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第二章 貴族は皆、息吐くように嘘をつく
第55話 ゲス
しおりを挟む自分に恋人がいるのは当然だという事か。それともアーサーには愛人が必要で、それはお前では役が足りないからだと言う事だろうか。
考えれば胸に重くのしかかる。……事実だからだ。
例えばもし自分が貴族令嬢として誰かと結婚したなら、相手は必ず愛人を作るだろうと思う。
リヴィアは母のような結婚をしたく無かった。でもそれでも抗えきれずに自分が婚姻を結んだとしても、きっと待っているのは貴族女性の悩みの一つの夫の浮気だろう。
浮気というのもそもそも間違っているのかもしれない。だって契約結婚に愛情などないのだから。そしてそんな考えをあっさりと受け入れてしまえる程、リヴィアは女性として自分に自信がない。
それは自ら放棄してきたものも含めた、生まれから持ち合わせなかった「かわいい」というもの。
けれどリヴィアには魔術があった。
大事にしてくれる親戚も大好きな子どもたちもいる。
だから自分自身に悲嘆した事は無い。たまに落ち込むくらいで。
自分の思考に塞ぎ込むリヴィアを見透かすようにイリスはリヴィアを覗き込んだ。
「勘違いしないで欲しい。僕が言いたいのは、君が似合うのはあくまで正妻という立場だという事。君には夫だけが唯一触れられる男と歓喜させる魅力があるのだから」
「……」
この男は一体何を言い出すのだろう。人の心に拳を打ちつけておきながら、とってつけたような都合の良い解釈を展開し、リヴィアを懐柔しようとでもいうのだろうか。
リヴィアは嫌悪にイリスを睨みつけるも、当のイリスは気にもせず、今度はリヴィアの身体をじろじろと眺め回している。
「実は女性の体型は年齢と共に大きく崩れると聞いてしまってから、どうにも豊満な身体に気遅れしてしまってね。妻となるなら長く隣にいて貰わなければならない。多少物足りなくはあるが、妻に望めないものはひと時の愛で消化する事にするよ。ねえリヴィア、僕と結婚してくれるでしょう?」
「……」
なんだこれは。まさか噂に聞くプロポーズと言うものなのだろうか。従姉のサララが婚約と同時にプロポーズされた時、それはそれは嬉しそうに語ったものだ。
人生で一番幸せを感じた瞬間だったと。世界がキラキラ輝いて見えたと。あとはもう死んでもいいとかなんとか言っていたが、リヴィアはもう死にたいとしか思えなかった。
いや何故自分が死ななきゃならんのだ。お前が死ね、か。
思わず表情を無くした顔を壁際に向けると、盛大に吹き出した後のセドと、怒りを露わにしたシェリルが見える。
……どうやら自分の感覚は間違っていないらしい。
リヴィアは一つ息を吐き、未だしっかりと握られているイリスの手をばしりとはたき落とした。
「言いたい事はそれだけですか」
打たれた手をもう片方の手で庇い、イリスは一瞬呆然としたが、リヴィアが父譲りの冷たい眼差しで睨みつけるとビクリと肩を跳ねさせた。
「わたくしはアーサー殿下の婚約者ですと何度も言っております。そしてそれはあなたがアンジェラ様と永遠の愛とやらを全うするが為、成された婚約破棄に起因しているのですよ。あなたの発言は無礼で不遜で非常に不愉快ですわ」
そもそもイリスはリヴィアを見ていない。自分に都合のつきそうな女だと思っているだけだ。随分安く見られたものだが。
叱られた子どものようなイリスにリヴィアは冷たく言い放つ。
「一度自分で解いた糸をまた勝手な理由で結び直すと?その話に巻き込む彼は、皇族なのですよ?」
「そんな……なんて品のない事を……」
イリスは顔を歪めた。その目には蔑みが混じっている。
「ああ、君は上辺だけの小うるさい女性だったんだね。美しく清廉に見えたのに……男に逆らうなんて、なんて小賢しいっ。……見かけで僕を誑かそうなんて!」
ブルブルと震えだし、信じられないものを見るような目で喚き出すイリスにリヴィアは困惑した。え、何この人怖い。
「お前のような女を愛する訳ないだろう!小うるさく可愛げもないお前なんて!殿下だってこんな田舎についてくるような簡単な女だから多少使ってやってるだけに違いない!お前みたいに捧げる身体も貧相な上に心根も────」
とりあえず言い切ったところで蹴りを入れてやろうと目を据わらせると、自分のものではないそれが視界の端から伸びて来て、イリスの身体を横に飛ばした。
彼はそのままゴロゴロと転がっていく。
ぎょっとして足が伸びて来た方を見ると、一人の青年が佇んでいた。ドアの取手はセドが掴んでいる事から、彼が入室を許可したようだ。シェリルは何故か花瓶を両手で掴んで難しい顔をしている。
とりあえず視線で勝手を咎めると、セドは慇懃に頭を下げた。
「申し訳ない」
目を向けると青年はしっかりと頭を下げた。
「何についての謝罪でしょう」
リヴィアはあくまで冷静に答える。イリスの言葉はよくリヴィアが言われる中傷だ。非礼には変わらないが、今更気にはならない。リヴィアの様子に青年は膝を折り頭を垂れた。
「全てに。こんな時間に未婚女性の部屋に押しかける無神経さに。女性を侮蔑する発言に。何よりあなたに対する多くの不適切な言動に」
「……謝罪を受け取りますわ。どうぞお立ち下さい」
リヴィアは軽く息を吐いて起立するよう促した。
「一つ目の非礼にはあなたも当てはまりますわね。さっさとそこのゲスを連れて出て行って頂けます?」
「ゲスですか。確かに」
ふはっと息を吐くように軽く笑い、青年はイリスの足を掴んで引きずりだした。伸びているイリスはされるがままだ。
「ハゲそうね……」
明日のイリスの後頭部が多少気になるところだが。
若干口元が引きつるも、まあいいかと思考を投げた。
それより遠慮なくゼフラーダの嫡男を引きずり、わざと頭を家具やら壁やらにぶつけて歩くこの男は何者なのやら。
がっしりと逞しい背中を見送りながら思案していると、唐突に振り向いた紅い瞳と目が合い、無遠慮に眺めていたリヴィアは思わず肩を跳ねさせる。その様子に目を細め青年は口を開いた。
「今はこれで、また……」
思わずしかめ面になったのは背中に妙な悪寒が走ったからだ。出来れば会いたくは無いような気がするが、屋敷の中を自由に歩き回れるような立場の人間なら、そうはならないだろう。
珍しい紅の瞳が頭を過り、リヴィアは閉まる扉から目を背けた。
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