未練

玉城真紀

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また・・

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家に着くと、中はシ~ンと静まり返っている。一階に降り台所の電気をつけると、息子が食べた後がそのまま残っていた。
「全く。しょうがないね。水に浸してくれないとご飯なんかすぐに固くなっちゃうんだよ」
ブツブツと文句を言いながら食器を片付け水に浸す。
「洗うのは明日だね」
「おばさん」
「うわ!」
突然呼ばれたのでびっくりして飛び上がってしまった。声をかけてきたのは真理だった。
「しっ!静かに。おばさん心配したよ?こんな時間まで何やってたのよ」
まるで親に叱られた気分だ。高校生のくせして言う事は一丁前である。
「ああ。ごめんごめん。お弁当が見つからなくてね」
「それよりさ、健太君が気になること言ってたのよ」
そうだ。忘れていたが、ここまで遅くなったのは健太の母親と息子の会話を聞き、それについて考えていたから遅くなったのもあったのだ。
「何て言ってたんだい?」
「朝さ、いつも6時ごろいなくなるじゃん。それって自分の家に帰ってるらしいんだけど、それが本人分かってないみたいなの」
「分かってない?」
「うん。いつの間にか家にいたって感じ?で、声が聞こえるんだって」
「何て」
「こわいって聞こえるらしいよ」
「こわい?・・・・・・」
「何だと思う?何がこわいんだろう」
「う~ん。分からないね。実はさ。公園で弁当を探してる時に、息子と健太の母親が来たんだよ。話してるのが聞こえちゃったんだけどね」
「嘘ばっかり。どうせ、目の前に座って聞いてたんでしょ?」
何で分かるんだ?
「まあまあ。で、その話って言うのがね。健太の母親がいつも朝健太の声が聞こえるらしいんだよ」
「何て?」
「ひと~つ、ふた~つって数を数える声なんだってさ」
「え~!何それ!」
「知らないよ。で、今はみ~っつ。なんだってさ」
「ひえ~」
真理は両腕で自分を抱くようにすると、大げさに震えた。
「その声が聞こえる時間が、どうやら健太が家に行っている時と重なるんだよね」
「健太君の声って言ったんでしょ?じゃあ健太君が言ってるんじゃないの?」
「健太に聞いてみようかね」
「あっ!駄目!」
「なんで」
「健太君には誰にも言わないっていう約束なの。だから、これは私から聞いたって事は内緒にして」
「そういう事かい。分かったよ」
時計を見ると深夜の2時を回っている。私は真理と一緒に二階に上がると自分の部屋に入る。健太は布団の中ですやすやと寝ていた。もう眠れる時間も少ないが取り敢えず横になる。真理は余程寝つきのいい子なんだろう、もう寝息をたてている。私は、今日あった事を思い返していた。
(不思議な事ばかりだね。生きてる時はこんな事なかったのに。死んだ途端に忙しくなったよ。それにしても、内山さんはいったい何だっって言うんだ。第一あの公園に何か用事があったのか。それとも、私がいるから来たのか。それに・・・・・・急に逃げたのは何だったんだか。そして健太の事)
私は考えることが多くてイライラしてきた。
「全く寝られやしない」
私は、起きて一階に行きお弁当の準備に取りかかろうとした。その時、どこから猫の鳴き声が聞こえてきた。
「ん?この鳴き声は・・・・・・」
勝手口を開け、外に出て見るとやはり思った通りだ。クロがこちらを見て行儀良く座っている。暗闇に光る二つの目がキラキラして綺麗だ。
「おや。クロ随分早いね。ちょっと待ってな」
私は、いつものように餌を上げようと餌を取りに行った。勝手口に戻ると、クロはさっき見た時と同じ姿勢で座って待っている。
「はいよ」
私はクロの前に餌を置く。クロは「にゃん」と一声鳴くだけで食べる様子もなく、鍵型の尻尾をメトロノームのように振っているだけだった。
「食べないのかい?」
クロは、私をじっと見るだけで食べようとしない。
「どうしたんだい?具合でも悪いのかい?」
心配になってきた。するとクロはスッと立ち上がり、私の近くに来るとしゃがみ込んでいる私の足に体を摺り寄せてきた。
「おやおや。甘えん坊さんだね」
私は優しく、クロの頭から背中まで撫でてやった。暫くすると、クロは満足したのか「にゃん」と鳴き暗闇の中に消えて行った。
その後、弁当を作っていると息子が起きてきた。フライパンが動いているのを見て
「お袋、昨日はどこに行ってたんだよ」
起きてくるなり怒られたので、私は面白くなく
(ふん。どこだっていいだろ?なんだ。心配だったのかい)
とノートに走り書きをした。それを読んだ息子は
「そんなんじゃないよ。死んだ奴の事心配したってしょうがないだろ?話したいことがあったんだ」
流石にズバリ言われると少し悲しい。
(取り敢えず顔洗ってきな。ご飯食べてる時に聞くから)
息子は言う通りに洗面所の方へ行った。
「全く。心配したってしょうがないって。失礼しちゃう」
その後、公園で息子の前で聞いた知っている話を聞くことになる。
「どう思う?」
口をもぐもぐさせながらしゃべる息子を見ながら
(口に食べ物が入ってるのに・・・・・・こういう所をちゃんとしつけておけばよかった)
と違う事を考えていた。
「お袋?聞いてるのか?」
(ああ。聞いてるよ。数を数えるなんてなんだろうね。健太の母親は何か思い当たることはないんだね?)
「ん~ないんだろうな。あれば俺に相談して来た時に話してると思うよ」
まあそうだろう。
(じゃあ。健太のお祖母ちゃんに聞いてみるってのはどうだい?)
「健太のお祖母ちゃん?どこにいるんだよ。成仏しちゃったろ?」
(お前は本当にアホだね。ちゃんと教えただろ?楠の所に行くって言ってたよって。全く何聞いてたんだか)
「ああそうだ。そうだ。・・・・・・うん。そうだね。健太のお祖母ちゃんの所に行ってみよう。お袋も行くんだよ?」
(は?何で私も?)
「何言ってんだよ。俺一人行っても話すこと出来ないんだぜ?」
そうだった。たまに生者と死者が混ざってしまう。気を付けなければ。
(ああそうだね。いつ行くんだい?)
「早い方がいいと思う。今週末にでも行こうかな。もう俺仕事休めないし」
(そうだ。健太の時に結構な日数休みをもらっていたんだったね)
「うん。じゃ。そういう事でよろしく」
そう言うと、息子は会社に行った。
「あらら。私も言いたいことあったのに・・・・・・後でいいか」
気がつくと、もうすぐ6時になろうとしている。私は急いで二階に上がり自分の部屋に入る。健太は布団の中で眠っていた。
今日は行かないのだろうか。可愛い顔をしてすやすやと眠る健太の顔を側に座りじっと見ていた。
「ん?」
何かおかしい。健太がだんだん薄くなっていくように見える。目を凝らしよ~く見てみる。やはりそうだ。健太がだんだんと透けて行くのだ。しまいにはいなくなってしまい布団のふくらみがぺしゃんと潰れた。
「なんだい?今のは?」
咄嗟に時間を見ると丁度6時。
「なるほどね。多分健太は自分の家の方にいるんだね。これだから健太は、自分がいつの間にか家に行ったって事になるんだ」
私は一階に降りると、健太の帰りを待った。
「ただいま~」
あれから30分程で健太が帰ってきた。
「お帰り。どこに行ってたんだい?」
「内緒」
「ふ~ん。まあいいよ。今日はどこか行きたい所はあるのかい?」
「うん。幼稚園に行きたい」
「分かった。じゃあ今日は幼稚園に行く日だ」
私は健太のお弁当を作ってやり、幼稚園バッグはないので、息子が小さい頃に使っていたバッグに入れてやった。それを見た健太は嬉しそうにバッグを受け取ると家の中を走り回っている。真理も起きてきて、3人で幼稚園に出かけた。
健太は久しぶりの幼稚園なので、スキップをしながら嬉しそうに歩いている。
「ねね。おばさん。健太君に聞いた?」
真理が小声で私に話しかける。
「ん?ああ聞いたよ。でも内緒だってさ」
「そっか~。じゃあ。私に任せて!色々聞きだしとくから」
真理は得意げに鼻息を荒くした。幼稚園が近づくにつれ子供たちの元気な声が聞こえてくる。
「幼稚園だ!」
健太は一目散に走り出すと、幼稚園の中に入って行く。私はその姿を見て凄く心配になった。幼稚園の中では、元気に園児たちが走り回り先生が子供達の世話で右往左往している。
健太は自分のクラスに入ると
「おはよう!」
と元気に挨拶する。もちろん返事はない。それに構わず自分の席に座ろうとするが席がない。健太は先生の所に行き
「先生、僕の机がないよ」
やっぱりだ。健太は頭がいい子だとは思うが、やはり4歳は4歳。死と言うものを自分で受け入れられるはずがない。と言うか、分かっていないと思う。幼稚園に来たことでその現実を突きつけられる事になる。心配した通り、健太はさみしそうに教室を出てきた。教室の中の子供達は、バッグがひとりでに動いている事に気がつく事もなく、楽しそうに騒いでいる。
「健太君・・・・・・」
「帰るのかい?」
「・・・・・・」
(さて、ちょっと酷だったかな。でも、しっかり自分で分かった方がいいんだ。死んだという事を)
健太は何も言わずに、園庭にあるブランコに乗った。小さくブランコを揺らしながら幼稚園の建物を見ている。私達も黙って健太の近くに立った。
「おばさん。みんな僕の事本当にわからないんだね」
「そうだね。おばさんも真理も死んでるから、みんな分からないんだよ」
「死んじゃうと、机がなくなっちゃうんだね」
「そうだね。もういないからね」
私達の会話を、真理は泣きそうな顔で見ている。

「お家帰ろう」
「もういいのかい?」
「・・・・・・うん」
健太は立ち上がると、チラッと教室を見て幼稚園を後にした。トボトボと歩く健太の後ろ姿を見ながら
「健太。せっかくお弁当作ったんだから、お外で食べようか」
健太は振り向くと
「うん」
と少し笑いながら言った。何とも寂し気な笑顔だ。私達は近くの川に行き、土手の所に3人並んで座った。そこは普段ウォーキングや、犬の散歩など様々な人が行きかっているが、ゆったりと時間が過ぎているような場所なので、私が生前好きな場所だった。健太は自分のお弁当を広げると
「いただきま~す」
と、美味しそうに食べ始める。私は、その様子を切ない気持ちで見ていた。真理も同じようで少し目がウルウルしている。少し迷ったが、やはりあの事を聞いてみることにした。
「健太。朝、いつも出掛けているみたいだけどおうちに行ってるんだろ?おばさんは何でも知ってるんだよ」
健太は、おにぎりをほおばりながら、クリクリした目で私を見ると
「本当?」
と言った。
「ああ本当だよ。もうおばあちゃんだからね。なぁんでも知ってるのさ。だから、話してごらん。健太は今日、おうちに行った時なんて聞こえたんだい?」
「・・・・・・こわい」
「こわいって聞こえたんだね?」
「うん」
「ん~こわいかぁ・・・・・・」
健太は私をじっと見ると
「何でも知ってるんでしょ?ねぇ。こわいって何がこわいの?」
「健太の事がこわいんじゃないかい?」
「え?僕が?」
「そうさ。健太は強そうに見えるから、こわいんだよきっと」
「ふ~ん。僕、強そうに見えるの?」
健太は少し嬉しそうに笑った。その横で真理は私を睨む。きっと適当なこと言うなと言いたいんだろう。
「見えるさ。うんと沢山ご飯食べて、遊んでもっと強くなる」
「うん」
健太は嬉しそうに、弁当をかきこむ。その後、食べ終わると川に石を投げたりして遊び始めた。
「おばさん、あんな事言って大丈夫なの?」
「ん~ちょっと無理があったかね。でもさ、今回幼稚園に行って自分の存在がみんなにはないって事を知っただろ?」
「うん」
「現実を少しずつ受け入れていくことで、強くなっていくのさ。だから、あながち間違ってはいないよ。それに・・・・・・」
「それに・・・・・・何?」
「息子が健太のお祖母ちゃんがいる楠の所に行くんだよ今週末。私も一緒にね。何かわかるといいんだけど・・・・・・多分違うものなんだろうね」
「どういう事?」
「分からないけど、多分だよ。多分、健太のお祖母ちゃんとは関係のないものの様な気がするんだよ。だからと言って、これだろうって見当もつかないけどね」
「何それ」
真理は気味が悪いという顔をした。暫く健太の一人遊びを見た後、私達は家に帰った。

週末、私と息子はあの楠の所へ行った。私は初めて行く場所だったがとてもいい所だった。
「久しぶりだねぇ。こんなに自然がいっぱいな所に来るのは。う~ん。空気が美味しいよ」
精一杯伸びをしながら言う。
「お袋いるか?」
(いるよ)
ノートを持参で、息子の隣を歩く。息子は、楠の所に行く前に寄りたい所があるというのでついて行った。廃墟と見間違えそうな家だったが、ガタピシと引き戸を難儀しながら開け
「ごめんください」
と言うと、奥から男が出てきた。
「山中さんだよ」
と息子は小声で教えてくれる。成る程、双子と言うだけあってあのよれよれの着物を着た男そっくりだ。
「また来ました」
そういう息子に、山中さんは嬉しそうに笑うと家の中に招いてくれた。息子は一通り世間話を済ませると
「山中さん。またこんなお話で申し訳ないんですが・・・・・・」
と今回ここに来た目的を話して聞かせた。
「山中さんは何か心当たりありませんか?」
「う~ん。数を数える・・・・・・分からないねぇ。本当にそう聞こえるっていうのかい?」
「ええ。朝、決まった時間に聞こえるそうなんです」
「何だろうね・・・・・・」
山中さんは、しわくちゃな顔を余計しわくちゃにし腕を組み考え込んだ。
「何か、この村に昔から伝わるもので知ってることがあるかなって思ったんですが」
「遊びの中では、数を数えることはあるよ。例えば、かくれんぼなんかもそうだ。それ以外では・・・・・・思い当たらないな」
「そうですか」
私はその間に、息子の後ろでノートに
「健太のお母さんがその声を聞いている時、健太が家に行ってるんだよ。でも、健太が数を数えてるんじゃないそうだ。逆に健太には「こわい」と言う声を聞いてるんだよ。毎日ね」
息子はそのノートを読むと
「は?!なんだよそれ。聞いてないぞ!」
と大きな声を出した。それに驚いた山中さんは目を丸くしていきなり怒鳴った息子を見ている。
「あ・・・・・・すみません。何でもないんです。すみません。あ、あのちょっと楠の所に行ってきます」
ばつが悪くなった息子は、また来ると言い残しいそいそと家を出た。
楠の所に向かう途中
「お袋何だよさっきの!俺。聞いてないぞ」
山中さんの家が見えなくなった所で、息子は立ち止まり怒りだした。
(話す時間がなかったもんだからね)
私は詳しく息子に教える。
「・・・・・いつの間にか行ってる。健太の意志じゃないって事だ。でも、健太の母親は健太の声だって言ってたんだよ。健太が知らないうちに言ってるのかもしれないよな」
(そうだね。それか・・・・・・誰かに言わされてるのかもしれない)
「言わされてる?誰に」
(それをこれから見つけるんだろ?とにかく、健太のお祖母ちゃんがいる楠の所へ行こう)
と息子を急かした。息子は釈然としない顔をしながらも、楠の方へ行く。
「あそこだよ」
息子が教えてくれた場所は、話に聞いていた通りの場所だった。もう使われていない荒れた畑の真ん中に、古いがとても立派な楠があった。
「あら~あららら。こりゃ凄いね」
私は楠のそばまで行くと、上を見上げた。太い幹から四方八方に枝分かれした枝も、幹ではないのかと疑うほど太い。青々とした葉が生い茂っており、キラキラとした日の光が、地面に降り注いでいるが、まるで万華鏡のように地面に映る。
「こんな立派な楠は見た事ないね。樹齢何年だろうね。へぇ~」
感心している時だった。どこからかクスクスと誰かの笑う声がする。私は周りを見て見るが声の主がいない。
「?」
「こっちです」
若い女性の声だ。私は声のする方を見た。木の上の方だ。さっき見た時はいなかったのに、今は若い男女が枝に寄り添いながらチョコンと座っている。どちらも美男美女である。
「・・・・・・健太のお祖母ちゃんかい?」
「フフフ」
女の方が恥ずかしそうに笑う。とても可憐な美しい女性だ。前に見た時より美しくなっているような気がする。
「その節はお世話になりました。あなた達がここに来てくださるとは思いませんでした、・・・・・・・健太に何かありましたか?」
丁寧に挨拶した健太の祖母は少し不安そうな顔で言った。
「そうなんだよ。今健太がうちにいるのは知ってるよね?その健太が毎朝自分の家に行くんだよ。自分の家だから行っても不思議ではないんだけど、それがね・・・・・・」
私は事細かに説明した。真剣に聞いていた健太の祖母は
「そんな事が・・・・・・数を数える・・・・・・この村に数を数える事に関しての言い伝えとか行事、そういうものはなかったと思うけど・・・・・・ねぇ」
隣の若い男に同意を求める。隣の男は健太の祖母の例の想い人だろう。聞かれた男も考えていたが、こくりと頷いた。

「そうかい。じゃあ。・・・・・・あの土地に。健太の家が建つ土地には何かないかい?」
「健太の家の土地・・・・・・さあ。息子が建てた家だし、建ててから私はその家に行ったので、元々家が建つ前に何があったのかは分からないです」
「ふん。その辺りは健太の母親の方に聞いた方がいいのかもしれないね。・・・・・・あんた達幸せそうだね」
私は、ピッタリと寄り添いながら思い出の楠の枝に座る二人を見ながら言った。その時ふと疑問が頭をよぎった。
「ええ。とても幸せです。ようやく誰の目も気にせずにこうやって一緒にいられるんですから」
健太の祖母は、男を見ながら言う。
「ふ~ん。そうだね。昔は大変だったろうね。・・・・・・あのさ」
私が疑問に思っている事を聞こうとした時
「お袋?いるか?健太のお祖母ちゃんいるのか?」
息子が楠の周りをうろうろしながら言ってきた。
(ちょっとまってな)
私はそうノートに走り書きをして見せると、また健太の祖母の方に向き直り
「あのさ。あんた達は願いが叶ったんだろ?じゃあ。何で成仏しないんだい?前に息子が言ってたんだよ。この世に未練がある者は成仏できないけど、未練がなくなったものは成仏出来るってね。私は死んだのは初めてだし、成仏と言うのが本当にあるのかしらないけどさ。それと、あんた達の思い出の場所は景色のいい所なんじゃないかい?ここは違うような気がするけどね」
聞かれた二人はお互いに顔を見合わせるとクスクスと笑い始めた。笑われた私は、少しムッとしたが黙っていた。
「確かにあなたの息子さんの言う通りかもしれません。あなたも知っていると思いますが成仏するためにお寺で経を読んでもらうでしょ?戒名もいただいて。私達、お坊さんに経を読んでいただいてないもの。成仏するはずがないと思うんです。それに、この楠にはちゃんと私達二人にとっての思い出はあります。ね」
そう言って二人で顔を見合わせて笑いあう。とても幸せそうだ。
「ふ~ん。そうかい。あんた達は成仏したいと思うかい?」
「今は思いません。成仏してもこの人と一緒にいられるかわからないから」
「ふんそうかい。まぁ。末永くお幸せに・・・・・・あ。最後にあんたの名前聞いていいかい?もうここに来ることもないだろうし、変な縁だけど知り合いになったわけだからね」
何気なく聞いてしまった。
「私?私はトメです」
「トメさんかい。可愛い名前だね。もうここに来ることもないと思うけど・・・・・・」
その時だ。パンと乾いた音が響いたと思ったら健太の祖母の姿がはじけて消えてしまった。
私は動けなかった。
一体何が起きたのか。これ以上ないぐらいに目と口を開き、健太の祖母が座っていた場所を凝視した。それは隣にいた男も同じだった。頭の中で、屋上から飛び降りる真理の姿が浮かぶ。
(そうだ。あの時も・・・・・・名前を聞いた。そして今もまた・・・・・・)
「あ・・・・・・トメさんは・・・・・・どこに行ったんだい?」
私は、恐る恐る一人枝に座る男に聞いた。男は私の言葉が耳に届いていないようで、驚いた表情のままトメがいた場所を見て固まっている。私は身の置き場がなくなり、ノートに
(もう話は聞いたから帰る)
と書いた。それを読んだ息子は、納得したように頷くと元来た道を引き返す。私は、息子の後を追い逃げるように早足で歩いた。背中に強い視線を感じたが、怖くて振り向けなかった。途中、山中さんの家に寄ろうとする息子を引き留め真っ直ぐ帰った。
バス停でバスを待っている間
「お袋、どんな話だったんだ?」
(健太のお祖母ちゃんは知らないってさ)
少し手が震えているので字が変になってしまっている。しかし、息子はソレに気がつかず
「そうかぁ。何なんだろうな。「こわい」と数を数えるだろ?何か共通点があるのか?」
息子は考えている。そんな息子を見ながら、私の頭の中はさっきの事でいっぱいだった。
私が名前を聞くと生きてる者は死に、死んでる者は弾けていなくなる。なんで・・・・・・
息子に相談したかったが、今は無理だろう。頭の中は健太の事でいっぱいだろうから。私はとりあえず、一つ一つ解決していくしかない。目先の事は健太の事だ。私は無理やり頭を切り替えるためノートに
(あんたが、健太の家に泊まらせてもらうなりして、母親が聞いたという声を一度聞いてごらんよ。話で聞くのと、実際聞くのとでは違うし何かわかるものもあるかもしれない。私は健太と一緒にいるようにする。健太も声を聞いてるんだからね)
「なるほど。そうだな、健太のお母さんに連絡してみるよ」
その後、家に帰った息子はすぐに健太の母親に連絡し、すぐに実行する事となった。

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