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第二章 貴族は皆、息吐くように嘘をつく
第56話 皇族の義務
しおりを挟む「本来ならこう言った話し合いの場は明日持たれる予定だったのです」
「勿論分かっておりますわ」
アーサーは一つ息を吐いて窓の外に目を向けた。
すっかり黒く塗り潰された夜の景色は、影の濃淡だけで象られている。つい先程、何も無い自然の美しさに目を奪われたばかりではあるが、こうした暗闇が広がる景色は不気味に映るのだから不思議なものだ。
アーサーは視線を前に戻し、口を開いた。
「それでご用件は?辺境伯夫人」
辺境伯夫人────ディアナはどこかおっとりとした笑みを浮かべ向かいのソファに腰掛けている。
客間に通されたアーサーは食事を運んできた侍従に、応接室での夫人との面会を知らされた。本来なら明日に持ち越す案件である。だがリサベナ領へ早馬を飛ばしたのはこの夫人であった。
またこの女性は皇弟の伴侶の妹という立場であり、前皇帝の命でこのゼフラーダに嫁した人物でもある。皇族では無いが、アーサーとしては頭を押さえられている気分だった。
「このゼフラーダの次代について、殿下にご助力申し上げたいのです」
「次代というと、イリス殿でしょうか」
ディアナはふわりと微笑んだ。
「殿下も、いえ皇族も懸念している事と思いますが、ゼフラーダの魔術の継承問題ですわ。先代から始まり、夫も息子にも魔術の素養を持つ嫡男が、もう百年近く生まれていないのです」
「ですが、あなたの魔術も交わり血は確実に濃くなっております。いつか子孫に現れるでしょう」
「ええ。それは問題ありませんわ。しかし問題は次代なのです」
アーサーは嫌な予感しかしない。扉近くに佇むフェリクスに視線を向けると問題無いと首を振っている。それを確認し、アーサーは視線を戻した。
「……今代はわたくしが夫の代わりにゼフラーダの本来の役目を担っております。ですが、次代の為に当初の契約通りリヴィア嬢を頂戴したいのです」
やはりか……アーサーは目を眇めた。先程フェリクスにリヴィアに護衛をつけてあると確認してある。何も起こらない筈だ。でも……
「リヴィアの魔術の素養はそれ程高くありません」
「でもありますわ」
ディアナはにっこりと微笑んだ。
「ここゼフラーダは国境の要。ここの本質が崩れる事がどれ程この国の基盤を揺るがすか。皇族として国に全てを捧げ生きてきたあなたならご理解頂けるかと」
綺麗な所作で紅茶を飲み、カチャリと鳴る音に目が覚める思いがした。アーサーが何よりも大事にしてきた事────
「わたくしたち高位貴族は家の為だけでは無く、貴族間全体────もしくは国家レベルで物を考え振る舞う必要があるのです。長年手元に置いていた婚約者を、醜聞にまみれた途端手放したのも、あなたの皇族としての義務の一つだったのでは?」
アーサーの頬が微かに引きつる。
ディアナはその様子に口元を引き上げ口を開いた。
「誤解なさらないでくださいな。わたくしは尊敬の念を覚えているのです。使い道の無くなった不要物など捨てるべきですわ。持て余してはいつ御身が滅びる事になるか分かりませんものね」
「……」
褒めるような事を口にしながら、ディアナの目に宿るものが怒りに見えるのは何故だろう。
いや、悲しみか?だけど何故……
「ご決断を。殿下」
気圧されるような迫力にアーサーははっと息を詰めた。
フェリクスが僅かに動揺を見せた。アーサーにここまで圧力を掛けられる者は皇都では数える程しかいない。背中を伝う嫌な汗を払拭するように口元に皮肉な笑みを作った。
「確かに一考の価値のある話です」
ディアナは満足気に口元を綻ばせた。
「ですが夫人。人の大事な婚約者を寄越せと言うなら必要なカードはちゃんと切って頂かなくては」
アーサーは片手を持ち上げフェリクスから書類を受け取り、目の前のテーブルに置いた。
リサベナで可能な限り調べたゼフラーダの内情だ。それと────
「あなたがリヴィアを欲しがるのは、彼女がエルトナ伯爵の娘だからでは?」
彼女から淑女の笑みが消えた。いや、口元だけはその形を作っているが、先程までの余裕は消えている。
「あなた方が結ばれない恋仲であった事は当時社交会では有名な話だったそうですね」
ディアナはきつく目を閉じ、ゆっくりと開けた目をアーサーに向けた。その目には嫌悪の色が濃く宿っている。
「あなたも皇族ならご存知の筈よ。わたくしたちに自由恋愛などないと」
「ええ。ですが────」
「わたくしが以前ライラ・フェルジェスを欲しがっていた時に邪魔をしていたのはあなたかしら?」
アーサーは一瞬怪訝な顔をした。知らない話だ。
「ゼフラーダとしては強い魔術の素養を持つ女性が欲しかったのです。けれど色々と状況が変わってしまったわ」
それはライラの結婚とリヴィアの婚約破棄。それに────
「子どもが出来たそうですね」
アーサーは静かに口にした。
「……本当に馬鹿な息子ですわ」
ディアナは疲れたように書類に目を落とし顔を歪めた。
「辺境伯はあなたに仕事を丸投げとか」
アーサーは伺うようにディアナを見る。
ディアナはため息ひとつで書類から目を離し、手持ち無沙汰な指先をゆっくりと組み直した。
「……お恥ずかしい話ですが、旦那様はもうこの領地の害悪かと思われます。長く続く愛人に貢ぎ続け、我が家の財政も逼迫している有様。もうこれ以上は放っておけません」
「……領地経営はをあなたがされている事、この地の役割である国境管理もあなたが担っていると報告書で確認しております」
「ええ……」
本当にお恥ずかしい。恥入るようにディアナは俯いた。
「アンジェラ嬢は平民ですが豪商の娘。この地ではその存在を軽んじられない程大きい。我が家との交流も浅からずあるのです。無下にはできません」
そっとまつ毛を伏せる様は憂いのある儚げな夫人に見える。だが────
アーサーはそうと分からぬよう深くため息を吐いた。この二人────イリスとアンジェラの婚姻は揺るがない。が────
「あなたは嫡男に家督を譲るつもりは無い」
独り言のように断じるアーサーにディアナは眉をピクリと動かした。
「本来ならあの子のものでした」
ため息を一つ吐きディアナはアーサーの置いた書類に手を伸ばした。
「もう一人の息子に渡します」
……そうきたか。アーサーは憂うようにまつ毛を伏せる。
「外腹の……」
「ええ。先程話した愛人の産んだ子です。彼を養子にし、ゼフラーダの後継にします」
アーサーは顔を上げディアナの顔を改めて見る。流石公爵家でしっかりと教育をされてきただけの事はある。現王の、或いは皇弟の伴侶にと推されていたというのは伊達ではあるまい。
一つ違えば中央政権の担い手であったかもしれない女性。全くもって容赦のない。そして彼女の中であくまで優先すべきは国益であるらしい。
「彼がゼフラーダの直系である事に変わりはありません」
「あなたの御子息はどうするつもりです?」
その言葉にディアナはふと顔を上げ、少しだけ迷子のような表情をしてから口元に笑みを作った。
「アンジェラ嬢の家に婿としてねじ込みます。あの子も貴族として一通りの教養を身につけおりますから、勝手が変わっても何とかやっていけるでしょう」
「……」
そしていつか魔術の素養を持つ者が出れば、その者は必ずゼフラーダが貰う事になる。貴族との強い繋がりを契約として持ち出すのだ。商売人には利となり、彼が邪険に扱われる事もない。
ただあのイリスが貴族でなくなる事に納得しているのかどうかは甚だ疑問である。これは見ようによっては廃嫡だろう。とはいえ話はそこでは無く……。アーサーは一つ息を吐いた。
「成る程。だからリヴィア……」
「ええ……。必要なのは新たなゼフラーダ辺境伯の伴侶。外腹の息子は高い魔術の素養を持っている。だからこそ僅かな魔術の素養を持つリヴィア嬢は理想的なのです」
つまり次代の子。アーサーは眉間に手を添え目を閉じた。
直系とは言え、外腹の息子の伴侶に魔術の素養の無い者を選び、その子どもに魔術が受け継がれ無かったら。問われるだろう、その資質を。
だが、恐らく強い魔術の素養を持つ者を伴侶にしても同等の評価が結論付けられる。伴侶が良かったから。か、良い伴侶を娶ったのに。だ。
しかも皇都から人材を引っ張ったものの、結果が結び付かなかった事に対し、責任を追求される可能性もある。
その点僅かな魔術の素養を持つ女性なら一番中傷が少なく済む。或いは政略的な物を匂わせれば周囲を説得しやすい。
アーサーは歯噛みした。リヴィアが────
自分以外の男の子どもを産む────?
「冗談じゃない」
目を開き顔を歪めた。ディアナは驚き目を見開いている。
「辺境伯夫人。あなたの領地を思う心。そして国を尊ぶ心には尊敬の念を覚えます」
だがリヴィアはアーサーのものだ。だから婚約をした。誰にも渡したく無いから……
「だが彼女は皇族に置いてもその価値が高いものです」
利には利を。彼女の価値。
彼女は魔術院で、皇族にも貴族にも、高い魔術技術を提供している。皇都に欠かせないし必要な人材だ。
魔術を疑問視するアーサーが眩しく感じるくらい、彼女のそれに対する情熱は純粋で熱心で。
必要なのだ。皇都に……自分の傍に……
アーサーは前髪をかき上げた。自分のそれには感情しか無くて。こんな時どうしたらいいのか分からない。取り上げられる大事なものが、アーサーが目指して来た道と矛盾した未来を啓示していると。目の前の女性の主張こそ正しいと頭の中では打ちのめされているのに、心は無理だと主張する。
何か仕掛けられるかもしれないと、必死にこの夫人の隙を、辺境伯の人となりを、リサベナで調べたのに。
リヴィアを取られるかもしれないと。たったそれだけの事で動揺し、まともに攻められない自分に歯噛みした。
「もしかして次期皇太子の伴侶にという噂の事かしら?」
くすりと笑みを漏らすディアナにアーサーのこめかみに筋が浮く。この女はどこまで知っているのか。
「疵のある女性が皇太子妃になる程皇都は人材不足ではありません」
唸るような声ががアーサーから出る。
「それなら皇子妃だって同じでしょうに」
ディアナはふっと息を吐くように笑う。アーサーはその目を挑むように見つめた。
「いいえ……私もある意味疵物ですから」
「ああ、婚約者に裏切られた可哀想な皇子様。確かに二度も同じ思いをするなんて、流石にわたくしも気の毒に思いましてよ」
その言葉にアーサーは身体を強張らせ、追われるように応接室を飛び出した。
後ろからフェリクスが何やら叫んでいるのが聞こえるが、それを無視しアーサーはそのまま駆け出した。
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