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第四章 選ぶ未来

第80話 父の話

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「俺と話している時に盛大なため息とか失礼じゃない?」

 ジト目で告げるレストルにリヴィアはちらりと目を向けた。

「大目に見てくださいお兄様。わたくしこれからの日々何をして過ごせばいいのかと、盛大に落ち込んでいますの。自分の失態にほぞを噛む思いですわ」

「失態?」

「魔術院の試験日を寝過ごした事です」

「そっか」

 そう言ってレストルは少しだけ寂しそうな顔をした。
 そんな一言で片付けられる程、自分にとって簡単な話では無いのだけれど、レストルの珍しい表情にリヴィアも押し黙る。

「リヴィアは記憶を取り戻したくないの?元が魔術陣によるものだから、解除すれば記憶は戻るだろう?」

「……白亜の塔の魔道士長様の話では、分からないと言われました。正規に起こした術では無い為、解除に障害が出る可能性があると言われております」

「リスクは避けるのか……」

「……」

 ため息まじりに口にするレストルに、こちらこそため息をつき返したい。

 確かに知りたいとは思うけれど、影響が出るのは脳だし。
 怖いと思うのが普通ではなかろうか。

「殿下に責任を取ってもらうような事でもあれば、俺ももう少し立ち入れたんだけど、何も無かったようだしねえ」

 リヴィアの髪をいじりながら、レストルが意味の分からない事をぼやく。

「代わりにではありませんが、今日お父さまからお話があると呼び出されています」

「叔父上が?」

 レストルがひょいと顔を上げる。

「ええ……成人しましたし。これからの事を話すつもりなのかもしれませんね……」

 結婚の話かもしれない。
 何故か父は皇族との縁にあまり好意的では無いし、押し切られ、今度こそ別の子息と婚約させられるかもしれない。
 この件は結局アーサー次第で、人任せというのは不安しかないものだ。

 リヴィアが一番大事にしてきたものを失って、いわば丸腰の状態で果たして何を告げられるのか。上手く逃げ仰せられると思っていた矢先、捉われる憂鬱な気持ちを少しでも吐き出したくて、リヴィアはそっと息を吐いた。

 ◇ ◇ ◇

 父が帰って来たのは晩餐の前だった。
 大体いつもと変わらない帰宅時間だ。記憶をなくす前からの習慣で、いつも二人で食事を摂る。

 朝はお互いばらばらで夜は基本一緒。それでも父の仕事が忙しい日の割合の方が多く、そういう日は執事がリヴィアに張り付き、侍女から就寝したという連絡を受け、父に報告しているようだった。

 魔術院に勤めるにあたり、泊まり込み禁止とは言っていたが、一度家に帰った振りをして、リヴィアが再び外出するとでも思われていたらしい。正直何を考えているのかと思ったが、特に弊害もなかったので放っておく事にした。

 無関心には無関心。それはこの屋敷に住むにあたりリヴィアが身につけた処世術だった。

 何の会話も無く食器の音だけで終わる晩餐。
 食事が終わり挨拶をしてを席を立つと、父から私室へ来るように言われ、リヴィアは小さく首肯した。

 ◇ ◇ ◇

 父の私室に行った覚えは数える程しかない。
 子どもの頃に興味本位で覗いた事があるだけだ。けれど無人の部屋は何だか怖くて、飾り気の何もない室内からは何も受け入れる気はない、と強い拒絶を感じたものだ。

 食事を終え一度自室に戻り、リヴィアは簡単な部屋着に着替えた。
 このままお茶でも飲んでゆっくりしたいところだが、時間稼ぎにも限界があるだろう。最悪こちらに来られたら逃げ場が無くなるだけだ。
 リヴィアはしぶしぶと父の私室へと向かった。

 ◇ ◇ ◇
 
 ノックをすれば直ぐに入室の許可があった。
 扉を押し開け、軽く礼をとる。

「座りなさい」

 それだけ言い、手ずからお茶の用意をする父にリヴィアは目を剥いた。

「おお父さま?わたくしがやりますが」

「いい。私が淹れた方が上手い」

 遠慮なく切り捨てられ、リヴィアはむすりとソファに腰掛けた。

「お話とは何ですの?」

「少し待ちなさい」

 さっさと終わらせたいところだが、そうはいかないらしい。ため息混じりに視線を横に滑らせた。

 相変わらず父の私室には何も無い。

 父は執務室や書斎にいる事が多いので、そちらの方に物が集中している。見るたびに散らかっていくので、見かけによらず片付けが下手なのだと知っている。
 実はそんな悪癖を自分が受け継いでいる事も。

 散らかった魔術院の研究室を思い出し、リヴィアはこっそり苦笑した。
 親子だなあと思う。
 変なところで感心していると、父が向かいのソファに腰を掛けたので、リヴィアも居住まいを正した。

「お前が18歳になった時に話そうと思っていた事がある」

 いつもの刺すような視線はなく、どこか歯切れが悪いもの言いで父は話し出した。

「オリビアの事だ」

 言われてリヴィアはぐっと喉を絞るように息を詰めた。
 これから父が何を言い出すつもりなのかさっぱり分からない。平静を保つ為にリヴィアは改めてお腹に力を込めた。

「私とオリビアが前陛下の勅命で結婚した事は知っているか?」

 そう問われてリヴィアは戸惑う。確かに口さがの無い親戚にそう言われた事がある。父が恋人と無理やり引き離された理由であり、父母が結婚した理由でもある。彼らには父母がどれ程不仲であったのか面白おかしく語られた。

 子どもだったリヴィアには何ひとつ楽しい話では無かったけれど、根も葉もない噂話が好きな貴族の格好のネタにされていたのだ。
 当事者の一人であるリヴィアは、まるで生き証人のような扱いで、散々心を抉られたのを覚えている。

「はい……」

 だからこそ父は母を疎んだのだろう。リヴィアを受け入れられなかったのだろうと。今更なんだと。
 もう少しリヴィアが幼かったら声を荒げていた話だ。

 けれどもうそんな言葉は出てこない。勅命に逆らえる筈は無いのだから。
 貴族の結婚は愛情を重んじない。必要なのは婚姻によって得られるその価値だけだ。それ以降に起こる歪みはその家の責任となるけれど。

 そうか。と短く答えて父はお茶を一口飲んだ。
 それに倣うようにリヴィアもお茶を口にして目を見開いた。
 美味しい。先程の父の自信の現れにも納得が出来る。
 まじまじと琥珀の液体を眺めていると、父がふっと息を吐くように笑うのが聞こえ、思わずリヴィアは顔を跳ね上げた。父が笑うなど見た事がない。

「美味しいお茶を淹れられるようになって欲しいと、昔オリビアに言われたんだ」

「え……」

「私たちは最初こそ政略結婚だったが、ちゃんとお互いを夫婦と認め合う事ができた。人から何かを言われるような仲では無かった。ただ、その時間が短かっただけだ」

 リヴィアを産んだせいで……

 自然とそんな言葉が浮かび、リヴィアの中を反響する。

「お前のせいではない。そんな風には思わないで欲しい」

 まるでレストルのように心を読んだ父が首を横に振った。それとも自分は思っている以上に、顔に出る人間なのだろうか。

「私もオリビアもお前が産まれて本当に嬉しかった。二人でこれからの夢を沢山語り合った。……なのに彼女が産後で身体が弱っていた事を気に留めず、無理を見過ごした私の過失だ。繰り返すがお前のせいではない」

「どうして……」

 それならどうして……

「お父さまはずっとわたくしに無関心だったでしょう?それにわたくしの婚約はお父さまの初恋の方とのご縁だから結ばれた……のではないのですか?」

 リヴィアの声は呆然と、そして咎めるように父の私室で響いた。
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