サーベイランスA

淀川 大

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第2部

2038年5月25日(火) 8

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 十車線以上の幅がある寺師町のメイン通りに出てきた山野の車は、車列の中に紛れると少し速度を落とした。ハンドルを握りながら、山野紀子は勇一松に確認する。
「どう。撒けた?」
「白はね。でも、今度は黒ちゃんがついて来てる」
「はあ? まったく、しつこいわね。いいわ、黒牛と闘うのが闘牛よ。やってやろうじゃない。二人とも、ベルトを締めときなさいよ!」
 勇一松頼斗が泣きそうな顔で言った。
「さっきからギューっと閉めてるわよ。――ああ、ヘルメット被ってくればよかった」
 山野の車はイチョウ並木の大通りを猛スピードで直進した。クラクションを鳴らし、他の車を退かせる。何台もの車両を追い越し、間を通り抜けて前に進んだが、その黒いRV車は正確な運転で後を追ってきた。
 山野紀子はサイドカメラの画像をモニターで見ながら唇を噛んだ。
「なかなか、しぶといわね」
 すると、黒いRV車の後ろから群青色に光るスポーツタイプのバイクが姿を現した。そのバイクのライダーは濃紺のライダースーツにラピスラズリ色のフルフェイス・ヘルメットを被っていて、スーツと同じ色の薄いパックを背中に背負っている。そのパックからは左右の肩の上を通ってヘルメットの顎の下まで管が一本ずつ伸びていた。群青色のバイクは黒いRV車を追い抜くと、他の車両の間を縫うようにすり抜け、あっという間に山野の車の右斜め後ろに着けた。
 後ろを振り向いていた勇一松頼斗が慌てて言う。
「ちょっと、バイクも出てきたわよ」
「面白い!」
 山野紀子は一気にハンドルを回した。車体は急転回し、道幅の大きなT字路を左へと曲がった。周囲の車は急ブレーキを踏み、タイヤの摩擦音とクラクションの音が四方に鳴り響く。山野の運転に反応して転回した黒いRV車は、T字路の突き当たりで停止した他の車に道を阻まれ、急停止した。その後ろに後続の車両が急停止する。その後ろや周囲にも次々と車両が停止し、黒いRV車は周囲を停止車両に囲まれた。そのまま、クラクションが鳴り響く大きなT字路の真ん中で立ち往生する。
 山野たちを乗せた車は左側の車線に移動しながら、そのまま西へと進んだ。
 反対車線で停止した車が長蛇の列を作っているのを見て、勇一松頼斗が言った。
「あらら、大渋滞になっちゃったじゃない。どうするのよ、編集長」
「後ろは? まだついて来てる?」
「いいえ。もう撒いたみたいよ。よく考えてみたら、何で逃げてんのか分かんないけど、とりあえず、これで……」
 勇一松頼斗は十本隣の車線に目を凝らした。大型トラックの陰から現われた群青色のバイクが南からの日に照らされて一際に青く美しく輝いていた。そのバイクはトラックの後方からこちら隣の車線に出てくると、他の車両と車両の隙間をテンポ良く鮮やかにすり抜けながら次々と車線を変更して、徐々に山野たちの車が走っている車線に接近してくる。
 近づいてくるバイクを目で追いながら、勇一松は山野の肩を叩いて言った。
「バイクがついて来てるわよ! もの凄い運転上手! ヤバイわよ、これ」
「ええい、仕方ない」
 下唇を嚙んだ山野紀子は再びハンドルを切った。車は高音と白煙を立てて更に左に車線を変更し、そのまま地下高速道路への入り口ゲートをくぐった。透明のジェル状の壁を突き抜けて通過し、少しだけ気圧が下げられたスロープを下っていると、車内のAIからアナウンスが聞こえた。
『都営地下高速道路ヘヨウコソ。コレヨリ、自動運転走行ニ切リ替ワリマス。真空道路ニヨル快適ナ移動ヲゴ堪能クダサイ』
 山野紀子はハンドルから両手を放し、シートに身を投げて息を吐いた。
「ふう。これでよしっと。真空状態の地下高速に、バイクは入って来れないからねえ」
 緩やかにカーブするスロープを下って、山野のAI自動車はもう一度、透明のジェル状の壁を突っ切った。その壁により区切られて、更に低い気圧になっている地下高速道路の本線へと入る。車に搭載された運転用人工知能がインターネット回線を通じて、SAI五KTシステムに車両位置を送り、全ての地下高速道路の車両の位置を把握し調整しているSAI五KTシステムが、瞬時に全車両の適切な車間を再計算して、それを調整する。本線を一定の速度で自動走行していた車両たちは速やかに車間を開け、その列の中に山野たちの車を招き入れるように加えると、そのまま、整った車間で一定速度の流れを続けた。
 頭の後ろで手を組んだ山野紀子は、シートに身を倒して言った。
「しかし、意外としぶとかったわね。もう少し早く振り切れると思ってたんだけど……」
 勇一松頼斗は憤慨した顔で山野に言った。
「もう、懲り懲りだからね。あんな運転するなら、カースタントにでも転職しなさいよ。冗談じゃないわ。死ぬかと思った」
 三人を乗せた車が再び透明のジェル状の壁を通過した。更に地下高速道路内の気圧は低くなっている。空気抵抗が下がった車両は一段と速度を上げた。車列は音も無く流れる。
 山野紀子は、車のガラスを変色させて中が見えないようしようと、ダッシュボードのメインパネルに表示されたブラインド機能ボタンに手を伸ばした。彼女は何気なく、その横のサイドカメラの映像を映したモニターに目を遣った。するとそこに、さっき通過した透明のジェル状の壁が縦に引き裂かれて、中から前輪を上げた群青色のバイクが飛び出しくる瞬間が映し出された。山野紀子は慌てて振り向く。後部座席の勇一松も振り向き、目を丸くして騒いだ。
「いやだ。ちょっと、何よ。あのバイク、まだついて来るわよ」
 運転席と助手席のシートの間から上身を出して後方を覗いた山野紀子は、半ば呆然としながら、呟くように言った。
「冗談でしょ。地下高速の中は、ほとんど真空状態なのよ。ここには気密設計されたAI自動車しか入れないはずでしょ」
 勇一松頼斗がバイクの運転者に目を凝らしながら叫んだ。
「気密スーツに密閉式ヘルメットよ! 背中に酸素パックも背負ってる!」
「だからって、流体ナノガラスをバイクで通過してきたわけ? かなりの速度よ。時速百キロは出てる。この速度で、バイクで体ごと、この次の流体ナノガラスも通過するつもりなのかしら。嘘でしょ。通過する時の衝撃で死んじゃうじゃない」
 勇一松頼斗もバイクを見ながら山野に言った。
「本気なんじゃないの。しかも、さっきの黒い車と同じで、自動運転じゃないみたいよ」
 群青色のバイクは、路肩の壁すれすれの位置を走り、他の車を追い越しながら、少しずつ速度を上げて、山野たちの車に近づいて来ていた。
 山野紀子は前を向き直した。前方には流体ナノ粒子を積み重ねた透明のジェル状の隔壁が大きく一面を塞いで立ち、揺らめいている。山野たちを乗せた車はその中に突入し、難なく壁を通過した。気圧が下がり、更に速度を上げる車の中で、山野紀子はすぐに振り向いて後方の流体ナノガラスの向うのバイクの様子を伺った。すると、揺らめく壁の、路面より少し高い位置からバイクの前輪が飛び出し、続いてバイクの底の超電導バッテリーパックと後輪が姿を現した。車体そのものを盾にしながら流体ナノガラスを切り裂いて高速で飛び出してきた群青色のバイクは、軽やかに着地すると、そのまま一気に加速して、山野たちの後を追ってきた。それに続いて、流体ナノガラスの壁の中から黒いRV車が飛び出してきた。勇一松頼斗が頭を押さえて言った。
「オーマイガッ。さっきの黒い方も来たわよ」
「うそでしょ」
 山野紀子は慌てて中央パネルのアイコンに触れると、メニュー画面から運転切替画面を開いて、自動運転を解除しようとした。車のスピーカーから人工音声が響く。
『地下高速道路ヲ進行中デス。手動運転ニハ切リ替エラレマセン』
「もう!」
 山野紀子はハンドルを強く叩いた。
 黒いRV車は他の進行中の車両と車両の間に割り込みながら、二つの車線を左右に蛇行して少しずつ山野たちの車に近づいてきた。そのRV車が車間に割り込む度に、天井の警告灯の光がトンネル内を赤く照らす。統一システムによって管理されて自動走行していた車両たちは、RV車の割り込みによって強制的な速度調整を余儀なくされた。各車両の車内に警告アナウンスとチャイムを鳴り、速度を小刻みに落としたり上げたりしながら不規則で不安定な走行を続ける。その不規則に速度変化を繰り返す車列の横を、壁に沿って走る群青色のバイクは安定した速度で山野の車にどんどん近づいてきた。
 不規則に速度を変える車の中で、前に後ろに体を揺らしながら運転席のシートにしがみ付いていた勇一松頼斗が叫んだ。
「ちょっと……もう……何なのよ。全然、快適じゃないじゃない。ロデオマシンに乗っているみたいじゃないのよ!」
 山野紀子もシートとハンドルに掴まりながら、後ろを覗いて言う。
「あの黒い車が手動運転で無理に車列に割り込むからよ。その度に、ここを制御しているSAI五KTシステムが、車間と速度を計算し直しているんだわ」
「シット! 黒い車がどんどん近づいてくるわよ。――わあ、びっくりした」
 リアガラスから後方を覗いていた勇一松の目の前に、さっきの群青色のバイクが姿を現した。そのバイクは、壁際から山野の車の真後ろに移動すると、そこで手を伸ばせば届く程の距離の車間を維持して、車の後方を走り続けた。その後方から、黒いRV車が右に左に車線変更を繰り返しながら、距離を詰めくる。その度の、目前の山野の車の速度変化に機敏に反応しながら、群青色のバイクは減速と加速を繰り返し、山野の車との車間を維持していた。
 前後に揺れる車内で、山野紀子は右手でハンドルに掴まりながら、ダッシュボードのメインパネルに手を伸ばし、時折、前を見ながら何かを頻りに操作していた。
 勇一松頼斗はカメラを構えて後方の群青色のバイクにレンズを向けたが、車の揺れに体が持っていかれ、後部シートに強く額を打ち付けた。
「いったーい。痛いじゃないの! せっかくのシャッターチャンスなのに、これじゃ撮影できないじゃないよ! ちょっと、編集長、何とかならないの?」
「私に言われても、どうしろって言うのよ! このシステムを作ったNNC社かストンスロプ社のGIESCOにでも言いなさいよ。とにかく、一番近い降り口で外に出るように設定し直しているから、文句言うな!」
 その時、群青色のバイクの後ろに黒いRV車が現われ、フロントライトを上げて山野たちの車の車内を照らし、激しくクラクションを鳴らした。その前で群青色のバイクに跨ったライダーが頻りに山野の車の中を覗き込んでいる。
 突如、黒いRV車が急減速した。真空状態を時速二〇〇キロ以上の速度で進行していた車体は、みるみる後方へと小さくなっていく。それに伴って周囲の車も再計算され、一斉に減速を始めた。群青色のバイクのライダーは瞬時にブレーキを握り閉め、バイクを減速させる。それを追うように山野の車が減速して後退して来た。山野の車の後部バンパーがバイクの前輪に接しようとした時、再び後方から強い光が照らした。群青色のバイクのライダーが一瞬振り向くと、後方からさっきの黒いRV車が急加速して突進してきていた。バイクのライダーはハンドルから放した片方の手を腰の後ろに回した。
「体当たりしてくる!」
 勇一松頼斗がそう叫んだ瞬間、迫ってきた黒いRV車のボンネットに火花が散った。RV車は再び急ブレーキを踏んで減速する。バイクのライダーは一度腰の後ろに片方の手を戻すと、その手を再びハンドルに戻して握り、グリップを回した。一気に加速したバイクは先に進んだ山野たちの車を追う。その後方から黒いRV車が再加速してきた。そこへ、緊急車両専用の地下道路の出入り口から赤色灯を点滅させた濃紺の4WD車が飛び出してきた。ボンネットとルーフの上に機関砲を装備したその「軽武装パトカー」は、大きくサイレンを鳴らして本線の中を進んでくると、さっきの黒いRV車のように蛇行しながら、乱れた車列の中をジグザグ走行で前に進んできた。黒いRV車は慌てたように急激に車線変更すると、左右の車列の間を他の車と車体を擦りながら前に進み、山野の車の後方に追いついた群青色のバイクの隣に来て、その速度を少し落とした。
 並走するバイクとRV車を後方から眩い光が照らした。軽武装パトカーの拡声器から警官の声が飛ぶ。
『そこの青のバイクと黒のRV車。次の緊急避難帯で停止しなさい。RV車、直ちに走行車線に戻って自動運転に切り替えるんだ。繰り返す、前のRV車、直ちに走行車線に戻って自動運転に切り替え……おい、待て、止まれ!』
 黒いRV車は山野の車とその隣を走っていた車両に体当たりして、二台の間に割り入った。そのまま更に急加速すると、山野の車のサイドカメラを破壊して、その隣の車を弾き飛ばしながら強引に前に出る。その前の車両とも軽く接触して左右に広がった前の車間を更に先に進み、それを繰り返して逃走を図った。群青色のバイクは少し車体を横にずらした山野の車を軽やかに避けると、体を右に左にと倒しながら車間を軽やかにすり抜けて前に進み、地下高速道路の奥へと消えて行く。RV車に押し退けられて車線からずれた車両たちは速やかに自動で車線上に復帰し、今度は車間も速度も一定に戻して再び整然と走り出した。赤色灯を回転させた軽武装パトカーが後方から近づくと、車両たちは順に車体を壁際に少しだけ動かして、パトカーが通過できるだけの最低限の幅を正確に開けた。パトカーを通し終えると、元の車線の位置に戻り、再び一定の速度で同じ間隔を保ちながら、何事も無かったかのように流れを再生させた。
 静寂を取り戻した車内で、山野紀子が言った。
「行ったわね。気付いたかしら」
 後部座席で、レーザー・デジタルカメラが故障していないかを確認していた勇一松頼斗は、山野を見ることなく言った。
「さあ。でも、気付かなかったから襲ってきたんでしょ」
「かもしれないわね。それにしても、何なのよ、今の。尾行や監視だけじゃなくて、明らかに殺す気満々だったわよね」
 後部座席で頭から包帯を外しながら、赤いパーカーを着た永峰千佳が言った。
「体当たりしようとしてきましたよね。あの黒いRV車」
「会社に着くまでは、包帯はしておきなさい。気を抜くのは早いわよ」
「あ……はい」
 山野に注意された永峰千佳は、渋々、包帯を頭に巻き始めた。
 三人を乗せた車は、自動走行のまま真空の地下トンネルの中を高速で走っていった。
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