サーベイランスA

淀川 大

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第3部

2038年6月5日(土) 1

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 司時空庁のタイムマシン発射施設は、新首都の南東の海沿いにある。施設の西には、海に注がれるひる川沿いに、堤防が南北に走り、南の岸壁の下には那珂世湾が広がっている。北には田畑の奥に樹英田きえた区の住宅街の屋根が並び、その向こうに商業区域のビルが見える。施設の東から那珂世湾沿いに南に続く陸地には、国立公園に指定されている広大な森林があり、そこに生い茂る巨木に支えられた緑の屋根が昇ったばかりの太陽に照らされていた。
 タイムマシン発射施設の敷地は広い。西側の蛭川の対岸に、その更に西の縞紀和しまきかず川までの間の広い平地に建設された新首都総合空港があるにもかかわらず、この発射施設の敷地内の西側には専用の滑走路が海に向かって敷かれていた。北の内陸側には何棟もの低層の建物が並び、その間を走る舗装された道路が碁盤の目を描いている。敷地の内陸側の東寄りには中層の大きなビルが建ち並び、そのビル同士を何本もの渡り廊下が結んでいた。そこから少し離れて、敷地の南東の隅に森林と海を望む形でガラス張りの高層ビルが一棟だけ建っている。そして、これらとは別に、巨大な筒状の建造物が設置されていた。南北に伸びるその巨大な円筒形の建物はタイムマシンの発射管であり、さながら海に向けられた大砲のようである。相応の長さをもったその発射管の先端からは、海岸を越えて海上の浅瀬部分まで一本の金属製のレールが敷かれていた。
 レールの先端で数羽の鴎が、海風に打たれて羽を逆立てながら、陸地からの死角になる位置に巣を拵えていた。すると、天空から轟音が鳴り響き、強い風が舞った。鴎たちが一斉に飛び去る。上空を五機の無人戦闘機が海に向かって飛行していった。編隊を組んで飛行するその戦闘機は、その後から飛んできた別の五機の無人戦闘機と合流し、そのまま上昇していく。その下の那珂世湾の海上には、数隻の中型軍艦が波に上下しながら距離を空けて留まっていた。
 海沿いの総合空港の駐機場には大型の民間旅客機が何十機も留まっていたが、滑走路上に出ている機体は一機も無い。隣のタイムマシン発射施設の滑走路には何台もの軍用ジープがあちらこちらに駐車している。その周囲では武装した白い鎧姿の兵士たちが機関銃を構えて立ったまま周囲を警戒していた。特に発射管の周囲の警備は厳重だった。その向こうの中層ビルの窓には、走って移動する兵士たちの人影が映っている。発射施設の敷地を囲む高い塀に設置されたゲートは全て閉じられ、その外の路上からも車や人が遠ざけられていた。
 一つだけ扉が開けられたままのゲートがあった。周囲の見回りを終えた白い鎧姿の兵士たちが隊列を組んで走ってくる。兵士たちが中に入っていき、扉が閉じられた。内側からロックがされた扉を東の空からの朝日が照らす。
 管理棟ビルの管制室の窓から発射管を見下ろしていた津田幹雄は、後ろに立っている佐藤に言った。
「佐藤君、警視庁と連絡はついたかね」
 佐藤雪子は答えた。
「はい、何とか。警察庁には知られないよう、内密に処理することが出来たようですわ」
 津田幹雄は窓に顔を向けたまま言う。
「では、新日の連中が申請した道路占用許可申請は、許可されなかったのだな」
「はい。昨日中に不許可決定が出たそうですわよ」
「そうか。新日の奴ら、わざと尾行を振り切って見せて、我々の注意を自分たちに引き付けたつもりだったんだろう。一方でこっそり道路占用許可を申請して撮影許可を得る作戦だったのだろうが、そうは問屋が卸さん。陽動作戦など、疾うにお見通しだ。やはり、あの別府という記者をマークさせておいて正解だった。お蔭で、新日の内部協力者から情報が入る前に対処することができたよ」
 佐藤雪子は笑みを浮かべて言った。
「では、後は侵入してくる記者たちの捕獲ですわね」
 津田幹雄は満足気な顔で振り返ると、少しだけ下に落ちた眼鏡を指先で持ち上げながら言った。
「そうだな。協力者からの情報では、三名プラス一名が、撮影に乗じて侵入する予定だということだ。まあ、その撮影が中止になれば諦めるかもしれんが、やけを起こして突入してくるかもしれん。松田君、STSの警備態勢は」
 壁際に並んだ何台もの平面モニターに目を配りながら、松田千春が答えた。
「はい。万全であります。通常の三割増しの人員で警備しておりますので」
 津田幹雄は松田の方に歩み寄りながら尋ねた。
「理由は付いたか」
 松田千春は振り向いて答える。
「はい。午後の議員団の臨時視察のための事前警備という名目で、増員しております」
 松田の前で立ち止まった津田幹雄は、割れて突き出した自分の顎を親指で触りながら思案した。
「うーん。確かに抜き打ちの視察は渡りに舟だが、一応、『抜き打ち』となっているからな。事前に警備を増強しているというのも、変な話しだろう。書類上だけでも『有事緊急警戒態勢の再確認』という名目にしておきたまえ。そこに議員さんたちが、視察に来た、その方が、辻褄が合う」
「分かりました。すぐに変更しておきます」
「そうしてくれ」
 直ぐに振り向いた津田幹雄は、後ろについて来ていた女性に言った。
「佐藤君、議員の先生たちへの対応の準備は、もう出来ているね」
「はい。給仕、コンパニオン、料理人、マッサージ師など、こちらも万全の体制でおもてなし出来る体制ですわ」
「予定は」
「先生たちは、午前中は発射施設の方をご見学いただき、正午には、そのまま搭乗者待機施設の方にご案内いたします。そこで施設が搭乗者たちに提供する食事を『試食』していただき、午後は施設内の各レジャー設備を簡単に見学。後は自由に施設内設備をご使用いただいて、実際にその快適性を実感していただくということで、準備していますわ」
 津田幹雄は口角を上げて頷いた。
「うん、それでいい。『抜き打ちの視察』の日程を、わざわざ事前に報告してきた訳だ。相手もそのつもりなのだろう。今後の増便の件もあるし、先日の襲撃事件で受けた被害の補修費を国から追加で出してもらうということもある。彼らの機嫌を損なわないよう、精一杯に振舞ってくれたまえ」
「はい。お料理については最高級品を揃えさせましたので、存分に『試食』を堪能していただけると思いますわよ」
「うん。わざわざランチタイム前に来るとは、大方、それも期待してのことだろう。好きなだけ堪能させてやれ。だが、厨房の方は大丈夫なのかね。人員が足りんのじゃないか」
 心配そうな顔でそう尋ねた津田に佐藤雪子は答えた。
「ご心配なく。調理を請け負っている業者にアルバイトを増員させました。厨房の中は、今朝早くから大賑わいですわ」
「そうか。料理は大事だからな。――そうだ。個室を使いたいという先生がいたら、一泊くらいさせて、自由に使わせてやればいい。コンパニオンの時間も合わせて空けておけ。それから、損傷箇所は一階のロビーから見せれば十分だ。上のエレベーターホールの現場は絶対に見せるな。銃弾の痕を見られてはいかん。被害は改装工事中の事故ということになっているからな」
「はい。一階ロビーの方の銃痕は、すべて補修が終わっておりますので、ご安心下さい。上の階へはエレベーターの扉の故障ということで、上がれないとでも言っておきますわ」
 津田幹雄は再び眼鏡を持ち上げて言った。
「ま、実際にもそうだしな。よかろう。とにかく、これで議員団への対策は万全だな。有働の奴め、私に難癖をつけるつもりに違いない。だが、そうはいかん。ここが襲撃された事実を聞きつけて、子飼いの議員たちに抜き打ちの視察を命じたのだろうが、その中に既に私に寝返っている人間が多くいるとも知らないとは、哀れな老人だ。ああ、そうだ。事前に情報をくれた議員には、特に手厚く接待するように。いいね」
「はい。かしこまりました」
 佐藤雪子は腰の前で手を重ねて丁寧に御辞儀をして見せた。それを見て満足気な笑みを浮かべている津田の背後から、松田千春が尋ねた。
「ですが長官、有働前総理が、わざわざ今日という日に議員団を送り込んで来るということは、彼は田爪瑠香の発射実験のことを知っているのではないでしょうか」
 津田幹雄は松田の方に顔を向けずに答えた。
「そうかもしれんな。だが、議員団がやって来るのは午前十時前だ。有働の私邸に集合して彼が朝食を済ませてから、ここにやってくるらしい。だから、全て終わった後じゃないか。まあ、有働武雄という男が朝型の人間でなくて助かったよ。松田君、実験終了後は、速やかに機材等を撤収するように。細かなデータの収集は後日やるように研究員たちにも伝えるんだ」
「分かりました。しかし、議員団が予定時刻よりも早くやって来ましたら、いかが致しましょう」
 津田幹雄は左腕の高級腕時計を見ながら答えた。
「この時間になっても来ていないということは、もし予定よりも早く来たとしても、あとは発射シーケンスの最中か、その直後だろう。その場合は、発射施設の緊急稼動点検中だとでも言って、外で足止めしろ」
 少し考えた津田幹雄は、天井を見上げながら続けた。
「いや、待てよ。待機施設ビルの方がいいな。あそこの中なら、外の音も聞こえんし、光も見えん。佐藤君、至急、送迎用のバスを用意してくれ。もし議員団が早めにやって来たら、それで待機施設までお送りするんだ。着いたらすぐに、地下のシアターホールとダンスホールに案内しろ。そこで、実験が終わるまで時間を稼げばいい」
 佐藤雪子が尋ねる。
「新日の記者共が現われたら、どうされますの」
「やって来る人数も特徴も分かっている。外にいるSTSの隊員が速やかに身柄を確保するはずだ。心配はいらん。相手は、ただの文屋だ」
 そう言った津田幹雄は、松田と佐藤の顔を交互に見ながら言った。
「とにかく二人とも、急に入った議員の視察の対処という余計な仕事に、よくここまで速やかに対処してくれた。感謝している。だが、ここを乗り切るまでは、気を抜かんで欲しい。ここが正念場だ。頼むよ、佐藤君、松田君」
「はい」
「お任せください」
 佐藤雪子と松田千春は、それぞれ返事をした。
 部屋の中央にホログラフィーが表示された。投影された背広姿の男が津田に報告する。
「長官、総合空港の訓練司令本部にいらっしゃる奥野国防大臣から、ホログラフィー通信です。メインパネルに出しましょうか」
 津田幹雄は軽く溜め息を吐くと、頷いて言った。
「そうしてくれ」
 津田幹雄は管制室の奥に一段高く設置された自分の机に移動した。彼が革張りの重役椅子に腰を下ろすと、机の上の丸い皿状の機械の上にホログラフィーで奥野の上半身が投影された。
 ホログラフィーの奥野恵次郎は、いきなり尋ねてきた。
『どうだ、進捗は』
「はい。万事抜かりなく。隣の空港の方は、いかがでしょう」
『大丈夫だ。予定通り、上空で無人機を旋回させている。タイムマシンの発射時間が近づいたら、こっちの指揮官と時刻合わせをしてくれ。一秒と違わず出現予告ポイントに緊急着陸させねばならん』
「分かりました。心強いご支援、痛み入ります」
『なあに、どうせ空軍予科から正規パイロットを選抜する時期だ。無人機のパイロット候補生の実力テストには、ちょうどいい』
「そうですか。やはり、正規のリモート・パイロットは御使用にならないので」
『奴らに今更こんな基礎的な飛行訓練をさせる理由が無い。それに、新兵の訓練生なら、緊急着陸訓練に使用する総合空港と、隣にあるそっちの滑走路を間違えて着陸させてしまうことも有りうるだろう。事故が起これば、後日、国防委員会から調べられるだろうからな。その時のことも考えておく必要がある。今日の場合は訓練生でいい』
 津田幹雄は椅子の背もたれに体を倒して言った。
「しかし、訓練中のセミパイロットが使用するのは、ダミーの無人機では? 効果が期待できますかな」
 奥野恵次郎は憮然とした顔で答えた。
『弾薬類も可燃性燃料も、通常よりも多く積ませてある。心配はいらん』
「そうですか。ですが、訓練パイロットで本当に大丈夫なのですか。ここから見る限り、随分と飛行隊形が乱れているようですが」
 津田幹雄はわざと窓から空を覗くふりをして見せた。
 ホログラフィーの奥野恵次郎は横を向いて言う。
『大丈夫だと言って……おい、飛行隊形が乱れているぞ。整えさせろ』
 再び前を向いた奥野恵次郎は、津田に言った。
『とにかく、何か有った場合の対処は、こちらに任せろ。君は自分の仕事に専念すればいい。いいな』
 津田幹雄は椅子の背もたれに体を倒したまま答える。
「分かりました。そろそろ時間ですので、これで」
『うむ。しっかりと頼むぞ』
 津田幹雄は返事をせずに通信を切断した。椅子から立ち上がりながら、吐き捨てるように言う。
「馬鹿が……」
 そして、壇から降りてくると、指先で眼鏡の角度を整えながら言った。
「松田君、例の準備は出来ているな。奥野大臣の先程の調子では、やはり国防軍は当てにならん。我々で結果を出すぞ」
 松田千春は首を縦に振った。
「はい。構造もプログラムも、全て従来どおりに戻してあります。到達時間の設定も、ご指示の通りに。搭乗者が気付くことは無いと思われます」
 津田幹雄は松田に向けて人差し指を振りながら言った。
「そうだ、それでいいんだ。とにかく、田爪瑠香を過去に送ってしまえば解決なんだ。遠い過去にな。この世界の時間軸上に戻って来ることはない。それで全て解決だ。――まったく、新兵のパイロットの練習機を使うだと? 聞いて呆れるよ。そんなことで責任逃れを画策している場合かね、まったく」
 津田幹雄は強く舌打ちした。松田千春と佐藤雪子が黙って頷く。
 津田幹雄は窓の方に顔を向けた。
 タイムマシンの巨大な発射管が朝日を照り返していた。
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