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第四章 選ぶ未来

第86話 謙虚

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 ゼフラーダ辺境領へ向かった時は夏の終わりだった。それから三月経ち、ようやっと全ての準備が整った。

 季節は冬の手前ですっかり冷え込み、朝晩に吐く息もすっかり白い。見上げれば小ぶりの城のような屋敷が、澄んだ空の下、日の光を受けてきらきらと輝いている。
 そしてその屋敷からは、蟻のようにぞろぞろと軍人が出入りしていた。

 その様を何とは無しに眺めていたら、か細い声が自分の名を呼ぶのが聞こえ、振り返る。
 そこには真っ青な顔の従妹のエストレラが、軍人に囲まれ震えていた。
 今回アーサーが逮捕した、叔父であるディレーク公爵夫妻の一人娘。

「あ、あたくしはどうなるの?アーサー!」

 やっと現実に頭がついて来たと思ったら、出てくる言葉がこれかとアーサーは視線を戻した。

「君の婚約者に後見人を頼んである」

 その言葉が理解出来たのか、彼女は安堵したように大きく息を吐いた。

「そ、そうよね。あたくし何も知らないもの。良かった、結婚してその家に入ればもう無関係よね」

 エストレラの中では、優先順位はあくまで自分らしい。

「そうだね」

 どうせ行けば分かる事だ。親切にアーサーから話す事も無いだろう。

 エストレラがこの婚約に乗り気では無かった事は、相手に十分過ぎる程伝わっていた。
 それでも相手の令息は貴族の義務を重んじ、皇弟一家との縁を深めるべく臨んだのだ。

 お互いに不本意な婚約。
 不誠実なエストレラの態度でさえ、相手は立場上耐えねばならなかった筈だ。

 ライラが結婚してからエストレラが自分の隣に並びたがっていた事は知っていた。だが従妹というだけで特にどうという事も無かったし、相手にもしなかった。

 その為エストレラが少し前に19歳になり、生き遅れを懸念した叔父夫婦が、婚約者を見繕い説得したのだとか。

 今日先触れを出しアーサーがおとなえば、彼らは期待を込めて、アーサーがエストレラを今更妻に望みに来たのではないかと揶揄った。

 叔父夫婦の逮捕という任務に気を引き締め応接室に入ったアーサーは、虚をつかれ彼らの幸せな妄言にしばらく付き合う羽目になった。

 アーサーは事前にエストレラの婚家となる家に話をしに行っていた。

 エストレラの後見人になって貰えないかと探るつもりもあったからだ。
 やはりというか婚約者の令息はショックを受けていた。
 正直もう価値の無い婚姻だ。お互いの相性も良くない。

 それでも家長である彼の父は、エストレラの境遇に多少同情したようで、後見人を引き受けてくれた。

 だが二人は結婚には至らないだろう。
 エストレラはせいぜいその家の都合の良い婚姻に付き合わされるだけだ。
 それでもディレーク夫人の実家よりは温情があると踏んでの交渉だった。

 あの家の前当主は、姉が妹を出し抜き皇族の伴侶に収まった事を喜んでいたが、今はディアナと仲良くしていた弟が当主を務めている。
 絶縁状態だとも聞いたので諦めた。

 そもそも正直ここまで世話をやくつもりは無かったが、令嬢一人では何も出来ないだろうと思うと、ついお節介をやいてしまったのだ。

 ◇ ◇ ◇

 つい先程まで叔父夫婦が喚いていた。何故どうして、何で今更、あの女のせいで、自分たちは関係ない、自分は知らない。

 最後にはお互いに罪をなすり付け合い、罵り合っていた。

 アーサーはきつく目を閉じた。
 昔憧れていた叔父夫婦はもういないんだなと噛み締める。
 それさえも紛い物だったのかもしれないが。

 穏やかで仲睦まじい夫妻が羨ましかった。その間で大事に育まれる従妹も。

 皇帝である父と皇妃の母には望めなかった家族像。愛されていた事は知っていたが寂しかった。
 けれど今は皇族の義務を教え込んでくれた事に感謝している。

 アーサーは目を開けた。自分の吐く息が視界をけぶらせる。

 ◇ ◇ ◇

 ディアナが壊した結界陣は国宝だ。だからこそ捜査は徹底的に行われた。

 皇弟の婚約者であった彼女が、何故ゼフラーダに嫁ぐ事になったのかまで。

 そして祖母である皇太后があっさりと自供した。

 死の淵にあった彼女は、現世うつしよの罪を少しでも軽くしたいと、アーサーを聖職者に見立て、縋るように吐き出した。

 ディアナへの名誉毀損から始まり殺人教唆。
 これが自分の祖母かと思う程見苦しい自白の数々は、いっそ死後の世界で自ら清算して欲しいと思ったくらいだった。

 息子可愛さに行ってきた嫌がらせも、その姉に息子を取られた途端、終わらせざるを得なかった。

 息子を取られた事には変わらなくても、二人は共犯であった為、藪蛇やぶへびとなる事はできなかったのだ。

 そうして仲の良い嫁姑を演じつつ距離を取り、それでもお互いに不審感を持ち続けていた。

 そしてディレーク公爵夫人が送り込んだ侍女が、皇太后に毒を盛っていた事が判明し、祖母は全てを道連れにせんとばかりに話したのだ。

 ゼフラーダの調査についてどこからか聞きつけた夫人が、過去の罪に恐怖し手を染めた。

 皇太后はずっと体調を崩していた事もあり、毒を盛られていた事が判明しにくかった。その為気づいた時には既に遅く、病状改善ははぼ絶望的という診断結果が下った。

 何よりも罪深いのは、叔父が、皇族が代々継承してきた陣を祖母に縋り、ディアナに負担を強いてきた事。

 ディアナと婚約破棄をした途端に臣下に下り、陣の徴を放棄した事はそれが理由だったと語った事だった。

 ◇ ◇ ◇

 それを聞きアーサーは目の前が暗くなるような錯覚を覚えた。

 確かに陣を背負う事は身体への負担が凄まじい。
 元々魔術の素養を持たず産まれた者に強引にその力を繋ぐ為の物だ。

 アーサーも慣れないうちは、しょっちゅう体調を崩し寝込んでいた。

 本来なら男子の成人である15歳以上でその資格を持つ事が出来る。
 だが先代との空白期間を良しとしなかった父が、アーサーに10歳で継承を命じたのだ。

 本来なら先代から直接受け取る継承は、魔術師長と宮廷魔道士の秘儀によりアーサーに受け継がれた。

 気を失う程の激痛と共に。

 何日も続く痛みと睡魔の狭間の夢鬱の中、目を覚ませば考えるのはその事ばかり。

 たった三年程で放棄した叔父。
 けれどこの苦しみを知れば仕方がないと、痛む身体に喘ぎながら深く考えないように無理やり眠ったあの日々。
 そして叔父の前で、もう以前のような感情は持てなかった子どもだった自分。

 やがて期せずして辿り着いた真実は、叔父が臆病者だったというそれだった。

 全ての責務も罪も婚約者に背負わせ、昔の話で今の自分には関係ないと言い切った彼。

 アーサーはその頭をかち割れば、中身がわからなくても、多少気は済むかもしれないと、物騒な事を考えた位には失望した。

 十年身体を共にした陣は、今ではアーサーに馴染み痛みも苦しみも伴わない。疲れを感じると身体が多少重くなるような違和感がある程度だ。

 叔父は捕まる時にディアナを罵っていたが、彼女はその件に関して何も話してないと伝えれば、今度は妻に喚き出した。

 自分の愛する母親を害した事。
 だが勝手に降下し、気安く会えない環境を求めたのは公爵本人だった筈だ。
 都合がいいものだとアーサーは呆れた。

 夫人は自分も殺されると思ったと叫んだ。だから先に殺そうとしたのだと。

 ◇ ◇ ◇

 喋らせとけばどんどん供述がとれますね、と淡々と話すフェリクスに苦笑し、二人を皇城へ連行するよう命じた。

 行き先が皇城と分かり公爵の表情は僅かに明るくなった。

 彼は自分が皇帝の弟であると自負している。
 
 だがそんなものはもうどこにも無いのだと、皇帝直々に引導を渡され思い知る事だろう。

 自分には荷が重いと、何もしない事を謙虚で控えめと履き違えて来た叔父は、とうの昔に父から見限られているのだから。
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