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第二章 貴族は皆、息吐くように嘘をつく

第58話 叔父

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 灯りの少ない廊下を進んでいけば、微かに押し殺すような笑い声が聞こえてくる。特に視線も投げずにいつもの無表情でフェリクスは口を開いた。

「何か?叔父上」

 問われたセドは口元に拳を当てたまま、まだくつくつ笑っている。

「いやあ。朴念仁のお前がなあ。兄上に似てもっと真面目な奴かと思っていたぞ」

 そう言い、変装用に下ろしていた前髪をかきあげセドはいたずらっぽく目を細めた。
 これも王族の侍従の仕事の一つだ。実際汚れ仕事なら既にいくつかこなしている。

「叔父上程ではありませんよ」

 それにしてもつくづく便利な存在だ。フェリクスは自分の叔父を横目で見て、改めてその立ち回りに感謝する。
 もし夫人がフェリクスの誘いに乗るようならセドに間に入ってもらうつもりでいた。流石に最後まで付き合うつもりはない。

 フェリクスは美麗な顔の持ち主だが、普段それを隠すように表情も無い。だがいくつか甘い言葉を吐き、熱っぽく見つめれば大抵の女性はフェリクスの掌を転がった。

 そんな甥にセドはいくらか憐憫のこもった目で見つめ、まあ無理はするなと呟いた。

 彼は祖父の外腹の息子だ。父の兄弟の中で一番年若く、歳も自分と大して変わらない。彼の生母は彼が生まれてすぐにお金を受け取り消えてしまった為、祖父が彼を引き取った。

 孤児院にという話もあったそうだが、認知している以上、外聞がよくないと判断されたらしい。けれど祖母が良い顔をしなかったので、彼は使用人として受け入れられた。

 そんな末の弟を、人の良い父は心配し何かと構ったが、いかんせん祖母が嫌がった為、待遇の改善まではできなかった。
 フェリクスは年が近いという理由で、父に連れられよく遊んだが、母が皇子の乳母を始めた頃から、あまり一緒に居られなくなった。

 確か15歳になった時に修道院に入れられたと聞いていたが、彼の奔放で明るい性格はもっと色んな可能性があっただろうにと、いなくなった幼なじみを少しだけ寂しく思った。

 ちなみに下から二番目の叔父はウォレット・ウィリスである。つくづくうちの家系はどうなっているのか。
 ぽんと肩に手を置かれ、叔父を振り返る。
 無精髭や髪型をきっちり整えれば格段に女受けする顔がそこにあった。

 美形揃いの家系ではあるが、何故か良縁に恵まれない一族。我が家は魔女に呪いでも受けているのだろうか。フェリクスは内心首を捻った。

 それにしても、数ヶ月前にアーサーに付き合い、訪れた孤児院で彼に再び会った時は驚いたし、嬉しくもあった。ただこんな近くにいたのに長年なんの音沙汰が無いのは当然のようで寂しくもあった。

「お前って以外に忠義に篤いんだなあ」

「こんなもの忠義のうちに入りませんよ」

「ライラの事を気にしてるならお前が責任を感じる必要は無いと思うぞ」

 顎をさすりながら口元ににやけた笑みを浮かべた叔父を一瞥し、フェリクスは口を開いた。

「いいえ」

「うん。やっぱりお前はライラがアーサーと結婚するのには抵抗があったか」

 独り言のように頷くセドに目を向けフェリクスは足を留めた。

「別にお前が何かしたなんて思ってねーよ」

「いいえ」

 繰り返す言葉にセドは少し眉を上げた。

「俺はずっとライラには皇子妃は無理だと思っていましたから」

 不貞を聞いて腹が立ったが、どこかでやっぱりという気持ちもあった。だから何もしなかった。

 フェリクスは、ライラがデヴィッドに惹かれ始めていた時、諌《いさ》めれば違う結末になったとは思わない。
 結婚後にもっと取り返しのつかない過ちをおかしただろうと思うだけだ。

 アーサーには、辺境伯夫人が漠然と言っていたような、高位貴族で気品ある女性を適当に見繕って差し出せばいい。くらいに考えていた。今思えば傲慢な考えだったと思う。

 何故ならライラが婚約し結婚しても、彼は他の女性に目を向けず、フェリクスを焦らせた。或いは夜会で、或いは偶然を装った街中で。フェリクスはこれぞと思う女性をアーサーに引き合わせたが結果は芳しく無かった。

 それ程ライラを忘れられないのかと悩んだ時期もあったが、恐らく違うだろうと結論づける。
 仮にアーサーがライラをそれ程好きでいたのなら、もっと怒るものでは無いだろうか。彼は確かに落ち込んでいたが、裏切りによる怒りや嫉妬の感情は見せなかった。

 正直今のライラへの無関心さを見ると、流石に妹が気の毒に思えるくらいだ。わざわざリヴィアを押し除け隣に割り込み、必死にアピールしているものの、アーサーには嫁いで行った知り合い程度の認識しかないようなのだから。

 邪魔にもせず、かと言って視界にも入ってもいないような存在感。今なら例え妹が裸で迫ったとしても、何とも思われ無いのではなかろうか。

 あの頃、もうアーサーは女性に何かしら期待する事は無いのだろうかと、フェリクスが自責の念に駆られ、途方に暮れる思いの中、見つけたのがリヴィアだった。

 最初アーサーは不思議なものを見る目で彼女を見ていた。でもその視線が逸らされず、徐々に熱を帯びていくのが見てとれて、フェリクスは複雑な気分になったものだ。

 かつて自分の婚約者にと父が選んだ女性であったが、既に別の男と婚約をしていると打診があった女性。フェリクスにとってはそれだけの事だったが、流石に名前を聞けばどんな女性か気になった。だが多少の興味はあっても近づか無かったし、その理由も無かった。

 おそらくあの夜会の日にアーサーの邪魔にならないように腕の中に閉じ込めたのが最初で最後の抱擁。そんな女性。
 そしてアーサーにとっては唯一の女性。それだけだ。

「ふうん。ライラに無くてリヴィアにあるものって何なんだ?お前はリヴィアならアーサー殿下の婚約者たるものだと思っているって事だよな」

「アーサー殿下の欲望の吐口でしょうかね」

 流石にセドは口元を引き攣らせた。

「冗談ですよ」

 全くもって冗談とも思ってはいないが。
 アーサーは真面目すぎるきらいがある。国の為の滅私奉公は美しくもあるが、それだけでは足りないとフェリクスは思っている。何か一つでも欲を持って、自我を通すものがあったほうが彼も生きやすく、柔軟な発想力を発揮できるのではなかろうか。
 それこそエリック殿下にアーサーが持つイメージは、アーサーにもまた当てはまっていると思うのだ。

 というのはこれもまた傲慢な考えなのだろうか。それとも乳弟を案じる余計なお世話というやつか。

「まあ、アーサー殿下の様子を見るに、リヴィアがいつガブリとやられるのかヒヤヒヤして見てはいるが。結婚まで我慢出来るのか?あれ」

 微妙な顔で言葉を返すセドに苦笑しつつ、アーサーの後を追った。

 あの日彼は言った。ここにいる自分の家族に手を出す様なら容赦はしないと。だから恐らくアーサーやフェリクスがリヴィアの味方である限り、彼は掌を返さない。
 何故なら彼はあの孤児院で家族と暮らしている。フェルジェス家が押し付けた血筋だけのそれとは違う、大事な家族と一緒に。

 それはそうと、先程置いてきた書類の束にあの夫人は目を通すだろうか。不備のあるものや不要なものを混ぜて、読むのに無駄に時間が掛かるように作っておいた。

 まあどちらでも良いかとフェリクスは首を横に振った。
 果たしてあの夫婦の本質が何処にかあるのか。それをあんな書類で引きずり出せるとも思えなかった。また考えなければならない事が増えそうだ。

 リヴィアの客室に着けば外には護衛が二人立っていて、中は何となく騒がしい。目配せすると気まずそうな顔で扉を開けてくれたが、中にはもがくリヴィアをしっかり抱き抱え、ソファに座るアーサーがいた。

 フェリクスの周囲の温度が一気に下がった。横でセドが盛大に吹いている。私は今日ここに泊まるとか寝言を言い出したアーサーをべりっとリヴィアから引き剥がし、そのままずるずるとアーサーの客間まで引きずって行った。

 人は欲を持つと幼児退行するのだろうか。そんな事を思い、フェリクスは一つ息を吐いた。
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