線になる。
――わたしには、椋伍という名前の可愛い弟がいる
――私には、菫という名前の優しい姉がいる
身体を乗っ取られる。
頭をよぎった可能性にぞっとした椋伍は、同じくして重なるように耳に響いた二人分の声に、ゆっくりと意識を引きずり込まれていった。
――同じ歳とは思えない、物静かな人だった
「姉様! 椎の実を拾ってきたから一緒に食べよう!」
姉のために宛てがわれた部屋は、父の書斎よりも飾り気がない。
木簡や巻き物、綴りばかりでさながら書庫のようだった。
そこで日中は近隣の村も含めた歴史を頭に叩き込み、日が落ちると外へ調べ物に行ってしまう。
娯楽に誘っても応じてくれるのはもっぱら、屋内で出来るものだけだった。
「おかえりなさい」
その日は珍しく文机も床も綺麗で、丸窓の前に佇んで私を迎えてくれた。
「ただいま! ね、栗も頂いたの! 時任の奥様から!」
「それはご飯と一緒に炊くと、母様が言っていただろう?」
「そこはまあ、ほら……ね?」
「まったく」
呆れたような口調。けれど優しい顔と頭を撫でる手。それは全て心許した人にしか向けない。
特に姉は私には一等甘く、それが私は嬉しくてたまらなかった。
この日だって、邪魔が入らないことに機嫌が上向いて、姉のための栗はいつもより綺麗に剥けたくらいだ。
「そういえば、今年の嫁巫女様は誰になると思う? 村一番の美人って言ったら、あとはもう鍛冶屋のみっちゃんだけど……なんだか向かない気がするなあ」
「それはどうして?」
剥いた栗をさらに半分に割って、姉様が私の口に放り込んで尋ねる。
鼠を虐め殺した同い年のアレを思い出して、堪らず顔を顰めて私は答えた。
「意地の悪さが顔に出てるもん。それだったら二番目に綺麗な葛籠屋の六ちゃんの方がいい」
「……。六ちゃんとは一昨日、東方山で遊んだのだったな」
「うん! 六ちゃんて凄いんだよ! 川魚を直ぐに十匹捕まえちゃうの。それで、とれなくてぐずってた子にあげちゃうんだ」
「菖蒲が私や皆にしてくれるように?」
「私は家族にしかそんなことしないよ。でも六ちゃんは優しいから、みっちゃんも声が聞こえただけですぐ猫被っちゃうの。面白いよね」
「仲がいいんだろう。六ちゃんがいないと、将来みっちゃんは捻れるぞ」
「んー、でもやっぱりみっちゃんじゃ駄目だよ。仕方がないけど、六ちゃんに成ってもらわないと。嫁巫女様選びをしくじったら、それこそお祭りだって台無しになるし」
気づけばまるっと三粒、栗を放り込まれている事に気がついて、慌てて姉に一粒押し付ける。
姉はすぐに口を開いて咀嚼していたけれど、思っていた表情とは違った。
幼くて白くてまろい顔に嵌った椿色の瞳は、私には到底理解できない小難しい事を考えて曇っている。
「どうしたの?」
「嫁巫女も水呼箱も、辞めた方がいい」
「な、なんで? あれがあるから皆生きてこられたのに」
「これまで通りの嫁巫女を続けると土地も神様も穢れる。神様だってあんなものを望んではいらっしゃらない。水呼箱は災いの元だ」
「土地なんて、いくらでも他所を当たればいいじゃない。水呼箱もその為に使っているし、今更辞めるだなんて皆納得しないよ」
「菖蒲」
静かな声に射抜かれて縮こまる。
おろつく私の無様な姿は、姉の美しい瞳に反射するとなお一層情けなく見えた。
「箱を作るな。本当の名前を知っているだろう」
「……赤ちゃんを使ってるって言うんでしょう?」
「生きたままな」
「う、恨めしく思われたって、それを宥めて頂くために嫁巫女様を選んで、お祀りして成って頂くんじゃない。カミサマに!」
「その歴代のカミサマだって望まぬ者を使っているから、土地の穢れが早まっている。だから、いくら清める者がいようともきりがない。それに加えて、清められるだけの人間だって生まれにくくなっている。私達の爺様が村の長でなければとっくに代わる代わる嫁巫女にされていたよ」
すっかり空気が冷えてしまった。
凪いだ姉の目に見つめられるのが辛くて、そっと他所をむくと、姉は栗をほくりと割って私の口に寄せる。
「双子は殺されにくくなった」
黙って食べる私にそっと微笑んで言う。
「ひいばあ様方が壮絶な最期を遂げたことが大きい。丙午であっても、醜い瞳であっても生かされているのは、きっと御先祖様方のご意志だ」
「……何を言うの」
「お前が居てくれて良かったという話だよ」
違う。そう思った。
姉は何か良からぬことを考えている。
私ばかりが置いてけぼりで、それを他の皆と一緒になって誤魔化している。
いつも読めない姉の思考は、いつも以上に読めず、結局その思惑は夕餉の時間、
「今朝、此度の嫁巫女に私めを選んで頂けるよう、爺様へお願い申し上げて参りました」
そう姉自らが切り出して、知る所となった。
両親はいつになく狼狽えた。
村は姉に冷たかったけれど、今日まで生きてこられたのは、そんな連中の反対を押し切って産み育ててくれた両親と、信用してくれた祖父母がいたからだ。
そのまま何事もなく生き抜いてさえいれば、いつかは皆、姉のことを認めてくれると思っていた。
それなのに、
「姉様!」
夕餉の後に書斎へ行こうとする姉を引き止めて、詰め寄った。
「嫁巫女様がどんな死に方をするか知っているでしょ!? 一番寒い日を選んで拝殿にひとりで閉じ込められて、ご飯だって死ぬまで食べられないんだよ!? 死んでからだってカミサマになれるかどうか」
「村の穢れが濃い」
「……え?」
「お前は村を変えればいいと簡単に言うけれど、それだってこれまで住んでいた元の村人を殺して無理やりに成り立たせている。ここまで重ねて来ているのだから、次は逃れられないよ。それを、父様も母様も村の皆も分かっている。だから嫁巫女がなかなか決まらないんだ」
「そ、その村の人を目眩しに使えば」
「歴代の村の人間がそれをしなかったと思う? 今、その手を使って引き離したはずの者が土地を腐らせて、カミサマだって弱らせている。元々いらした土地神様を最後にお見かけしたのはいつ? 思い出せる?」
「……私でも、良かったはずでしょ?」
涙が喉を腫らしているみたいに苦しかった。
分かっている。姉は私には甘い。だからこそ分かってしまう。
「お前には荷が重い」
短くても、柔らかな声は能弁だ。
涙を拭う手を振り切って立ち去っても、やっぱり姉様は追いかけてきてはくれなかった。
それからは瞬く間に時は過ぎた。
秋が深まり早々に、冬の祭りに向けて皆がひっそりと支度をする。
姉に石を投げていた者も、罵詈雑言を浴びせていた者も、そんな事はしなくなった。
話しかけられれば答える。それだけ。
態度が氷柱よりも冷たいのは相変わらず、乱暴だけはしなくなった。
両親も爺様も日に日に沈んでいくのに、姉を前にするとその気配を必死に隠した。
受け入れようと言うのだ。近い子孫の為にも、村の悪習を断つのだと。
そのために姉に頼むのだと。
「勝手に決めてごめんね」
泣き喚いたり無言を貫いたりして反抗していた私に、何度も姉は穏やかに謝った。
皆が受け入れて、姉も受け入れて。
私ばかりが独りぼっち。
「けれど、菖蒲には人望があるから。村のこれからを、どうか生きて作り直して欲しかったんだ」
築いてきた人望は、姉のためだ。
言い返したくても、栗の日に姉の前で吐露した言葉と村の現状が邪魔をした。
腹を括るしかなかった。
――姉様は幽世で、私は現世で
二人の同じ血を以て、この村を永久に守護する者となる。
齢十三。共に生きるよりも重たい誓いを立てると、姉は嬉しそうに……けれど、やはり申し訳なさそうに微笑んだ。
――お前も難儀だね
雪降る日々が訪れて、ある時血が交わらぬ兄にそう言われた。
――菫がお前に箱を触らせるのも嫌がるから、それを隠して最初から最後までやらなくちゃならない
「黙って」
――菫が知ったらどう思うだろうね
「うるさい」
――可愛い姉様を連れて、こんな村捨ててしまえばいいのに。いつだって手を貸すよ? なんと言っても、可愛い妹達の頼みなのだから
「頼んでない。去ね」
「……。馬鹿な妹」
箱作りは止められなかった。
それどころか、前の月に押し寄せた山賊共のせいで人手が足りず、食物もなく、飢え死にする者が出ようというところまで来ていた。
母は山賊が来た時に、他の女の人達と共に連れ去られた。三日後、崖下で亡くなっているのが見つかった。
祖父は心労が祟って亡くなった。
父は村長を継いで、それをよく思わない連中から嫌がらせを受けている。
箱を作って、売って、作って、売って。
近隣の村はその影響か見る見るうちに土地が枯れて、私達から箱を買わなくなった。
遠出しなければ。
祭には供え物が要る。何より村で木の皮を食べる人が出始めているような状況では、とても祭など出来ない。
姉がカミサマに成れない。
焦りで気が狂いそうだった。
私は姉に「兄様に都へ連れて行って貰うことになった」「伝手を辿って冬を越せるだけの食べ物を譲って貰う」と嘘をついて、都へ箱を売りに行った。
道中、足を痛めて動けずにいる女の人を助けた。
都に住まいがあると言うその人を、皆で代わる代わる背負って山を越えて送り届けた。
――旅のお方、どうか助けていただいたお礼をさせてくださいな
女の人はどこぞの良いお屋敷の奥様だった。
屋敷まで送った私にそう前置きをして、村の名前を聞いてきたから、忽ち恥ずかしさで血の気が引いた。
土地を呪い、人を殺す村の名前など覚えて欲しくない。
――神々隠村ですよ。神々が隠れる村と書きます
兄が勝手に横から口を挟んで、するすると話が進んだ。
これは有難いご縁だ。遠い親戚の友人の従兄弟がその村の知人で、とお屋敷の旦那様が嬉しそうに目尻をたわませて言うのを、どこか遠くで聞いて。
気づけば、飢饉の話までした兄が日持ちする食物を用意してもらえるよう、旦那様に約束を取り付けて、私を連れて「出稼ぎ」に一緒に来ていた村の皆と合流していた。
――冬を越したら、村も越すといい
兄が平坦に囁く。
――箱も他所へ置いたし、今の村にこれまでのモノを封じてしまえば安泰だ。なにもお前達が死ぬことはない。そうだろう?
だってそれは、姉様が駄目だと言っていた。
――土地だけに縛るからいけない。土地に似せた幽世を作って、土地で蓋をして縛ってしまえば簡単には出てこられまいよ
姉様が嫌がる。今だって村のために穢れを清めているのに。
――山賊を迎え入れたらいい。どうしようも無い状況を作って村を出れば、菫だって怪しむことはないよ。あとはお前がそのまま一生猫を被ってさえいたら、何も問題は無い
「……姉様を裏切れない」
「意気地がないなあ」
凍えそうな色を湛えた瞳を睨み返しつつ、勝ったと思った。
誘惑に負けなかった自分が誇らしかった。
お屋敷の奥様からこっそり「お礼に」と頂いた上品な扇子と一緒に、この話を姉に持ち帰りたかった。
「おいオメェら!! 西野山が燃えたって誰か聞いたがか!?」
お屋敷で握り飯を包んでもらっている最中。
他所の村に置き去った水呼箱の様子を見に行っていたはずの組が、血相を変えてお屋敷に飛び込んできて。
話を聞いてやっと、姉から離れたことが間違いであったのだと思い知った。
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