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2.魔法使いの家

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「と、言うわけで」
「どういうわけですか……」

 自らを大魔王と名乗った謎の少女ファノマは、ルルナの困惑にも構わず、言葉を続けようとする。
 その準備とでも言わんばかりに、彼女は腰を大袈裟に反らすと、スウゥ、と息を大きく吸い込み、吸い込んだ空気と共に、言葉を一挙に吐き出した。

「ルルナよ、我が臣下になれ! いや、なるべきだ! というかもう臣下だな!? おお?」

「……はい?」

 余りのやかましさと突拍子の無さに、ルルナは理解が追い付かなかった。
 首を傾けたまま完全に固まってしまっているルルナを見て、ファノマは慌てたように言葉を続ける。

「い、いや、あれだ、うん。ルルナよ、我はお前の才能に気付いておる。他の連中がなんと言おうと、この我だけはな」

「他の連中って……」

「そう、黒なんとかかんとかの連中」

 ファノマは急にしたり顔になり、ニッと笑う。
 そのわりには黒しか合っていないが……間違いなく黒き旋風のことだろう。
 なぜ彼らの事を知っているのか? そう問いかけてしまうと、なぜだか掌の上で踊らされているような気がしたので、ルルナは別の事を聞くことにした。

「でも、アレスさんはギルドに正式に認められたSランク冒険者です。相当な功績と実力がなければSランクにはなれないし、他の4人もAランク以上……間違いなく最強クラスのパーティーに、私は捨てられたのに……」

「馬鹿を言え。あんなしょっぱい連中がSランクなら、我はSSSランクだ」

 ガハハ、と豪快に笑うファノマを見て、ルルナはさらに困惑を深めた。
 だが同時に、この少女の無茶苦茶さがどこか眩しく見え、何故だか安心を感じている自分に気付いた。

「では教えてやろう、ルルナ。頭の中に、強く光をイメージしろ。そして、“ティレ”、そう唱えるのだ」

「な、なんですかそれ。私、光魔法は全然勉強してないのですが……」
「いいからいいから」

 ……少々疑りながらも、言われた通り、ルルナは頭の中で光を強くイメージする。そして、周囲に渦巻く魔力の流れと、光を司る精霊達の声に耳を傾けようとした。しかし、その様子を見たファノマは慌てた様子で叫んだ。

「ストップ!」
「へ?」
「精霊はイメージするな」

 ファノマの言葉が、ルルナには理解できなかった。
 何故なら魔法とは通常、周囲に渦巻く魔力と、属性ごとの精霊達の力を借りなければ行使できない、とされていたからだ。
 大気中に流れる魔力は場所にもよるが、基本的には微弱なもの。より強力な魔法を用いるのならば、精霊との対話は魔法使いにとって必須と言える。

 人体にも魔力は流れ、定期的に生成されてはいるのだが、人間が元々持つ魔力を使い過ぎると術者自身の生命にも危険が及ぶというのは常識であり、そんなことができる人間は本当に一握り。並の術師が精霊の力を借りずに魔法を使うなど、自殺行為に等しいものなのだ。

 だが、ファノマはこうも続ける。

「体内の魔力や、精霊や大気中の魔力、それらを全部忘れろ」
「ど、どういうことですか!?」

 余りに無茶な要求であった。
 それでは、どうやって魔力を取り出せば良いのか……ルルナがそう思うのは、無理からぬことだ。
 それでも、彼女を強く信じ、訴えかけるような瞳で見つめるファノマの姿に、ルルナは何かを感じ取り、敢えてそれ以上聞くのをやめた。

「……わかりました、やってみます」

 そして、再びイメージする。
 すると不思議なことに、ルルナの頭にはすんなりと、ごく自然に、それが映像として流れ込んできた。
 今この世界に在る魔力よりも、もっと深い深い魔力の源。
 始まりの時に溢れだし、天地を悉く多い尽くしたであろう、原初の光。
 ルルナは決して、その答えや、それらの光景を知っていたわけではない。
 ただ、ファノマの意思に応えてみようと強く思ったことから、彼女の心にそれは現れたのだ。

「ティレ」

 一言、ルルナがそう紡ぐと、周囲は眩いばかりの光に包まれた。
 それは地を越え、空を貫き、沈みかけようとしている陽の光よりも強く、二人の間を駆け抜ける。
 光は、暫くの間輝き続けたが、やがてゆっくりと収束し、沈み込むように消えた。

 未だ戸惑いを隠せないルルナに、ファノマは正しく満面の笑みを浮かべ、今日一番の大声で叫んだ。

「な!! 言ったであろう!!」
「なにがなんだか……」

 そう言いつつも、ルルナの顔には、僅かに笑みが戻りつつあった。
 暫く、ファノマはニコニコしたままルルナの頭を撫でていたが、思い出したように冷静になると、ようやくあの奇怪な術についての説明をした。

「ティレというのはだな、呪文ではなく、呪言だ」
「ジュゴン?」
「お前、絶対違うものをイメージしただろ。そうじゃない。呪言とはつまり、ルーン魔法のことだ」

 ルーン魔法とは、この世界においては既に廃れた魔法技術の1つである。
 それぞれに魔力が込められた20もの特殊な文字、“ルーン文字”を言霊として用いる魔法で、その魔力を借りることにより、術者は精霊に頼らずとも、より強力な魔法を自らの意思1つで操ることができるのだ。
 だが、この技術を用いることのできる人間はごく限られており、それ故に現代の魔法使いからは忘れ去られていった。

「ティレとは、ルーンにおいて光の意。ルーン魔法は本来複数のルーンを組み合わせるものだが、お前の能力ならティレだけであれほどの光だ。正直驚いたぞ」

 ルルナは、自らの可能性を知って、自分自身の奥底から、何かが込み上げてくるのを感じた。
 それは、或いは戸惑い、或いは歓喜……
 けれども幸いにして、最も強い思いが何だか、彼女自信はっきりと気づいていた。

「ファノマさん、私」
「んん~?」

「私、修行したいです! 弟子にしてください!」

 ファノマは今時珍しいくらいに、盛大にずっこけた。
 だが、ルルナはどうやら大真面目らしい。

「私、パーティーに捨てられて、才能が無いのかと思っていました。でも、あったんですよね!」

「うんうん」

「だから! もっと魔法を極めたい! ファノマさん、弟子にしてください!」

「いや、なんでそうなる!?」

 予想外の展開に困惑しながらも、このよくわからない状況をどう好転させるか、ファノマは必死に考えた。
 実は、ファノマは魔法に関してそれほど明るくはない。なぜなら、先ほどまで語っていた彼女の知識は、古い友人から聞き齧った程度のものに過ぎないからだ。
 ……そのことを思い出し、ファノマは閃いた。

「わかった! ではこうしよう。魔法に関して、我より詳しい者がいる。魔法の事はそいつに聞け」

「そ、そんな人いるんですか?」

「ああ。我の知る限り、最高の魔法使いよ!」

「でも、折角だからファノマさんに教わりたいんですが……」

 その言葉に、ファノマは少し嬉しくなりながらも、邪念を振り払って説得を続けた。

「我より、そいつの方が魔法には詳しい。少々変わり者だが……まぁ、我の頼みなら奴も聞くだろう。で、だ」

「なんですか?」

 ファノマはニヤリと笑い、わざとらしく咳払いをする。そして改めて、ようやく本題に戻った。

「そいつに魔法を教わって、最強の魔法使いになったら、その時こそ我が臣下になれ!」

「あ、ああ、なるほど……そういうことですか……」

 ……しばし悩んだ後、ルルナはファノマをしっかりと見据え、力強く答えた。

「その人に会ってから決めさせてください!」

 ファノマは再びずっこけた。
 だが確かに本人に会ってみないことには、安易に条件を飲むこともできないだろうと思ったので、ルルナを連れ、件の魔法使いに会いに行くことにした。

 魔法使いは、ローレント王国の近辺にある、グルムゲルゲの森という妙な名前の森に居を構えているという。
 丁度現在地は、ローレント王国領、ゼーン砦西の平原。歩いてもそう遠くはない距離だ。
 しかしファノマは、転移石という、指定された場所へとすぐさま転移できる魔道具を持っていた。どうやらそれを使用すれば、すぐに現地へと向かうことができるらしい。

 それらのことを説明されると、ルルナは納得したように静かに頷く。
 それからふと振り返り、西の方角を見た。
 この地を離れる前にルルナは、今もアレス達が居るであろうゼーン砦の方角、自分が逃げてきた道を見つめながら、決意を新たにした。

(私は、強くなりたい。ううん、強くなるんだ。絶対に!)

「よし、転移するぞ」
「はい!」

「着いたぞ」
「もうですか!?」

 転移は一瞬で済み、その余りの簡単さに、ルルナは拍子抜けしてしまった。
 着いた先は、森の奥深くに隠れるようにひっそりと建つ、小さな家の前。
 屋根はまるで、キノコのかさのような丸みを帯びた造形で、壁は僅かに苔むしている。
 そして、家の周囲数本の木々だけが、葉を鮮やかな紅に染めていた。

「すごい……」
「どうだ、いかにもな雰囲気だろう? 住んでる奴もいかにもな感じだぞ」

 そう言うと、ファノマはルルナの手を取り、家のすぐ前まで先導すると、扉を乱暴に蹴り開けた。

「おーい、じじい! 遊びに来たぞーっ!」

「うるさいのぅ……ファノマか? 全く……よっこらしょ……」

 散らかった部屋の奥底から、うっすらと、嗄れた声が聞こえてきた。
 それにしても、この家の中は異様に広い。外から見たときはまるで小屋のようだったのに、中に入ってみると、どうしたことか、まるで富豪の別荘のような広さだ。
 だが至るところに、何かを記した紙束や、カラフルな石ころ、謎の液体が入ったビンなど、どう見てもがらくたにしか見えない様々なものが散乱、或いは山のように積み上がり、足の踏み場もない。

 そんな広く乱雑な部屋の奥底から、がらくたの山を掻き分け、ようやくにして、声の主は姿を現した。
 年の頃は七、八十程、くたびれた三角帽子と、丈の長いローブを纏う、好好爺然とした老人である。
 伸びきった白い髭は、同じく真っ白い髪と同化し、境目がわからない。

「まったくドアはゆっくり開けて、大きい声を出すなと言っておるじゃろ。いつも……」
「悪い悪い!」

 老人はファノマをいぶかしむようにしばらく見つめた後、ようやく、ルルナの存在に気付いたようだ。

「ん、その子は誰じゃ?」

「そうそう、紹介しよう、我が臣下のルルナだ。天才だよ」

「どうも、ルルナです。ファノマさんの臣下……ではないんですけどね……」

 ぺこり、とルルナは頭を下げる。
 すると老人は驚いたような顔をして、ファノマに問いかけた。

「ファノマよ、お主、またとんでもない子を連れてきたな!」
「えっ!?」

 驚いたのは、ルルナである。
 とんでもないとは、どういう意味か……
 何を言われるのかと、恐る恐る待っていると、老人はルルナの方に向き直り、こう言い放つ。

「ルルナとやら。お前さんは天才じゃよ。ホントに」

「そ、そうなんですか」

「だーかーら、そう言ってるだろうが! その話はとっくに終わってるんだクソじじい! 早く本題に移らせろ!」
「なんじゃと、このクソガキが!」
「クソガキだと!? ふざけるな! 我がどれだけ永く生きてると思っている!? 我の方が貴様より遥かに歳上だ! つまり、クソガキは貴様だ!」
「そうかそうか、すまなかったのう、婆さん」
「てんめええええ! 表出ろ! ぶっ殺す!」

「や、やめてください!」

 ルルナの叫びに、二人は鳩が豆鉄砲を食らったような表情で固まった。

「あ、ごめんなさい」

「……あ、いや、謝るのはわしらの方じゃ。すまなかった」

「うむ、わかればいいのだ。じじいよ」

 老人はファノマを無視し、改めてルルナを見つめる。
 そして、ようやく自らの名を名乗った。

「わしは、ノドロ。まー、有り体に言ってしまえば、大賢者とか、大魔術師とかじゃな」
「変な名前のじじいだろ」

 ファノマを完全に無視し、老人、ノドロは言葉を続ける。

「えーっと、お前さん、見たところ天才じゃが、まだ殆ど才能が眠ったままじゃな?」

「えっと、天才……かどうかはともかく、まだまだ未熟者です」

 ノドロはしばらく悩むような仕草を見せたと思うと、辺りのがらくたを蹴飛ばしながら、周囲をうろうろと歩き回る。
 一分程経って今度はファノマが苛立ち始めたところで、ようやくノドロは口を開いた。

「よし、お前さん、わしの弟子にならんか?」
「だーかーらー! それを頼みに来たんだよ!!」
「え、そうじゃったの?」

 ノドロが確認するように、ルルナの方を向くと、彼女は小さく頷いた。

「なーんじゃ、早く言わんかいそれを」

「だから本題に入らせろと言ったのに。それよりもだ、選ぶのはお前ではないのだぞ、じじい。ルルナよ、どうだ? このじじいは? 気に入ったか? 嫌なら嫌と言っても良いのだぞ?」

「ノドロさん、私を弟子にしてください」

 すっかり保護者気分のファノマをよそに、ルルナは意外なほどあっさり答える。

「私、自分に才能があるなんて言われても、まだよく実感できないけど……もしそれが本当なら、試してみたいんです。お願いします」

「フォッフォッ、大丈夫じゃ。わしの弟子になるからには、大船に乗った気持ちでいると良いぞ」

「くそっ、何故か羨ましい。やっぱり無理してでも師匠になればよかったかもな……」

 当初の予定通りだというのにファノマは少々不服そうだが、とにかく、無事にノドロとルルナは師弟となった。
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