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3章
3-8
*
「ここなんてどう?」
「いや、先程の部屋の方が良かった気がするが……うーん」
ソフォラを真ん中にして、二人が真剣に悩む。
「どこも素敵で……選べません」
「「うーーん……」」
さらに頭を抱える二人。
その様子を、家令のカプトが穏やかに見守りながら、くすりと笑った。
「ソフォラ様のおかげで、この邸にも春が訪れましたな」
柔らかな声音のまま、カプトはゆっくりと頭を下げた。
その動作は静かで、どこか年老いた体を労わるような慎重さがあった。
「ソフォラ様……」
一度言葉を切り、小さく息を吐く。
「私の目が、届いておりませんでした」
責めるでも、取り繕うでもない。
ただ事実を置くような声音だった。
「この邸を預かる者として、本来であれば――もっと早く、気づけたはずでございます」
握りしめられた手が、わずかに震える。
「ほんの少しでも、違和に目を向けておれば……ソフォラ様があのような思いをなさる前に、止められたやもしれません」
深く、さらに頭を下げる。
「老いを言い訳にするつもりはございません。ただ……気づけなかった己が、情けのうございます」
声は穏やかなままだが、その奥に沈む悔いは深い。
「謝罪で済むことではないと承知しております。ですが、それでも……お詫びを申し上げたく」
長年この邸を支えてきた男の謝罪は、ただの言葉ではなかった。
その背に積もる年月と責任の重さが、ソフォラにも伝わる。
「カプトは……僕がどんな扱いを受けていたか、知っていましたか?」
静かに問う。
カプトは頭を下げたまま、はっきりと答えた。
「……把握しておりませんでした。ゆえに、この失態は弁解の余地もございません」
「カプト……顔を上げてください」
ゆっくりと顔を上げるカプト。垂れた眉が、さらに深く落ちている。
「僕は、カプトに怒っていません。……僕のこと、嫌いですか?」
その問いに、カプトの表情がわずかに歪む。
「いいえ。ウンベラータ様を思わせるソフォラ様を、嫌うはずがございません」
目尻にうっすらと涙を溜めながら、続ける。
「本当は……もっと早く、お話ししたかったのです。幼い頃から存じ上げておりますゆえ……孫のように、愛おしく思っておりました」
ソフォラは一歩、カプトへ近づく。
それに応えるように、カプトは自然に両膝をついた。
「……お母様のことも、大切に思ってくださって、ありがとうございます」
おずおずと差し出した両手を、カプトが優しく包み込む。
「これから、お世話になります。仲良くしてください、爺や」
ふわりと笑うソフォラ。
その一言に、カプトの目が見開かれ――次の瞬間、深い皺を刻んで笑った。
「……ええ、ええ。もちろんでございますとも」
声は穏やかだが、その奥に滲む感情は深い。
「なんとお可愛らしい……。当主様やティペス様とは違い、ウンベラータ様によう似ておられる……」
今にも泣き出しそうなほどの喜びを滲ませるカプトに、ソフォラもつられて笑みをこぼす。
(嬉しいな……でも、やっぱり少しだけ、みんな変わってる)
「カプトがここまで甘くなるのは、母上とソフォラくらいだな」
「……“魔城の悪魔”と呼ばれるあのカプトをな」
少し離れた場所で、トネリコとティペスが小声で話す。
「ソフォラ様は猛獣使いですね」
「やめろ、あとで本気で怒られるぞ」
パキプスの呟きを、サンセベリアが慌てて制した。
「ソフォラ様。もしよろしければ、この爺やめに、お勧めしたいお部屋がございますが……いかがなさいますか?」
「本当? じゃあ、お願いしてもいい?」
「ええ、お任せくださいませ」
―――
案内された部屋は、トネリコやティペスの部屋とは反対側にあった。
「……カプト、なぜ俺たちから離す」
「ふぉふぉ……ティペス様。後ほど感謝なさることになります」
にやりと笑うカプト。
穏やかな笑みのはずなのに、なぜか逆らえない圧がある。
「私も遠いのは不満だが……」
「旦那様、少しは我慢なさいませ」
ぴしゃり、と柔らかく言い切る。
「……わかった。案内しろ」
(爺やって……すごい)
「こちらでございます、ソフォラ様」
扉が開く。
「わぁ……」
クリーム色とアップルグリーンを基調とした、温かみのある部屋。
家具も落ち着いた雰囲気で統一されている。
窓を開けると、庭が見え――その先に、先ほどの部屋も見えた。
「お父様とお兄様の部屋が見えます」
「この部屋は、かつて奥様がお泊まりになられていたお部屋でございます」
「お母様が……?」
「ええ。ご結婚前は同室を避けつつも、旦那様のお顔が見える場所をと望まれまして」
その話に、邸の印象が少し変わる。
冷たい城のような場所にも、確かに温もりがあったのだと。
だが同時に――
(その二人を、引き裂いたのは……)
ソフォラの視線が落ちる。
「……この部屋、僕には……」
「何を仰いますか」
静かだが、有無を言わせぬ声。
カプトは再び膝をつき、視線を合わせる。
「ソフォラ様は、愛されております。その証が――そこにございます」
指さされた先には、鏡。
そこに映るのは、黒髪に金の瞳の少年。
「子というものは、愛し合い想いを重ねた者たちに授けられるものでございます。ゆえに、その繋がりは……自然と姿にも現れるのでしょうな」
鏡越しに、トネリコの姿が見えた。
ソフォラは振り向き――そのまま駆け出す。
「お父様……!」
膝をついたトネリコが、しっかりと受け止める。
「妻も……私も、お前を愛している」
「ここなんてどう?」
「いや、先程の部屋の方が良かった気がするが……うーん」
ソフォラを真ん中にして、二人が真剣に悩む。
「どこも素敵で……選べません」
「「うーーん……」」
さらに頭を抱える二人。
その様子を、家令のカプトが穏やかに見守りながら、くすりと笑った。
「ソフォラ様のおかげで、この邸にも春が訪れましたな」
柔らかな声音のまま、カプトはゆっくりと頭を下げた。
その動作は静かで、どこか年老いた体を労わるような慎重さがあった。
「ソフォラ様……」
一度言葉を切り、小さく息を吐く。
「私の目が、届いておりませんでした」
責めるでも、取り繕うでもない。
ただ事実を置くような声音だった。
「この邸を預かる者として、本来であれば――もっと早く、気づけたはずでございます」
握りしめられた手が、わずかに震える。
「ほんの少しでも、違和に目を向けておれば……ソフォラ様があのような思いをなさる前に、止められたやもしれません」
深く、さらに頭を下げる。
「老いを言い訳にするつもりはございません。ただ……気づけなかった己が、情けのうございます」
声は穏やかなままだが、その奥に沈む悔いは深い。
「謝罪で済むことではないと承知しております。ですが、それでも……お詫びを申し上げたく」
長年この邸を支えてきた男の謝罪は、ただの言葉ではなかった。
その背に積もる年月と責任の重さが、ソフォラにも伝わる。
「カプトは……僕がどんな扱いを受けていたか、知っていましたか?」
静かに問う。
カプトは頭を下げたまま、はっきりと答えた。
「……把握しておりませんでした。ゆえに、この失態は弁解の余地もございません」
「カプト……顔を上げてください」
ゆっくりと顔を上げるカプト。垂れた眉が、さらに深く落ちている。
「僕は、カプトに怒っていません。……僕のこと、嫌いですか?」
その問いに、カプトの表情がわずかに歪む。
「いいえ。ウンベラータ様を思わせるソフォラ様を、嫌うはずがございません」
目尻にうっすらと涙を溜めながら、続ける。
「本当は……もっと早く、お話ししたかったのです。幼い頃から存じ上げておりますゆえ……孫のように、愛おしく思っておりました」
ソフォラは一歩、カプトへ近づく。
それに応えるように、カプトは自然に両膝をついた。
「……お母様のことも、大切に思ってくださって、ありがとうございます」
おずおずと差し出した両手を、カプトが優しく包み込む。
「これから、お世話になります。仲良くしてください、爺や」
ふわりと笑うソフォラ。
その一言に、カプトの目が見開かれ――次の瞬間、深い皺を刻んで笑った。
「……ええ、ええ。もちろんでございますとも」
声は穏やかだが、その奥に滲む感情は深い。
「なんとお可愛らしい……。当主様やティペス様とは違い、ウンベラータ様によう似ておられる……」
今にも泣き出しそうなほどの喜びを滲ませるカプトに、ソフォラもつられて笑みをこぼす。
(嬉しいな……でも、やっぱり少しだけ、みんな変わってる)
「カプトがここまで甘くなるのは、母上とソフォラくらいだな」
「……“魔城の悪魔”と呼ばれるあのカプトをな」
少し離れた場所で、トネリコとティペスが小声で話す。
「ソフォラ様は猛獣使いですね」
「やめろ、あとで本気で怒られるぞ」
パキプスの呟きを、サンセベリアが慌てて制した。
「ソフォラ様。もしよろしければ、この爺やめに、お勧めしたいお部屋がございますが……いかがなさいますか?」
「本当? じゃあ、お願いしてもいい?」
「ええ、お任せくださいませ」
―――
案内された部屋は、トネリコやティペスの部屋とは反対側にあった。
「……カプト、なぜ俺たちから離す」
「ふぉふぉ……ティペス様。後ほど感謝なさることになります」
にやりと笑うカプト。
穏やかな笑みのはずなのに、なぜか逆らえない圧がある。
「私も遠いのは不満だが……」
「旦那様、少しは我慢なさいませ」
ぴしゃり、と柔らかく言い切る。
「……わかった。案内しろ」
(爺やって……すごい)
「こちらでございます、ソフォラ様」
扉が開く。
「わぁ……」
クリーム色とアップルグリーンを基調とした、温かみのある部屋。
家具も落ち着いた雰囲気で統一されている。
窓を開けると、庭が見え――その先に、先ほどの部屋も見えた。
「お父様とお兄様の部屋が見えます」
「この部屋は、かつて奥様がお泊まりになられていたお部屋でございます」
「お母様が……?」
「ええ。ご結婚前は同室を避けつつも、旦那様のお顔が見える場所をと望まれまして」
その話に、邸の印象が少し変わる。
冷たい城のような場所にも、確かに温もりがあったのだと。
だが同時に――
(その二人を、引き裂いたのは……)
ソフォラの視線が落ちる。
「……この部屋、僕には……」
「何を仰いますか」
静かだが、有無を言わせぬ声。
カプトは再び膝をつき、視線を合わせる。
「ソフォラ様は、愛されております。その証が――そこにございます」
指さされた先には、鏡。
そこに映るのは、黒髪に金の瞳の少年。
「子というものは、愛し合い想いを重ねた者たちに授けられるものでございます。ゆえに、その繋がりは……自然と姿にも現れるのでしょうな」
鏡越しに、トネリコの姿が見えた。
ソフォラは振り向き――そのまま駆け出す。
「お父様……!」
膝をついたトネリコが、しっかりと受け止める。
「妻も……私も、お前を愛している」
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