サーベイランスA

淀川 大

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第2部

2038年5月25日(火) 7

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 運転をしながら山野紀子は勇一松に尋ねた。
「どうだった。マタドール・ライト・勇一松さん」
 山野の後ろに座っている勇一松頼斗は、目を大きく見開いて言った。
「あの牛男、なによ。あんなのが本当にいるなら、知らせときなさいよ」
 山野紀子は前を向いたまま、ニヤニヤして言う。
「こういうのは、リアリティが大事でしょ」
 勇一松頼斗は額の汗を拭いながら言った。
「冗談じゃないわよ。本当にビックリしたわ」
 山野紀子が真顔に戻り、尋ねる。
「それより、後ろの車、まだついて来てるの?」
 振り返った勇一松頼斗は、確認してから山野に言った。
「ええ。白と黒で、ピッタリと仲良くね」
 山野紀子はハンドルを握る手に力を込めると、ニヤリとして言った。
「じゃあ、そろそろ、こっちも、『オウ、レイ』と行きますか。ちょっと飛ばすわよ、二人とも、しっかり掴まってなさい」
 山野紀子はシフトレバーを素早く操作した。アクセルを強く踏み込む。急加速した山野のAI自動車は、他の車を追い越して、白いバンを突き放した。
 バンの運転席の仲野が焦ってハンドルを切りながら言う。
「くそ、あの女。仲島、本部に報告だ。対象者が逃げる!」
 仲島は直ぐに報告した。
「本部、こちら仲野班。対象者Cがこっちに気付いた。逃走を図っている。追跡する」
『なんだ。今度はイノシシでも出てきたのか?』
「違う、今度はマジだ。今、猛スピードで逃げられてる」
『了解。応援車両を回す』
「応援が来るそうです」
 そう伝えた仲島に、運転席の仲野は怒鳴った。
「いらねえよ! 文屋の運転に撒かれる訳ないだろ!」
 他の車両の間を縫うように走りながら、白いバンは山野のスポーツセダンタイプのAI自動車を追いかけていく。山野の車は横道から再び大通りに出ると、クラクションを鳴らして車と車の間をすり抜け、そのまま他の車両同士の車間から車間へと飛び移るように車線を変更しながら、どんどん前に進んだ。
 シートベルトを握り締めたまま後部座席でシートに背中を押し当てている勇一松頼斗は、運転席の山野に言った。
「ちょっと、編集ちょお! スピード出し過ぎでしょ! 何考えてんのよ! ここ、街中よ、寺師町よ!」
 山野紀子はハンドルを操作しながら、小鼻を張らして言った。
「このくらいが、何よ」
 山野のAIスポーツセダンは、他の車で混みあう繁華街の大通りを蛇行しながら進んで行く。周囲の車は急ブレーキを掛けて、その暴走車との衝突を回避した。どの車もクラクションを強く鳴らす。四方で鳴り響くクラクションの中を、白いバンが猛スピードで走ってきた。何とか他の車を避けながら、山野の車を追う。
 必死の形相でハンドルを操作していた仲野は、歯を喰いしばりながら言った。
「くそ、なめやがって!」
 モニターを見ていた仲島が言った。
「ん、なんだ、この黒い車」
 それを聞いた仲野は、苛立った様子で叫んだ。
「本部からの応援か。もう来やがったか。要らねえって言ったのによ」
 黒のRV車は、白いバンを追い越していくと、他の車両の間を強引に縫うように進み、山野のスポーツセダンを追いかけていった。
 後方から追い上げてくる黒いRV車をサイドカメラの画像で確認した山野紀子は、咄嗟に叫んだ。
「左の路地に入るわよ。急カーブするからね。三、二、一、!」
 山野はハンドルを切った。ドア側に倒れ込む勇一松に赤いパーカーの小柄な体が載る。
「ちょっ、ちょっと。あぶない!」
「わあ、わあ」
 後部席の絶叫を気にすることもなく、山野は言う。
「次は右! 三、ニ、一、!」
「あイタっ! わあ!」
「だから、あぶな……、ちょ!」
 左側に運ばれた後部座席の二人は、必死にシートにしがみ付いた。赤いパーカーの肩に倒れ込んでいる勇一松頼斗が、山野に叫ぶ。
「あんたね、『イチ』でハンドル切りなさいよ! 三、ニ、一の『イチ』で! どうして一拍あけるのよ! フェイントなの?」
「後ろは!」
 尋ねた山野に勇一松が振り向いて答えた。
「黒はどっか行った。白しか……あらら、止まったわ。これでもう……わあ、だから何で急に!」
 山野の車は狭い路地を急右折して走っていった。
 その頃、路上に飛び出してきた老人の前で白いバンは急停止していた。ハンドルから額を離した仲野は、蒼白の顔に汗を浮かべながら、怒鳴った。
「くそ! あぶねえだろ!」
 老人は頭を下げると、ニコニコしたまま車の前に立っている。
 地図が表示されたモニターを見ながら、仲町が指示を出した。
「後ろの路地です。そっちから回れますよ」
「うるせえ、黙ってろ。分かってんだよ」
 白いバンは少しバックすると、右折して更に細い路地へと入っていった。
 車を徐行させながら、仲野がハンドルを叩いて言う。
「何処に行きやがった」
 山野の車両をモニターに捉えた仲島が、振り返って椅子から立ち上がり、前の席に体を出して助手席側を覗き込む。彼は外を指差して叫んだ。
「ああ、いた。向こうです。向こう!」
「このやろう、頭下げろ、見えねえだろうが。うわ!」
 激しい衝突音が響いた。仲島が前に倒れる。仲町は椅子ごとひっくり返った。
バックしようとした白いバンは、横道から出てきたゴミ収集車に追突していた。
「くそ……さっさと再起動しろ!」
 運転席の仲野は操作パネルの上で幾つものボタンに触れて、追突の衝撃で停止した電気エンジンを必死に復帰させようとしていた。すると、無線の音が車内に響いた。無線機からヘッドホンのコードが外れている。雑音の混じった音声がスピーカーから直接、車内に広がった。
『サーベイ・ツー、サーベイ・ツー、聞こえるか。こちら本部、サーベイ・ツー』
 腰を押さえながら、仲島は無線のマイクに手を伸ばした。
「いってえ……こちらサーベイ・ツー仲野班。対象者を見失った。これから探索する。どうぞ」
『いや、サーベイ・ツーは直ちに撤収しろ』
 運転席の仲野が苛立った様子で怒鳴った。
「ああ? なんで。このままナメなれて終わりかよ」
『ネットにお前らの姿が掲載されている。直ちにその場から撤収しろ。いいな』
 急いで備え付けのパソコンに手を伸ばし、インターネット上を検索した仲町は、それを見つけて叫んだ。
「ああ! 本当です。先輩たちの顔が大きく掲示されています。『司時空庁の変態ストーカーコンビ』って書いてあります!」
「くそっ!」
 仲野が強くハンドルを叩く。
 いつまでも再起動しない白いバンは、ゴミ収集車の横で白煙を上げていた。

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