輪(りん)

玉城真紀

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「奥様。奥様」

きぬの囁くような声で目を覚ました。どうやら寝てしまっていたらしい。

「あ、きぬ。ごめんなさい寝てしまったわ」

「お疲れの様子ですが大丈夫ですか?」

「ええ大丈夫よ。あの場所に行ったら疲れなんてなくなってしまうわ」

母親は身支度を整えながら笑顔で話す。確かにここの所体調が思わしくない。休んでいるはずなのに体のだるさが取れない。
双子の事もあり精神的なものだろうと思うようにしている。母親はきぬを連れ小屋へ向かいながら

「きぬ。もしも私に何かあった時は二人を貴方にお願いしてもいいかしら?」

きぬは驚き立ち止まると

「え⁈突然何を言い出すのですか?奥様に何かあるって、何があるというのです?」

「別に何もないけど、これからの事は誰にも分からないでしょ?特にあの子達はあのお面が外れずにあんな小屋に入れられているし、他の家の者達なんか来やしない。父親でさえもね。だからなんとなくそう思ったの」

「そうですか」

きぬは寂しそうに俯いた。

「フフフ。ごめんなさい。これからいい所へ行くのに水を差すようなことを言ってしまって」

「いえ大丈夫です。分かりました」

「有難う」

二人はまた小屋に向かい歩きだした。
小屋に着くと中から話声が聞こえる。またいつもの二人にしか分からない言葉

「これこれ」
「あれあれ」

と話しているが、声からして楽しそうだ。
母親は音が出ないよう慎重に戸を開けた。暗闇の中衣擦れの音だけが聞こえてくる。

「チヨ、ハル。起きてる?」

小声で声を掛けるとすぐに

「起きてるよ」
「起きてるよ」

と返事があった。

「行きましょう」

四人でゆっくりと小屋から離れ裏木戸の方へ回る。一番緊張する時だ。裏木戸に行く方向には女中部屋がある。暗闇の中音をたてず、自分の足を置く場所を選びながら歩くのは容易ではない。それでも何とか無事家を出る事が出来ると

「はぁ~」

皆大きなため息をつく。
呼吸音でさえも見つかってしまうのではと緊張しながら歩いてくるので、ここでようやく一息つくのだ。

「良かった。さ、行きましょう」

家を出ればこちらのもの。足取りも軽く丘の方へと歩き出す。今日も空には大きな月がぽかりと浮かんでいる。

「ねえお母さん」

チヨが話しかけてきた。

「なあに?」

「私達が出かける時って、必ずお月様が大きいよね」

母親は空に浮かぶ月を見て

「そうね。私達の足元を照らすために大きくなってくれているのかもね」

「うん」


ハルも母親の腕の中で上を見て

「大きな月だね」

「そうね」

ちゃんとお月さまは見ていてくれているのね。この子達の境遇を。だからいつも出掛ける時は明かりが必要じゃないくらいに照らしてくれているんだわ。と母親は、何か大きな味方を付けたような気がして嬉しかった。

ようやく丘に着き、ここに来るのが二度目の子供達はきぬの手を引き場所を案内し始める。

「ここに楠があるでしょ?」
「ここには小川があるのよ」
「こっちに来て見て!ほら村が全部見れるのよ!」

子供達も嬉しいのだろう。きぬの手を引き、さほど大きくないこの丘の上を縦横無尽に動き回りながら案内をしている。その度に、驚いた蛍たちが一斉に飛び立つ。

「うわぁ~!」

きぬは目をキラキラ輝かせながらその光景を見た。

「ね、凄いでしょ?」
「ね、凄いでしょ?」

まるで自分が作り出したかのように二人は自慢している。

「・・・泣いてるの?」

チヨが不思議そうにきぬに言った。きぬは知らぬうちにポロポロと涙を流していた。

「あ、とても綺麗で感動しちゃったのかもしれません」

きぬは恥ずかしそうに涙をふく。

「フフフ」

母親はいつもの位置。楠に寄りかかり身を任せながら三人を見ていた。
三人はかくれんぼ、鬼ごっこと思う存分楽しみ、最後は静かに、蛍の光で作られた幻想的な光景を見ていた。

「もうそろそろ帰りましょうか」

「え~」
「え~」
「え~」

三人そろって言ったので思わず吹き出してしまった母親は

「また来れるから大丈夫。怪しまれてはもう来れなくなってしまうのよ?」

そう言われた三人は渋々家路についた。


無事小屋に着き二人を寝かせた後、母親ときぬは母親の自室にいた。

「奥様。私とても感動しました。産まれて初めてです。あんなに素晴らしいものを見たのは」

きぬは興奮が納まらない様子で言った。

「そう。良かった。また行きましょうね」

母親はきぬにやさしく笑いかけながら言うと

「ごめんなさいね。私疲れてしまって・・・・・・」

布団の中に体を入れる。

「あ、申し訳ありません気がつきませんで。何かお飲み物持ってきましょうか?」

慌ててきぬは立ち上がり台所の方へ行こうとした。

「いいえ大丈夫よ。すぐに寝てしまいそうだから。あなたも部屋に戻る時、気を付けてね」

「はい。おやすみなさい」

ぺこりと頭を下げると、きぬは女中部屋へと戻って行った。
母親は横になると、とても深い眠りについた。とても深い・・・・・・





「お母さんは?」
「お母さんは?」

ここの所ずっと食事のお膳を持ってくるのが母親ではなくきぬが持ってくるのを不審に思った二人はきぬに詰め寄った。

初めのうちは誤魔化せたものの、もう限界だ。きぬは目から大粒の涙をこぼしながら

「奥様は・・・・・・奥様は・・・・・・遠い所へお出かけになられました」

きぬはそう言うのが精一杯だった。

「お出かけ?どこへ?」
「どこへ?」

「遠い所です」

「何できぬは泣いてるの?」
「泣いてるの?」

「・・・・・・」

きぬは二人の顔を見ることが出来なかった。

「お母さんも私達の事嫌いなの?」

チヨがぼそりと言う。その声はとても低く、本当にチヨが発したのかと疑うような声だった。

「そっそんな事は決してありません!」

きぬは驚きチヨを見た。

「‼」

きぬはどきりとした。チヨの付けている般若の面が一瞬怒っているように見えたからだ。

「じゃあ。何でいつまでたっても来ないの?お出かけしてるなんて嘘でしょ?」

「・・・・・・嘘じゃありません」

声が小さくなってしまう。

「じゃあどこへ行ったの?行き先が言えないなんておかしい!」

「・・・・・・あの場所です」

「あの場所・・・・・・あっあの丘に行ってるの?ずるい!」
「ずるい!」

「・・・・・・失礼します」

きぬはいたたまれなくなり、飛び出すようにして小屋を出た。そのまま台所に行ったきぬは洗い物をしながらあの時の事を思い出していた。
あの丘に行った次の日から奥様の体調は悪化していった。

嘔吐や下痢などを繰り返し起き上がるのも困難になっていった。日に日にやせ細っていく奥様を看病していたきぬは医者に診てもらったほうがいいと何度も言ったが、奥様は頑なにそれを拒んだ。

そしてきぬが女中部屋に戻る夜、毎回奥様は「あの子達の事をお願いしますね」と言って眠りについていた。そして何日か経った朝。いつものようにきぬは、食事が乗ったお膳を持ち奥様の部屋に行った。

殆ど食事が取れない状態ではあったのだが、少しでも口に出来ればと柔らかい粥状にしたものを持って行っていたのだ。



「奥様。おはようございます。お体の具合はどうですか?」

声を掛けながら襖を開けるが、何も反応がない。いつもは返事はなくとも体が動くのだ。

「?・・・・・・失礼します」

きぬは布団に近づいて行った。

「‼奥様!」

一目見て異常な事だと分かった。奥様は口元からは泡を吹き出しており、顔色は真っ白だ。

「奥様!」

きぬは布団の上から体を揺さぶるが、奥様は起きることなく揺さぶられるがままである。きぬは転がるように主人がいる部屋に行くと

「お、奥様が大変です!」

と叫んだ。

主人は書き物をしていたらしく、きぬのただならぬ様子に一旦手を止め

「どうした⁉」

と聞いた。きぬはつっかえながらも母親の様子を必死に伝え、すぐに医者を呼びに行こうとした。

「きぬ。どこへ行く」

「え、お医者様を」

「いらぬ」

「は?」

「医者はいらぬ」

「で、でも奥様が・・・・・・今日は様子が変で・・・・・・顔も真っ白で」

「大丈夫だ。仕事に戻れ」

「・・・・・・はい」

一体どういうことなのか。不安と訳が分からないまま、きぬはもう一度奥様が寝ている部屋へと行った。
するとそこには、いつの間に来たのか祖父母が母親の布団の横に並んで座っている。

「あ・・・・・・」

言葉が出ず立ち尽くしていると、きぬに気がついた祖母が

「何ですか?何も言わずいきなり部屋に入るとは」

「すみません・・・・・・あの奥様が」

「知っています」

祖母はきぬの最後の言葉に被せるようにぴしゃりと言った。

知っていますって・・・・・・私が最初に知らせたのはご主人様だったのに。

嫌な感じがした。

「何をぼ~ッと突っ立ってるんです?用がないなら出て行きなさい」

「・・・・・・失礼します」

きぬは訳が分からないまま、台所に行くと仕事の続きを始めた。しかし気になって仕方がない。
他の女中の目を盗み、そうっと母親の部屋の方へ行くと中の様子に聞き耳を立てた。話声はするのだがくぐもっていてはっきりとは聞こえない。
きぬは耳に神経を集中させる。

「時間がかかりましたね」

「わずかな量だったから」

「しかし、ここまで」

「小此鬼家の為」

きぬが聞き取れたのはこれだけだった。
その後、人の動く気配がしたので慌てて台所へ戻った。

その日の夕刻。夕飯の支度で慌ただしく女中達が動いている台所へ主人が来た。滅多に台所へ来ない主人が来たことに皆驚き戸惑う。

「皆、家内の座敷に集まってほしい」

とだけ言うと去っていった。

「何?」

「どうしたの?」

「奥様の部屋?」

皆口々に疑問を言ったが、主人の命である。急いでたすきを外し奥様の部屋へと向かった。その女中達の後につくきぬは生きた心地がしなかった。
部屋に入ると、家の者が皆集まっており座敷の真ん中に敷かれた布団を囲むようにして座っている。勿論そこには奥様が寝ている。座敷の隅に女中達全員が座るのを確認した祖母は

「突然の事で私達も驚いていますが、チヨとハルの母親は亡くなりました」

その時の座敷の中の雰囲気はきぬは一生忘れないと思う。普通、人が亡くなったと聞いたら驚き、次に悲しみが来るのではないか。しかしこの時は違った。座敷にいる人達皆が安堵したように感じたのだ。
きぬは体の震えが止まらなかった。この異様な雰囲気のせいも多少あるがそれだけではない。

きぬは気がついてしまったのだ。

チヨとハルのお面が取れなくなってからと言うもの奥様に対して家の者が冷たくなっていった。主人までもが。
家の者の中には、小此鬼家の恥とまで思っていた者もいたかもしれない。しかし、そんな事は奥様は気にしていなかった。常にチヨとハルの幸せだけを願っていただけだった。そんな奥様に・・・・・・

この人が殺したんだ

きぬは女中達の隙間から見える祖母の姿を盗み見た。祖母は眉一つ動かさずすまし顔で姿勢よく座っている。


きぬは思い出していた。

ある日。きぬが奥様の朝ご飯を用意している時、珍しく祖母が台所に来て

「きぬ。チヨとハルはどうですか?母親の方にばかり面倒をかけているのも気が引けるのよ。これ・・知り合いに貰った物なんだけど」

と懐から出したものは紙に包まれたにんにくの様なものだった。

「これは?」

「にんにくですよ。これを毎日の食事に少しづつ入れてあげなさい。にんにくは体にいいですからね。臭いがきついから本当に少しづつですよ。それと、私がこんな事をしたという事は決して人には言わない事。照れ臭いですから。いいですね」

ときぬに渡した。
その時のきぬは感動したものだった。普段、孫と母親に話すことも会う事もしない祖母が母親の体を心配してにんにくを持ってきたのだから。

「有難うございます。奥様もお喜びになると思います!お約束は守ります」

と、顔を上気させお礼を言ったものだ。

その次の日からだ。奥様の体が少しずつすぐれなくなったのは。
きぬは、毎日のチヨとハルの世話や般若の面の事で精神的に疲れているのだろうと、祖母から手渡されたにんにくを少し多めに食事に混ぜて出したりしていた。しかし、元気になるどころか悪くなる一方だった。

(あれは・・・・・・あれはにんにくじゃなかったの?・・・・・・だとしたら、もしあれが別の物で体を壊すようなものだとしたら、私が奥様を殺したようなもの。いいえ。私はにんにくだと思っていた。だってそう言ったもの。私は悪くない。あの人が私を使って奥様を殺したんだ)

座敷では祖母が淡々と今後どうするかを話していたが、きぬの耳に入らなかった。ずっとその事ばかりが頭の中をぐるぐると回っている。

「・・・・・・ぬ・・・・・・きぬ!」

「は、はい!」

祖母が自分を呼んでいたようだ。みんながきぬに注目している。

「こんな時にぼうっとしてるんじゃありません!・・・・・・きぬ。チヨとハルの方はあなたに任せます」

「え?・・・・・・任せるとは?」

「母親が亡くなったんです。その事を伝えてもらいたいの。私が言うよりあなたが言った方がいいでしょ?」

「そんな・・・・・・」

きぬはチヨの顔を思い浮かべた。何て言ったらいいの・・・・・・

その後、小此鬼家は母親の葬儀をしなかった。坊さんも呼ばず、家の者達だけで人目をはばかるように墓に埋葬したのだ。


そして今日までチヨ達に中々言い出せず、誤魔化しながら来たがもう限界だった。
本当の事が言えず、咄嗟にあの丘に行ったなどと嘘をついてしまった。洗い物の手を止めきぬは声を殺して泣いた。






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