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第二章 貴族は皆、息吐くように嘘をつく

第57話 疑惑

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 駆け出すアーサーの背を見送り、フェリクスは息を吐いた。本来なら護衛として追従するべきなのはわかっているが……

「追わなくてよろしいんですの?フェルジェス卿」

 視線だけ後ろに向ければ静かにお茶を口に運ぶディアナが目に入った。

「ここで何かあったら俺もあなた方もただでは済まない」

「……その通りだわ。あなたは冷静なのね」

 アーサーが高い自衛能力を保持している事。リヴィアにはセドと侍女を付けてある事。こちらが憂慮する事は何も無い。ディアナはほっこりと微笑んだ。

「いい考えだと思うんだけれど。ゼフラーダにも、アーサー殿下にも」

 令嬢のように首を傾げるディアナにフェリクスは僅かに苛立ちを覚えた。

「婚約者を奪われるアーサー殿下にどの様な利点が?」

「少なくとも、もっと良い素材がいるでしょうに。高い地位と教養を身につけた気品ある女性が」

 口を尖らせるように話すディアナにフェリクスは皮肉な顔を向けた。

「エルトナ伯爵よりも高位貴族であるゼフラーダ辺境伯に嫁した方が、あなたは幸せだったと聞こえますね」

 僅かに眉を寄せ、ディアナは手に持つ琥珀の面を見つめている。

「幸せというのならそうなのでしょう。生まれてから課された己の使命を全う出来ている」

 だが夫はその限りではない。自身に魔術の素養がない事から逃げ、ずっと昔馴染みの女に依存している弱い存在。だからこそ自分がいなければゼフラーダは成り立たない。それだけがこの女の矜持。
 フェリクスは目を眇めた。

「あとは立派な後継を育てれば完璧なのに」

 人の心はままならない。ふと顔を上げたフェリクスに目を留め、ディアナはにこりと微笑みを浮かべた。

「イスタヴェン子爵夫人を見た時、わたくし駄目だと思ったの。……とても仲良く出来そうに無かったわ」

 結果としてライラが嫁いで来なくて良かったと言っているのか。以前ゼフラーダがライラを欲しいと言ったのなら、拒んだのは父だろう。ライラを何よりも大事にしていたから……フェリクスはふっと笑った。

「同族嫌悪では?」

「違うわ!」

 嘲笑めいた顔で笑うフェリクスにディアナは食ってかかった。

「あんな貞操観念の低い小娘と同じ扱いは許せないわね」

「貞操って……初めてでなければ誰に捧げてもいいものなんでしょうか?」

 ディアナは眉を顰めた。

「何を言っているの?」

「あなたの私室に訪れる数々の御仁の事ですよ」

 ディアナは眉間の皺を深めた。

「無礼な侍従だこと!わたくしは辺境伯に変わり執政を行なっているのよ!一定の人事交流は当然でしてよ!姦通を疑われる謂れはないわ!」

「既に疑われていますがね……」

 フェリクスはふと笑い、ディアナの座るソファに手をついてその顔を覗き込んだ。

「今だって俺とこうして部屋に二人きりじゃないですか」

 その美麗な顔に囚われ、ディアナは一瞬我を忘れる。

「密室であった事など事実ではなく、誰かの悪意と捏造で作られるという事位あなたならご存知でしょう」

「それは……」

 でもそれはある程度揉み消せる事もディアナは知っている。微かに恥じらう様子のディアナに目を細め、フェリクスはすっとディアナの輪郭をなぞった。

「あなたは崇高な心でこの地を守っているのに」

 びくりと震えるディアナの耳元に唇を寄せフェリクスは吐息のように囁いた。

「あなたに価値を見出せない馬鹿な夫にあなたは勿体無い」

「っおやめなさい!」

 ばしりとフェリクスの手をはたきおとし、ディアナは赤くなった顔に、嫌悪の眼差しを乗せフェリクスを睨みつけた。

「……失礼しました。夫人」

 迫った時と変わらない眼差しでフェリクスは身を引いた。

「ディアナ様!如何なさいましたか?」

 ディアナの声を聞きつけ、控えの間から眼鏡の護衛が飛び出してくる。自分を抱きしめるように身を固めるディアナを見て、護衛はフェリクスを咎めるように睨みつけた。

「何でもなくてよ。ただ殿下の従者に試されただけ……」

 口元を引き上げディアナはふっと息を吐いた。

「従者風情が姫様を試すなどとっ」

「大変申し訳ありませんでした」

 フェリクスは慇懃に頭を下げる。

「いいのよ。彼もわかったでしょう。わたくしが身持ちの悪い女などではないと」

「当たり前でございます!」

 ふうと息を吐く勝ち誇った顔のディアナと、膝をつき彼女に触れないように腕で庇う護衛をひたと見つめ、フェリクスは部屋を辞去した。
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