名探偵桃太郎の春夏秋冬

淀川 大

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俺と太鼓と祭りと夏と

第4話だ  頭に来たぞ

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 広い空き地では、商店街の馴染みの皆さんが裏のビジネスホテルの長い影の上で幾つかの人の輪を作って談笑中だ。お、薬局のおじさんも来ている。おじさんは商店街組合の会長さんだからな。一応、挨拶をしておくか。

「よう、土佐山田の旦那。お疲れ。暑い中、ご苦労だな」

「おや、桃ちゃん。そうだよなあ、桃ちゃんが来ないと始まらないな」

 そう言った土佐山田とさやまだ九州男くすおさんは、薬屋のご主人だ。姓は「土佐山田」で、名は「九州男」。ちなみに奥さんの名は「伊勢子いせこ」だ。土佐山田は四国の地名なのに……。

 土佐山田薬局はウチのお隣さんで、大通りと赤レンガ小道の角に建っている。角だから、店には大通り側と赤レンガ小道側の両方に入り口がある。それで、大通り商店街と赤レンガ小道商店街の両方に加盟しているそうだ。全部の商店街で作る商店街組合の会長と大通りの西側の西地区の地区長も兼務している。色々な意味で、どちら付かずの人だが、人望も厚く、律儀と言えば律儀だし、決して悪い人ではない。住民としての自治会は赤レンガの方に入っているそうだから、仲間と言えるかもな。陽子さんも親しげに挨拶している。

「すみません、遅くなってしまって」

「いいの、いいの。みんな、世間話をしているだけだから。お、美歩ちゃんもママのお手伝いかい。偉いねえ」

 美歩ちゃんは陽子さんの手を握ったまま、ペコリと頭を下げた。この歳で会釈ができるんだぞ。ウチの美歩ちゃんはすごいだろう、と俺が自慢気な顔をしていると、花屋の高瀬たかせ邦夫くにおさんが「いやあ、今年も夏祭りの季節なんですねえ。なんだか一年があっという間で驚きますよね、ホントに」と言いながら歩いてくる。

 この中年のオジサンは、いつも同じ事を言っている。去年の秋祭りの時にも、新春市の時にも「あっという間で驚く」と言っていた。店にカレンダーを貼っていないのだろうか。穏やかでいい人なのだが、いつもお花畑にいるような心持ちの人だ。ま、花屋だから仕方ない。

「なんだ、桃も、今年も『ホッカリ弁当』の屋台でお手伝いか」と邦夫さんが俺に言う。何か馬鹿にされている気がする。よし、言ってやるか。

「なんだとは、なんだ。俺だって店の売上げに少しくらい貢献させてもらってもいいだろう。『ホッカリ弁当』の居候なんだから」

「でも、何もできないよな、おまえ」

「そんな事はないぞ。俺だって意外と暗算が得意だったり、包装用のビニール袋をきびきびと美歩ちゃんに渡したりしたりだな……」

「桃太郎さんが居てくれるだけで、大助かりなんですよ。お行儀もいいし、小銭番はしてくれるし。お祭りの人ごみをいい事に、ドサクサに紛れて小銭を持ち逃げしようとする人もいますでしょ。そういう人は、桃太郎さんが撃退してくれますから。ね、美歩」

 陽子さんが美歩ちゃんの顔を覗き込むと、美歩ちゃんは深く大きく首を縦に振ってくれた。

「ほら見ろ。美歩ちゃんも頷いているだろ。俺だって戦力になっているんだよ」

 邦夫さんは腕組みしながら言う。

「まあ、どんな悪人も、桃に睨まれたら尻込みするよなあ」

 俺はそんなに目つきの悪い男じゃないだろ、失礼だな。気分が悪いぞ。溜め息を吐くな、土佐山田のおじさん。

 んん? どうした、深刻な顔して。

「それにしても、いくら祭りの最中だからって、ここは警察署の目の前じゃないか。どうしてこんな所でドロボウするのかね。去年は、堺さんのたこ焼き屋の屋台が売上金をゴッソリやられたらしい。ウチも気を付けないといけないな」

 そうなのか。せっかく皆でお祭りを楽しんでいる時に、悪い奴もいるものだ。陽子さんも眉を寄せて不安そうな顔をしているじゃないか。

「物騒な世の中になりましたね」

「外村さんのところは、頼りになる用心棒がいて、羨ましいよ」

 お、邦夫さん、それはこの俺のことかい。うれしいねえ。俺が陽子さんに顔を向けると、陽子さんは少し驚いたような顔で邦夫さんに尋ねている。

「あら、息子さんは帰ってこられないのですか。大学も夏休みでしょう?」

「今年は帰らないそうだ。部活の合宿だとか言っているが、去年の夏祭りで金魚すくいのプールを任されたんで、今年はそれが嫌で帰らないんだろう。まったく誰のお陰で学生をしていられると思っているのか……仕送り止めたろうか、あいつ」

 止めたれ、止めたれ。地域の恩恵ひとつに報いることが出来ない奴は、どれだけ勉強して偉くなっても、社会の為になる事なんか出来やしない。実働部門に回した方がよほど世の中の為になるぞ、と頷いていると、陽子さんが言う。

「若い人は若い人なりに、いろいろと忙しいものですよ。それに、お店の方を継ぐ決心をされたのでしょ。立派な息子さんじゃないですか」

「うん……だから、屋号も今風に変えたのだけどね。でも、ウチの客は後ろの寺の檀家さんがほとんどだから、カタカナにしたのは失敗だったかなあって……」

 邦夫さんの店の屋号は、この前まで「高瀬生花店」だったのだが、この春から急に「フラワーショップ高瀬」に変わった。――というのは、看板だけで、商店街の人たちは皆、「高瀬生花店」と呼んでいるし、当の本人である邦夫さんも、その奥さんの公子さんも「はい、高瀬生花店でございます」と電話に出ているのを知っているから、俺もあまり実感がない。

 ん、誰か来たぞ。半袖ワイシャツにスラックス、整髪料の臭いがプンプンする男。はあ、あいつか……。勝手に話しに割り込んでくるな。

「いや、それは絶対にカタカナがいいですよ。これからはカタカナ横文字の屋号じゃないと、難しいですからね。うちもそれでカタカナにしたんですから」

 この空き地の横にある「ウェルビー保険」という店の新居浜にいはまさんだ。たしか下の名前は伸吾しんご。前に喫茶店が入っていた店舗で各種保険の代理店だか取次店だか分からない営業をしている。この前、この街に越してきたばかりの人だから、まだよくは知らない人物だが、とにかく、よく喋る。今も、こんな調子だ。

「聞きましたよ。看板の付け替え工事で苦労なさったのだそうで。いやあ、保険に入っていたら、何とかなったかもしれませんね。ああ、ウチに丁度いい保険があるんですよ。総合ガード保険『守るくん』っていう商品でしてね……」

 何が「守るくん」だ。この街を守っているのは俺だ。保険は何かあってからの話だろ。俺は何か起こらないように悪者と戦っているんだぞ。保険料を取るくらいなら、そういう予防措置の方にも力を入れてくれ、と新居浜さんに言っても仕方ないか。

 しかし、祭りの準備会場でも営業とは。だいたい、何の屋台を出すつもりなんだ。保険商品のパンフレットでも並べるのか。簡易テントの下じゃ、誰も相談には来ないだろう。ここは田舎町なんだぞ。誰もが皆、結構に周囲の目を気にして生きている。財産に関わる保険の話なんか、外でする訳……あ、萌奈美さんが来た。

「遅くなってすみません。最後のお客さんのカットに時間が掛かってしまって……」

 客のカットの途中で出かける訳にもいくまい。この若い女の人はウチの、土佐山田薬局とは反対隣の「モナミ美容室」を経営している阿南萌奈美さんだ。小さな美容院を一人で切り盛りしている。

「よう、萌奈美さん。変わりないみたいだな」

「あら、桃太郎さん。水玉ルックに着替えたのね」

「ちょっと転んで、破れちまってな」

「あー。こんなお洒落なベストは、美歩ちゃんが選んであげたのかなあ」

 萌奈美さんが美歩ちゃんの顔を覗きこむと、美歩ちゃんはニカリとして頷いたので、萌奈美さんは「センスあるわね」と美歩ちゃんの頭を撫でる。美歩ちゃんはうれしそうだ。

 ちょっと待て、着ているのは俺だぞ。モデルの評価は無しか。この女物の下着のような柄のベストも、この俺が着こなしているから恰好良く見える訳で、これを土佐山田さんが着ていたら、たぶん漫才師にしか見えないぞ、と言おうとすると、土佐山田さんが横を向いて言う。

「あとは、ラーメン屋の讃岐さぬきさんか。まあ、だいたい揃ったから、そろそろ始めましょうか」

 なんだ、讃岐さんを待たずに始めるのか。知らないぞ、讃岐さんが怒っても。彼、気性が荒いからなあ。待ってあげた方がいいとは思うが……ああ、土佐山田さんが話し出したな。

「では、みなさん。お疲れ様です。ええと、いよいよ夏祭りも明後日となりました。お盆も近づき、何かとお忙しい今日日でしょうが、どうぞご協力の程、宜しくお願いいたします。仕事の割り振りと段取りにつきましては、前回までの打ち合わせのとおりでございます。設営は当日の朝より始めますので、今日はそれぞれの自治会からのテントの運び出しと、電飾の設置に取り掛かってください。ああ、それから、西地区の和太鼓の方は、お話したとおり中止となりましたので、その係だった方々はテント運びの加勢に回ってください。運んだテント資材は向こうの隅の方に重ねて……」

 なんだ、ウチの地区の和太鼓は中止なのか。だから太鼓打ちの讃岐さんが来てないのに話し始めた訳だな。だけど、どうして和太鼓が中止なんだ。去年は大通りの端と端で、通りの向こう側の東地区の和太鼓と競うように打ち鳴らし合っていたのに。興ざめだな。訊いてみるか。

「なあ、高瀬のおじさん。どうして和太鼓は中止なんだよ。せっかく楽しみにしていたのに」

 高瀬邦夫さんは険しい顔をしたまま黙っている。美歩ちゃんも陽子さんのTシャツの裾を引っ張って尋ねる。

「ねえ、お母さん。太鼓は無いの?」

 陽子さんは口に指を立てて「シー」と答えた。まあ、教育上は分かるが、美歩ちゃんにしてみれば、楽しみにしていた和太鼓だ。訊きたくなるのも、また分かる。

「美歩ちゃんは今年から小学生だものねえ。小学生になったら、順番で太鼓を叩かせてもらえるはずだったのに、残念ねえ」

 と言ってきたのは公子さんだ。高瀬邦夫さんの奥さん。

 祭りの度に出される大きな和太鼓は子供たちにも人気で、小学生と中学生は順番で少しずつ叩かせてもらえる。皆、それぞれ思い思いのリズムでばちを振るのだが、何事にも好奇心が旺盛な年頃の小学生の方が多く列に並ぶ。いや、好奇心というより、単に他人がしている事と同じ事をしたがる人間の本能に従っているだけなのかもしれないが、それでも、子供たちは待ち遠しそうに列に並び、自分の番が回ってくると、太い桴で太鼓を力いっぱいに数回だけ打ち、その響きに驚いたりして、興奮した様子で満足気な顔をして帰ってくる。

 まだ幼稚園児だった頃の美歩ちゃんは、太鼓を叩くちょっとだけ年上のお姉さんたちに羨望の眼差しを向けながら、小学生になって列に並んでいる自分を想像していたに違いない。こうして小学生になった今年から、ようやくその夢が叶うはずだった。人生初の夢の実現かもしれない。それなのに、早々に公子さんから「残念ねえ」と言われた美歩ちゃんは、陽子さんのTシャツの裾を掴んだまま、本当に残念そうな顔をして下を向いている。不憫ふびんだ。不憫すぎる。いったいこれは何事か!
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