大好きな小説の悪役令息に転生したら、婚約破棄するはずの婚約者に執着されていました

エアコン

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11章

11-9



森の入口にサンセベリアを残し、ソフォラたちは森の奥へと進んでいく。

以前と変わらぬ景色――のはずだった。

だが、どこか違う。

木々の隙間から差し込む光が、以前よりも強すぎる。
森を覆っていた深い影は薄れ、湿った苔も明らかに減っていた。

静かで穏やかだった空気が、どこか乾いている。

ソフォラは胸騒ぎを覚えながら、レイブンの後を追った。

やがて辿り着いたのは、ワーウルフたちの住処――そして主神スジチョウの石像の前だった。

「……っ」

ヘンリーは石像を見上げ、感嘆の息を漏らす。

荘厳で、神秘的で。
まるで森そのものが神を守る神殿のようだった。

だがソフォラは、目を見開いたまま声を失っていた。

「そんな……」

石像が変わっていた。

以前は、傍らで眠るワーウルフへ優しく手を差し伸べていたはずの腕が、今は朽ちて地面へ落ちている。

台座に刻まれていた文字も擦り切れ、名前すら読めなくなっていた。

ソフォラは震える手で、崩れ落ちた石の腕を拾い上げる。

その瞬間、周囲のワーウルフたちが集まり始めた。

「キュウ……キュウ……」

悲しげな声。
まるで、“主に何かあった”と訴えるように。

「どうしたんだ、ソフォラ?」

異様な空気を察したヘンリーが近づいた瞬間、一匹のワーウルフが牙を剥いて吠えた。

それを合図にしたように、他のワーウルフたちも一斉に唸り始める。

「どうしたの、みんな!? ヘンリーは何もしてないよ!」

ソフォラは慌てて宥めようとするが、ワーウルフたちは興奮したまま止まらない。

レイブンはヘンリーの前へ立ち、仲間たちへ吠えて制止する。
だが収まる気配はなかった。

まるで“光”を拒絶しているようだった。

「ヘンリーは戻そうとしてくれてるんだよ! 一緒に頑張ってくれてるの!」

ソフォラの声は、荒々しい咆哮にかき消される。

――その時だった。

チリン……

澄んだ鈴の音が、森に響いた。

チリン、チリン……

不思議な音色に、吠えていたワーウルフたちがぴたりと静まる。

そして一匹残らず、その場へ伏せた。

「……どういうことだ?」

困惑するヘンリー。
だがソフォラも同じだった。

鈴の音はゆっくりと近づいてくる。

周囲を見渡しても、誰もいない。

だが次第に、黒い靄の奥で橙色の灯りが揺れ始めた。

蛍だった。

幾つもの蛍が舞う中、ひとりの男が姿を現す。

「怖かっただろう。ヘンルーダの眷属よ。我が子たちがすまなかった」

地面まで届く黒髪。
肩から腰へ流れる苔色の布。
頭には白いネモフィラの花冠。

その姿は、石像そのものだった。

蛍たちは彼の周囲を漂い、まるで神を慰めるように光っている。

「我が子よ、よく頑張ったな」

男は柔らかく笑い、ソフォラを抱きしめた。

「ソナタが瘴気を濾過してくれたおかげで、我はまだ息をしている」

冷たいはずの腕は、不思議と森の土のように温かかった。

「もしあれが無ければ、我は既に消えていた。眷属たちも理性を失い、暴れる獣となっていただろう」

ソフォラは震える声で問いかける。

「あなたは……スジチョウ様、ですか?」

男はきょとんと目を丸くし――ふっと破顔した。

「いかにも。我がそうだ」

どこか嬉しそうに目を細める。

「……そうか。まだ我の名を知る者がいたのか」

「ソフォラ! 誰と話してるんだ!?」

ヘンリーの声が飛ぶ。

彼には見えていないのか、ただソフォラが虚空へ話しかけているようにしか見えないらしい。

「動けねぇ……なんだこれ……!」

ヘンリーは見えない力に押さえつけられ、その場から動けずにいた。

スジチョウは申し訳なさそうに眉を下げる。

「すまぬな。我が子よ。ここは我の神域、我が眷属以外には動くことすら難しい。なので少しだけ、彼には待っていてもらっている」

そして静かに真顔へ戻った。

「時間がない。聞きたいことを聞くがいい」

ソフォラは息を飲み、問いかける。

「……なぜ、あなたが主神なのに、皆は光の神ばかりを崇めるんですか?」

「誰が世界を壊そうとしているんですか?」

スジチョウは静かに目を伏せた。

「ヘンルーダの眷属は、“導く力”を持つ」

その声音は、遠い昔を懐かしむようだった。

「その力は強ければ強いほど光となり、人々を惹きつける。皆、眩いものへ手を伸ばすのだ」

ふっと寂しげに笑う。

「……だが、光が強すぎれば、周囲は見えなくなる」

スジチョウの身体が、わずかに透け始めていた。

「世界を壊そうとしているのは――我が番だ」

ソフォラは目を見開く。

スジチョウはヘンリーへ視線を向けた。

愛しむように。
恋しがるように。

「眷属たちが力を持つほど、彼もまた強くなる」

「だが強くなりすぎた光は、自らすら見失う」

長い年月を思わせる瞳だった。

「……何百年、会えておらぬのだろうな」

ぽつりと零れた声は、酷く静かだった。

「数えることすら、やめてしまった」

それでも、その瞳は優しかった。

「だからこそ、彼の眷属を見たかった」

「彼が、今も存在しているのだと知りたかった」

ソフォラは胸が締め付けられる。

神でありながら、会うことすら許されない。

ただ互いを想い続けるだけの存在。

スジチョウの身体はさらに薄れていく。

「我が番を止めてくれ」

そう言って、苔むした小さな石をソフォラへ手渡した。

「我の力が戻れば、彼を止められる」

「……彼の神域へ行くのだ」

消えかけた指先が、そっとソフォラの手を包む。

「伝えてくれ。我も、今なお彼を想っていると」

次の瞬間。

蛍の光と共に、スジチョウの姿は静かに消えた。

「ソフォラ!」

拘束が解けたヘンリーが駆け寄ってくる。

「誰と話してた!? 何もされてないか!?」

肩を掴み、必死に覗き込んでくるヘンリーに、ソフォラは手の中の石を大切に抱き締めた。

「……光の神の神域へ行かないと」

震える声で、けれど真っ直ぐに告げる。

「主神を正さないとダメなんだ」

「止められるのは、あの人だけだから」

そしてソフォラは、スジチョウから聞いた全てをヘンリーへ語り始めた。
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