惑わし

玉城真紀

文字の大きさ
上 下
30 / 32

豹変

しおりを挟む
飯野と佐竹が「縄」を挟み撃ちにする状態で捕まえようとするが、相手もさるもの。するりと飯野と佐竹の手から逃げてしまう。それでも二人は諦めずに追いかける。
「くまぁ!今度は左だ!」
「おう!」
「おしい!次行くぞ!」
「おう!」
「今度は下と見せかけて上を狙え!」
「お?おう!」
たまに作戦がだだ洩れな時があるが、二人が意思を一つにし同じ目的に向かって協力しながら捕まえに行っている事は、傍から見ている俺にも分かる。
そしてついにその時が来た。
もう何十周と回った町の中で、飯野が「縄」の端っこを掴んだのだ。
「よっしゃー!」
日引を除いた俺達は全員で声を出した。
「縄」の端っこを掴んでいる飯野も嬉しさのあまり、暴れる「縄」をブンブンと振り回しながら
「やったー!捕まえた!捕まえた!」
と喜び勇んで俺達の所へ走って来る。
俺達も笑顔で、こちらに走って来る飯野を迎えようとしていた。

その時だ。
突然、走っていた飯野の足がゆっくりとなり仕舞には立ち止まってしまった。何故立ち止まったのか分からなかった俺と水島は顔を見合わせ、また飯野を見る。
飯野は、「縄」を右手に持ったまま動かない。先程まで暴れていた「縄」もだらりと垂れている。
「おい。どうしたんだ?アイツ」
「さあ」
俺達は分からず、飯野のもとへ行こうとした。
「じっとしてな」
今まで、静かに何かを唱え鈴をゆっくりと鳴らしていた日引が俺達に言った。
「え?」
何が起こったのか、これから何が起こるのか分からず俺は日引の言う通りその場でじっと動かないでいた。
すると、先程まで立ち尽くすだけだった飯野が突然顔を空に向け獣のような咆哮をあげる。
その瞬間俺の体に、ビリビリとまるで電気を含んだ風を受けているかのような衝撃が来た。
「随分と吸ったようだね」
日引が言う。
俺はもう喋ることも出来ない。数メートル離れた所にいる飯野は、俺の知っている飯野ではないという事だけが分かるだけだ。
隣にいる水島は体を小刻みに震えさせている。
チリ・・・・・・ン
飯野は、手にしていた「縄」をもう片方の手にグルグルと巻き付けた。
そしてゆっくりとこちらを見る。
あの人懐っこく可愛らしい顔立ちをしていた飯野は何処にもいなかった。今俺達に向けられた顔は、眼が真ん丸で黒目もなく全て真っ赤。口は長い牙が生えよだれが垂れている。
顔に刻まれた皺が深くなり明らかにこちらを威嚇しているように見えた。
腹に響くような低いうなり声をあげゆっくりとこちらに近づいてくる。
チリ・・・・・・ン
飯野はどうしちまったんだ・・「縄」は・・・
飯野の恐ろしい姿を目の前にした俺の思考は殆ど使い物にならなかった。
「熊っち。行きな」
日引が言った。
そうだ。佐竹がいた。
飯野にばかり気を取られていたが、佐竹は何処にいるのか。
すると、こちらに歩いてくる飯野の後ろがやけに暗くなったのに気が付いた。
雲が太陽を隠したかのように黒々とした暗闇が飯野の背後に広がる。
(こんな時に天気が悪くなったのか?)
そうではなかった。
その黒々とした暗闇は佐竹だった。これまでの佐竹も体は大きかったが、今飯野の背後に立つ佐竹はその何十倍もの大きさだった。余りにも大きくて分からなかったが、よく見ると熊の形をしている。その熊の形をした暗闇が両手を上げ今まさに飯野に覆いかぶさろうとしている。
チリ・・・・・ン
自分の後ろから大きなものが来ている事に気が付いた飯野は、咄嗟に後ろを振り向くが遅かった。気がついた時には、飯野の姿は佐竹の大きな暗闇の下になっている。
その瞬間、物凄い風が起こった。
経験した事のない風。足を踏ん張っていても飛ばされてしまいそうな風。俺と水島は、地面に這いつくばりその風をやり過ごす。
(な、なんだこの風は。佐竹が飯野に覆いかぶさった事で起きた風なのか?)
飯野たちの方を見たくても、風が強すぎて目を開ける事はおろか息も出来ない。俺は顔を地面にこすりつけるようにして風がやむのを待った。
チリ・・・・・ン
(それにしてもなんて温かい風なんだ。ぬるいお湯につかっているようなそんな風だ)
強風に耐えながら俺はそんな事を考えていた。考えている間も風はやまず、同時に獣の唸り声が所々聞こえてくる。

風がやんだ。
静かだ。
今まで、風の音と唸り声を聞いていた俺の耳はその静けさに耳が痛くなるほどだった。
俺は顔を上げ飯野たちの方を見た。
黒い大きな塊がある。
俺は隣にいる水島に声を掛ける。
「おい水島。水島!」
しかし、水島からは返事がない。持っていた箱を大事に抱え込んだまま向こうを向いて横になっている。俺は反対側に回り水島を見た。
水島は、泡を吹いて気を失っていた。
「みずっちは大丈夫だよ」
日引がはそう言いながら、飯野たちの方へ歩いて行く。俺も立ち上がりふらつく体で日引の後に続いた。
その大きな黒い塊は、佐竹だった。
人間の姿をした佐竹ではなく。大きなヒグマだった。そのヒグマは大の字でうつぶせに倒れている。
チリ・・・・・ン
「熊っち。よくやったね」
日引がねぎらいの言葉を掛ける。
ヒグマが・・・佐竹が顔を上げ頷くと、ゆっくりと体を起こした。その体の下には小さいニホンザルがいた。飯野だろう。
「猿っちもよく頑張ったね」
飯野は薄目を開けて日引を見ると、手を弱弱しく上げて小さな親指を立てた。
「一体何があったんだ?」
「説明は後でしてあげるよ。まだ終わっていないからね」
そう言うと、日引は倒れている飯野の前に正座をすると自分の口元に人差し指を持って行き何やらブツブツと呟いた。
次に、その人差し指を飯野の額に押し付ける。
「ぎゃっ」
と踏みつぶされたような声を出した飯野は、そのまま気を失ってしまった。
「後は時間をかけてやるしかないね。熊っち。もし大丈夫なようだったら、猿っちを家に運んでおくれ。あ、あそこで伸びているみずっちは後回しでもいいから」
「・・・・・・」
佐竹は長い爪が生えた大きな手で優しく飯野を抱きかかえると、水島の家の方へ歩いて行った。
「終わったのか?」
「まだだよ。時間をかけて解いていかなくちゃいけないからね」
巾着に鈴をしまいながら日引は言った。
「さ、喉が渇いた。早く家に入ってお茶でも・・・ああ、お茶を入れてくれる人があそこで倒れてるんだったね。あんた悪いけど、担いで連れてきてくれないかい?」
そう言うと、さっさと歩いて行ってしまった。
俺は、水島を背負い家まで行くことになってしまった。

水島を抱えようやく家に着いた時、部屋の隅に敷かれた布団に飯野は寝かされていた。まだ猿の姿のままだ。勿論、佐竹もヒグマの姿。佐竹はソファには座らず、布団に寝ている飯野の隣に座っていた。分かっていた事だが、やはりギョッとしてしまう。
水島をソファに寝かせ、俺が日引にお茶を入れる。俺も何か口にしたかった。
お茶を飲んだおかげで落ち着いてきた俺は早速日引に話を聞く。
「さっきのはどういう状態だったんだ?」
「猿っちの上に熊っちが覆いかぶさった所までは分かるね?」
「ああ」
「あの後、猿と熊の攻防が始まったんだよ。「縄」を捕まえた猿っちは「縄」取り込まれたんだ。だから豹変してしまった。それを熊っちが助けようとしたんだよ」
「それで?助けることは出来たんだろ?」
「熊っちは頑張ったけどね・・・・」
そこで日引はお茶を飲み黙った。
それに続いたのが佐竹だった。
「俺が、腕に巻かれた「縄」を取ろうとするのを猿は必死に抵抗してた。唸り声をあげながら。でも、聞こえるんだよ。「ごめん。ごめん」って。必死に抵抗し唸りながら、必死に俺に謝ってた。だから俺言ったんだ。「なにがごめんだ。今外してやる。お前は友達だ。忘れるな」って。猿も頑張ったよ。必死に「縄」が自分の体をむしばんでいくのを食い止めようとしたんだから。
やっと、「縄」が取れた。俺は「やった」と思った。でも、油断はできない。その「縄」を日引さんに渡そうと掴もうとした。その時、「縄」が猿の口の中に入ったんだ。俺はどうすることも出来なかった。俺の大きな手を猿の口の中に入れるわけにもいかない。猿はすぐに吐き出そうとしたが出来なかった。「任せとけ。俺の最強の胃で溶かしてやる」なんて言っていたが、物凄い苦しみ様だった・・・・・そのうち静かになった」
(・・・・・・なんて事だ。「縄」は飯野の腹の中にいるのか)
「じゃ、じゃあ飯野はどうなっちまうんだ?まさか死んじゃうなんてことないよな?」
「それは大丈夫。死ぬ事はない。なんせ元は物だからね」
そうだ。飯野は確か家の欄間のデザインと言っていた。確かに死ぬと言うと事はないかもしれないが・・・
「ただ。これからが大変だね。猿っちの体に入った「縄」の力は一応封じたが早く取り出してやらないと猿っちの体が持たない」
「じゃあ。早く取ってやってくれよ!」
「そうだね。みずっちが起きたら私の家に戻るよ。ここよりもいいからね。その前に、あんただ」
「え?俺?」
「そう。あんたは今魂の状態だ。生きるも死ぬもあんた次第さね」
そうだ。「縄」を捕まえる事でいっぱいだった俺はすっかり忘れていた。
今回、水島の家に来た目的は、アルミホイルを見つけたからだった。
その事を言いに来たんだった。
「結論を出す前に、聞いてもいいか?今回、俺の家にちひろちゃんと川俣が来た。二人共後藤のせいで自殺の続きを実行してしまった。そこまでは分かる。川俣が死んだ時、後藤が家の近くにいた。俺はどうやって後藤が川俣を自殺させたのか気になって家の周りを探ってみた。何かあるんじゃないかと思って。そしたらあった。アルミホイルが。あのアルミホイルは一体何なんだ?何のために木にぶら下げてるんだ?」
「あんたに見せたはずだよ。本当の今の姿を。それは何で見た?」
「あ・・・」
「そう。鏡。後藤はアルミホイルを鏡の代役として選んだのさ」
「でも、俺は鏡を間近で見て自分の姿を見た。あのアルミホイルは家の外にあったんだ。川俣もちひろちゃんもそんな遠くにあるモノで自分の姿なんか見えないだろ?」
「あの「縄」なら大丈夫なんだよ。二人が自殺をしたのは昼間だね。昼間は太陽が出ている。その太陽の光を利用したんだね」
「太陽の光?」
「そう。蔓でぶら下げられたアルミホイルは様々な方向を向き太陽の光を受ける。アルミホイルはその光を反射する。その反射した光を受けたから、二人は自殺をしてしまったんだ。つまり目眩ましだよ。目眩ましは幻惑と言う意味も持っている。いくら気持ちが変わろうと、元々自殺をしに来た二人だ。生きる希望の後ろには常に不安がある」
「という事は、その光で目眩ましにあった二人は不安の幻惑を見せられた・・・という事か」
日引は黙ってうなずいた。
俺は、改めて「縄」が恐ろしいものだと感じた。
川俣は分からないが、ちひろちゃんはもう一度頑張ろうとしていた。そんな子を・・・
人間誰にだって生きていくのに不安がないという事はない。逆に言えば不安だらけだ。仕事や日々の生活、家族。当たり前のように生活している中にも必ず不安はある。その小さな隙間を狙ってまで人の「死」を好む「縄」の、人に対しての怒りや妬み、歪んだ欲を思い知らされる。
「ん・・」
「おや。みずっちが目を覚ましたようだね」
目を覚ました水島は、自分のいる場所と俺達を確認するとソファから飛び起き
「飯野はどうなりました?大丈夫ですか?」
と日引に聞く。
「取り敢えず今は大丈夫。これから家に戻って改めて猿っちを視るよ。時間はかかるけどね」
部屋の隅で布団に寝かされた飯野と、その隣に座る佐竹を見つけた水島は安堵のため息を漏らした。
「さて、私はもう帰るけど、答えは出たかい?」
日引が立ち上がり俺に言った。
「・・・・・・・もう少し考えたい」
「そうかい。じゃあ。これをあんたに渡しておこう」
そう言うと、日引は持っていた巾着から青い鈴を取り出し俺に渡した。
「これは?」
「その鈴は、あんたの気持ちに反応する鈴さ。答えが出た時鈴が鳴る。それまでは、この場所の結界は解けないから安心しな。解けてしまったらあんたの自殺の続きが始まっちまうからね。熊っち。帰るよ。猿っちをそっと連れてきな・・・そうそう。教えてあげなきゃね」
玄関の方へ行きかけていた日引が俺の方へ振り向き話す。
「あんたが木の上に登って「縄」を掴もうとした時に止めてくれたのはちひろだよ」
それだけ言うと日引はサッサと家から出て行ってしまった。
「ちひろちゃんが・・・」
(駄目!)確かにそう聞こえた。
(俺は、「縄」を捕まえる事ばかり考えていたが、それを掴んだらどうなるかまでは考えていなかった・・・そうか・・・ちひろちゃんが・・)
「田中さん・・・」
残された水島は俺の方を悲しそうな顔をして見る。
「なんだ?そんな顔して・・・・お前、俺の息子に似てるんだ。こんな事突然言われても迷惑なだけなんだろうけどな。お前が笑った顔。息子が大きくなったらこんな風になるんだろうなって思ったんだ。だから、そんな顔するな」
「田中さん。俺・・・田中さんがなぜ自殺をしようとしたのか分からないけど・・・偉そうなことは言えないけど・・・生きましょう。俺も生きます」
水島は無理やり笑顔を作り、俺に頭を下げると家から出て行った。


静かになった部屋に俺は一人になった。
この町に来てから、色々な事があった。
水島と出会い。飯野、佐竹、ちひろちゃん、川俣。
ああ。最初の頃の俺の歓迎会。アレは久しぶりに楽しかった。みんなで笑い、飲み、食べる。ちひろちゃんが来た時は焦った。なんせ若い女の子だ。でも・・とてもいい子だった。川俣も、見た目はとっつきにくそうな奴だが話好きな面白い奴だった。
しかし、あの飯野が猿で佐竹が熊とはね。
でも、良かった。喧嘩ばかりしていると聞いていたが、やっぱり友達なんだな。何の因果で日引さんの家に来たのかは知らないが、きっと飯野は助かるだろう。佐竹がついてるんだから。

俺は、ソファに座りながらこれまでの事を考えていた。
この数カ月で起こった事とは思えない程、濃密なあり得ない出来事だった。
恐怖に震え、怒りで震え、悲しみに震えたりもしたが、今思い出すのは関わったみんなの良い所ばかりが思い出される。
俺は、テーブルに置かれた手鏡をそっと手にし自分の姿を見る。

そこには、俺が写っていた。
白髪のぼさぼさな髪。長いひげを蓄えた顔色の悪い俺。

「チリン」

あの青い鈴が鳴った。手の中にある鈴を見るとそこに「喜」と彫られていた。

しおりを挟む

処理中です...